荒川のほとりにて

ボストンの理工系大学を卒業した社会人のたまごが社会の荒波にもまれるお話???

大阪

2008-04-01 | Campus Life
先週7ヶ月間続いたプロジェクトが終わって、今日から大阪のプロジェクトに参加することが決まりました。
これから3ヶ月は、月-木で大阪に通う日々になりそうです。

誰か大阪にいる人(誰がいるのかよくわからないけど)、良かったら大阪で遊んでください。ブログを読んでいるかもしれない見知らぬあなたも良かったら声をかけてください。
東京にいる皆さん、金・土・日は変わらず東京なので引き続き遊んでください。
ボストンにいる皆さん、相変わらずなかなか会えませんが、遠くから暖かく見守っていただけるとうれしいです。またボストンに遊びにいけるようがんばります。

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心配をかけてしまった皆さん、ごめんなさい。
私は大丈夫。ぜんぜん、大丈夫。
大阪で少し頭を整理してきます。といいつつ、こういうことって得てして人に会わないと最後は整理がつかないのだけど(笑)、それは、どうか週末にでもかまってもらえるとうれしいです。

今日から新年度。
皆さんにとって素晴らしい一年となりますように!

自立できない子

2008-03-30 | etc.
昨日の夜、ひょんなことで写真の子がうちにやってきた。
元々は友人の家に飾ってあって、かわいい、かわいい、とかわいがっていたら、
「あんまり好きじゃないのであげますよ。」と言われた。
友人(女の子)は、このぬいぐるみが自力で立てなくて頭から倒れちゃうから好きじゃないのだと言う。
「自立できない子は嫌い」というセリフがことにその友人に似合っていたので、みんなでからからと笑っていた。
「いやいや、私は立てなくてもこの子が好きなの。」
そう言って、この子をもらってきた。

家に帰ってみると妙に「自立できない」という言葉が気になる。
要は重心なのよね、と思いながら、手のひらにのせながら立ててみる。
次にひざにのせて立ててみる。
枕に乗せて立ててみる。
いろいろ工夫の末、平らな床でも、前足をぐっと前に出すと自力で立てることがわかった。
それがこの写真。

それでも、ついっとつっつくと前のめりに倒れてしまう。
しばらくこの子と遊びながら、なんだか今の自分と似てるな、と思った。

殊にここ数週間、インプットされる情報量の多さとその矛盾に満ちている様に、整理がつかないでいる。とても混乱している。

タクシーで丸の内にかけつけ、ビルの最上階の会議室で「世界で安全な水にアクセスできない人は10億人」というプレゼンを聞きながらコーヒーを飲む。
勉強会で、「がん患者から見た医療」についての発表を聞きながら、「やっぱり安らかに死ぬのが一番。」と言いながらフルコースの料理を食べる。
身近な人が息を引き取る場面を目の当たりにしたこともないのに、本気で日本の医療財政の行く末に頭を悩ませている。
「なぜ日本の政治システムはこうもうまく機能しないのか」と政治学科の友人と議論を重ねながら、「国会が忙しくて」といって深夜2時にメールをしてくる官僚の友人のことを思う。
「このプロセス変革には○○さんから巻き込めばいいかな」と思いながら、クライアント先でランチをセットする。
「最近、手伝っている学生団体の○○さんが元気ないな」と思いながら、ディナーをセットする。
プライベートで会いたい人に会っているだけのはずなのに、気付くと身を乗り出して「それは○○さんの幸せにつながりません。」なんて熱弁をふるっていたりする。
そんな風に他人に感情移入するから、他人を傷つけ、自分も傷つく。

気付くと、Aというアウトプットを出すにはどんなプロセスがベストかな、と考えている。プライベートであっても考えている。
そうやって、手抜かりなく物事を進めているはずなのに、「大企業的しがらみ」やら「国際機関的物事の進め方」やらの前に、打ち立てた「変革」プランが、なし崩し的に骨抜きにされていく。

あれれ、あれれ、、、いったい、私は、なにを、やっているんだろう。
頭が重くなりすぎて、倒れてしまいそうになる。


つまるところ、私はミクロに見える事象とマクロのシステムをうまくつなげられずに混乱しているのだ。
良い商品を作るんだ、とはりきるクライアントのAさんと、
この国をどうにかしないといけない、と使命感に燃える官僚のBさんと、
国連機関で働くCさんと、
サブプライムローンに向き合う証券会社のDさんと、
医者や学生やコンサルタントや官僚や会社員や銀行マンやエンジニアや、、、、
そういうたくさんの人の血と汗と涙の結晶が、なぜたくさん集まると悪循環だらけの「システム」というものになってしまうのか、その乖離がよくわからないのだ。


更にたちの悪いことに、自分の立ち位置を決めずに、出会う人全員に真剣に感情移入するものだから、もはや自分がなにをしたいのか、わからなくなってしまったのだ。
「なんで、自分にはなにもできないのだ。」と思う。
「なんで、ちょっとのことも変えられないのだ。」と思う。
「なんで、あんなことを言ってあの人を傷つけてしまったのだ。」と思う。


・・・

「なんだかね、最近とても混乱しているの。」と友人に話したら、
「それはそんなに頭使うことばかりしてたら、疲れちゃうよ。」と言われて、思わず涙が出そうになった。

そっか、私、疲れてたんだ。

はあ、今日は、この子を抱いて、ゆっくり寝ようっと。。。





血液型占い

2008-03-17 | Personal Life
ここ数週間、入社以来、一番の快適な労働環境に恵まれている。
平均的なお仕事時間が9-8時なので、平日の夜にもばんばん予定を入れられてかなりハッピー。このままだと体がなまってほかのプロジェクトで適応できないのでは、と本気で心配している。

さてさて、そんなハッピーな状態を利用して、平日にボストン時代にお世話になった方と数年ぶりにお会いした。(・・・まあ会ったのは実はすでに数週間前なのだが、ブログにアップするのが遅れたので仕方があるまい。)
その方が転職されて同じ業界になったこともあって、業界話?で盛り上がったり、昔話に花が咲いたりしたが、そのあたりをするするっと割愛するとして、聞いた話で印象に残ったのが血液型の話。

まあ、血液型占いは巷にあふれているが、(ちなみにあふれているのは日本だけらしいが)、その方の分類はこちら:

A型 =農耕民族型
O型 =狩猟民族型
B型 =遊牧民族型

まずは田を耕すA型。言わずと知れたコツコツ努力型。計画的に種まきをして水をやって、収穫を得るタイプ。過去のデータもきっちり分析し、次に生かす。会社で言えば計画をきちんと遂行していく中堅管理職、研究で言えば新しく発見された法則を、他の事象でも検証するとか、地道に結果を積み重ねて応用まで持ち込むとか、そういう役割に向いているに違いない。
たぶん世の中で一番必要とされるタイプ。

次に獲物をしとめるO型。普段はだらだらしているが、一度狙いを定めたら、なにがなんでも手に入れる。失敗しても過去は過去と割り切って、振り返らない。常に未来志向。そして楽観的。その方いわく、社長や政治家などリーダーのポジションにつく人にはO型が多いらしい。まあ、狩りだしなあ。

そして北極星を目指して三千里のB型。目的を定めず、楽しそうなところをゆらりくらりと渡り歩く。本人には、遠くの理想の星が見えているが、周りから見るとモラトリアム生活をしているようにしか見えない。向いている職業は学者、哲学者、詩人、などなど。うちの会社にはどことなくこのタイプが多いような気がする・・・。


その方の挙げられた例が良かったせいか、この血液型分類にはかなり説得力があった。
ちなみにAB型はなかったりするわけですが・・・、生物の研究をしていた身としては、血液型はやっぱり表現型ではなくて遺伝型で占われるべきだと思うのです。
だから、AA、AB、AO、BB、BO、OO
の6種類があって、AO、BO、ABの人は、両方の要素が混ざるのではないかと。


・・・こほん。まあ、人間の性格は、とても複雑で重層的なものだから、みんなA,B,Oの要素が少しずつ混ざっているのでしょうね、本当は。
だからこそ、占いってそもそも成り立つんでしょうね。なに言ったってちょっとずつは当たるから。

更にもっと生物学的な話をすると、血液型って民族・地域差が大きいのですな。

http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9450.html

これを見ても、別にA/O型人口分布と農耕/狩猟地域とのかぶりもあんまりないし、民族ごとの性格ともそこまで相関関係がなさそうだし、いかに占いの根拠がないかがわかるのだけど。

でもでも、B型の本なんかを読んじゃったりすると、

http://www.amazon.co.jp/B%E5%9E%8B%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E8%AA%AC%E6%98%8E%E6%9B%B8-Jamais/dp/4286032027

あぁ、わかるわかるぅ~~、という気になっちゃうのです。


以上、ひまな雑談でした。




話を聞くコツ

2008-02-17 | Personal Life
自他ともに認める「聞き下手」=「おしゃべり大好き」の私が、最近、ごくたまに「聞き上手ですね。」と言われるようになった。
個人的にはそれはもう、太陽が地球の周りを回りだすような奇跡で、言われるたびに、天を仰ぎ、地にひれ伏し、感謝したくなる。
と、同時に、ちょっとイイ気になって、再現可能なコツはないものだろうか、といろいろ行動を振り返って、最近ある法則を発見した。

それは、相手が話し終わったあとに一呼吸待つこと。

・・・いや、書いてしまうとしごく当たり前だし、なんでいままでできてなかったんだ、というレベルなのだが、これを始めてから相手が話してくれる量が絶対的に増えた(と思う)。
いままで、なんとなく沈黙が怖くてつい相手のすぐ後を継いで話し始めてしまうのだが、話し終わったあとも少し間をおいて、話の続きをそれとなく待つ。
そうすると、人って話してくれるもんなんですね。いやはや。

今のところ、私の器の小ささゆえ、この法則は少人数(2~3人)の集まりでしか活用できていない。大人数のパーティーだと周りに気をとられてじっと相手の話を待つ心の余裕がうまく持てないのだ。じゃあ、少人数だと全部うまくいくのかと言われるとそんなことは全くなく、その場合も、自分の心のゆとり度×相手との相性の2拍子がそろわないとだめだったりして、まあ、まだまだ聞き下手なことが多い。

それでも、この小さな進歩への個人的喜びは大きい。
じっくり話を聞いてみると、人って本当に面白い。
もっと、もっと、人について知りたい。

社会人になってからようやく出てきた「人への興味」がきっと聞き下手改善の一番の原動力なのだろう。

人を動かすモチベーション

2008-01-14 | Personal Life
この三連休は、相模湖に行ってきました。
参加メンバーは、ボストン時代の友人とその仲間たち。
合宿(?)のお題目は、「三十路の会」。
題目に反して、二十歳の大学生から今年三十路になる社会人まで、幅広い層が集まり、M1グランプリさながらの漫才トークから、生き方相談まで、様々なジャンルの話が展開された。

いつもながら「友人Tとその仲間たち」のインパクトは強く、今回もまた、「触れられたくない人生の課題」に改めて向き合わされて、大いに体力を消耗したが、
それはさておき、その会で目からうろこだと思った理論(?)がこちらのモチベーショントーク:

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第一線の研究者として活躍する友人2人にとって、研究成果を形にしてまとめるのは、一種の排泄行為らしい。つまり、自分が目指す「答えのない問い」に近づくために「知の草」をもりもり食べて吸収していると、そのうちおなかがいっぱいになって入らなくなる。なんらかの形で整理して外に出さないと次に進めないから、論文をまとめるのだ、と。
そんな彼らにとって、自分の排泄物である「作品」がどう評価されようと、けっこうどうでもいいらしい。「いや、これは素晴らしい研究だ」などと言ってくれるのはかまわないが、それはあくまでも自分が前に進むために残した過去の遺物であって、その時には自分はもう前に進んでいるのだから、研究に対する評価は彼らのモチベーションには影響しないのだ。

一方、メーカーに勤めるエンジニアの方は、他者からのフィードバックが、自分を駆り立てる一番の原動力だと話していた。消費者のためであれ、会社のためであれ、誰かのためにモノを作る。その結果、その相手の生活が便利になったり、相手に感謝されたり、また評価されたりする。そのフィードバックが一番の快感であり、モチベーションなのだ、と。

その話を聞いて、私が基礎研究をやっていた時代に常々感じていたコンプレックスの中身がわかったような気がして、大いに感心してしまった。
私の行動のモチベーションは、断然後者の「他者からのフィードバック」だ。フィードバックなしでは人間生活を営めない、とすら思う。
研究におけるフィードバックは、「どの程度世の中に役に立っているか」という貢献度と、「どの程度自分の研究は評価されているか」という評価度合いの2種類に大分されると思うが、基礎の分野となると、世の中への貢献度はかなり実感されにくい。
そうすると、どうしても研究への評価を潜在的にでも意識してしまう。しかしながら、「他人に評価される研究」をしようと思うと、絶対に新しいものは出てこない。なぜなら、他人の期待から生まれるものは、所詮、今の人類が予想しうるものだからだ。
評価を気にする自分へのコンプレックス自体をモチベーションに変えて前に突き進むこともできたはずだが、今思えばそれが下手だった。
社会に出た後は、「クライアントさんの幸せの向上」を堂々とモチベーションにできるので、とってもハッピーだ。

さて、「排泄行為」もしくは「フィードバック」という二者択一な表現をしてしまったが、もちろんこの二つは併存可能。むしろ、両方必要なのではないかと思う。
特に、大学で化学の研究を続ける友人が、PhDの後、企業に就職した生物系研究者の友人に対し、「答えの出ない問いを持ち続けることは大切」と話していたのに極めて共感した。
例えば、エンジニアが消費者の求めるモノばかりを作り続けたら、いつまでも期待を超えるイノベーションは生まれない。普段は体細胞分裂で自分の体をおっきくしている人間が、たまには有性生殖を行って、次世代の全く新しい子孫を残すように、普段は「フィードバック」で生きつつも、時折は「知の草」も食べてイノベーションの種を育てることは、とっても大事なのだろう。

たぶんこれは、サイエンスのみならず、芸術にもビジネスにももちろんコンサルにも言えること。
私も普段はクライアントさんのために生きつつも、ちゃんとイノベーションの種を育てなくっちゃ。

日常のつれづれ

2008-01-03 | Personal Life
新年だから、抱負を書こう、と思ってブログを開いたが、なかなか筆が進まない。

私の抱負を書いてもみんなにとってはどうでもいいよなあ、とか、そもそも私のブログには目的性や一貫性がない、とか、妙なことを考えて、そうしてほかの人の新年のブログを読みながら、やっぱり潔くて良いわぁ、などと思いながら過ごしていたら、すでに三が日も終わろうとしている。
あらあら。

さて、さして目的性のないブログは、なんとなく日々感じたことで誰かに言いたくなった、そんなことを書くんだろう、と勝手に定義してみると、書きたいことって、本当にくだらないことばかりだ。

たとえば、六星占術では、私の今年の運勢は悪いらしいが、正月のおみくじでは大吉を引いたからきっと大丈夫だろう、とか、
バーゲンでアルパカのコートを買ったが、あのアルパカの毛は、白アルパカの毛を黒色に染めたものなのか、それとも、黒アルパカの地毛をそのまま使っているのか気になっている、とか、
最近、携帯の待ち受けをりらっくまにしたが、昼間の一定の時間帯に携帯を開くと、りらっくまがせんべいを「こっそり」食べながら見つかって「あっ・・・」と言っている画面になるのが、かわいくてたまらない、とか、

・・・書き出してみても、やっぱりくだらないけど、でも、こういうのって、みんなはどうしてるんだろう。

あのあの、皆さん、日常のつぶやきってどうしてるんですか?

1.特定の相手にしゃべる
2.一緒に住んでいる人にしゃべる
3.その時々でたまたま会った人にしゃべる
4.独り言にしてみる
5.部屋にいるぬいぐるみやら写真やらに話しかけてみる
6.ブログにする
7.ぐっと飲み込む
8.心の中でつぶやくだけで満足
9.つぶやきたくなることを思いつくほどひまじゃない

あぁ、今年もひま過ぎる正月を過ごしてしまったことを露呈してしまった。。。
やっぱり、楽しい休みの過ごし方って難しいです。

近頃の生活目標

2007-12-12 | Personal Life
近頃の私の人生の優先課題:

1.自分に自信を持ち、広く人に心を開くこと
2.GeneralistからSpecialistになること(なんらかの意味でのExpertiseを持つ、ということかな?)
3.年上の女性の友人を増やすこと

なんだかレベル感がバラバラだが、人に会うたびにこのあたりの話をしているので、きっと私の中では1から3がなんだか関連し合って、「大切だ」と認識されているのだろう。

1の大変さはようやく認識し始めたところ。昔からいつも常に平均以上を目指して生きてきたが、それは平均以下にはなりたくない、という弱さから来てるんだなあ、と最近人から指摘を受けて気付いた。
ほっておくと、心は自分を守るべく硬直化するほうへ、ほうへと進もうとするので、意識して心をオープンにしておきたい。・・・とっても難しいけど。

2も言うは易しも行うは難し、といったところか。大学時代のゼミでお世話になった先生に先日会ったら、問題はかかわるものではなくて、明確に目標を定めて解決するものだ、と話していた。「難民問題にかかわりたい」「環境問題にかかわりたい」という将来の夢はよく聞くけれど、明確な問題意識もなく、実現したい未来像もなく、問題にただかかわってしまったら、何百、何千という問題たちに振り回されてしまう。振り回された末に選び取るのが自分の保身になってしまったら、これほど悲しいことはない。
そろそろ真剣に解決したい問題の枠を定めなくては、と思いつつ、なかなか重い腰があげられない。一つの分野に絞ってチャレンジできないのは、1の心の弱さが原因か。
むむ。
むむむ。

3は簡単そうに見えて私にはかなり難しい。お友達になりたいのは、生き方が尊敬できて、折に触れて人生相談ができるような素敵な年上の女性。こんな人はまずビジネス界における絶対数が少ない上に、私の中のあこがれの気持ちが強すぎてうまくお近づきになれない。(例えば会社の女性の先輩方とか、あこがれが先行してうまく共通言語が見つけられていない。)最近編み出した苦肉の策は、私の尊敬する男性の友人にお願いして、彼らがお付き合いしている女性を紹介してもらうこと。
これは、かなりの確率ではずれなく、素敵な女性と出会える。

先週末も、そんな関係で、とっても素敵な女性とお会いして、舞い上がってしまった。そう、願わくばそういう人に1や2のアドバイスをもらいたいのよね、きっと。

以上、雑記でした。

クリスピークリーム

2007-11-25 | Campus Life
うちから一番近いイオン系列のモールが今週末リニューアルされたと聞いて、自転車で30分かけて行ってみた。

そしたら、
できてました、
クリスピークリーム

ついに、ま、まあ、比較的いなかのこの地域まで進出してきたということは、いつの間にやらクリスピークリームも10店舗くらいには広まってたか、ふむふむ
・・・と思ってたら、3店舗目ですよ。
しかも、新宿、有楽町に続いての3店舗目。

・・・なぜ?
なぜ、埼玉県川口市?
なぜ、イオンモール?

いや、ぶっちゃけ、ここ交通の便、ちょおおー、わるいですよ。
そして、イオン??
やっぱり岡田元也のパワー??

まあ、よくわかりませんが、とりあえず、川口のクリスピークリームでも40分待ちの行列ができてました。

そうそう、ここからは雑談ですが、
クリスピークリームは日本ではロッテとリヴァンプがアメリカのクリスピークリームからフランチャイズ契約と結んで展開しています。
リヴァンプはコールドストーンクリーマーの日本展開も手伝っていて、そのコールドストーンもこのたび川口イオンに入店したりしています。

私のボストン時代の友人はこのリヴァンプに勤めていて、クリスピークリームの立ち上げを一からやっていました。
彼が共通の友人の結婚式2次会にクリスピークリームのドーナツを持ってきてくれたおかげで、私は日本でも一回だけ食べたことがあるのです。

それにしても、なんでイオン×クリスピークリームなのか気になるよ~~。
どなたかご存知の方がいたら教えてください。
・・・っていうか、今度当事者の友達に聞いてみようかな。。。

社会人2年目の秋

2007-11-24 | Work life
早いもので仕事を始めてから1年半が経ってしまった。
聞くところによると高校の同級生は山崎製パンに勤めて2年目ですでに彼女が開発したパンが世の中に出回っているらしい。
この間ひょんなことで取材を受けた日経の記者さんは朝刊1面の特集を手がけながら私と同じ2年目だ。
シンガポールに2年間の兵役に出かけた友人の婚約者も、もう折り返しを過ぎていることだろう。
ああ、まったく、時間が経つのは早い。

会社に入って初めて接したクライアントさんは家電業界の人たちだった。
研修の最終パートとして2週間だけそのプロジェクトに置いてもらった私は幸運にもクライアント先におじゃまさせてもらい、社内インタビューにも同行させてもらった。
その時のインタビュー相手は、たまたま日本に来ていたアメリカの子会社のマネージャーさんだった。挨拶もそこそこ、彼が初対面の私たちに話し始めたのは、あふれ出して止まらない本社への不満だった。自分たちが売らなくてはいけないソフトがだめだめなこと、商品開発の集中する本社に何度話しても伝わらないこと、回りで次々と社員が辞めていくこと・・・、聞いていて思わず涙が出そうになってしまった。

その頃、冷静さもなく、分別もなく、もちろんビジネスなんてかけらもわかっていない私は、オフィスに戻ってさっそく上司に訴えた。私たちにはなにかできることがあるはずだ、せめて日米合同でミーティングをセットすれば、わかりあえる第一歩にはなれるはず、、、と。
そんな私に上司はこう言った。「あなたはコンサルタントなんだから、情に流されるんじゃなくて、ちゃんと解を見つけなさい。冷静になって問題を眺めて、どこに根本原因があるのかを考える。そして悪循環を断ち切る最も効果的なレバーを考える。あなたがいなくなっても組織がよく動くようにするのがあなたの仕事です。」

・・・昔の記憶なのできっとデフォルメされているが、とにもかくにも、その言葉は私の心に響いた。
上司の言うその答えの見つけ方がわかるまではこの会社にいよう、と思った。

それから1年半。2年目のコンサルタントとなった私はその会社のブランディング戦略をお手伝いしている。実際にブランドから製品コンセプト作りまで一緒にかかわってみると、その問題の根がいかに深かったかがわかる。・・・というか、日本側で手伝っている私自身ですら、気付くとアメリカの意見を無視したくなっていたりする。いろいろ苦労しながらも日米同時に同じワークショップをしたら、アメリカ側のチームから、「すっごくエキサイトしてるよ。」との報告が届いた。曰く、日本側で同じことをしているのかと思うと大いにモチベートされたのだとか。

まだまだまだ問題の解決にはほど遠い。組織の壁は健在だ。それでも、私の傲慢かもしれないけれど、少しずつなにかが変わっている気がする。
もしも、私が1年半の間に見につけたスキルが、ほんの少しでも、その変化に貢献しているのなら、それほど本望なことはない。

社会人2年目。今日も自分の弱さと戦いながら、ちょっとずつですが、がんばってます。

引き算の優しさ

2007-03-11 | Personal Life
最近、ほんの一瞬ずつではあるが、周りの事が「自分」というメガネを通さずに見えてくるようになった気がする。いや、メガネをはずせるようになった、というよりは、「昔の私はいかに自分の都合の良いように世の中を眺めてきたか。」を実感できる瞬間が増えた、というべきか。

さて、そうやって「私が世界の中心」的な生き方をしていた頃を振り返ると、つくづく自分は目に見えるわかりやすいものばかりを評価してきたなあ、、、と猛省する。
特にひどかったのが人の評価。ああ、ちゃんと周りの人の才能や能力を見てこなかったなあ、と、新しい発見をするたびに大いに反省する。

最近読んだ恩田陸さんの小説『夜のピクニック』でこんなくだりがある。

「・・・他人に対する優しさが、大人の優しさなんだよねえ。引き算の優しさ、というか。(中略)大体、俺らみたいなガキの優しさって、プラスの優しさじゃん。何かしてあげるとか、文字通り何かあげるとかさ。でも、君らの場合は、何もしないでくれる優しさなんだよな。それって、大人だと思うんだ。・・・」

なにも言わない優しさ。
なにもしない優しさ。

こういう優しさをAppreciateできるようになったのも最近のことだ。
(昔は、こういう優しさは結局ゼロのままのような気がして、納得がいかなかった。プラスの方向に示してこそ愛だし優しさだし、ゼロだと伝わらないのよ、、と思っていた。)

優しさを実感はすれど、やはり自分で引き算の優しさを示すのは難しい。つい相手に「あなたのことを想っています。わかってーー。」とアピールしてしまいたくなる自分がいる。

おんなじような軸で、「聞く難しさ」も日々痛感。
最近、『7つの習慣』を読み返して、「ううっ、自分もしてしまっている。。。」と思った一節。

「・・・大部分の人は、理解しようとして聞いているのではなく、答えようとして聞いているからなのです。頭の中ではこれから言うことや、これから聞こうとしている質問などを準備しているので、自分自身の主張にしか耳を傾けないのです。あなたは自分の耳にした事柄をすべて、自分の人生経験や視点というフィルターにかけます。自分の聞いている話を自叙伝に照らし合わせ、測るのです。その結果、あなたは、相手がコミュニケーションをまだ終えてもいないのに、相手の言いたいことを思い込みで判断してしまうのです。・・・」

確かに、人の話を聞いているとき、聞きながらフルスピードで自分の記憶の引き出しと照合させていることが多々ある。「待てよ、その話はXXと関係があるのでは?」とか「その話は△△とあわせると○○に発展するはず」とか「でもー、☆☆って部分が気になるー。質問したい!」とかとか。気付くと相手の話が終わる頃には、全く違う話を相手に振っていたりする。
それは、仕事で仮説の検証やら、ブレストやらをしている時には役に立つ頭の働かせ方なのだけど、これって要するに、人の話を聞いてないってことなんだよなー。。。

そんな反省をしつつも、進歩がなかなか見られない。
「ねえねえ、私を見てー。」「話を聞いてー。」「認めてー。」「ほめてー。」
・・・きっと根底にあるのは、こういった言葉なんだろうけど、、、、、、そこから自立するのは、本当に、本当に、難しい。

引き算の優しさ。
引きのコミュニケーション。
いつかは手に入れたい、大人の私。