悟りへの道標(悟った人の言葉を紹介していきます)

現在は主にニサルガダッタ・マハラジ(1897~1981)の言葉がメインです。みんなで悟りましょうヽ(=´▽`=)ノ

1979年9月9日「世界は『在る』ん中にあんねんで」

2016-09-15 18:12:24 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月9日

ニサルガダッタ:自分の体と”在る”に気づいた後、自分の環境から印象集めて、お前さんは周囲の世界見んねん。世界のパノラマとそん中の自分自身についてよう考えとったら、オリジナルの結論に達しとったはずや。お前さんの行動みんな、体との自己同一化に依存しとる。体との自己同一化は、”我在り”いう知識に依存しとる。そんで”我在り”いう知識は、お前さんの体を養っとる食物エキスに依存しとんねん。
これは、お前さんがこの世で動き回るための資本や。お前さんが今経験しとるこの”在る”いう意識は、お前さんが食べる食べもんのエキスに依存しとる。もうこれ以上食べもん吸収できんくなったら、氣がだんだん弱なって、ある日、”ワイがおる”いう意識と共に消えんねん。このこと熱心によう考えたら、この謎解けんで。
体や食べもん経験する以前には、自分とか世界の経験は100%あらへん。この現象には始まりがないねん。最初に生まれたんは空や…空から風が生まれて…風から光と熱が生まれて…熱から水が生まれて…そんで水から全生命が芽吹く土が生まれて、在るもんすべてになっとんねん。この五大元素みんなが、この偉大な現象の原因やねん。
意識いうもんは、五大元素ぜんぶが一緒に入っとる食物エキスの性質のことや。

訪問者:せやったら、ちゃう食製品はちゃう意識の性質作り出すんか?

ニサルガダッタ:五大元素はそれぞれちゃうもんや。それぞれの形態でグナがちゃうねん。意識が体に制限されとったら、ちゃうように見えるけど、意識がそれ自身知ったら、すべてを包容する宇宙意識に溶け去んねん。

訪問者:幻ってどないして生まれるん?

ニサルガダッタ:物の影はどないして生まれるんや?物質を構成しとるすべての物質から生まれとんねん。このマーヤは、”在る”ことへの愛にすぎん。

訪問者:ワイらはその罠から出られへんねん。

ニサルガダッタ:装飾とか付属品つけとらん最初の「お前さんであるもん」をがっちり守り。お前さんが嵌っとんのは架空トラップやねんで。

訪問者:これ経験すんには何したらええんや?

ニサルガダッタ:何もしなや。ただ自分の”我在り”ん中いて、それに自分の体の形つけんかったらええねん。

訪問者:なんで”我在り”にしがみつく必要あるん?

ニサルガダッタ:お前さんは自分の”在る”いう意識知らなあかんねん。そうすることでお前さんは、ブラフマを掌中に収めたヤツみたいになんねん。漁師が網に魚を捕らえるんど同じで、お前さんも自分の”在る”知ったらそうなんねん。

訪問者:訪問者:心ーエゴがいっつも、自分自身知んの難くしとんねん。

ニサルガダッタ:心は、お前さんの意識がないと存在せえへんもんや。それはただの言葉の問題や。氣が心を生じさせとんねん。

訪問者:ワイらはもう"我在り”超えとるっちゅーこと知っとったら、なんでしがみつく必要あるん?

ニサルガダッタ:”我在り”が単なるいっこの観念やっちゅーことに、いつ気づいたんや?

訪問者:「あらゆるもんみんな観念で、観念と生きる必要なんかあらへん」て気づいたんや。

ニサルガダッタ:あれこれと一緒におるいう問題なんかあらへん。ただ在り。

訪問者:ワイらは今まで通り生きなあかんて聞いとる。ここにおる間、この部屋におる間は、めちゃめちゃ簡単に自分やあらへんもん捨てれんねんけど、ほんまは実在せえへん世界ん中、どないして外で生きたらええんや?

ニサルガダッタ:お前さんは、「ワイは何もしとらん」いう悟りに至るわ。すべては起きとる…そんで、「ワイは出来事をただ見とるもんや」いう気づきに至んねん。ただ在り。悟ったヤツらにとって、世界なんかどこにあんねん?世界は、”在る”ん中にあんねん。

訪問者:ワイは何もする必要あらへんのか?

ニサルガダッタ:これまでお前さんは何してきてん?

訪問者:これまでのワイらの関係は、”する必要がある”と”在る”いうもんや。最初に”在る”で、次に”する必要がある”にせなあかんのか?

ニサルガダッタ:それはそれ自体で面倒見るやろ。ワイはただお前さんに実情を示しとるだけや…その後でやるんは、お前さんの務めや。一つは、あらゆる供給ぜんぶ、自分の自己を通っとるちゅーこと理解するやろ。もう一つは、お前さんはすべて失ってまうねん。

1979年9月8日「『我在り』は絶対者へのただの道標や。道標はお前さんちゃうで」

2016-09-15 05:40:10 | ニサルガダッタ・マハラジ
訪問者:「自分が何なのか」わからん。わかんのは、苦しんどるっちゅーことだけや…それは痛いほどわかっとる。

ニサルガダッタ:その2つは苦と楽いう対極にあるもんや。

訪問者:普通の苦しみとはちょっと別もんやで。

ニサルガダッタ:お前さんの嗜好が穢されとんねん…せやから、そんな感じ受けとるんや。

訪問者:どないしてわかったん?

ニサルガダッタ:説明できへん。どないして目え覚めるか、どないして眠りに落ちるか、ワイには言えへん。

訪問者:ワイの苦しみ助けてくれんか?

ニサルガダッタ:身体意識忘れぇ。喜び求める必要なんかあらへん。お前さんが喜び呼んどるもんぜんぶ、究極なるもんちゃうねん。

訪問者:喜びも幸せも求めてへんけど、ワイ困らせとるこいつは消えなあかん。

ニサルガダッタ:そんなもんあらへん。「苦しみあんねん」っちゅーお前さんのただの想像、観念や。お前さん以上に純粋なもんは何もないねん。その苦しみは、お前さんのただの想像、幻、観念や。

訪問者:その観念どないして捨てるん?

ニサルガダッタ:捨てなあかん何がある?どないして「自分が生まれた」っちゅー観念手に入れたんや?

訪問者:無視せなあかんのか?

ンサルガダッタ:ただ知りぃ、ただ見ぃ、観照者んなりぃ…他に何もすべきことなんかあらへん。何やしようとしなや。「自分であるもん」だけ知り。

訪問者:せやったら、救いゼロや。トラブルぜんぶ見なあかんのか?

ニサルガダッタ:せや。そいつの顔、素性、全体を真正面から見て、そいつがどっから現れたんか見つけなあかん。そのセンターから、この知識はお前さんに現れてん。センターを見ぃ。それだけに集中せえ。
お前さんがその核に達したら、そっから放たれとる光線見つけるやろ。お前さんが見るもんみんな、ただの光の劇や。センターに溶けて合わさり。

訪問者:ワイを取り巻く宇宙拒絶したら、宇宙どうなんねや?

ニサルガダッタ:お前さんがセンターや。内側向いたら、お前さんが見とる宇宙はそれを通してのみ存在するっちゅーことわかるわ。

訪問者:ワイは、マハラジが自分の暮らし整えとんの見とんねん。なんでワイらに、朝から晩まで何すべきか教えてくれへんのや?

ニサルガダッタ:そんなもんに注意払いなや。「お前さんは身心やあらへん」ただこれに注意払い。

訪問者:じゃあ、どないしてマハラジは生活整えとん?

ニサルガダッタ:ワイは時と生の彼方におんねん。宇宙の生はワイに依存しとる…ワイは宇宙に依存しとらん。

訪問者:そうなんやろけど、ワイらが見とるもんは規則正しい生活やで。

ニサルガダッタ:ワイは五大元素の影響を受けへん。ぱっと見、ワイは動き回っとるように見えるやろ。せやけど、ワイにとって行為はあらへんねん。
いっかい自分のほんまの状態ちら見したら、そこに永久に安定するはずや。ワイの母ちゃんはワイに、「お前は男の子や」言うた…覚えろとか「ワイは男の子」リピートしろとかいっこも頼まんかってん。たったいっかい言うただけで覚えてん。「ワイは体やない」てリピートする必要あらへん。いっかい理解したら仕舞いや。自分は体やあらへんいうこと確信せなあかんで。「自分は男やさかい、赤ちゃん産まへん」て確信しとるんと同じくらい固くや。何があっても、自分が赤ちゃん産むなんて考え絶対抱かんやろ。

訪問者:何に瞑想したらええんや?

ニサルガダッタ:”お前さんがおる”いう事実、お前さんの”おる”に瞑想せえ。

訪問者:なんでお前さんは、”ワイがおる”を食べもんエキス呼ぶんや?

ニサルガダッタ:この”ワイがおる”は、絶対なるもんを示しとるただの道標や。せやけど、道標はお前さんやあらへん。
体いうもんは、この現象宇宙の原料から創られた人形やねん。絶えず変化しとるし、現象宇宙に消えうせとる。そんで使い尽くされたら、自身を空間に変えるだけや。体が完全に空間に変わったら、知性なんか存在せへん。知性は体と共にだけあんねん。そんでまた空間から形作んねん。その形成過程には知性存在せえへんのや。

訪問者:時間っちゅーようなもんはあらへんのか?

ニサルガダッタ:お前さんの”ワイがおる”が時間定義すんねん。ただの考えや。

ニサルガダッタ:(別の訪問者へ)何や質問しにきたんか?

訪問者:ワイは去年、ワイを自己実現に導いてくれるグル見つけにインド来てん。一歩一歩詳しゅう指導してくれるスタイルのグル見つけるっちゅー考え持って来てん。スタイル付きのグル見つけるかわりにマハラジに会うたとき、ワイがパクってったんは空っぽの枠と鏡だけや。自分がどないな形も、どないなもんも持っとらんことわかってん。常に変化する純粋な空間だけや。マハラジのこと考えると、マハラジがワイ自身に思えるときもあるし、無に思えるときもあんねん。ワイの前に見えとる人物は、常に変化しとる。「それがマハラジや。」て指して口で言えるもんあらへん。怖いでー。しかもその恐怖でっかなり続けとる。

ニサルガダッタ:お前さんの言うたことは至極尤も、100点満点や。お前さんが見るもんぜんぶ、自分の自己以外の何もんでもあらへん。自分自身に抱いとる体のイメージ捨てえ。お前さんの見るもんすべてがお前さんの自己や。

訪問者:本にあったりここで議論されとる観念、考えが心に浮かんだり、マハラジのイメージが浮かんでくることもあんねん。前やなくてその直後に、「何もあらへん。」「ワイが聞いとるもんは、それ自体やあらへん。」いう思いがでてくんねん。せやけどこの空間感じんのは、マハラジのこと考えた後だけやねん。

ニサルガダッタ:その無があること、ぜんぶ消えたこと悟っとんの誰や?そんでぜんぶ消えたら、残っとるもん何や?

訪問者:恐れてるもんや。

ニサルガダッタ:ぜんぶ消えたら、お前さんが現実や。

訪問者:ワイはそれいっこの観念として理解しとる。ちょっとの間悟って、そんでまた非現実に帰んねん。ワイの家族、嫁、子供たちに愛着すんねん。帰んの習慣なっとんねん。

ニサルガダッタ:観念が離れるとき…それがお前さんのほんまの状態やけど…これまで観念たちの面倒みとったさかい、そんときお前さんは恐れて、またそいつらにすがりつこうとすんねん。そこが、内在原理と永遠なるもんの合流地点、境界や。なんでそんとき知性困るんや?お前さんが経験しとる”おる”が溶けてなくなるからや。”ワイがおる”いう観念消えたら、知性も消えんねん。せやから知性は「ウチ消えてくやーん」いう恐怖体験すんねん。

訪問者:その恐怖克服すんにはどないしたらええんや?

ニサルガダッタ:ただその瞬間見てみい。「ウチ死ぬー」いうて感じとるヤツは、ジュニャーニやあらへん。お前さんのほんまの状態は、”ワイがおる”いう一等観念の彼方にあんねん。意識が一等観念や。せやけど”ワイがおる”とか意識は、食物体の生成物やねん。お前さん、絶対なるもんは、それやあらへん。
死いうもんは、食製品である”ワイがおる”いう性質に訪れるもんや。せやけど、絶対なるもんは永遠に遍満しとんねん。これが究極の知識や。この知識は、クリシュナはんがアルジュナに、馬立ち並んでまさに戦いの火蓋が切って落とされようとしとる戦場で説かれたもんや。クリシュナはんはアルジュナに、「頭剃ってー森入ってータパスせえー」なんていっこも主張せえへんかった。そういった類のもんやあらへんねん。いっかいこの究極知識理解したら、何でも好きなことやり。
クリシュナはんは、「ほんまの力でーこの合戦挑むねんでー」言うとった…ワイやったらこう言うわ。「いっかいこれ理解したんやったら、熱狂しまくって、情熱いっぱいで、世俗の生活の義務果たし。せやけど、”自分のほんまのアイデンティティーは、この”ワイがおる”いう性質超えとるもんや”っちゅーこと理解しーや。」言うわ。
ジュニャーニにとっては、いわゆる死いう瞬間はいっちゃん至福なもんやねん。なんでやゆーたら、これからソイツは至福のいっちゃん源に行くねん。永遠が、至福、ネクターの真の大洋、不死なるもんや。

1979年9月7日「この世の知識まるまる集めても、みーんなお払い箱行きや」

2016-09-14 02:26:11 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月7日

訪問者:今日は何すんのや?

ニサルガダッタ:意識のせいで、お前さんはいろんな段階見とんねん。その悪戯好きで人惑わせる意識見-や。めちゃめちゃ単純や。この意識は前には在らへんかったもんやし、消える定めのもんや。それでもお前さんは在るし、その意識見んねん。お前さん、絶対なるもんは、完全な状態や。お前さんは、欲望と必要性で溢れかえっとる意識やあらへんし、お前さんは、意識の中にもおらん。
もういっこの理解の仕方はこうや…バジャンやら帰依やら何やら通してワイが得た知識ぜんぶ、神の知識に明け渡されんねんけど、ワイはそれやあらへん。ワイは、知識とか意識の香りの範疇におらん。ぜーんぶ意識そのものに明け渡されて、ワイはそっから離れとんねん。「ワイは、自分自身と意識を含むすべての知識を、顕在意識ブラフマに明け渡すねん。」創造そのものがブラフマで、生贄の火もブラフマで、生贄捧げる者はブラフマや。

訪問者:ワイが理解したことはただ一つ、「ワイらは実在であって、身心やあらへん」いうことや。そのことずっと考えとんねん。

ニサルガダッタ:これについてお前さんが持っとる知識教えてくれ。

訪問者:めっちゃ難いな。存在するもんすべてであり、ワイらは常にそれやねん。

ニサルガダッタ:説明すんのめっちゃ難いて気づいたんは、名前も形もつけられへんからや。お前さんが説明つけられへんもんって何なんや?

訪問者:ワイはただ”我在り”の存在、実在の存在感じとるだけや…ワイには説明できへん。

ニサルガダッタ:お前さんには認識見えへんけど、認識は他のもんぜんぶ見とんねん。意識はぜーんぶどこでも同じや。いっかいこのこと確信しもって悟ったら、それ役立つか?

訪問者:いーや、何も役立たんわ。

ニサルガダッタ:この世で起きるもんぜんぶ…変わらんと魅力あるか?

訪問者:いーや、昔はよう起こっとるもんにとらわれとったけど、今はとらわれへん。

ニサルガダッタ:物事は昔と同じように起こっとるけど、人は「自分には名前も形もあらへん、せやから行為もあらへん」っちゅーこと悟んねん。この世で何が起こっとっても、本質的に夢ん中のもんや。個の人格は失われとる。これわかったヤツが、そんな世界改善したいと思うわけあらへん。ソイツはこの世の動きにちょっかい出さへんねん。
世界でいっちゃん利口な頭持っとるヤツが、その頭でこの世の情報MAXまで集めても、ぜんぶお払い箱行きになんのは、そのベースが間違っとるからや。この言葉の意味聞いたんやったら、自分本来の状態、自己に至ったか?

訪問者:いーや。

ニサルガダッタ:それは身心との自己同一化と、身心へのプライドのせいや。

訪問者:ワイらはなんで世界見るん?なんで間違って見るん?

ニサルガダッタ:この質問しとるとき、自分に気づいてへんのか?自分の体いうアイデンティティーあらへんのか?

訪問者、せや、あるわ。

ニサルガダッタ:この考え捨てえ。

訪問者:どないして?

ニサルガダッタ:捨てるもんなんかほんまは何もあらへん。お前さんは名前もっとる…お前さんはそれ自分や思てるけど、お前さんとちゃうねん。

訪問者:名前の働きって何なん?ワイの体か?人格か?

ニサルガダッタ:お前さんには人格あらへん。ぜんぶ心ん中だけのもんや。

訪問者:ワイには心あるさかい、心が「ワイは人格持っとる。」言うとんねん。どないしたらええんや?

ニサルガダッタ:お前さんに「ワイは独立した人格や。」いうて感じさせとんのは、心やなくて氣や。生命力が思考生じさせとんねん。せやなかったら心なんかあらへん。息吹がこの世の思考生じさせとって、お前さんはただ見とるだけや。身心を自分や思っとるうちは、このテーマはお前さんの理解の遥か彼方にあんねん。心超越せなあかんで。

訪問者:超越したないわ。

ニサルガダッタ:身心アイデンティティーもたんと聞ける準備整ってからここ来-や。せやなかったらお前さん時間の無駄や。このアイデンティティー捨てる覚悟できてへんねやったら、ここ来なや。

訪問者:せやけど、ワイはあきらめんとここで自分見つけんで!

ニサルガダッタ:ええやろ。ここ来たらええ。せやけど、これよう考え…「お前さんは体やあらへん。」

訪問者:それいっつも考えとるけど、ワイの思考はこれ以上先に連れてってくれへんねん。

ニサルガダッタ:考え続けぇ分け続けぇ。体が死んでも、お前さんは死なん。

訪問者:それは、ワイがこれまでまったく知らんかったワイ自身の一部のはずや。ワイが知っとんのは、体、名前、人格だけや。それがワイの知るすべてや。

ニサルガダッタ:それ考え続けぇ聞き続けぇ。それについて読めぇ学べぇ。

1979年9月6日「お前さんが”死ぬ”ゆーて思っとったもんが実際死んどっても、お前さんは死なへんかってん」

2016-09-13 18:22:46 | ニサルガダッタ・マハラジ
ニサルガダッタ:お前さんは「ワイはこういうもんや」いう観念持ってここに来とる。せやから、ワイはそれ解体して船の外に捨てに掛からなあかんねん。
絶対なるもんは自身を知らん。せやけど、自身をこの食製品、”我在り”を通して理解するチャンス提供されとんねん。

訪問者:ここ来る前は、「愛で満ち溢れるやろ」思とったけど、元気ないし疲れとるわ。

ニサルガダッタ:取り壊し過程やからな。最初に、お前さんは完全に分解再構成されなあかんねん。種蒔く前に、土耕して肥やさなあかん。耕して蒔いて初めて、芽が出んねん。解体過程は欠かせへんもんや…したらあとに残っとんのは意識だけで、そのあと発芽が起きんねん。
外人がここ来よると、決まって愛についての質問出てきよる。”我在り”が愛オンリーや。愛オンリーからでてきたこの姿、この”我在り”の花を、お前さんは身につけとんねん。"我在り”いう知識は、すべての微粒子のいっちゃん核に浸透しとんねん。宇宙の全微粒子は”我在り”いう知識の形でワイらん中に現れたんやっちゅー気持ちで、宇宙の全微粒子抱きしめえ。
お前さんはこの知識を、自分の身心意識から出てきた言葉で身心意識が経験できへんもんとして聞いとんねん。
喋るときお前さんは、まず自分を何かと同一視しとるけど、その”自分”は、長く続かへん、本物やない、永遠ちゃうもんや。
ワイが何言うても、土の準備が既に整っとるヤツらにしか吸収されへん。自分は理解しとるゆーて思とるヤツらでも、ワイの意図しとる理解してへんねん。

訪問者:昨日は眠れんかったわ。ベッドに横なっとると、ずっと音聞こえてずっと光見えとってん。ワイびびって汗かいたわ。これからワイ死ぬんや思ったわ。

ニサルガダッタ:何でも起こるもんは起こるべくして起こっとんねん。お前さんが死ぬ思とったもんが実際死んでも、お前さんは死なへんかってん。それ強う心に留めとき。
お前さんの宗教ではどないな類の愛が唱えられとるんや?

訪問者:汝の隣人を愛せよ。

ニサルガダッタ:お前さんの宗教は、神への愛からすべて生きもん愛せ唱えとんねん。キリストは、お前さんの隣人を自分自身と同じように愛せ言うたんや。どないして実践しとるんや?

訪問者:たまにここ来ることでや。その愛がここにあんねん。

ニサルガダッタ:愛は、愛するもんと愛されるもんの区別がまったくあらへんときに、いっちゃん純粋な形であるもんや。お前さんの世界ん中で、いっちゃんでっかい苦しみの原因って何や?

訪問者:二元性や。

ニサルガダッタ:二元性はいつ始まったんや?

訪問者:自分以外のもんを初めて知覚したときからや。

ニサルガダッタ:二元性の始まりは、お前さんが”自分がおる”こと知ったときや。これが最初の二元性、幻のいっちゃん源や。ただおとなしゅう聞きなや。質問せえ。どないな知識手に入れたいんや?

訪問者:罪と徳についてや。

ニサルガダッタ:お前さんが幸せと満足感じるもんが徳、不安とか不満なるんが罪や。

訪問者:人が罪犯して後悔せえへんかったら、ずっと罪なん?

ニサルガダッタ:すぐ苦しまなあかんやろ。次の世では絶対や。苦しみは、”自分がおる”いう記憶と共に始まんねん。

訪問者:罪犯しとるヤツら、苦しんどるようには見えへんで。

ニサルガダッタ:これはお前さんの観念や。せやけど、内側にはトラウマ体験あんねん。

訪問者:日常生活の問題にはどう向き合ったらええんや?

ニサルガダッタ:自己とのアイデンティティーに従って務め果たし。すべてを自分の自己や見なし。

訪問者:弁護士人生には、毎日ぎょうさんすぎることが起きとる。いっつもトラブルだらけや。

ニサルガダッタ:お前さんは身心感覚から喋っとんねや。そっから出え。

訪問者:そんで何でも好きなことせえって?

ニサルガダッタ:そしたら自分の価値に従って行動するやろ。

訪問者:いっかい自己知識100%理解したら、困難なくなんねん。そんでぜんぶ自動的に進んでくんや。

ニサルガダッタ:ほんまや。せやったら何で質問するんや?

訪問者:その状態に活動ってあらへんのか?

ニサルガダッタ:そんとき、お前さんなしには葉っぱ一枚動かんことわかるわ。お前さんによって、すべての活動は起きとんねん。

訪問者:平静とか静寂いう話あるけど、苦しみあったほうが悟りたい衝動でっかなる思うねん。パーンダヴァ達の母ちゃんクンティは、クリシュナのこと覚えとけるように、クリシュナに苦しみ求めたんや。コメントくれるか?

ニサルガダッタ:お前さんどんだけここにおんのや?それは無知なヤツらのためのもんや。お前さんが自分のアイデンティティー見つけとったら、そんな質問出えへんわ。そういう考えは、無知なヤツらに勇気吹き込むために与えられとんねん。お前さんのためやない。次の質問はこれちゃうか…「ラーマとシータの結婚とりしきった僧って何者なん?」

訪問者:自己知識が正しいアプローチやったら、帰依の居場所はどこや?

ニサルガダッタ:バクティとジュニャーナは違うもんちゃう。自分の自己悟って初めてそのことわかんねん。”我在り”があるさかい、お前さんに神への帰依あんねんで。自己で自己を愛するいうプロセスは、ラーマとかクリシュナとかキリストとかへの帰依に始まって、その実現は、自己が自己を悟るときや。そんとき、すべてが自己オンリーやいうことわかるわ。

訪問者:「魂が安らかに眠りますように」っちゅー祈りは何や役立つんか?

ニサルガダッタ:ただの観念や。死人に、ソイツが安らぐような魂残っとるんか?死者への愛から、お前さんは1杯のミルク取って、死者の魂に捧げんねん。ソイツ来て飲むんか?ただの自己満や。
何で死後に起きること調べとんのや?今日のお前さんは何や?この幻はいっつも、お前さんを自分の自己から遠ざけ続けとんねん。ぜーんぶ外側にあるもんいっつも調べとるけど、「自分は誰か」見出そうとせえへん。お前さんは一生涯、自分自身にいろんなアイデンティティー保っとる。誕生以来、自分は子供、次は10代、大人、中年、老人いうて思っとった。このアイデンティティー、どれもお前さんに残っとらん。”自分”としてしがみついとるもんは、ぜんぶ消えんねん。
これ理解されなあかんねん。サット・グルがお前さんを導いとる。アイツだけが完全に理解しとるサット・グルや。
はっきりその矛盾理解しなあかんで。ワイは何説いとっても、何か意図しとんねん。
「わかった。」言うんやったら、はまっとらん。「ワイは何もわかっとらん。」てな域まで来なあかんねん。この理解の段階超えて、彼方にあるステージに至らなあかん。こういう結論に達しなあかんねんで…「子供の頃から老年までのいろんな段階…自分のアイデンティティーとして理解して固定しとったもんぜんぶ…偽り判明や」。同じで、お前さんが霊的探求しとる最中に理解しようと努力しとったもんぜんぶ、偽りになるんや。せやから、理解されなあかんもんは何もないねん。ここんとこよう考え。