志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

「死者の書」など、 折口信夫

2010-12-03 05:35:00 | グローカルな文化現象
ミイラ取りがミイラになるように、折口の「死者の書」などめくっている。そして「身毒丸」とーー。折口信夫が無二[無比」の古代研究者であり、歌人であり、小説家であり、詩人であり、戯作者でもあったということ、その巨人のような姿が、ふと昨今、脳裏にのぼってきたロートレアモンの「マルドロールの歌」と重なってくるような「かすかな震え」を覚えている。

日本語の蛇のようなたおやかさ、というか、どうしても日本語を接ぎ木されてきたようなわたしなどには書けないことばの言い回しや修辞がひきつける。これらのことばのため息のような、川のような、古代から滔々と流れてきた感性の総体のような、とでも言えばいいのか、日本語の物体のようななまなましさは、岩肌のごつごつした沖縄の文芸人が書く日本語ではない。

しかし、沖縄の芸能も日本、大和の人間に倒されるように、国立劇場おきなわがあるということは、どうしても土着の人間にとっては、嫌悪感も起こる、大和の神々に犯されていく琉球シャーマニズムの神々の姿が見えない姿で泣いているような錯覚に陥る。なぜ、あの方がせり出してくるのだ?どうして、大和の顔が国立劇場おきなわから立ちあがってくるのだろうか?

大城立裕さんが、選挙の分析のエッセイなど書かれるようになったこの頃である。彼が生粋の沖縄人としての矜持を激しく内に持たれた方であることはその通りなのだ!時代の流れの中で遠慮することなく、ウチナーの知性も見えてきたのである。世界の構図が、そして、折口などの人間も含めた日本という幻の姿が、それがけっして美しくはないこともーー。普段に感じていることがらが表にでる。それは小さな者が大きな者になりえる磁場である。沖縄はすでにアイコンだと慶応大の学者は(クリスチャン)は言い切ったが、犠牲のアイコン!踏みつけにするアイコンはもう、いいと言っているのである。その構図を解きえない日本という国の愚かしさが、透けてくるこの頃かな?

琉球・沖縄の魂の裾野まで見えない刃で切り刻む、そんなことはおやめなさい!沖縄を植民者の良心とやらで、沖縄を救う騎士のつもりでいる多くの知識人たちもまた、自らが加害者で蝕む存在だということに気がつかないあわれさを晒している。単に食べるための知識の切り売りだと割り切った方がまだ異端な存在は魅力があるのである。しかし異端でもない単なる教育者たちが多いのである。異端とは優れた詩人への敬称だからーー。と書くネタがないので、明け方起きて「死者の書」をめくってこんな文面をつらつら書いているーー。

折口の『執心鐘入縁起』への関心が高いせいか、PVが510!訪問者が246人!なるほど!折口信夫は「永遠の人」なのだと納得する!彼こそが異端をその存在の全てで生きたのだったーー、そして自らの感性も身体も知性もすなおに漂っていた、その生き方には憧れさえ起こる。捨てない、生身の孤独を生身に求め叫び書いた!折口の異端と赤子の素直さにただ心が痛くなる気がしている。切なさの中でほんとうのことばをもとめてさすらう今?!

<写真は二階のベランダから見た朝明け、光は希望か?>

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