夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

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「可能性」と言う言葉の使い方がおかしい

2011年04月25日 | 言葉
 「可能性」とは「どの程度可能か」の意味で使われる。程度の問題だから、例えば「成功する可能性は高い」と言うような使い方をするのだが、おかしな事には「失敗する可能性が高い」と言うような使い方もされている。何がおかしいかと言うと、どちらも程度の問題なのだが、「可能」とは「出来る」であり、その「出来る」は「完成する」の意味もあるが「能力がある」の意味もある。どちらも前向きと言うかプラスの意味である。
 つまり「出来る」や「可能」には期待感がある。それは理屈ではなく、語感として誰もが持っている感覚のはずである。
 しかし現在、「失敗する可能性が高い」との言い方がおかしい、と思う人はどうもとても少ないらしい。ある国語辞典は「可能性」の説明で、ただ一つの用例を「全員遭難の可能性が強い」として、読者からおかしいのではないか、とクレームを付けられた。それでもその辞書は、マイナスにも使うのだ、と強弁して、その用例を引っ込めなかった。でもさすがにそれではまずいと思って、「審査に合格する可能性が強い」の用例を加えて、それを最初に示すようにした。
 私には言葉に対する感覚がお粗末だとしか思えないが、理屈をこねるとそうした結果になる。本当は「全員生存の可能性が強い」の用例ただ一つだけで事足りるのである。

 なぜ、今このような事を問題にしているかと言うと、全く同じケースが先日あったからである。
 福島の原発事故で、原発の危険性をもっと十分に考えるべきだった、との意見が多く出されている中で、原発を推進して来た専門家がこう言ったのである。
 「可能性ばかりを言っていては何も出来ない」
 物事はすべて小さな可能性を追究し、それを積み上げて完成する。だから「可能性を考えて」物事は完成するのであって、上記の発言はまるで成り立たない。
 しかし、この発言は新聞紙上では成り立ってしまっていた。これは本当は「あれが危険だ、これが危険だ、などと危険性ばかりを言っていては何も出来ない」と言う意味なのである。それを「危険性」とせずに「危険の可能性」としたために、結論だけを言うと「可能性ばかり言っていては何も出来ない」と言うまるでおかしな表現になってしまったのである。
 もちろん、新聞はそれに気が付かなかった。「危険の可能性ばかりを言っていては」なら気が付かなくてもおかしいとは言えないが、「可能性ばかりを言っていては」なのだから絶対に気が付くべきなのである。多分、新聞も「恐れが強い」を「可能性が強い」と言う言い方を常にしていて馴れっこになってしまっていたに違いない。

 「可能性」の言い方は便利だ。例えば「あの人が解雇される可能性は強い」の言い方を「危険性」に言い替える事は無理だし、「恐れは強い」もしっくりとは来ない。それで「可能性は強い」になる。これは最初の発想が悪いのである。「解雇される可能性」などとするから駄目なのであって、「可能性」を使わない表現を考えるべきなのである。例えば「解雇される恐れは十分にある」とか「十分高い」にすれば済む。「恐れ」と言いたくなければ、まるで違う表現にすれば良いのである。例えば「解雇される予想は十分につく」とか「解雇される場合は十分ある」などと。
 安易に「可能性」に頼ってしまうから、工夫をしない。そこで「可能性」はマイナスの意味をも十分に持てると思われてしまう。これは日本語を堕落させる要因の一つである。言葉の持つ語感を大切にせず、矛盾する意味さえ持たせてしまう事が日本語の発展になるはずが無い。何でも一つの言い方で済ませてしまうのが結構はやっているらしいが、それは5以上は「たくさん」で表して、数詞としては1、2、3、4と「たくさん」だけしか無いと言う民族と似ている。面倒は無いが、それでしあわせだと思えるだろうか。
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2 コメント

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Unknown (motchany2k)
2011-04-25 23:28:45
お久しぶりです。地震の時は部屋の中がメチャメチャになったそうで、大変でしたね。ワンちゃんは元気にしていますか?

さて、「可能性」という言葉の誤った使われ方について、ずっと以前から私も疑問に感じていたのですが、本稿を拝見して「そうだ!そうだ!」と心強く思いました。下記は、まったくそのとおりだと存じます。

>> おかしな事には「失敗する可能性が高い」と言うような使い方もされている。何がおかしいかと言うと、どちらも程度の問題なのだが、「可能」とは「出来る」であり、その「出来る」は「完成する」の意味もあるが「能力がある」の意味もある。どちらも前向きと言うかプラスの意味である。

>> これは本当は「あれが危険だ、これが危険だ、などと危険性ばかりを言っていては何も出来ない」と言う意味なのである。それを「危険性」とせずに「危険の可能性」としたために、

>> 例えば「解雇される恐れは十分にある」とか「十分高い」にすれば済む。
motchany2kさんへ (夏木広介)
2011-04-26 09:32:03
 賛同して頂き、有り難うございます。我が家の犬は相変わらずオロナミンCで、家の中を走り回っています。私が外出から帰ると、たとえそれがほんのわずかの時間であっても、跳び付き、かじり付き、甘えて大変です。小型犬なのに8キロもあるので、勢い良く跳び付かれるとうっかりするとコケます。
 「可能性」ですが、我々の大切な日本語で、それで我々は意思の疎通をしているのですから、一人一人が真剣に考えるべきだと思います。そうやって試行錯誤して行く中で日本語は磨かれて行くのだと思います。
 「可能性」のように明らかではないけれども、いい加減に使われている日本語はまだまだたくさんあります。「可能性」のようには分かり易く簡単には説明出来ないのですが、「常識論だ」などと非難される「常識」についてもある種の間違いがあります。
 今、そうした言葉を集めて原稿を書いています。まあ、本になる「可能性」は少ないのですが、私自身の考え方を練る材料にはなるので、ちょっとの暇を見付けては取り組んでおります。

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