電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

新型マツダ・デミオXDの夏場の燃費は

2016年09月15日 06時00分15秒 | 散歩外出ドライブ
毎日、快適に通勤で利用している新型マツダ・デミオXDですが、エアコンを多用し、お盆休みで近場のチョイ乗りが多くなる夏場は、燃費というか、燃料消費率が低下する傾向があります。

コクヨの野帳にずっと書き留めている給油記録によれば、

  • 平成27年:年間平均 22.3km/L
  • 平成27年:8月・9月 21.4km/L
  • 平成28年:8月・9月 21.6km/L

となります。春と秋には、エアコンも使わず、冬の降雪時のノロノロ運転もありませんので、23km/L以上というような値を示しますが、明らかに夏場は下がる傾向がデータの上でも現れています。

昨年よりも今年のほうが平均値が良いのは、運転に慣れたこともありましょうし、通勤時間帯を早めにシフトするように心がけているからでしょう。それにしても、800km前後の走行距離を目安に満タン給油して千円札4枚でお釣りが来るというのは、たいへん有難いところです(^o^)/

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石臼にスイレンの花が咲いた

2016年09月14日 06時04分12秒 | 季節と行事
いつ頃、誰が植えたものか、石臼にスイレンの花が咲きました。切れ込みのある葉の形からみて、たぶん睡蓮で間違いないものと思いますが、葉の陰にひっそりと白い花が咲いています。花鉢がわりの石臼は、私が子供の頃には外便所の手水鉢がわりに使っていたはず。屋根から下げた手水入れの容器の下部をちょいと押し上げると水が出るので、これで手を洗いますが、流下した水を受けるものが、大きな丸い石臼でした。



たしか私がまだ幼い頃、祖父がまだ元気で亡父も若かった頃に木製の臼を入手し、餅に石の破片が入ってしまう古い石臼を廃止することにしたのだったと思います。で、長く外便所の入り口に置かれ、手水鉢として使われたものです。このときに、すでに睡蓮が植えてあったものかどうか、残念ながら記憶にありません。屋内トイレの水洗化にともない、不要になっていた外便所を解体して埋め立ててカーポートを作ったときに、この石臼を現在の場所に移動したのは亡父の指示によるもので、こちらは記憶があります。



日当たりの良い今の場所が適していたためか、夏場に水が枯れないように水やりをしているせいか、睡蓮が花を付けているところを見つけるようになりました。いや、昔から花を付けているのに、以前は慌しい生活の中で見つけられなかっただけなのかもしれません。夏の終わりに、白いスイレンの花が可憐です。

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池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』を読む

2016年09月13日 06時02分51秒 | 読書
平凡社から昭和52年に刊行された単行本で、池波正太郎著『散歩のとき何か食べたくなって』を読みました。著者は、もちろん『剣客商売』などの時代小説作家であるとともに、食通として知られている人でもありますので、雑誌「太陽」に連載されていた随筆集の内容に興味を持ちました。

「銀座・資生堂パーラー」では、旧制小学校を出てすぐに世の中に出て、株式仲買店の店員として働きます。「紺サージの詰襟服を身につけ、自転車に乗って株券の名義書き換えのため会社まわりをしていた」生活の中で、月給は五円だったが、店に来る客の走り使いや先輩の幼児をしてもらうチップの額が、「月給の二倍・三倍にもな」り、「小僧のぶんざいでこれだけの小遣いは充分すぎる」(p.14)ほどです。そこで覚えたのが「食べ歩き」というわけで、なるほど食通の年季が違います。

「室町・はやし」では、こんな記述にやけに同感します。

しかし、折にふれて、自分の老化に気づくというのは、散歩の足を、若いころの自分が身を置いた場所へ運ぶということもそうだし、書庫で調べものをしているうち、むかしの写真アルバムを納めてある棚の前へ屈みこみ、我知らず時間をすごしてしまうこともそれなのだ。(p.25)

うーむ、なんという既視感(^o^)/

そして、十何年前の写真を見つづけながら、その歳月の速さに呆れ、これから先の十何年の呆気なさに慄然となる。これが老化でなくして何であろう。(p.25)

この厳しい認識に、思わず背筋が伸び……ずに、思わずうなだれます(^o^)/

山形のど田舎に在住する当方は、仕事の都合などで地元の割烹・料亭(*1)を利用することはあっても、本書に登場するような都会の名店を食べ歩くような道楽はそもそも無理があります。また、昭和のテイストが濃厚な随筆の素材とはしだいに縁遠くなってきています。例えば、十数年前のアルバムを見て昔日を思うには、そもそも十数年前の写真アルバムが存在せず、デジタルカメラのデータがCD-Rに残っているばかりです。むしろ、このブログの過去記事を眺めて、思わず時間の経過を痛感してしまうほうでしょう。

(*1):地元・山形は、戦災を受けなかったこともあって、昔ながらの割烹・料亭が少なからず残っています。「野ゝ村」は先ごろ惜しくも廃業してしまいましたが、「四山楼」「亀松閣」「千歳館」「嘯月」「揚妻」など、今も伝統の味と風情を伝えています。

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今年の週末農業は昨年よりも収穫減か

2016年09月12日 06時01分46秒 | 週末農業・定年農業
収穫の秋です。今年の週末農業は、残念ながら昨年よりも大幅に収穫減になりそうです。というのは、

  • サクランボは、自宅裏の園地の方はなんとか収穫・出荷できたが、もう一つの園地の方は自宅のリフォームに関連した片付け作業に追われ、剪定がほとんどできなかったために、収穫・出荷をあきらめた。
  • スモモは、剪定も防除もまるでできず、虫食いで収穫できなかった。
  • 桃は、良い出来だったにもかかわらず、収穫最盛期に親族の不幸があって葬儀や法事の差配役などがあり、タイムリーな出荷・送付ができなかった。
  • リンゴは、桃の摘果に追われて適時防除と摘果ができなかったために、虫食いだらけになってしまい、昨年よりも結果が悪かった。

というような状況で、ある程度は覚悟していたとはいうものの、今年は散々な一年でした。特に、スピードスプレーヤーの故障・廃車がひびき、防除作業に倍以上の時間がかかるようになりました。時間に制約のある週末農業では、機械力のレベルダウンは痛いです。栽培技術的には、リンゴの難しさを痛感しています。

まだ柿が残っていますが、こちらはある程度は摘果もしていますので、これから自家用に渋抜きや干し柿もできるかと思います。秋の楽しみといたします。

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ゲーゼ「ノヴェレッテ」Op.53を聴く

2016年09月11日 06時05分20秒 | -オーケストラ
先のアフィニス音楽祭2016の合同オーケストラ演奏会で知った、ゲーゼの「ノヴェレッテ」Op.53が気になります。CDを探す前に、最近はネットで確かめることが多くなりました。

Niels W. Gade - Novelletter for string orchestra in F major, Op.53


簡易なPC-audioをミニコンポに接続し、音量をあまり上げずに静かに鳴らすとき、晩夏~初秋の明け方の涼しさの中から弦楽合奏の響きが立ち上がって来て、思わず「いいなあ~!」

こういう音楽を知る機会はなかなかありません。今のところ通勤の音楽にはできませんが、ブログにメモしておけば、こんなふうに思い出して聴くことができます。

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田舎暮らしの喜びがわかる年齢は

2016年09月10日 06時04分56秒 | Weblog
若い頃、20代までは、当方は都会志向で、結婚したばかりの頃には妻の方が帰郷に熱心でした。いろいろ苦労しましたが、なんとかUターンでき、30代の子育て期には赴任したコンパクトな地方都市の良さに気づきました。その後、実家に戻って公私ともに多忙だった40代には、子育てや子供の小中学校などを通じて地域と関わる度合いが強まってきました。50代には、父親の死去で始めた週末農業の面白さを実感するとともに、亡父が果してきた地域の役割を引き継ぐ中で、世代交代を実感しました。

そして現在は、田舎暮らしは静かでゆったりと暮らせると歓迎しているところです。土地が安い田舎暮らしは、無駄に広い敷地と居住空間のせいもあって、ご近所に生活音を気兼ねすることも少ないうえに、若い頃に敬遠していた田舎の人間関係は、災害の時にはむしろ強力な安心感となります。けれど、ふだんはほどよい距離感を保っており、思っていたほど息詰まるような閉鎖的なものではありませんでした。たしかに、地域行事などでも、昔の「酒臭い酔っ払いオヤジ」や「こうるさい意地悪婆さん」連は姿を消し、ずいぶんテキパキあっさりしたものに変わってきているようです。

あるいは、自分たちがそういうふうに望んできたから、地域がそのように変わってきたということなのかもしれません。表題については、ある年齢になると田舎暮らしの良さがパッとわかるようになる、というものではなさそうで、徐々に感じるようになるもののようです。ただいま60代、それなりに悩み事や困りごとはありますが、田舎暮らしの喜びを感じることができる、良い年代なのだろうと思います。

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李登輝『台湾の主張』を読む

2016年09月09日 06時00分53秒 | -ノンフィクション
人畜無害の仙人を自覚する私が、現代の政治家の本を読もうと思い立つことは、まずありません(^o^;)>poripori
同じ化学出身ということで、英国の「鉄の女」サッチャーの自伝に興味を持ったことはありますが、図書館であの厚さに恐れをなして、ついに手にすることはありませんでした。そんな私が、なぜ台湾の元総統の本なんぞを読もうと思ったのか。それは、映画「KANO1931~海の向こうの甲子園」を観たり(*1)、あるいは温又柔著『台湾生まれ日本語育ち』を読んだり(*2)したことで台湾の複雑な近現代史に興味を持ったことに加え、日本語に堪能な元総統の青年期の自己形成への興味、すなわち植民地台湾から宗主国日本の帝国大学へ留学し、政治家として中国と米国と日本とアジアの狭間で自立を目指した人物の来歴と考えを知りたいと思ったからでしょう。いわば、生身の人物への興味、子供の頃に読んだリンカーンやガンジーへの興味と同種の関心です。1999年に刊行された本書は、台湾総統現役時代の本です。構成は、次のとおり。

第1章 私の思想遍歴
第2章 私の政治哲学
第3章 台湾の「繁栄と平和」の原動力
第4章 いま中国に望むこと
第5章 いまアメリカに望むこと
第6章 いま日本に望むこと
第7章 台湾、アメリカ、日本がアジアに貢献できること
第8章 二十一世紀の台湾
あとがき

いやはや、まさに政治的な立場が明確な主張です。でも、当方にはこうした本を日本語で書いてしまうほどの日本語力がどのようにして培われたのかを知ることの方が、実は興味深いものがあります。その意味では、第1章:「私の思想遍歴」がいちばん興味深いかも。ここでは、比較的恵まれた家庭に育ったこと、父が買ってくれた『児童百科辞典』のこと、自我の目覚めとそれを抑制する克己心を養う日本思想の影響、中国文化の弊害に対する反省、農業経済学を通じた数量的な見方、アジア的生産方式と毛沢東「聯合政府論」、台湾にやってきた国民党政府による「2.28事件」、キリスト教、土地問題と孫文、台湾のアイデンティティ、停滞社会からの脱出、などについて、「台湾は台湾だ」という立場から、かなり率直に語っています。

こうした考え方の基礎のかなりの部分が養われたのは、実は日本統治時代のオーソドックスな教育~公教育を経て高等学校から京都帝国大学へと進み、その後の台湾大学、米国のアイオワ州立大学とコーネル大学に学んだ経験からでしょう。京都帝国大学農学部農業経済学科での卒業論文に、「台湾の農業労働問題の研究」というテーマを選んだ背景には、マルクス経済学の影響が濃厚にあるようです。しかし、農業経済学を数量的に扱い農業政策を考える中で、地権の分配、土地で働く人に土地を与える方が、土地で働かない者に土地の所有を集中させるよりも生産性を上げることができるが、農業問題は農業だけでは解決せず、工業化を急ぐあまり農業と非農業を無理に分離してはならないという方向に進んで行った、と考えられます。それが、経歴に似た要素がある蒋経国総統に重用されるようになっていった理由の一つだったのでしょう。

(*1):映画「KANO1931~海の向こうの甲子園」を観る~「電網郊外散歩道」2015年3月
(*2):温又柔『台湾生まれ日本語育ち』を読む~「電網郊外散歩道」2016年4月

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伊藤恵のピアノで、シューマン「暁の歌」Op.133を聴く

2016年09月08日 06時01分13秒 | -独奏曲
以前の山響定期(第254回,*1)で購入してきた、伊藤恵さんのCD「シューマニアーナ」Vol.4(fontec:FOCD9324,1991,DDD)を聴いています。お目当ての「ピアノソナタ第1番」はたいへんステキな演奏で、通勤の音楽にも愛聴しておりますが、同盤に収録された「暁の歌」Op.133は、どうもロードノイズの大きな通勤の音楽には似合わないみたい。ピアノソナタ第1番(*2)のほうは、訴える力のある音楽ですので運転しながらでも大丈夫ですが、「暁の歌」のほうは、もう少し静かな落ち着いた環境で聴きたい音楽です。

例えば晩夏の夜、自宅のPC-audio用のミニコンポを通じて、ヘッドホンで静かに聴くときに、心にしみる音楽と言えばよいのでしょうか。

  1. Im ruhigen Tempo 落ち着いたテンポで
  2. Belebt, nicht zu rasch 元気に、速すぎないように
  3. Lebhaft 生き生きと
  4. Bewegt 動きをもって
  5. Im Anfange ruhiges, im Verlauf bewegreres Tempo 始めは静かに、それから動きのあるテンポで

1853年、若きブラームスが、デュッセルドルフ在住のシューマン夫妻を訪ねてきた年の作品。たぶん、体内に潜む梅毒の原因となったトレポネーマ(スピロヘータと言った方が通りやすいか?)が少しずつ内蔵器官や神経組織を侵し、体調不良が明らかになってきつつあった頃でしょうか。シューマンのデュッセルドルフ時代というのは、少しずつ異変が、本来は見えないはずのものが見えたり、聞こえないはずの声や音が聞こえたりする症状が、顕著に現れてきた時期かと想像しています。

その意味では、力と意欲にあふれた音楽とはなりえず、ともすれば途絶えがちになる楽想を手繰り寄せながら繊細につなぎ合わせたような音楽も、なるほどと理解できます。わりと好きだなあ、こういう音楽(^o^;)>poripori
アルカイックな味のある第4曲などは、とりわけ印象的です。

同時に、傍らで夫(父親)を見守るクララや子どもたち、家族の心配と不安もあったことでしょう。そこに登場する来客が、青年ブラームス。不安や心配を一時わきにおいて、驚きと興奮をもって歓迎したであろう家庭のようすもまた、想像することが可能です。



YouTube にも、この曲の演奏がありました。かなり遅いテンポで始まります。
Robert Schumann. "Gesänge der Frühe" Op.133. 1853


(*1):山形交響楽団第254回定期演奏会で池辺晋一郎、シューマン、ベートーヴェンを聴く~「電網郊外散歩道」2016年7月
(*2):シューマン「ピアノ・ソナタ第1番」を聴く~「電網郊外散歩道」2007年12月
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備忘録ノートの残りが20頁を切り、新しいノートを用意する

2016年09月07日 06時03分17秒 | 手帳文具書斎
ほぼ毎日、雑多なメモや記録を書き込んでいる備忘録ノートの残りが、先日20頁を切りましたので、このたび新しいノートを用意しました。4月から実質8月まで、ほぼ5ヶ月で100枚(200頁)を使い切る形になります。目次の10頁を除くと、

200頁ー10頁=190頁
1ヶ月あたりでは 190頁÷5ヶ月=38頁/月
1日あたりでは 38頁÷30日=1.27頁/日

という計算になります。順当なところでしょう。



A5判7mm横罫のツバメノートの中性フールス紙の書き味は実に快適で、万年筆で備忘録ノートに書き込むのは、かなり楽しみでもあります。とくに、このほど入手したツイスビー(TWSBI)万年筆で書くのが楽しみです。
また、新聞記事の切り抜きや演奏会・映画のチケットの半券などを貼り付けていますが、目立つほどには厚みが増えているとは感じません。次の備忘録ノートも、同じツバメノートを使う予定です。

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藤沢周平『三屋清左衛門残日録』を再々読する

2016年09月06日 06時02分05秒 | -藤沢周平
WEB サイト「藤沢周平作品データベース」(*1)にあった記事で、『用心棒日月抄』シリーズ第五作として『三屋清左衛門残日録』を読む、というのがありました。執筆年代や作品内容からみて少々無理があるのは承知の上で、つい第五作を想像してしまう読者の一人として、おもしろい発想だと思い、『残日録』をまた読み始め、案の定、ハマってしまった次第です。

三屋清左衛門は、若い頃に無外流の名手として嘱望された時期もありましたが、先代藩主の信頼を得て出世を重ね、用人として勤め上げ、先代藩主の没後に家督を長男の又四郎にゆずって隠居をしています。妻の喜和は死去して独り身ですが、新藩主の信頼が厚く、隠居部屋を新築してもらい、そこに住んでいるという境遇です。

なるほど、このあたりは『日月抄』の青江又八郎の晩年を想定したと見られなくもないかも。しかし、読み進めるうちに、そんな詮索はどこかへ吹っ飛んでしまい、物語の中に引き込まれていきます。

四年ぶりの再読(*2)ですが、特に好ましく感じられるのは、先祖の百回忌がきっかけで、若い頃のひそかな記憶に絡んだ女性の娘を、剣術道場の信頼できる後輩に紹介し世話をする「白い顔」とか、農婦の母子を助けたのがきっかけで藩内の抗争の存在を知ることになる「川の音」、あるいは偶然に立ち聞きした密事を藩の対抗勢力に伝えようとする武士を描く「霧の夜」などです。たとえば、

誰もいない、丘の陰に入って小暗く見える川には、水面を飛ぶ虫をとらえる魚がはね、そしてそこだけ日があたって見える丘の高い斜面のあたりでは、一団になってひぐらしが鳴いていた。夏の終わり、秋に移るところだと清左衛門は思った。丘のどこか見えない場所に、やはり一団になって鳴くひぐらしがいて、ひぐらしは寄せる波音のように交互に鳴きかわしていた。
 「川の音」より、p.159

というような記述に季節感を感じ、やけに共感したりします。

虫の音、蛙の鳴き声、ひぐらしの声など、藤沢周平の音にまつわる感覚は豊かです。都会の喧騒の中にあって、こうした自然の音は、懐かしい海坂藩や武蔵野の療養所生活に通じるものがあったのかもしれません。



逆に、本作品の末尾で、中風を患った竹馬の友が起きて歩く練習を始めたエピソードを取り上げて終わっていますが、随筆の中で、こうした表現をしたことを後悔していると述べているところがあり、不思議に思ったものでした。今になって思うのは、病を得た人はかならずしも良くなるとは限らないわけで、たとえ充分に回復はできなくても人間の尊厳は変わらないし、起きて歩ける、働けることが全ての価値観ではない、ということだったのでしょうか。

(*1):たーさんの部屋2~「藤沢周平作品データベース」
(*2):藤沢周平『三屋清左衛門残日録』を再読する~「電網郊外散歩道」2012年4月

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山形交響楽団第255回定期演奏会でメンデルスゾーン、ヒンデミット、ベートーヴェンを聴く

2016年09月05日 06時04分26秒 | -オーケストラ
台風12号の声も聞く日曜日、朝から果樹園の草刈りに精を出し、九月のリンゴ「つがる」を少しだけ収穫して、日中はシャワーの後でお昼寝タイムとなりました。午後からは、もちろん山形交響楽団第255回定期演奏会です。



会場の山形テルサホールに到着すると、本日のロビーコンサートが予告されていました。金管五重奏によるダウランドの「マドリガル集」から、三つの小品です。メンバーは、Tp:井上直樹・松岡恒介、Hrn:関谷智洋、Tb:太田涼平・高橋智広、の五人です。西濱事務局長の軽妙な進行で、曲目の解説は誰を希望しますか?というのに対して、「太田さ~ん!」という声があったのでしたが、肝心の太田涼平さんは「とてもとても…」と辞退(^o^)/
結局、井上直樹さんが、「バロック音楽の楽しみ」の皆川達夫さんもかくやとばかりの名調子で、イギリス・ルネサンスのリュートとマドリガルの大家の解説をしました。たしかに、リュートについて「ギターと日本の琵琶」が合体したみたいな楽器、という説明は実にそのものずばりで、思わず笑ってしまいました。おかげで、音楽のほうも親しみを持って聴くことができました。とくに、井上さんが最後に使用した小さなトランペット、あれはピッコロ・トランペットと言うのでしょうか、輝かしい高音が楽々と出て、見事なものでした!




ホールに入ると、なんと以前の職場の同僚と一緒になり、しばし歓談。職場の少数派:クラシック音楽の愛好家として、最近の山響の進境を歓迎し、来年度のシーズンのプログラムについて話題にしました。

ところで、今回のプログラムは、「自由なる精神~80歳の巨匠ポンマー待望の再登場!」と題して、

  1. メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」Op.26
  2. ヒンデミット クラリネット協奏曲 Cl:川上一道(山響)
  3. ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調「田園」Op.68
      マックス・ポンマー指揮 山形交響楽団、コンサートマスター:犬伏亜里

というものです。



開演前のプレトークの時間は、今回の指揮者、マックス・ポンマーさんのインタビューです。通訳は、フルートの足達祥治さん。実はライプツィヒ生まれのポンマーさんの先祖に高名な建築家がおられ、メンデルスゾーン家が住んでいた建物は、ポンマー家で貸していたのだそうで、現在はこれを寄付してメンデルスゾーン博物館になっているのだそうな。なるほど、ポンマー家とメンデルスゾーンとの因縁は浅からぬものがあるというべきでしょう。
そのポンマーさん、実は日本酒がお好きなのだそうで、特に山形のお酒が大好きとか。もう一つのお気に入りが温泉で、昨日もタクシーで鄙びた温泉に出向き、「ガイジンは私だけ」状態を楽しんできたそうです(^o^)/
なるほど、本当に「自由なる精神!」 演奏が楽しみです。



最初の曲目、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」。楽器編成は、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(2),Tp(2),Timp.と弦楽五部(8-7-5-5-3)となります。この配置は、正面左から、1st-Vn、2nd-Vn、Vc、Vla、右奥にCbという配置で、正面奥に Fl,Ob、その奥にCl,Fgの木管、その奥にHrn,Tpが座り、右最奥にバロック・ティンパニが位置します。HrnとTpはナチュラル・タイプです。今回は、何人かのメンバーが客演に変わっていたようで、気づいたところでは第2ヴァイオリンのヤンネさん、チェロの小川さんに代わり、松村一郎さん、矢口里菜子さん、その他にフルートの星野すみれさん、パーカッションに石橋知佳さんが加わっての演奏です。
演奏は、大きな音量でダイナミックに描くと言うよりも、ナチュラル楽器の採用により、弱音とバランスの取れた音色を生かし、神経の行き届いた絵画のようなもの、と言えばよいでしょうか。

続いてヒンデミットの「クラリネット協奏曲」です。ヒンデミットといえば、ジョージ・セル指揮の「ウェーバーの主題による交響的変容」や、久良木夏海ファースト・チェロリサイタルで聴いた「無伴奏チェロソナタ」などを聴いたことはありますが、クラリネット協奏曲はもちろん初の生体験です。少しだけ YouTube で予習してはみたものの、一夜漬けではとてもとても把握しきれません。ここは、虚心に楽しむことといたします。
ちなみに楽器編成は、ステージ左から、1st-Vn(8),2nd-Vn(7),Vc(5),Vla(5)、右奥にCb(3)、正面に Picc(1),Fl(2),Ob(2)、その奥にクラリネット抜きのFg(2)、さらにその奥にHrn(2)とTp(2)、最奥部にTb(2)、左奥部にはバスドラムなどパーカッションとモダン・ティンパニが配置されている、というものです。
聴衆の大きな拍手の中を、クラリネット独奏の川上一道さんが登場、ポンマーさんの指揮でオーケストラの序奏が始まると、クラリネットがソロを吹き始めます。ダイナミックで、なかなかおもしろい。第2楽章のピッコロとクラリネットの低音の対比とか、ゆるやかな第3楽章でも、弦とクラリネットの、低音から高音に移行する際の音色の変化など、クラリネットの魅力をふんだんに聴かせる音楽のようです。終楽章は、軽やかな明るい音で始まります。ベニー・グッドマンのために書かれた曲らしく、ドイツ音楽の積み重ねとジャズの語法とをうまく融合させた音楽、といえばよいのでしょうか、川上さんのたぐいまれな技量とヒンデミットの音楽とを楽しみました。

休憩の後は、ベートーヴェンの交響曲第6番ヘ長調「田園」です。
楽器配置は、ティンパニが右奥のバロック・ティンパニに代わり、ホルン、トランペット等がナチュラルタイプに代わったくらいで、基本的には変わりありません。
第1楽章:意外なほど速めのテンポで始まります。ポンマーさんの年齢的なものもあり、もっとゆっくりとしたテンポを予想していましたが、これはびっくり。弦楽合奏は、やわらかい歌心を発揮するもので、ナチュラルホルン、トランペットがいい響きです。第2楽章:落ち着いたテンポで音量はあまり上げずに心を込めた歌が響き、幸福感に満たされます。第3楽章以降:木管に加えてホルンの立派な演奏、遠くで嵐の気配のあたりの緊張感、バロックティンパニの打撃は、振動が後まで残らないのが特徴で、実際の雷の音はこんな感じ(*1)です。ピッコロはここぞとばかり鋭い音を発し、嵐が遠ざかって弦が生活の歌を奏で始めます。刺激的な方向でなく、とくに弦楽合奏が、聴く者に幸福感を感じさせる演奏、という方向性でした。良かった~!



終演後、ファン交流会が開かれました。ヴァイオリンの今井東子さんが川上さんにインタビュー。協奏曲のソリストの川上さん、序曲にも交響曲にも出たことを、「正直、疲れました」。たしかに、普通ならありえない、若いスーパー川上さんだからできることかもしれませんが、少々人づかいが荒いかもしれません。今後、要改善かも(^o^)/



安達さんが通訳をしたポンマーさんも、山響の弦楽セクションを賞賛しながら、でも正直言って「弦楽奏者をもう少し増やして」と希望していました。このあたりも、音楽的な要素と経営的な要素のせめぎあいの場面なのだろうと思いますが、経営の建て直しが軌道に乗り、良い方向に向かってほしいものだと思います。新事務局体制に期待しているところです。

そうそう、ポンマーさんの話で興味深かったのが、ベートーヴェンとメトロノームの件。1950年代から60年代には、ベートーヴェンの速度表記は間違いで、ベートーヴェンのメトロノームは壊れていたのだろう、とされ、ごく遅い演奏が普通になっていたそうです。ポンマーさんは、ベートーヴェンのメトロノーム表記に基づいて演奏するほうを支持する立場だそうで、ベートーヴェンは耳が聞こえなくなりましたが、甥のカールがメトロノームの速度を読み取り、表記したのだそうな。今回の演奏のテンポは、なるほどと思いました。

(*1):現代の私たちも、天気予報で雷注意報は知っていても、つい時間を忘れて畑仕事に精を出し、突然の雷の音にビックリ仰天するということはありますからね~。

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ツイスビー(TWSBI)の万年筆ダイヤモンド580ALラヴァーが到着する

2016年09月04日 06時04分23秒 | 手帳文具書斎
秋田の「とみや文具店」に注文していたツイスビー(TWSBI)の万年筆、ダイヤモンド580ALラヴァーが到着しました。



開封すると、







予想以上に美しいオレンジ色で、懸念したキャップのネジ山の処理の部分もさほどに角張ってはいず、パイロットの「コクーン」のような段差も感じません。



キャップを尻軸にポストできない点はいささか弱いけれど、手にしたときに長さが足りないということもないようです。



インクを入れない状態で、キャップをしたまま重さを測ると、31g ありました。これにモンブラン「ロイヤルブルー」インクを1回だけ吸入して重さを測ると、




同様にキャップをしめた状態で、32g ありましたから、インクの吸入量は1gということになり、予想よりも少ないみたい。インクタンク内にインクが見えなくなった時点で、もう一度インクをしっかり吸入して重さを測ってみようと思います(*1)。



実際に書いてみると、予想以上に書き味はスムーズで、インクフローは明らかに私のウォーターマン「ロレア」を上回ります。鉄ペンだからという書き味の懸念も無用。キャップの先端部がけっこう重いのと、ついキャップを尻軸にポストしようとする癖を除けば、最初から手になじみます。私の備忘録を書く用途には、中字で正解でした。

(*1):【追記】このデジタル秤は台所用で、実際は0.1g単位では秤量できないもののようです。後日、上皿天秤で正確に測定し直したところ、満タンに吸入したときのインク量は1.6gでした。

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ツイスビー(TWSBI)の万年筆ダイヤモンド580ALラヴァーを注文する

2016年09月03日 06時02分00秒 | 手帳文具書斎
過日、台風情報を調べているうちに、風圧に押されたのか、新しい万年筆を注文してしまいました(^o^)/
台湾の新興万年筆メーカーらしいTWSBI(ツイスビー)社(*1)の、「ダイヤモンド580AL」というシリーズ中の限定色、オレンジ色の「ラヴァー」(*2)です。
注文をしたのは、TWSBI社の代理店をしている秋田の文具店「とみや文具」のネット店です。はじめに極細がデフォルトになっているのに気づかず、途中で中字に変更したりしてとまどいましたが、なんとか発注を完了しました。

TWSBI社のダイヤモンド580ALというシリーズは、インク吸入式の機構を持ち、カートリッジやコンバータは使用しません。ダイヤモンドカットを思わせる透明軸に着色アルミニウムの部品が美しく、強度を確保するというねらいもあるようです。インク容量は、ネット情報を見ると、1.3~1.9mlくらいはあるようで、標準的なインクカートリッジの1.5倍、コンバータの3倍くらいになりそうです。大量筆記にも強い大容量が嬉しい。ペン先は金ペンではなくステンレスのようですが、いわゆる鉄ペン自体はふだんから書き慣れており、キャップを尻軸にポストすることを想定していないところだけが懸念される点です。さて、どんなものか?

(*1):TWSBI社の公式サイト
(*2):この製品の紹介ページ~「秋田万年筆倶楽部&とみや文具店」より

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モンブランの「ロイヤルブルー」の使用頻度が高まっている

2016年09月02日 06時03分21秒 | 手帳文具書斎
叔父の遺品のモンブランのマイスターシュテュック149(M)に、プラチナ社の古典ブルーブラックを入れて愛用していますが、大容量のインクタンクのおかげで長時間の大量筆記も可能でありがたい反面、やはりというか案の定というか、常用するにはいささか太すぎると感じます。A罫(7mm)のツバメノートでもやや窮屈に感じますので、太罫の便箋や原稿用紙などのほうが向いているようです。

その点、ウォーターマンのロレア(中字)で使うことにしたモンブランの「ロイヤルブルー」(*1)が、手頃な文字の太さで都合が良い。キャップを尻軸の後端にポストできるので、バランスも良く転がりにくいし、キャップをなくさない点も有難い。この万年筆のおかげで、意外にも裏抜けしにくいモンブランの「ロイヤルブルー」インクの使用頻度が有意に高まっています。ただし、ウォーターマンのコンバータもまた、インク容量が少ないと感じます。要するに、「自由にインクを選べる大容量の中字の万年筆」があればいいのだな。

インクに関しては、どうやら「裏抜けしにくい」「色のきれいな」青系インクが好みのようで、プラチナ社の古典ブルーブラックのボトルインクとともに、モンブランの「ロイヤルブルー」がメインに加わってきたようです。その反面、パイロットの色彩雫シリーズ「朝顔」も「紺碧」も、色はきれいなのですが、裏抜けしやすく紙を選ぶ傾向が強いので、汎用性の点で一歩ゆずります。インクは必ずしも色水商売じゃない、ということか(^o^)/

(*1):モンブランの「ロイヤルブルー」インクについて~「電網郊外散歩道」2016年3月
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今年の健診結果が届く

2016年09月01日 06時02分54秒 | 健康
過日、今年の健診結果の通知が届きました。毎年のことながら、この通知を開封する時は、けっこうドキドキします。

結論から言えば、今年も「異常なし」でした。各項目の内容も、

  • BMI=22.2
  • 血圧:103/68
  • 血液一般:良好
  • 脂質 中性脂肪:76、HDL-C:47、LDL-C:99 (mg/dL) と良好
  • 肝機能、腎機能、尿酸、空腹時血糖 良好
  • 前立腺PSA値 良好

という結果で、むしろ昨年よりもさらに改善傾向です。

これはやはり、よく寝て腹八分目、お酒は多少はいただくがタバコはたしなまず、趣味は音楽と読書と週末農業という仙人生活のおかげ(*1)……いやいや、妻の食生活管理と老母の野菜作りのおかげかと思いますが、私の年齢では実にありがたいことです。



写真は、リンゴの「つがる」です。

(*1):職場の三健人(?)~「電網郊外散歩道」2007年7月

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