夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

病や信仰が「あつい」の意味は

2010年02月20日 | 言葉
 「あつい」には「熱い」系統と「厚い」系統がある。「熱い」は「暑い」と親戚関係にあり、「厚い」は「篤い」と親戚関係にある。「信仰」は「厚い」と「篤い」の両方の表記があるが、病は「厚い」の表記は無く,「篤い」だけになる。それにはきちんとした理由がある。
 「篤」は古くから「てあつい」の意味に使われ、「篤学=学業につとめる」「篤行=誠実に行う」「篤実=誠実で親切」のような熟語がある。文字の形は「竹」と「馬」の組み合わせだが、「竹」は恐らくは「竺(じく)」の省略形だろうと『常用字解』は説明する。「竺」には毒の意味があり、「馬+竹→馬+竺」で馬が苦しむ意味になると言う。そこから、「てあつい」の意味だったのが、「篤疾=重病」や「危篤=重病で死にそうな状態」のようにも使われるようになり、そちらの意味の方が強くなったようだ。
 だから「信仰が篤い」とは書きにくいのかも知れない。それなら「信仰が厚い」と書けば良いだろうと思うのだが、なぜかそうはならない。多分、「厚い」の意味をよく知らないのだろう。物体のあつみ(二つの表面の間の隔たりが大きい)意味にばかり気を取られ、もう一つの意味を忘れているに違いない。
 「厚」は「厂+日+子」から成り、「厂」は霊廟の屋根の形、「日+子」はお供えを意味している。つまり「厚」は手厚く祖先の霊を祀る意味を表し、相手に対しての思いやりが「手厚い・丁寧」の意味にも使われていた。それが物体の厚みにも使われるようになった。
 言うならば、「厚み」は「手厚い」よりずっと新参者なのだ。その新参者の方ばかりに気を取られているから、「手厚い」の意味がすっかり遠のいてしまった。だから「厚意」と言う言葉があるにも拘らず、「信仰が厚い」とは書けないのだ。これが「信仰があつい」との仮名書きになる。
 一方、「病が篤い」は「篤い」が常用漢字ではないので、やはり仮名書きになる。
 そこで、病と信仰は仲良く手をつないで「あつい」と言う事になる。
 もっとも、私はある種の宗教は「信仰が熱い」と書く方がずっと実体に合っていると思っているけれど。
コメント (3)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 自分さえ良けりゃそれでいい... | トップ | 22・2・22の日で企業は大もうけ »

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ピーラポーラ)
2010-02-23 11:57:12
「信仰が厚い」は普通の感覚だと思います。
「信仰に厚い~」か「信仰の厚い~」と続く場合が多いと思いますが。
むしろ「信仰があつい」とあついを平仮名で書くことはあまり無いのではないでしょうか。

篤については大変参考になりました。
ちょっと心配なんですが (夏木広介)
2010-02-24 12:23:19
「信仰心が厚い」が普通の感覚なら安心出来るのですが、私の心配しているのは、「篤い」が常用漢字ではないので、「信仰心が篤い」が「あつい」になってしまう事なのです。表記辞典は、NHK新用字用語辞典(NHK出版)は「信仰心があつい」、記者ハンドブック・新聞用字用語集(時事通信社)は、「信仰心があつい」、朝日新聞の用語の手引き(朝日新聞社)は「信仰心があつい」と、すべて仮名書きだと指示しています。「信仰心が厚い」とはならないのです。
 マスコミがこぞって「信仰心があつい」だと言い、表記していれば、影響されてしまうのは間違いありません。
Unknown (Unknown)
2012-01-03 02:29:22
「篤」という字は漢和辞典に書かれてる通り形声文字に当たりますから、"竹"の部分は音を表すだけで意味は無いのではないでしょうか。「凍」という字の"東"の部分が意味を持たないのと同じ理屈です。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

言葉」カテゴリの最新記事