名取老女物語

名取の熊野三社を開いた名取老女伝説について。

高舘山散策2018と満月

2018-11-23 | 名取の歴史散策
昨年と同様、今年も秋の高舘山を散策してきました。
今回は、神社巡りなども一緒にしている仲間2名と。
ガイドは小野さん。







ほぼ同じコースなので、歴史等の詳細は、昨年の「高舘山散策」をみてね~。
https://blog.goo.ne.jp/natoriuba/e/fdcfaea53522437bbd080c0011d3912a

今回は、絶景の場所と最後に十一面観音様を拝観できたことが
大きな収穫でした。
カモシカには会えなかったけど。





高舘城跡では、藤原秀衡(3代目)が平泉から都へ行く時に、
ここに宿泊したことが文献に書かれているとの事。
秀衡ヶ崎には、幼少の頃、秀衡が遊んでいた話などがあり、
なかなか興味深いお山ですが、ほとんど関心もたれてません。



名取市はあまり歴史に力を入れないのかもしれない。
もったいない。
県南の歴史は、知れば知るほど、すごいのですが・・・。



でも、本当は「埋れていたい」歴史もあるのかもしれない。
そっとしておいてほしいと。
エミシはそうかもしれないですが。
それではロマンがないから歴史がつまらない、と思う私は、
孤独な妄想をするしかないのです。笑

この日は、やたらとガイドの小野さんの知り合いの方に出くわしました。
まず、参道を歩いていると、高齢の女性が一人で歩いてきました!
お元気そうでなによりです。
その方は、近くに住んでおられ、地元の歴史に花がさく。
もっと話を聞いていたいようでしたが、ご主人が迎えにきてくれるそうで、
途中で別れました。


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里山とは、山に人が入ることで本来の自然の力を発揮するものです。
また、その山に人がいたとすれば、その人の思いを共感する場でもあります。
それを自然と体感できるのは、幸せなことです。





高舘山の木々は、大きな岩や木の根にからまっている巨木が結構ある。
この木々たちは、数百年はたっていると思われるので、
名取を駆け巡った武将たちを見てきたのでしょう。



ここは熊野修験がいたところであると考えると、山伏が駆け巡って
山をおりていたイメージがあります。

お昼は、いつも社務所をお借りしています。
お昼休憩の後、社務所を出ると今度は、宇和島の伊達氏に仕えていた
子孫の方とばったり出会う。

この後、絶景を案内してくれました。
この場所は初めてです。




中央に仙台市街

ここから見る景色は、地形が見えるというか、なんとなく古代の名取を
彷彿させるような風景です。
名取川が小さく見えていますが、昔は、もっと東南よりで大きかった。

ここを降りると那智ヶ丘公民館の横に出てきます。
入口で看板をみていると、今度は公民館に向かって歩いてくる館長さんに出会い、
マップなどいろんな資料を頂きました。
タイミングが良すぎる。

最後は、奥州三十三観音一番の那智山紹樂寺へ。
このお寺では、
『閖上浜から引きあげたとされる十一面観音菩薩像が本尊で、
別名「高舘観音」と呼ばれています。
観音堂は熊野那智神社(名取市高舘吉田舘山8)の近くにあります。』

名取那智神社の下の方(駐車場そば)に御堂があり、
そこに安置されていた観音像でしたが、今は、紹樂寺に安置されております。
しかも、この日は、住職さんがいらして拝観させて頂くことができたのです!


※補陀落の観音浄土

素晴らしい像でした。
等身大の像で、私は妄想するに、モデルがいたな~と思います。w



ちょっとだけ遠目に写真を。
もう、みんなコーフンで、有名な芸能人を囲んで写真をとるようなもので。笑
そのアングルがいいね。とか、ろうそくが入ると邪魔かな、とか。
だんだん気にしはじめて、遠くで写真をとっていたのに、
だんだん近くにきて、結局、アップで撮る。笑
その間、観音様はまるで人のように優しいお顔でしたよー。

ですが、この像について詳しいことはわからず…。
後で何か情報あったらお伝えします。


締めはあったかいコーヒーで。

おまけ----------------------------------------------

さて、名取老女が亡くなった年と伝わるのは、1123年です。
今日は、11月23日。
午前中は、坪沼の古民家で精麻のしめ縄を作ってました。小さいの。
実家の産土神に祀るためですが。
皆でくつろいでいたら、「住みます芸人」が顔を出してくれたよ~。

そして夜は、名取市文化会館で「あさひ名取老女の物語」でした。
素晴らしかったです!
この語りを聞きにきた人は、たぶん、この日だし。
深い縁のある(昔、先祖だったとか)関係する人たちなのではないか、と。
そんな風に思うのでした。

名取老女を物語として語ることで、旭巫女が若々しく浮かんできました。
「再び」皆のお役に立ちたい!と言っているみたいで。
そんな生きいきとした力がみなぎっていました。
尺八やパーカションの音が、みちのくの風景を思いおこされます。
東北ならではの音。

最後は、渡辺祥子さんと名取老女歴史クラブ、他、みんなと記念写真を撮り、
また新たな歴史の課題が入ってきて、相変わらず勉強会は終わらない。笑
やはり高舘山散策でも感じていたのですが、重要なのは「木」なのです。

名取老女が知っていたすべての人を癒す薬・・・?
ようやく扉が開いた気がしまして、
また、夜は満月でした。



奥州藤原氏は、約1000年くらい前に末法思想があり、
無量光院が建てられたのですが、
今日、11月23日の満月は、藤原道長が「望月の歌」を詠んでから、
ちょうど1000年目の満月であると。
旧暦の1018年10月16日に読んだ歌は、今日だったのです。

藤原道長「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」

ということで、名取老女と過ごせた満月でした。
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あさひ@名取老女の物語

2018-11-04 | イベント・情報
11月23日(金・祝)
名取老女の物語(語り)があります。
名取市文化会館にて。

詳細はこちら。
http://bunka.natori.or.jp/event/9136/



■語り:渡辺 祥子

1991年フリーアナウンサーとして独立し、
仙台を拠点に活動。
1998年より朗読家としての活動を開始し、
全国の広げる共に「言葉の力、生きる力」と題した
講演や執筆にも取り組む。

■演出(尺八):高橋 聴雪

青森県出身。
津軽錦風流尺八を青森県技芸指定保持者の後藤清蔵、
松岡俊二郎の両師に指示。その後、仙台にて尺八家郡川直樹に
師事し2010年竹号「聴雪」を授名。

■パーカション:斎藤 寛

20代にブラジル音楽に出会い、ブラジル音楽バンド
「Areia Branca」ショーロユニット「Choro em po」を結成。
その後、パーカッショニストとして様々なジャンルで活動。

■脚本・演出 吉川 由美

仙台市生まれ。
プロデユーサー、演出家。コミュニティーと文化芸術、観光、教育とをつなげ、
アートの力で地域の力を引き出す活動を各地で継続している。
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熊野三山シンポジウム

2018-09-13 | イベント・情報
「熊野三山シンポジウム ~熊野三山信仰の絆~」
9月30日(日)
13:00~16:00(開場12:00)
場所:名取市文化会館 中ホール


名取市と新宮市の姉妹都市締結10周年を記念して
「熊野三山シンポジウム~熊野三山信仰の絆」を名取市で開催します。

本山の熊野文化に触れるとともに、名取熊野三社についても体感できる催しです。

http://www.city.natori.miyagi.jp/soshiki/soumu/seisaku/node_45644/node_53261

★ミニイベント:虹色マカロン 影絵シアター「名取老女ものがたり」 
(12:00-13:00 小ホール)

日時:9/30(日)
1回目公演 12:10-12:25
 2回目公演 12:35-12:50



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「やっと紀州の熊野がきたか・・・。」
名取老女のつぶやき。

全国の熊野神社の3分の1は、東北地方なのに。
熊野三社を勧請しているのは、名取だけなのに。

震災後、復曲能と昨年の狂言の開催があったから、
「ようやく」紀州の熊野、本家本元が本腰をあげたような感じがします。

震災では失うことも多かったですが、得ることも多かった。
平泉の世界遺産、名取老女の復活など。
熊野信仰が好きな人は多いと思いますが、
このような熊野信仰があることを、この機会に知ってみるのも良いと思います。
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名取老女は自由な遊女ではない

2018-08-28 | 名取老女伝説
国立能楽堂の「祈りのエネルギー」のページに、
中沢新一氏が、名取老女について言及してました。
参考になる部分もあったのですが、
その中で、

「僕はこの「名取ノ老女」は、遊女じゃないかと思うんです。
あの人は熊野詣でにしょっちゅう行ってるでしょう。
どうやって行ったかというと、船以外には考えられない。
東北から熊野まで相当な距離ですが、
室町時代の軽さで結構自由に移動するようになる。
名取に住まいしていた老女も、船に乗って熊野へ行く。
海の世界、海民が、熊野と東北までも繋ぎます。

「名取ノ老女」は毎年熊野に行って、途中の港にいる顧客相手に商売し、
ポケットマネーを持って熊野に行く。
そういう熊野詣でをしていた遊女はたくさんいて、
音阿弥もきっと、そういう背景でこの曲を書いていると思うのです。
このおばあさん、すごく自由な人だったと思います。財産家でお金を持っている、
道中では仕事もこなす。だから旅行なんかは平気です。」


※海民の移動と名取の遊女
https://www.ntj.jac.go.jp/nou/27/natorinoroujo/topics07_02.html

お金はもっていたと思うけど、自由な人ではない。
旅行感覚の遊女というのは違うでしょう。

ただ、船をつかって海の道を利用していたことはあり得るかもしれません。
名取老女が岩沼志賀の岩蔵寺が生誕地と伝わっているのは、
その場所付近で「上陸した」と、言えるかもしれません。

熊野は広い荘園をもっていたうえ、東北は金がとれた。
すでにこの頃、平泉があり(850年頃に中尊寺開山)
中央政府が東北を狙っていたのは当然です。

しかし、名取老女を追求してみると、比丘尼であったかどうか不明ですが、
多くの比丘尼を従えていた「正統な」皇女と考えられる伝承もあるのです。
下級の比丘尼や不正を行う尼や比丘尼を統括する必要はあったと思います。

それは、左遷された貴族がたくさん陸奥国へ流れついていたことにある。
下級の比丘尼と区別させるために、あえて、名取老女に勧請させているのかもしれない。
また、朝廷と行き来できたくらいの人だったから、鳥羽天皇との縁もある。

・名取老女が「旭」と呼ばれていたこと
・円仁と名取老女が開いたとされる奥州札所三十三観音が宮城県北部~平泉に集中して置かれている。
・天台宗がサポートしていること(中尊寺も天台宗)
・600~800年代から蝦夷征伐で関東の俘囚・農民たちを多数陸奥国へ移動させている。
・県南には蝦夷穴が多い。
・800年後半~900年代にかけて地震、津波、噴火などの天変地異が集中して起きている。


(白いポイントが、奥州札所三十三観音が置かれている所。)

今まで、なぜ名取老女が表に出てこなかったのか。
また、震災から名取老女が表に出るようになったのか。
それは、東北地方の気候や環境が深く関係しているからでしょう。

このような歴史背景を考えると、災害により(きっかけは貞観地震)、
朝廷は「弱っている陸奥国」に目をつけたと思われます。
末法思想を広めるために、多くの宗教者が蝦夷柵を越えた。
その中に「斎宮」もありました。
それが、熊野を広めるきっかけになっているわけです。
また、羽黒修験が以前からサポートしていました。
羽黒講は女性が多いのです。

岩沼の斎宮伝承、尼寺などは、陸奥開拓のため派遣された巫女たちであったでしょう。
900年後半に、藤原実方が名取にいた頃も、まだ震災の爪痕があったと考えられます。
その整備のために統括をしていたのが、熊野別当だったわけです。

つまり、名取老女の前線には「斎宮」があり、朝廷との絡みがある。
東北に熊野を広めるために、巫女(比丘尼も)多く派遣したと思います。
また、蝦夷征伐があった所や、古墳が多いことを考えれば、
俘囚といわれ、家を追われた者や住む場所がない人たちなど、蝦夷征伐に駆り出されました。
住処を与えると言われたからです。

目の不自由な人は昔から多かった。
足が不自由など、名取老女伝承にもあるように、
タタラ製鉄があった東北を考えれば、そのような人達の施しをしていた
巫女であることは考えられます。
そのような土地だったので、地元の人たちには語れない、ふせておきたい実情があるのです。
それが名取老女を表に出せなかった理由だと思います。

地図の赤い矢印は、「教祖貝田大法尼 旭大法尼精霊塔」を置いているお寺です。
貝田も旭も巫女なのですが、このお寺にはオシラサマ信仰が伝わっています。
このお寺の周辺に多く札所観音霊場を置いているのです。
旭=名取老女のことです。

この頃の陸奥国は「辺境」といわれ、人が住む場所ではないと言われていました。
そのため、都では「左遷」された貴族がいることをよく知っていました。
そこへ行ったら二度と帰ってこれない場所という意味です。

世阿弥は何から名取老女を大成させたか不明なのですが、
それを音阿弥が表現したといわれます。
天皇家と関わりをもっていたであろう藤原家の貴族の運命を、
描きたかったのではないでしょうか。
都ではそのような、みちのくの人生観が流行ったのだと思います。
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そのような東北地方の厳しい現状や、治外法権であった為、
いろんな罪をもった人が集まっている所の熊野信仰は、なかなか理解されないかもしれません。
そのような厳しい環境では、自由な遊女にはなりたくてもなれない重い現実があるのです。
女性の罪とは出産して間も無く亡くなったお母さんに、前世のカルマと考えられた
人々により浄土へいかすことも含まれているのです。

名取老女が熊野神に迎えられた理由は、罪を犯した人も許すことをした人と考えます。
もちろん、その中に多くの女性がいたでしょう。
闇から光をもたらす阿弥陀如来だからこそ、悪をも引き受けることができる。

アジールらしい東北の巫女は、名取老女がふさわしいと言われたかもしれない。
それは、多くの重たい現状を引き受けた巫女としては、強い尼でなければならないからです。

震災から名取老女がクローズアップされてきました。
それは、被災した人たちの奉仕をしていたことがあったので、
今、また名取老女は私たちのために、動こうとしているのです。

という事で、名取老女は自由な遊女とは言えない。
地元の人たちは、そんな風には思っていません。

自由になりたかった女性だったのです。
貴族だけではなく平民の重たい現実をよく理解していた人で、比丘尼になるしかなかったでしょう。

それは、本人自身も皇女(もしくは男性)として左遷された一族であったからです。
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影絵シアター「名取老女ものがたり」

2018-08-10 | イベント・情報
「虹色マカロンおはなし会」
100年先まで伝えたい・・・名取の物語

手作りの影絵で名取の物語を伝えます。

日時:平成30年8月26日(日)
開場:13時30分 開演14時

会場:名取市文化会館小ホール
入場無料。

主催:虹色マカロン


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