志情(しなさき)の海へ

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疑問!沖縄タイムスと琉球新報による記事のささいな違いだけれども気になった!メディアの報道の差異が昨今興味深い!

2020-10-31 20:08:06 | 沖縄の過去・現在・未来
           (参列者を約650人と書いた琉球新報)
  
           (参列者を約700人と書いた沖縄タイムス)      
10月30日の大城立裕先生の告別式に少し遅れて参列した。2時から始まった告別式に2時15分頃に雑な雰囲気の通りを運転して目的地に着いた。追記:『ウチナー評論」by佐藤 優のエッセイにおや?と思ったこと!

真喜志きさ子さんとご一緒の予定で彼女は病院の予約がキャンセルできなくなったとのことで、香典を預かっていた。いなんせ会館は火葬場のすぐ横にあり、利便性は高いようだ。漁港も近くにあるが、雑な空間に感じられ、このような場所での告別式は嫌だなとなんとなく思っている。ーーーただ費用の面では経済的で、負担は幾分助かりそうな雰囲気ーー。理想のお別れの場や空間とは?人は死に、火葬され、永遠の眠りの場として墓所や寺社の納骨堂、あるいは合同墓や海での散骨などへと連れ去られていく。ー本人の意志や習俗によりー。死んだ人間の遺骨を尊ぶ文化圏があり、一切遺骨を残さない仏教国家がある。死者はどのようにあの世へと旅立っていくのか、世界の多様な伝統(習俗)や価値体系がどうなっているのか、気になってくる。2年前、フィリピンの博物館で古代の島々で埋葬された人々の墓地のような洞窟に並べられた骨壷の彫刻に驚いた。当時のフィリピンの文化の優美さが感じられた。生と死、存在の発端と終末をそれぞれの文化圏は独自の観念で尊んできたのだ。

永遠の死が誰にもやってくるこの世の宿命。昨今はAIによる再生が可能で、統計的なデータがはじき出す死者のよみがえりがなされているが~。
https://www.cpra.jp/cpra_article/article/000627.html
  つまり死が抹消される可能性さえあるということが起こり得る。またデジタルタトゥーのように、物理的な死後も当人が存在し続けることも可能な時代になっている。SNSは個々の生命(実在する物語)の発信であり無常の命の記録にもなっている。

見出しの中身だが、小さな記事の中で告別式への参加者がタイムスでは約700人、新報は約650人になっている。沖縄タイムスと提携している朝日新聞も約700人と報道している。果たしてどちらの数字が妥当なのだろうか。実際に大城家の方にインタビューすれば明確なのだろうけれど~。父母の告別式の後、参列された方々への返礼の封書の宛名書きに頑張ったのは実家の近くに住んでいる兄弟だった。詳細はデータ化されていく。ー当時父は1000人以上の参列者、母は700人ほどだっただろうか?

FACTはきちんと記録されていくのだろう。紙面で数ページを割き、大々的にその功績を伝えている。また3日間かけてさらに特集を組んでいる。そうした報道の中で告別式に参加した方々がコロナ禍の中で何人いたのだろうか、と関心も大きいのだと想像する。作家の大城さんだから文芸研究者の視点からの批評も今後展開されていくだろう。すでに大城文学についての博論も上梓され、ネットでも読める。研究論文もさらに増えるはずだ。英語の論文を2回ほど以前発表した。

今朝の佐藤 優の「ウチナー評論」では具体的なメールのやり取りの事柄や、今後少し時間がかかるかもしれないが「大城立裕論」を書かなければならないと、決意が表明されている。
 以下に佐藤 優さんの「大城立裕先生からの宿題」の新聞評論をUPします。


そこで疑問に思ったことは、まず一点はわたしも拝聴した「琉球諸語と文化の未来」の名桜大学が琉球新報と共催したシンポジウムについて、佐藤さんが「名桜大学での大城先生と筆者の公開対談は、今年2月15日のシンポジウムで実現した」と書いている箇所は、お二人だけの対談ではなく、数名のパネラーのお一人としての登壇だったことと、それぞれの見解が横並びに披露されたのであり、それが対談という形態でなかったことは、事実なので、そのような書き方は誤解されるのでは、と思った次第~。佐藤さんの沖縄語の問題への提起は斬新でいいと思っているが~。

二点目は佐藤さんが「今年の誕生日(佐藤註*9月25日)まで持つかなと思うことがあります」と書かれた箇所に対して、仮に編集担当記者が大城先生の誕生日が9月25日ではなく、9月19日だと知った上でその註をそのまま掲載したとしたら、それはなぜだろうかということである。
佐藤 優さんがご自分の原稿に関して決して手を入れるな(訂正するな)、とダメ押ししていたならば、編集担当記者はそれを遵守したことになるのだが、しかし、ウィキペディアにも生誕の年月日は記載されており、簡単にその誤りがわかったと想像できる。なぜ訂正しなかったのだろうか?
この評論を読むと、佐藤さんは大城先生の誕生日も正確に把握できないで、自己宣伝の強い作家だなーなどと思ってしまいそうだ。編集担当者は佐藤 優という売れ子作家の鼻を少し折りたいと思ったのだろうか?まぁそこにはちょっとした間合いがあって、興味深いと感じた次第である。実際のところはよくわからないが~。←編集デスクは原稿のFACTを確認しないのですか?

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