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志情(しなさき)の海へ

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「煙が目にしみる」はんん、良かった!鶯が「ホーホケキョ」と庭先から聞こえてきた朝はいい!

2014-05-17 07:34:10 | Theatre Study(演劇批評)

             (北見さんの奥さんのれい子さんの役の犬養憲子さんと吉田妙子さん!犬養さんは台詞のない演技もいいね!)

金属音が遠くで唸っているようにも思えるが、身近でか細くしかしはっきり聞こえてきた「ホーホケキョ」である。様々な小鳥たちの朝のさえずりを聞き、万福寺の朝6時の梵鐘を聞けたらいい始まりである。

昨夜大学から自動車道を突っ切って沖縄芝居女優を那覇まで迎えに向かった。交通渋滞で苛立ったが、年齢がいっている彼女に国場まで出てきてほしいと話したが、午後7時に間に合わない可能性があるので、苛立ちながらピックアップして、それから引き返してまた自動車道へ、沖縄南でまた渋滞、何とか10分前には「あしびなー」に着いた。ほっとした!金曜日の夕方は車が混む!

「煙が目にしみる」はいわば火葬場が舞台背景である。北見さんと野々村さんが火葬されるそのひと時がドラマの時間である。設定が面白い。焼かれる当人たちが舞台に登場し、その家族のむき出しの関係性が炙り出されていく。それが滑稽で面白い。死者たちの素顔がまた面白い。北見さんのおかあさん、おばあちゃん役の宮里京子が彼らが見える設定でそのイタコのようなやりとり、落差が芝居の妙味で見せた。≪演出が良かったせいか彼女の演技は見せた。声音は芸だがその芸ができるかどうかが役者は問われる。≫

腹上死(失楽園のように)の野々村さん、その少ない家族、北見さんの大勢の家族との対比、野球人生のいわば脳溢血≪クモ膜下出血(クモまくかしゅっけつ、蜘蛛膜下出血、Subarachnoid hemorrhageSAH≫のような死、その家族の在り様、返されないヴィデオ、なぜかレンタルヴィデオショップの男がいて、その男の存在と返されないヴィデオが後で辻褄があう物語になっている。つまり笑わせて、シリアスで、人間模様を晒していく中のヒューマンドラマである。チラシにはWELL-MADEとあるが、確かにうまく収まっていく。アトホームな感覚になるお芝居だ。誰もが逝かざるをえないという前提で見ると、明日のあなたやわたしの姿を見せられる感じ。

ホームドラマのような感覚の面白さ、特別そこに社会性のあるメッセージがあるわけではない。人間の断面を火葬場から切ってみせているわけだが、演劇の虚構性の面白さがはじけていた。役者はなるほどプロの味わいである。去年母の死を経験して、火葬場のあの遺体が焼けるまでの時間を過ごした。それで何となくすんなり中身に入っていた。骨を拾う行為がある。石垣りんは物を挟むお箸のように、と詩に書いた。物をつかむ手つきで骨を拾う。骨が砕ける。骨を拾う30歳以上年下の女性≪恋人≫の姿がある。

舞台は火葬場で窓の外の桜が綺麗い。桜が舞っている光景だ。細かい。山並みも見える。窓の外を歩く登場人物。内と外の景観がいい。美しい春に火葬される死者たちは幸せだったね。喉仏はどうも形があいまいだったようだがー。家族とは何か、現在の家族の関係性のありようが見えてきたね。そういえば舞台の奥から鶯がか細く鳴いていた!わたしの好きな鶯が鳴いていたのだった!しかし久しぶりに大いに笑って中身に入っていけた舞台だ!那覇でも上演できたらいいね。しかしいい劇場がない。県立郷土劇場は必要だね。首里劇場のあの空間が芝居小屋としていいのだがー。与那原辺りにできてもいいね。那覇と中部だけではなく、東海岸では与那原に県立郷土劇場ができてもいいなー。

小さなツボに収まったは骨箱をもって幕である。すべて丸く治まるのがウェル・メイドである。台本の作成のいいヒントがちりばめられている。お能のように死者が主人公の古典演劇をもっている日本の劇作家は死者たちを、亡霊を、自在に登場させる。沖縄では、大城立裕さんが、「トートーメー万歳」で見せた。死んだ長男が自在に対話の中に入りこむか、彼の吐露が台詞になった。あの世から現世を見ていて物語の中に入り込むのである。組踊も現世の物語の流れが主なので、なかなか死霊が舞台に登場することがない沖縄の芸能である。ゆえに作劇においても微妙な落差があるのは致し方ないのだろうか?文化の違いといえば違いである。死霊を主人公にするお能と現世のできごととして物語が展開する組踊、大きな違いだ。

沖縄で死霊と現世の人間のドラマがきちんと書かれる日もやがてくるのだろう。その点、死生観の転換がありえるかどうかー。「でいご村」ではかろうじて喜一はさよさんとカナーヨーを躍る。彼を登場させて、さよさんを勇気づけ殺すのではなく生かす作術ができない限界(思惟)は沖縄の土壌にあるのだろうか?ユタの物言いとかがあるね。それぞれの伝統の系統があり、そこに脈打っているものがある。←作品の流れをもっと見てみたい。

 


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