上原良司が残した「クロオチェ」(羽仁五郎著)のところどころに丸印が付いており、それを拾ってつなげると次の文章が浮かんでくるという。
「きょうこちゃん、さやうなら。僕はきみがすきだつた。しかし そのときすでに きみは こんやくの人であつた。わたしはくるしんだ。そして、きみのこうフクをかんがえたとき、あいのことばをささやくことをだンネンした。しかし、わたしはいつもきみをあいしている」
番組はそれで終わり、余韻が残った。だがテレビの良くないところで、すぐに次の番組が始まるので、私はテレビのスイッチを切った。そしてこの人の純粋さを思った。
初恋の人がいた。名を石川冾子(きょうこ)といった。その人は別の人と婚約し、1943年に人妻となるのだが、1944年に結核で他界した。上原は初恋の人へ思いを捨てることができなくて入営し、厳しい訓練や上官のリンチを受ける日々があった。そして特攻という異常な戦術に巻き込まれることになり、死を覚悟した。そうなってしまえば、逆に精神は純化され、透明感を持つのではないか。現実の世俗を生きるのであれば、人妻のことを思うことはご法度であり、上原の性格からしてそれを葬り去ろうとしたに違いない。だが、初恋の人は天国におり、自分もすぐにそこに行くという思いが、俗世の約束事から上原の精神を解放したのであろう。
しかし、そのような直裁な心情を文章に書くわけにはいかなかった。当時の社会の空気もあったであろう。まして軍隊にいたのであるから。しかし、黙って死ぬ気にもなれなかった。そこで自分の愛読書を遺本とし、そこにわかる人にはわかる表現をすることを考えたのだと思う。
私はその初恋の人への文を耳に残したまま風呂に入った。嗚咽というのではないが、目頭が熱くなり、静かに涙が溢れた。