25日に利賀村で演劇人コンクールで上演した福永武史さんたち、わが街の小さな劇場だ。
先ほど新報の伊佐さんの舞台のレスと紹介文を読んで、演出の福永のコンセプトにハットした。
盲目の美青年俊徳(としのり)を戦争の象徴、家庭裁判所の桜間級子(しなこ)を平和の象徴で背中合わせで確かに座っていた。
戦争で燃え尽くし、世界が崩壊する光景を記憶に生きる青年を、狂人、悪魔のような存在として造形することそのものが、ドキリとさせる。
ただ、としのりが美しい少年で犠牲者でもあったことが戦争を生きてきた戦前戦後の日本を暗示しているようだ。美しい日本、地獄の修羅、三島の世界観、日本の伝統、盲目、蒙昧、盲信、奴隷のような家族、白衣の日常の凡庸さ、日常の戦争も、狂気を孕んでいる。