7月6日(土)、蒲生野に伝わるもう一つの人魚伝説の地人魚園へ。
日本書紀619年の項に日本最古の人魚の記述があり、それが小姓が淵の人魚伝説だそう。
日野川の支流・佐久良川。この川には日本で最初の人魚の記録がある。
佐久良川にある小姓ヶ淵に人魚伝説が残されている。
7月6日(土)、蒲生野に伝わるもう一つの人魚伝説の地人魚園へ。
日本書紀619年の項に日本最古の人魚の記述があり、それが小姓が淵の人魚伝説だそう。
日野川の支流・佐久良川。この川には日本で最初の人魚の記録がある。
佐久良川にある小姓ヶ淵に人魚伝説が残されている。
7月5日(金)、東近江、旧蒲生町にアメダス観測所を観に行ったら。
名神高速に阻まれて甍だけが見えている立派なお寺があったので行ってみた。
高速を潜る高架下が駐車場で。
境内に入るとなかなか立派で山裾であるため階段が長い。
願成寺
619年、聖徳太子が創建と。
本尊は聖観世音菩薩立像で太子の母の姿を写したものと伝えられている。
また、人魚のミイラが安置されている。非公開。蒲生野には佐久良川の人魚伝説、観音正寺にも人魚伝説、人魚のミイラが安置されていたが20年ほど前の火災で焼失した。
数年前に開催された人魚サミットの碑がある。
願成寺人魚の伝説
願成寺の末庵に美しい尼僧がいて、そこへ可愛らしい小姓が手伝いに通ってくるようになった。小姓はいつしか尼僧のお供をするようになり、初めは微笑ましく思っていた村人たちも、この小姓がどこから来ているのかと不思議に思い、ある日小姓のあとをつけると願成寺の南を流れる佐久良川へすっと消えていった。あわてて村人が投げ網を放って引き上げてみると、なんとその小姓は人魚だった。
妖怪の身でありながら尼僧を困らせたとして、哀れにもその人魚はミイラにされてしまった.その後、人魚のミイラは見世物として点々と人の手を渡っていたが、人魚の呪いなのか夜な夜な泣き声が聞こえたり、所有した家には不幸があったりしたので、気の毒に思った人たちの手により願成寺に安置されることとなった。
願成寺がびわ湖霊場108の77番だったので 御朱印をいただいた。
77はラッキーラッキーナンバー!
僕のラッキーナンバーは8なので
ラッキーラッキーナンバーの88へ行かねばなるまい!
追記
2011.8.11に 関連投稿をしています。「蒲生の人魚伝説」
https://blog.goo.ne.jp/natyarakayak78/e/3eef8535be2c54a26f661647dac56cfc