神社と言えば近所にある通称松尾神社のことになります。とは言え松尾大明神が正式な名称になるのをはじめて知りました(笑)
松尾神社。南部領内一帯の酒造家が協力して維持した社
松尾神社の概要
松尾神社は、盛岡市茶畑にある神社です。松尾神社は、領内の酒造家が市内紙町に宝永3年(1706)勧請、元文5年(1740)現在の中野館に遷座、当社は南部藩より社領30石を寄付され、南部領内一帯の酒造家が一致協力して維持していたといいます。
社号 | 松尾神社 |
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祭神 | 大山祇命、中津島姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 7月13日 |
住所 | 盛岡市茶畑1-1-1 |
備考 | - |
松尾神社の由緒
松尾神社は、領内の酒造家が市内紙町に宝永3年(1706)勧請、元文5年(1740)現在の中野館に遷座、当社は南部藩より社領30石を寄付され、南部領内一帯の酒造家が一致協力して維持していたといいます。
「岩手県神社名鑑」による松尾神社の由緒
藩主南部信恩公の代、宝永三年(一七〇六)九月、領内の酒造家が市内紙町に勧請した社で、元文五年(一七四〇)現在の中野館に遷座する。
創祀以来、法蔵院が祀職として奉仕し、社領三十石を賜わる。
藩主の保護の下、南部領内一帯の酒造家が一致協力、その維持経営に任じ、熱烈なる崇信の誠を捧げてきた。
文化十三年(一八一六)七月、御城下酒屋年行事月番より御国中酒屋年行事に宛た書状に「御上の御沙汰に依り当社御守札を領内酒造家に頒布するに付、神職代理物各方面を廻る際、従前通り献金せられ、宿の事、送馬の事宣敷御配慮願ひたし」と見え、敬虔を極めたる奉仕の様を窺い知れる。
社殿は明治十七年(一八八四)の大火により炎上したが、大正十三年(一九二四)に再興なって現在に至る。(「岩手県神社名鑑」より
現在は地元の酒屋組合の手を離れ盛岡八幡宮が管理しているようです。また、春には隠れた桜の名所になる松尾神社になります。秋には松尾神社祭りが地元の有志たちにより行われいました。
最近、その松尾神社の祭りの世話役から祭りがなくなったと告げられました。松尾町の隣り合わの茶畑では同日に十六羅漢祭りが行われていました。 (コロナのために中断状態)
地域に住む住民として一抹のさみしさがあります。ちなみにこのようなことを調べるまで松尾神社の住所が茶畑だっとは(笑)
この地域は松尾神社からはじまり盛岡八幡宮、護国神社、住吉神社、天満宮が北側に並ぶ神社通りになります。
さらにこの地域にある大慈寺町には、大慈寺を中心にした寺町にもなります。
写真は、以前に撮ったものになり今は、桜が満開の松尾神社になります