水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

新・しんぐるま解説(6)導水口

2010-10-12 09:05:05 | 水車紙上解説
(示した写真は古い)

「ここは水車小屋に水が入るところです。この水路は、今はもう存在しません。上流に大車(おおぐるま)という名の水車があった時代もありました。
 
 むこうの河道が、野川です。1968年の河川改修によって、川幅が広げられ、河床がニメートル低められました。このため、水車を回す水を取れなくなり、水車の運転が終了しました。
流域内で多発する洪水被害を防止するための改修でしたから、やむおえなかったのです。

 昨年大工事をして、庭の地下に貯水槽を設け、水を循環させて水車を回すことができるようになりました。このパイプが水を循環させるためのものです。現在、水車を回すために、毎秒約50リットルの水が流されています。 
 
 昔はここに、サブタ(差蓋)と呼ばれる、水量調節をする堰がありました。
毎日、その日の仕事の量にあわせ、水車の回転数を決め、それに見合う水量調節をこれで行ったのです。

 話が変わりますが、この辺の風景の成り立ちについてちょっとお話しましょう。

 この施設の立地している平地は、武蔵野台地の立川段丘面といいます。川の向こうに一段高い面が見えますが、あれが武蔵野段丘です。野川は、多摩川が武蔵野段丘を作った砂礫層から滲み出る地下水が集まった流れです。西国分寺駅の北付近を水源とし、二子多摩川園駅付近多摩川に流出する、延長約30kmの河川です。また、よく野川は数万年前に多摩川が流れていた跡、とも言われます。

 段丘の上の原っぱでは地表で水を得ることが難しかったため、人間を含め動植物の水場として、野川は昔から貴重な存在でした。

 水場の名残は今でもあって、有名なものとしては上流から、国分寺市の殿ヶ谷戸公園、小金井市のはけの道、ここのすぐ上流の、ICU校内の樹林、都立野川公園、下流に行って深大寺など、人々に愛されているところがいろいろあります。
 この向こう側には、三鷹市が湿生植物園をつくり、なるべく自然を残した景観を保とうと努力しています。是非この機会にあちらも見学してみてください。

 ただし、どこも水はほとんど枯れてしまっています。それは、武蔵野台地全域でくりひろげられてきた、都市化・市街地化に伴う地下水低下工事が原因です。井の頭池の水源枯渇も同じ原因です。浸透マスの設置が推進されていますが、野川に昔のような豊かな水が復活するのは、台地上の都市化・市街地化が終了した後、さらにしばらく経過してからではないでしょうか。場合によると100年とか200年後であるかもしれません。」
  
     (つづく)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。