イスラエル・ハイテクベンチャーCEO兼CSの脱&非日本仲間日記

イスラエルの情報科学ハイテクベンチャー会社のCEO兼CSの脱日本&非日本仲間10名が発信する日本への警鐘!

「IP貧国・日本の衰退は必然:日本の産業構造を垣間見る」

2010年01月16日 | 日本の産業構造の欠陥と破綻

過去WebLogで”ドクターΩ”のコメントをのせたが、「ドクターΩ=大崎 勝彦博士」で、改めて、Dr.大崎の意見を簡単に再掲しておく。


(I)「ドクターΩが日本を去った理由:有為な若者を潰す産業界」
2008年02月14日 | 日本の産業構造の欠陥と破綻
http://blog.goo.ne.jp/narmuqym/e/8b08f1ea51d1c85c13fb49051ef45a6d

技術は拡散するもので必然の過程であろう。1T-DRAMは米国(IBM)生まれであった。高密度化の流れとして、微細加工プロセスの発展はメモリーが担った。後発ではあったが、研究熱心な団塊の世代の創意工夫により、日本が世界を席巻した。しかし、折々の経済変動に負振り回された日本の経営者は、ベテラン研究者や技術者を目先の利益優先でリストラの名の下で放り出し、団塊の世代の技術の継承は断絶した。その継承者となったのは韓国・台湾であった。彼らはリストラされた日本のベテランを先生として迎え入れた。それらの国の大手半導体企業の中央研究所の公用語は日本語であった。半導体生産機器やパラメータ設定などの重要なノウハウや設計手法は拡散し、日本人のベテランの指導により、極めて短期間にかれらは最先端の微細加工技術とVLSI設計技術を体得し、あっという間に、日本は韓国・台湾・中国に叩き潰された。ベテランによる復讐だ。団塊の優秀なベテランは意識的にはグローバルであるから、今更日本のことなど意識下には無い。

ベテランが放逐された後の日本の半導体産業は末路を辿った。当然のことだ。技術の重要性がわからぬボンクラ経営者ばかりであるから、隣がやっているような製品しか作れず、それらは、低付加価値の無いコモディティー製品に過ぎないから、赤字の垂れ流しとなった。惨憺たる状況のメモリーは早めに卒業すべきであった。高付加価値のIPが重要であるが、何が高付加価値であるのかが、日本の経営者には全く分かっていない。携帯電話をとっても、中身は欧米の大手やベンチャー企業からの技術導入の塊であって、日本固有の技術など全く無いのが現実だ。まあ、自業自得の結果であろう。

優れたユニークなアイディアを持つ者は、この日本にも少数であるがいるのである。が、彼らのアイディアが実現することはない。「後輩のクセに生意気だ」、「言われたことをやってろ」、「そんなものモノになる筈が無い」等々、酷評される。イノベーションなど起きようが無い。

ある「生意気な若造」が、新しいプロセッサーを考案したとしよう。その詳細設計、検証、P&R、個別アートワーク、マスク製造、試作ライン稼動、プロセスパラメータ管理、インラインデータ収集と分析、テストプログラム作成、試験装置開発、デバック作業、アプリケーション開発、関連ソフトウエア開発、などなど、膨大な作業が伴う、何百人という人間と何億円もの経費が必要となる。そなことを日本の企業が「生意気な若造」に許すはずも無い。それが、日本の企業文化だ。欧米とは全く異なる。

ここで、筆者の経験(大崎 勝彦)を紹介しよう。

1987年、今日のSDRAMの原形は日本IBM野洲事業所で筆者によって生まれたものである。3Dグラフィックス用の高速データー伝送可能なメモリーが必要であった。当時はX1か、精々がX4ビットデータの時代であり、X16やX32ビットといったワイドバンド化には反対の声が大勢であった。1個のチップが死ねば一度に16乃至32ビット以上がこけてECC対応不能と酷評されたプロジェクトであった。高速RAMはSRAMという偏見もあった。が、野洲事業所の筆者は踏ん張った。「木曾シリーズ」のコードネームで成功させた。その成果により、1988年に野洲研究所が開設された。

また、同年に筆者らは、半導体幾何学パラメータを含む電圧スケーリング則を見出し、低電圧ローパワー且高速化のテクノロジーを生み出し、パワーマネジメントのコンセプトを創りだし、VLSIの設計支援システムにまで広げ、シンクパッドのチップセットを開発した。1992年のCOMDEXでシンクパッド700CはMVP賞に輝いた。

1993年、筆者は、DRAM混載のMPUを世界に先駆けて開発した。世間からは、プロセスの全く異なるDRAMとロジックを同一チップ上に集積ことに、冷淡な目で見られていた。最初は、高密度HDDコントローラーと大容量キャッシュを集積化したVLSIであった。さらに、チップ内部での超ワイドバンド1024ビット、2048ビットという大規模データ演算用プロセッサーに適用した。特定の機能に特化したプロセッサーには威力を発揮する。

1995年、筆者は、イベントデータフロー制御型非同期演算機構群アーキテクチャーによる新型の超高性能MPUを発案した。筆者はベンチャーを設立して、世界初のシングルチップMPEG2エンコ-ダーを開発成功させ、また、そのアーキテクチャーは、懇意地のSONYのPS3、ニンテンドーのWII、マイクロソフトのX-BOXのプロセッサーの原型となり、IBMで個別開発された。(95年、日本のゲーム機メーカーに、その高性能MPUによる共通プラットフォーム化とソフトへの注力化を強く働きかけたが、セガ以外からは無視された)

そうした研究開発が可能であったのは、IBMという企業文化があったからである。IBMは超官僚組織であるが、柔軟性も併せ持つテクノロジーカンパニーであった。(今は変わってしまったが)

新しいコンセプトを試し検証する機会は、日本には全く無い。ベテランの基盤技術の継承もなく、技術の蓄積は霧散してしまったこの国。優秀な者が発案したとしても、造反有理のベテランのリストラ後ますます顕著となった体質、個人のアイディアよりも農耕作業の決まりきった手順を重視する日本の産業構造では、実現不可能であることは既に述べた通りである。新しいアイディアの多くは欧米のベンチャー(設立者はIBMやインテル、MS,ATTなどで修練を積んだベテランが多い)発だ。日本の大手企業は、こぞってそれを供与してもらって物を作る。勿論、日本にも優れたアイディアが直ぐ近くにあるが、見向きもされない。これでは、新しいIPなど生まれようが無い。ベテランを追放しノウハウが流出してしまい、旧態依然たる事業経営体制の企業からは、斬新なIPなど生まれる筈も無い。悲しいかな、これが現実である。

 

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  国際的にビジネスを行ってきたハイテク関係者のグループとして、警鐘を発信する。時事的な問題や長期的観点での警鐘に留まらず、趣味的な事柄まで幅広くメンバーの自由な意思でWebLog掲載することにした。メンバーのプロファイルは以下の通りである。

  narmuqym:HP&SUN研究所を経て、米国にハイテクベンチャー設立。最先端ニューラルMPUの研究開発を推進。現在はイスラエルのハイテクベンチャーのチーフサイエンティストに就任。知能の情報処理の根源を研究している。

  旅するベテラン:東芝中央研究所、半導体事業所にて高密度メモリーのプロセス及びデバイス開発に従事するも、バブル崩壊により全滅の定まった日本の半導体業界を去り、韓国サムソン中央研究所にて、韓国半導体技術を育成指導。現在は台湾の最大手半導体会社にて、高付加価値半導体事業を統括、取締役。

  Hetero:ベル研究所にて化合物半導体物性、超高周波デバイス、マイクロ波集積回路の研究開発に従事し、世界初の衛星放送システムを開発。レイセオンにて巡航ミサイル飛行制御システムの開発、イージズ艦戦闘情報処理&アタック制御システムの開発に従事後、イスラエルにハイテクベンチャーを設立。情報デバイド解消型の新型情報端末の研究開発に取り組む。

  MASADA:日電にて衛星通信システム、超多重無線伝送方式、通信路確立制御方式の研究に従事後、米国のATTに移り携帯電話システムの研究開発、その後次々世代MM携帯電話方式を完成。シリコンバレーにてハイテクベンチャーを興し、通信大手を圧倒している。

  rainbow:ウエスチングハウスにて原子力発電の研究開発に従事、その後GEにて新しいエネルギー変換方式の研究、各種発電方式の研究に従事。その後、シリコンバレーにハイテクベンチャーを興し、超低コスト新型太陽電池の研究開発を推進。

  weather_F:スタンフォード大にて環境気象及び資源の代替化を研究。気象センターにて地球規模大気循環シミュレーション、環境変動の研究に従事した後、ミニマム生活を提唱するNPOを設立し、代表として啓蒙活動に取り組む。

  anti-globalism:ハーバード大準教授後、日・イ間のハイテクベンチャー協業支援、事業戦略支援会社を日本とイスラエルに設立、妻は日本人。現在はハーバード大ビジネススクール教授。
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