イスラエル・ハイテクベンチャーCEO兼CSの脱&非日本仲間日記

イスラエルの情報科学ハイテクベンチャー会社のCEO兼CSの脱日本&非日本仲間10名が発信する日本への警鐘!

「インターネット上のあるピアニスト:2014年に彗星の如く登場し、膵臓がんで翌年25歳で死去した」

2016年01月24日 | アートを論ずる

「インターネット上のあるピアニスト:2014年に彗星の如く登場し、膵臓がんで翌年25歳で死去した」

weather_F:定番的な音楽教育を受けずとも、秀でた音楽演奏家は実際のところ少なくないが、商業主義的な音楽界に登場することは極めて難しい。様々な資格要件があって、世界のコンクールに出ることすら難しい。演奏の質よりは、顔で優勝者や上位入賞者が決まるような時代である。ブスやブ男、冴えない格好の衣装の演奏者はいかに優れていても入賞はしない。それが現実だ。差別そのものである。どうしようもない凡庸な演奏者が輩出されて久しいが、更に時代は変わった。マトモな頃の卓越したブスやブ男の演奏者は殆どが死に絶え、写真やビデオ写りのいい連中も、趣味や好みの多様化したこの時代では、コンクールタイトルなどは色あせて、食うに困る時代となった。そういう状況で、世界中の愛好家に直接訴求する方法がある。


1.インターネットによる登場

YouTube等に、自分の演奏をアップすることだ。無数に音楽コンテンツはアップされているから、なかなかアクセスは上がらない現実があるが、デビューはデビューであり、愛好家の耳に止まる事はある。指数慣函数的に広がる事もあるから、能力のある無名の演奏者には強力なADのツールである。

たまたま筆者の耳に付いた無名の演奏者がいた。

ムソルグフスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」原典版だ。

「凄いなあ」の一言で筆者は絶句した。その演奏の熱情、演奏表現への転化、テンポの変化、強弱の変調、ここぞの音の浮上、正確な演奏、等々。並外れた表現力は超一流を超えている。今の有名な現役ピアニストも真っ青だ。


2.それまでの演奏例

先ずは、それまでの演奏を聞いて頂こう。

(1)天才・スヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテル
Sviatoslav Teofilovich Richter、1915年3月20日 - 1997年8月1日

リヒテルの演奏はダイナミックで雄渾な情感と緻密にコントロールされた技巧を両立させた稀有なもので、テンポに関しては、スローテンポから屈指と言える速度まで自在にコントロールできた。ベートーヴェンのソナタの急速楽章を猛烈なスピードで自在に弾くこともあり、彼の1986年のショパンのバラード第4番や1984年東京でのドビュッシーの西風の見たものやラフマニノフの音の絵 Op.33では往年のパワフルかつ高速な演奏を披露し、1959年のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の録音は、作曲者自身の演奏よりもやや遅めのテンポからかなりの速度まで濃密なロマンティシズムを壮大に歌い上げ、以降他の演奏家もリヒテルのテンポ設定を踏襲するようになった。リヒテルの芸術性が発揮されたのは技巧的な難曲においてばかりではなく、ピアニスティックな技巧の効果に乏しく以前はプロのピアニストが取り上げることの比較的少なかったシューベルトのピアノ作品を、彼は早い時期からレパートリーに採り入れていた。グレン・グールドは1957年にソ連を演奏旅行した際にリヒテルによるシューベルトのピアノソナタ第21番の演奏を聴いた時のことを、「彼は現代でもっとも力強い音楽のコミュニケーターであり、私は催眠術によるトランス状態としか例えようのない境地に連れ去られた」と回想している。

リヒテルによる「展覧会の絵」の演奏。
Sviatoslav Richter - Mussorgsky - Pictures at an Exhibition





(2)神童から巨匠へと変貌したエフゲニー・キーシン
Evgeny Kissin

キーシンは、1971年モスクワに生まれ、すでに2歳からピアノを弾き始め、11歳の時にモスクワで初めてソロ・リサイタルを開くなど、神童ぶりを発揮し、12歳の時にモスクワ・フィルと共演した際に弾いたピアノ曲が発売され、世界から一気に注目を浴び、88年にカラヤンの招かれてベルリン・フィルとの共演し、それがきっかけで世界の一流の指揮者やオーケストラとの共演を重ね、世界を代表するピアニストとして、神童から巨匠へと変貌し現在に至る。驚愕のテクニックとスケールの大きさ、そして風格と円熟を増した演奏に脱帽である。

キーシンによる「展覧会の絵」の演奏。
Evgeny Kissin - Mussorgsky "Pictures at an ehibition"




(3)アリス・サラ・オット
Alice-Sara Ott

オットは、1988年ドイツ・ミュンヘンニ生まれ、父親がドイツ人で母親が日本人のピアニスト。2008年よりドイツ・グラモフォンと専属契約を結ぶ。リストの超絶技巧練習曲集をメインにしたデビュー録音の大成功に続いて、ショパンのワルツ全曲を収めた2枚目のアルバムがリリースされ、ドイツとアメリカのクラシックiTunesチャートで1位にランクされた。また、2010年10月には、エコー・クラシック賞の「ヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」賞を受賞した。待望のオーケストラとの初レコーディングは、トーマス・ヘンゲルブロック指揮/ミュンヘン・フィルとの共演によるチャイコフスキーとリストのピアノ協奏曲第1番で、このCDは、「インターナショナル・ピアノ」と「クラシックFMマガジン」の両誌で、「エディターズ・チョイス(雑誌が選ぶお薦めCD)」に選ばれた。尚、彼女は裸足で演奏する。

オットによる「展覧会の絵」の演奏。
Pictures at an Exhibition - Mussorgsky ~ Alice Sara Ott





3.彗星のように登場したネット・ピアニスト

演奏会場も、音楽事務所も、音楽出版会社も、何も要らない方法での、演奏がインターネットで可能となる。現実は玉石混交の状態であり、その中から耳の肥えたファンの耳に止まるのは難しいことではあるが、従来とは異なった方法による、産地直送配信によるデビューである。

あるピアノ演奏家が、筆者の耳に止まった。

(以下次回)



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  国際的にビジネスを行ってきたハイテク関係者のグループとして、警鐘を発信する。時事的な問題や長期的観点での警鐘に留まらず、趣味的な事柄まで幅広くメンバーの自由な意思でWebLog掲載することにした。メンバーのプロファイルは以下の通りである。

  narmuqym:HP&SUN研究所を経て、米国にハイテクベンチャー設立。最先端ニューラルMPUの研究開発を推進。現在はイスラエルのハイテクベンチャーのチーフサイエンティストに就任。知能の情報処理の根源を研究している。

  旅するベテラン:東芝中央研究所、半導体事業所にて高密度メモリーのプロセス及びデバイス開発に従事するも、バブル崩壊により全滅の定まった日本の半導体業界を去り、韓国サムソン中央研究所にて、韓国半導体技術を育成指導。現在は台湾の最大手半導体会社にて、高付加価値半導体事業を統括、取締役。

  invisible-force: ウイスコンシン大学、イスラエル工科大学教授。細胞内量子論的化学物理過程の情報処理、核外化学構造体の情報、DNA合成、大腸菌内DNA置換、動物細胞内DNA置換、神経細胞の情報処理、知能と学習などの研究に従事。イスラエルのバイオハイテクベンチャーCEO。

  Hetero:ベル研究所にて化合物半導体物性、超高周波デバイス、マイクロ波集積回路の研究開発に従事し、世界初の衛星放送システムを開発。レイセオンにて巡航ミサイル飛行制御システムの開発、イージズ艦戦闘情報処理&アタック制御システムの開発に従事後、イスラエルにハイテクベンチャーを設立。情報デバイド解消型の新型情報端末の研究開発に取り組む。

  MASADA:日電にて衛星通信システム、超多重無線伝送方式、通信路確立制御方式の研究に従事後、米国のATTに移り携帯電話システムの研究開発、その後次々世代MM携帯電話方式を完成。シリコンバレーにてハイテクベンチャーを興し、通信大手を圧倒している。

  rainbow:ウエスチングハウスにて原子力発電の研究開発に従事、その後GEにて新しいエネルギー変換方式の研究、各種発電方式の研究に従事。その後、シリコンバレーにハイテクベンチャーを興し、超低コスト新型太陽電池の研究開発を推進。

  weather_F:スタンフォード大にて環境気象及び資源の代替化を研究。気象センターにて地球規模大気循環シミュレーション、環境変動の研究に従事した後、ミニマム生活を提唱するNPOを設立し、代表として啓蒙活動に取り組む。

  anti-globalism:ハーバード大準教授後、日・イ間のハイテクベンチャー協業支援、事業戦略支援会社を日本とイスラエルに設立、妻は日本人。現在はハーバード大ビジネススクール教授。

  geno_computing:モスクワ大学・分子生物学教授を経てイスラエルに移住。テクニオン教授を経て遺伝子工学のベンチャー設立。DNAによるコンピューターの研究をメインに新しいセンサーによる次世代シーケンサー及び解析ソフトウェアを開発。

 

    Bushido:日立中央研究所にてRISCプロセッサー及びDSP、また画像処理システムLSIの研究開発に長年従事し、古い友人の大崎博士には様々に感化を受け、国際的視野に立っての仕事をすべく、日立中研を退社してサムソンに招かれ、現在サムソン電子の終身フェローの立場にあり、イスラエル・ハイファにて、自由な立場で異分野も含めて新しい発想にチャレンジ。MASADAとは剣道仲間。5段。
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