志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

護得久朝章さんは尚王家関係筋の方で戦後の文芸復興でも力を発揮された方ですね!

2015-01-16 16:01:07 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

       (この写真も護得久朝章さんの「諸屯」です!手の動きに注目です。現在と異なりますね!盛重さんの踊りの型は歪められたのですね!)

  (これも金城光子先生の『舞踊における美への視点』からです!)

戦後すぐできた諮詢委員会のメンバーのほとんどが辻に妾(詰ジュリ)を囲っていた方々ですね。例えば堅物に見えた仲宗根源和さんも詰ジュリがいたのですね。奥様が亡くなられてその方と再婚されることもしませんでした。上原栄子さんの自伝を読むと、名前は伏せられていますが、それらしき方々が予測できます。清廉潔白な一夫一妻の方もおられますが、今の結論は戦前の中国、日本、沖縄は一夫一妻妾社会だと言えます。詰ジュリ=妾的存在で、琉球王府の一夫多妻の仕組みを模範にして首里高級氏族たち、王家の血族も含め、辻に詰ジュリ=妾を囲った、が、結論です。社会の仕組みとしては今もそうですが、財(金)を持っている男たちが多妻を謳歌している構図は変わりません。

フランスの作家が2020年にはフランスは一夫多妻のPolygamyになると書いているのですね。イスラム教なりその生活風習が逆にフランスに浸透していくという物語のようです。現在のテロを受けた物々しいテロ対策のメディア報道が続いていますが、中東の闇が晴れるのは骨肉の闘いのようにキリスト教徒対イスラム教(内部の宗派の対立&融和)の長い葛藤の歴史が終止符を打つ時でしょうか?世俗主義的なスタンスに行けるかですね。契約としての憲法が宗教を凌駕する時でしょうか?

話は琉球・沖縄に戻りますが、貧しい国であり、家父長制度の中にあって、強い家父長が女性を従えていくこと、また社会は差別社会で経済的に自立できない女性たちは、サバイバルのために強い男たちの傘の下に入っていったのですね。身売りされた女性たちが辻や仲島遊郭で安定した場所を得ることは、社会の有力な男性たちの愛人(妾=詰ジュリ)になることでした。そうすることによって遊里(遊郭)内部で安定した身分を得ることができたのです。しかし近代においてはジュリの廃業はできましたし、堂々と結婚もOKでした。心やさしい薩摩商人やウチナーウィキガたちはジュリであることに躊躇することなく美しいジュリたちをまた妻にする社会でもありました。中には決してジュリとの結婚を許さない家を大事にするユカッチュの人々もいたのですね。警察官が意外と元ジュリの美しい女性たちと結婚したりしていますね。上江洲フミさんもそうでしたね。上原栄子さんは米軍政府役人と婚姻したのでした。心優しい男性たちがまたいるのですね!拍手!

王府時代、ジュリが妻になるのは非常に限られていたことでしょう。薩摩在番や船頭、水夫、商売人もまた現地妻を持ちました。年齢は関係ありません。老いも若きも財(金)さえあれば、現地妻を持つことが可能でした。そして彼女たちは実の妻のようにかいがいしく妻を生きて、かつ商売に熱心に取り組んだ方々も多かったようですね。

王府のお目付けのような在番には官選美人ジュリが現地妻としてあてがわれました。彼女たちは何しろ権威の上の者たちの妾ですから、晴れやかな雰囲気を辺りにふりまいていたのかもしれませんね。その子供たちの中にはユカッチュ(士分)になった方々もいますね。近代にちかづくにつれて資本が力を持つようになり、財で位を買い、かつ那覇で勢力を伸ばした方々がいますね。

長話になりそうですので、この辺で止めておきます。戦前の「一夫一妻妾制度」はアジアにまた共通な仕組みだったのですね。現在の一夫一妻制度は法律上はそれでいいのですが、その補完的な性的ビジネスが伴っているのですね。キリスト教圏もにているのかもしれませんね。性の欲動≪生、死、愛≫と家族制度、社会制度、国家体系の表と裏、ひずみ、矛盾、管理、などなど、複雑に絡み合っているようです。まぁー、新年の政財界の挨拶(名刺交換)風景を見ても、ホモソーシャル沖縄(男同士の強い連帯社会)であり、日本です。つまり本質的に戦前から今まで変わっていないという事も言えそうです。


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