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大城立裕先生が逝かれた!10月27日午前11時10分。「沖縄文化の父を亡くした」と演出家の幸喜良秀さん!

2020-10-28 23:44:59 | 沖縄の過去・現在・未来
今朝【28日】の沖縄タイムスと琉球新報は一面、トップとさらに3面に特集を組んでいる。大城先生は戦後沖縄の精神文化を代表する方だった。今後も沖縄のアイデンティティーのコア(核)に伊波普猷と並んで立ち続ける方だ。
 「突然のことで、驚きを隠しきれない」と国立劇場の若い芸術監督は声を震わせたと紙面は紹介している。しかし、賢明な大城先生は、自らを峻厳に見据える方だった。春に暖かくなったらゆんたくしましょうと、お約束していた。 しかしその約束は何度か先生から体調の面で思わしくないと延期を伝えられてきた。そして3月15日、4日間もかかって書きあげたというメールが寄せられた。「ーーーー毎日寝てばかりいます。血液が少ないからだそうです。ーーー(略)朝はパン、昼、夜はお粥です。息子に生かされています。秋の誕生日をむかえられますかどうか。しかし仕事は成し遂げたという満足感があります。ーーーー日々、思い浮かべる一首.........願わくば花のもとにて春しなん その如月の望月のころ」(西行)ーーー(略)
お会いしたいけれども、以上の通りですみません」と締めくくられている。
 そのメールは、呉屋、幸喜、富永、山里、田中、織田、集英社と共に「近況」としてこちらにも送られてきたものだった。
 お花を持ってお尋ねしょうと思っていたゆんたくができなくなったことを告げていた。その後増刷した詩集とお花を持ってお尋ねした。玄関口でご次男のMさんにお花をお渡しするだけで、眠りについている大城先生にお話することはかなわなかった。それ以来ずっと気になっていた。

その後4月からコロナ・パンデミックが街や日常生活を閉じ込める日々がやってきて、大学も急遽のオンライン授業への移行が始まり、正直パニックに陥り、体調も精神も疲れる中で過ぎていった。落ち着いたのは学期が終わってからのことだ。
後悔していたのは、9月19日の大城先生のお誕生日に、お花を持ってまたお尋ねしょうと思っていたことが実行できなかったことだった。しかしそれも杞憂だったとわかったのは、先生はすでに病院で身体をいたわっておられたのだ。
 27日、夕方6時頃までオンラインの授業があり、その後、ラインメールで逝去されたことが伝わってきた。ご自宅に行くと静寂の中、ずっとご一緒に生活されていたMさんから事情をお聞きした。無意識の中で安らかに逝かれたと受け止めた。
 そして今朝、いなんせ会館に向かった。通夜用に設置されているさんごの間で大城先生はきれいな背広姿で横たわっておられた。涙がこぼれた。薄いピンク色の肌に見えた。少し小さく感じられた顔に手を寄せた。ひんやりとした感触がやってきた。95歳まで沖縄を一身に背負うかのように、実はとてもラディカルに、ここかしこを見据え、沖縄を表象してこられたのだ。

大城先生ありがとうございます。あなたの精神を意志を後輩たちが引き継いでいきます。大城作品の沖縄の地、血に深く根ざした思い(うむい)の世界を掘り下げ、かなたとこなたに押し広げることを多少ともやらなければと、「少女老いやすく学成りがたし」のわたしは、心の中でつぶやいていました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はい、悲しかったです! (nasaki)
2021-07-15 02:18:23
コメント、今頃気がつきました。謝❗️

何かと毎年お正月にお訪ねするのが昨今続いていて、いつも真摯な表情に圧倒されていました。

存分に小説やエッセイの中に、また琉歌集にご自分の感性や思想(思念)を表現された方です。沖縄芝居の脚本、そして詩劇も含め、総合的な芸術表象をされています。

凄い方です。

ずっと去年から気鬱状態が続いているのですが、そろそろ前向きにと思いつつ~。

落ち込んだ原因の発端を見据えて、解決する事が問われています。小さいようで大きい事があるのですね。

返信遅くなりました。
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Unknown (Cafeの宿六 )
2020-10-29 04:20:09
悲しいですね!
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