navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

ウクライナ方面への旅-3

2006年09月03日 | 日記
何年か前義母とクラカウにある歴史博物館を訪ねたとき両手を拡げたぐらいのガラスケースに入った古色蒼然とした古い地図のまえを通った。

しばらくそれに見入っていた義母さんが”これはガリチアの地図だね。”ガリチアは昔はポーランドの領土だったんだよ。”と教えてくれました。*(音符)*

その時は,”ガリチア?ふう~んクラカウもガリチアだったのか。”って思いながらなんか不思議な未知の物を見てしまったような気がしました。*(ウインク)**(はてな)*

今いるリヴィウはかつてのガリチア公国の首都だったこともある所だそうです。

今のガリチア地方は西ガリチア(ポーランド領),スロバキア と東ガリチア(西南ウクライナ領)から成っていて東欧のこぶカルパチア山脈一帯がちょうどそこに重なります。
かつて夏休みには家族みんなで山歩きを楽しんだ美しいタトラ山系の保養地ザコパーナもあるところです。
ここはスキージャンプの大会でも有名なところです。*(山)**(ニヤ)**(グッド)*

またガリチア地方は10世紀末新興キエフ・ル-シ公国に滅ぼされた遊牧民国家ハザール大王国から追われて逃れてきたアシュケナージム(東欧ユダヤ人)が多く住んだところでもあります。

かつてのハザール大王国は西欧がまだ文化的にも遅れていた頃にビザンチン帝国(東ローマ帝国)に匹敵する文化と力を持っていたそうです。
その領土はカスピ海から黒海の北に拡がる大草原の一帯(今のウクライナ辺り)辺りまで広がっていました。

アインシュタイン,ヘンリーキッシンジャー元米国務長官,スティーブン・スピルバーグ,ら有名人天才人らはこのアシュケナージムですね。*(ダイヤモンド)*

彼らは現在全世界のユダヤ人の90%(に対して10%の西欧正統ユダヤ人のスフアラディム)を占めイスラエルをはじめユダヤ政経映画産業界各方面で実権を握っている人たちです。*(お金)**(テレビ)**(地球)*

ポーランドから国境を越えて東ガリチア地方に入ると教会の屋根の形が変わってきます。

ここリヴィウの街並みの中の教会も西欧世界の鋭くとがった尖塔が空に突き刺さるような屋根の形から 丸い葱坊主形の屋根を乗せた教会に変化します。

ウクライナ独特のユニエイト教,ウクライナ正教,ロシア正教の教会の屋根の形が葱坊主形なんですね。
ですからモスクワにも葱坊主形屋根の教会がたくさんありますね。*(びっくり2)*

そんな葱坊主形の屋根をもつ教会があるリヴィウの街並みはこじんまりとしていて古臭く見え(旧い街並みという意味ではなく単に古い)やや薄汚れたように見える。

それでも西欧の街並みに負けないくらい商業目的の看板やサインが溢れ朝の混雑と雑踏はなかなか活気があってなかなかのものと感じた。日本の商品のポスターや看板も結構目についた。

旅の日程の都合から残念ながらこのリヴィウの市内観光はパスしました。*(バツ)*

そんな市街の雑踏を抜け出して一路次の目的地キエフへ向かう。

道路は相変わらずガタガタ凸凹の最悪の状態で60~70KM/hぐらいでしか走れない。

ところがです!

土地のスペシャリスト?と思しき輩が運転する車達と大きなSUV車たち(大きな図体で大きなエンジンを積んだ高額車のランド・クルーザー/レインジ・ローバー/BMW X5/XC90/ポルシェ・カイエン等)はそんな悪路を物ともせず100~120KM/Hを越えるぐらいのスピードで対向車線に出てぶっ飛んで追い越していく。*(車)**(ダッシュ)*

当たり前ですが,行く先々の道路脇には立ち往生して即席青空修理作業をしている車達がたくさんありましたね。

手持ちの地図の地名のつづりと実際に出くわす辻路にある道路標識の綴りが一致しないような感じでどこにいてどっちに進んでいるのかはっきり解らない状態で土地勘と方向感覚を研ぎ澄ませて運転を続けました。

頃好い昼過ぎに入ったドライブイン風のレストランでいただいた鶏肉のカツレツ風はとてもおいしかったな。

そこのウエイトレスに自分の地図を持ってきて今どこにいるか指し示して教えてもらった。息子がしゃべるポーランド語はウクライナのこの地方では幾らか通じるらしい。

これでやっと,今どこにいてこれから向かう先も良く解った。*(ウインク)**(グッド)*

朝出発した時はうす曇りだったのに途中で青空が広がり始めた。
夏の雲が散らばる青空の下,雄大な大草原の拡がりの中に吸い込まれてちっぽけな自分が消えてなくなりそう。

突然左のこめかみあたりに現われた軍用ヘリコプターらしき姿もやっぱりこの雄大な風景の中へ吸い込まれて点となってやがて消えていった。

このウクライナの大草原を走りまわり繰り返された幾多の遊牧民国家の栄枯衰勢を想いながら運転を続けた。*(砂時計)*

午後5時過ぎにはウクライナの首都300万人がすむキエフへ入った。

飛び込み都合3回目で市の当に中心にある”独立広場”の真向かいの丘の上に聳え立つ”ホテル ウクライナ”が見つかった。

外観はごついソ連型の15建て,割り当てられた5階の部屋の大きくて重いドアを大きな鍵でガチャガチャ開けて中に入ると内部も典型的な社会主義国っぽい暗くて古くて薄汚くておもてなし感が乏しい。


しかしですョ。
その部屋の窓からの眺望は文句なく5スタークラスでした。*(ニヤ)**(びっくり2)*

あまりの素晴らしい眺めに二人でしばらくの間そこを離れられませんでした。

目の前に広がる景色はキエフの街の中心街のパノラマそのもの。
見下ろす”独立広場”には大きな丸いガラス製の屋根を持つ平べったい建物やその先の一画はなんかのテント群らしきもの,その周りにはいくつもの噴水が点在する。広場の真ん中には記念碑らしきたかい尖塔が立っている。

左右にはローマ調とゴシック調の白っぽい大きな建物が連なる。広場を横切る大きな街路と近代的な6階ぐらいの建物たちの連なり。

街並みの中に夕日を受けて金色に輝く葱坊主形の屋根をいただく教会の一部が見える。

左側の高いビルの上部に備え付けられた巨大な表示版には”t。+16”の赤い表示。現在の外気温らしい。

広場の先一番奥まった付近を観ていると,
おおっ!
あれは黄色いMマークではないか。

インターナショナル・ジャンクフードの雄マクドナルドではないか!
やはりここキエフにもあったか。

一瞬二人で顔を見合わせにんまり。
”今日はむずかしいことを言わず あそこにいって食べようか? いいけど。”

即座に決定。

ホテルの丘を下り広場をとおり地下道を抜け再び向こう側の広場を歩いて行ってもわずか7分足らずでした。

小さな子供をつれた家族,夏休みの子供やティンエイジャーたちで賑わっていました。
外のテーブルに座ってったた今歩いて来た丘の上の”ホテル ウクライナ”を眺めながらフィッシュ・フィレ バーガーを頬張る。

非日常的なこんな旅先でこんな汎日常的でありふれた情景の中にいるなんて...


オランダを出発してからまる4日目に2350KMの距離を走ってやっとついたキエフでマクドナルドか...うん~ん*(汗)*

自分のやっているのがまるで”金団雲に乗って地の果てまで飛んで行ってどんなもんだいって威張っていても実際は御釈迦様のたなごころの中で飛び回っているだけの自信満々の孫悟空のようなもんか。”なんて思ったりもした。

旅って一面そんなものかもしれないね。

次回はキエフの観光とその後を書きます。