自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

百日

2011年06月19日 | その他 others
 あれから100日が経ったという。自分は何をしてきたのだろうかという苦い思いがある。想像力に乏しい人間は、被災者の本当の苦しみがわかっていないに違いないという情けなさもある。
 昨日、父の日だということで近所に暮らしている娘達3人が孫をつれて集まってくれた。もっとも週末にはほぼ毎週来てくれるのだが、このところ野外調査で留守がちだったので、ちょっと久しぶりだった。6歳から半年まで4人の発達段階の違う子がいて、それぞれの興味で遊んでいる。わいわいいっている幼児に囲まれて楽しい時間をすごした。
 大人になれば、いつか自分の親が死ぬことを覚悟する。昔から誰もがそのことに直面し、乗り越えてきたのだということを自分に言い聞かせてきたが、いざそのときが来たら、やはり現実を認めたくない気持ちがあった。悲しかった。そう思うと、子供が親を失うことの苦しみはちょっと想像できない。さらにいえば、通常ではありえない、子供や孫を失うということはどういうことであろうか。時間をかけて少しずつ復興するということとはまったく違う。永遠に取り戻すことができない空白であるに違いない。
 自分の目の前の流れる穏やかで平和な時間と同じ時間を一瞬にして奪われた人たちがいることを想像すると、その心の痛みがいかばかりであろうかと苦しくなる。
 私たちにできることは限られる。ほとんどないといえるかもしれない。「震災」とひとくくりにされる人たちの中に、親を失った子供や、子供や孫を失った人もいて、その苦しみもまたさまざまなのだと、乏しい想像力で思いやりながら、ささやかでもできる支援をしなければならないと思った。
コメント
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