電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「蜩ノ記」を観る

2014年10月16日 06時02分43秒 | 映画TVドラマ
三連休の最終日、妻とともに、映画「蜩ノ記」を観てきました。葉室麟原作の直木賞受賞作品を映画化(*1)したもので、たいへん味わい深く、良い映画を観た、と感じてきました。

羽根藩の右筆である壇野庄三郎は、突然の突風によって隣席の友人の家紋を墨で汚してしまいます。激昂し刀を抜いた友人・水上信吾につられて庄三郎も脇差を抜き、この友人を傷つけてしまいます。城中での刃傷はご法度ですが、家老の中根兵右衛門は、自分の甥である信吾を助けるために、庄三郎の罪を不問に付すこととし、そのかわりに、特別の任務を与えます。それは、七年前に藩主の側室と不義密通し、小姓を斬り捨てるという不祥事の責任を問われ、向山村に幽閉されている戸田秋谷が書き継いでいる藩主・三浦家の家譜に、七年前の不祥事がどう書かれるかを報告し、秋谷が逃亡するときは、家族もろとも斬り捨てよ、というものでした。十年の間に家譜を完成させたら切腹しなければならない戸田秋谷も、三年後に夫であり父である秋谷の最期を迎えるその家族も、きわめて淡々と、清廉な生活を送っていることから、庄三郎は秋谷の人格を信頼し私淑するようになります。そして、七年前の事件の真相を調べ始めます。不義密通の相手とされた藩主の元側室・お由の方は、今は髪をおろし、松吟尼となっていますが、庄三郎に事件の真相を語ります。そして、事態は大きく転回します。それは……。



映画として、映像表現の素晴らしさは、ほんとうに特筆ものです。遠野を舞台としたらしい向山村の風景の描写や村の生活の描き方はごく自然で、しかも実に美しい。神社を舞台とした巫女の舞いの場面や畑を耕す師弟の姿などには、音楽と詩情が感じられます。

蛇足ながら、映画のストーリー上の設定で疑問に思った点を。
稲刈りの時期について、村人たちの会合に郡奉行が単独で乗り込んだ点は、いささか疑問です。普通に考えて、要職にある者が随行者も連れずに単身で馬に乗って往来するなどは、ありえないことなのでは。話の展開上、単身でないと困るのはわかるのですが、どうも設定に無理があるような。原作ではこのあたりの設定がどうなっていたのか、筋の単純化のための映画的作劇術なのかもしれないと思いながら、いささか釈然としません。

ただし、秋谷の切腹の場面を直接的に描かなかったのは良かった。原作を読んだとき死を美化する傾向を懸念(*2)しましたが、その点はうまく薄められており、監督の見識かな、と感じました。

(*1):映画『蜩ノ記』公式サイト
(*2):葉室麟『蜩ノ記』を読む~「電網郊外散歩道」2012年3月

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機種交換しないかと熱心な勧誘

2014年10月15日 06時03分45秒 | コンピュータ
当方、いまだにPHSを愛用しております。2001年の1月に購入したものを初代とするならば、10年後の2011年1月に更新したものが二代目で、現在ようやく3年目。すっかり使い慣れて、便利に使っております。用途としては、家族間あるいは職場との連絡、友人知人からやお店等からの連絡などの通話が中心で、メールのほうは妻との事務連絡がほとんどです。

そんな中で、珍しく届いた外部メールは、ウィルコムがどこぞに吸収合併されたお知らせとか、PHSからスマホへ機種交換しませんかとかいう勧誘でした。
自宅でも職場でも、常時パソコンの電源が入っていますから、わざわざ携帯でメールを送受信する必要はありませんし、だいいちそれほど頻繁に意味のあるメールなんて来はしません。来るのは宣伝メールくらいです。現役第一線を退きましたので出張も激減し、宴会の後の運転を避けて、ホテル泊がたまにある程度。それだって、車から部屋まで愛用のサブノート・パソコンを運べば、ブログ更新も巡回もメールの送受信も老眼鏡なしで可能ですから、手抜きメールくらいでは全く心は動きません。



そんなある日、我が家に大きな封筒に入ったダイレクトメールが届きました。ご丁寧に個人のフルネームが入った文面で、PHSを格安スマホに機種交換しませんか、というものでした。メールならば、さっと見てすぐ終わりになり、思い出すこともないのですが、印刷された紙のDMだと、ゴミ箱に入れない限りはいつまでも目につきます。少~し考えてしまいました。はて、今のPHSをいつまで使い続けることができるだろうか。今のうちに格安スマホに交換しておくのも、いいのかもしれない、などとちらりと心が動きます。

スマホ・ユーザーの娘に相談してみたところ、電池の持ちは段違いで、PHSが1週間以上持つのに対して、スマホのほうは一日くらいしか持たないとのこと。そういえば、職場の若い人たちの様子を見ていると、皆さん充電の機会に苦労しているようで、うっかり屋の私などは、いざという時に役立たないというおそれが充分にありそうです。うーむ、電話番号もメールアドレスも引き継がれるそうですが、便利さは今とほとんど変わらず、料金はわずかに上がり、電池の持ちが悪くなるだけ、という予想が成り立ち、むしろ条件は悪化します。やっぱり最後は電池の問題でしょうか。

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枝豆「秘伝」を練り込んだロールケーキは抜群に美味しかった

2014年10月14日 06時03分48秒 | 料理住居衣服
過日、某さんに美味しいロールケーキをいただきました。我が家の枝豆「秘伝」をあげたら、これを加えてロールケーキを作ってくれたものです。



比較のために、普通のロールケーキもいただいたのですが、もう別格! 濃厚な味、ツブツブ感が残る独特の食感など、だんぜん「秘伝」豆ロールケーキが美味しい! 思わず感動してしまいました。

山形県庄内地方には、「だだちゃ豆」という美味しい枝豆がありますが、内陸地方には「秘伝」という美味しい枝豆があります。我が家では、晩生種の枝豆はこの「秘伝」豆を栽培しております。

実は、後で妻も「秘伝」豆ロールケーキを試作してみたらたいへん美味しかったので、写真を掲載しようと思ったのですが、なんと掲載許可がおりず。無断掲載すると後がコワいので(^o^;)>poripori まことに残念ながら今回は割愛いたします。

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サトイモの収穫をする

2014年10月13日 06時05分30秒 | 週末農業・定年農業
台風19号の影響はまだないようで、秋晴れとなった週末の土曜日、老母が丹精した畑のサトイモを、老母と妻と三人で一緒に収穫しました。8月15日過ぎにマルチ栽培の黒いビニールを取り去り、追肥をしていたために、子イモが順調に生育しています。

参考までに、作業の手順をメモしておきましょう。
まず、サトイモの葉を刈り取ります。


次に、畝の両側を鍬で掘り、さらに株の根元の周囲を掘って掘り起こす準備をします。


鍬で掘り起こした株を、柔らかい土の上にドスンドスンと打ちつけると、子芋が取れてきます。


包丁で根っこなど不要な部分を切り取り、コンテナに集めます。


苗の本数で30本ほど植えた結果、コンテナで四個分が収穫できました。品種は「どだれ」というものだそうで、生育状況はたいへん良好です。山形名物の芋煮で、独特のぬめりのある味を楽しめそうです。

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イタリア合奏団のヴィヴァルディを聴く

2014年10月12日 06時03分44秒 | -室内楽
ヴィヴァルディの音楽をはじめて耳にしたのはいつだったのでしょうか。おそらくFM放送などでイ・ムジチ合奏団の「四季」あたりを聴いた1960年代ではなかったかと思います。当時のベストセラーで、LP売上ランキングのトップはこのレコードでした。20世紀に、長年埋もれていた作曲家ヴィヴァルディの再評価が行われ、多くの録音が世に出てきていたことが背景にあったようです。

ところが、当時のレコード雑誌等の風潮は、「似たような曲を何百曲も作った職人ヴィヴァルディ」といったような中傷が散見され、「運命・未完成」=素人、「四季」=ミーハー、という見方が定式化されておりました。学生時代のお小遣いでは、ランキングにのるような正規盤LPなどは滅多に買えず、結局はじめて買ったヴィヴァルディのレコードは、1982年に録音されたクラウディオ・シモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネツィのエラート盤でした。ミーハーに見られたくないという見栄で、ヴィヴァルディの「四季」を好んで聴いているなんて、ちょっと大きな声では言いにくかったものです(^o^;)>poripori



すでに十年以上前のことになりますが、DENON からクレスト1000シリーズで、イタリア合奏団によるヴィヴァルディの音楽がたくさん発売されました。例の「四季」を含む「和声と創意への試み」全曲が二枚組で、「調和の霊感」も「ラ・チェートラ」も「ラ・ストラヴァガンツァ」も、という具合です。これが、どれも演奏・録音ともに素晴らしいものでした。NHK-TVで、「シャルル・デュトワの音楽都市めぐり」とかいう番組で、赤毛の司祭ヴィヴァルディの素顔が紹介された(*1)ことや、近年は大島真寿美さんの『ピエタ』という本で、ヴィヴァルディの教え子たちが主人公となる物語に親しんだ(*2)ことなどもあって、近頃は堂々と「ヴィヴァルディの生き生きとした音楽がお気に入り」です、と言えるようになりました(^o^)/

イタリア合奏団によるヴィヴァルディの音楽は、単身赴任のアパートのミニコンポで、小音量で流してもそれなりに楽しめます(*3)し、自宅の比較的大型の装置でも、迫力ある合奏を楽しむこともできます。また、近代のオーケストラ音楽とは異なり、ダイナミックレンジの変化がさほど大きくありませんので、ロードノイズの大きい通勤の車中でも、溌剌とした演奏の魅力を、じゅうぶんに楽しむことができます。ここしばらく、「ラ・チェトラ」の二枚組を車に積み込み、音楽を楽しみながら、秋空の下、快適に通勤しております。

(*1):ヴィヴァルディは女学校音楽部の顧問の先生~「電網郊外散歩道」2005年9月
(*2):大島真寿美『ピエタ』を読む~「電網郊外散歩道」2011年7月
(*3):購入したミニコンポで試してみた結果(1)同(2)~NHK-FM「バロックの森」で協奏曲の発展を聴く~「電網郊外散歩道」2008年7月

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「Bun2」の2014年8月号と10月号を読む

2014年10月11日 06時03分44秒 | 手帳文具書斎
ステーショナリー・フリーマガジン「Bun2」は、たしか隔月刊になる前の、2006年の夏号(Vol.9)あたりから読み始めたと記憶しています。このときは、手帳の活用術を紹介するところに興味を持ち、2007年の2月号(Vol.10)からは隔月刊となって、毎号楽しみに読んでいます。

ところで8月号。「夏だ!ホビーだ!文具で遊ぼう!」というタイトルの特集ですが、あまりオジサンの文具ゴコロを動かすものではなく、記事にするのは見合わせておりました。しかしながら、10月号は創刊10周年になるのだそうで、もしかすると当ブログと同い年なのでは?! それならば、せめてお祝いの一言も言わなければ、と思い至った次第。

今号の特集は、予想どおり「2015年版注目手帳ずらり」という題で、季節の風物詩となり季語にもなろうかという勢い(^o^;)の手帳商戦の一角を飾る内容です。うーむ、当方は来年三月までのダイアリー・リフィルを購入し、愛用のシステム手帳にセットすればオシマイですので、いくら世間が手帳選びに賑わっても、あまり関係はありません。むしろ、「文具黄金時代のレジェンド文具」という対談が面白かった。年代で言えば2006年から2007年、ジェットストリームが出てフリクションボールが出て、「オジサン」たちがボールペンを自分で買うようになったことを指摘しているあたり、まさに自分の感覚・記憶とピッタンコ一致します。あとは、「バイモ11」や「直線美」など、従来からあるものを見直すという製品開発の流れを指摘するあたりも、同感です。

(*1):手帳とバッグ~楽しくも悩ましい問題~「電網郊外散歩道」2006年9月

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吸入ステロイド使用後の「うがい」は

2014年10月10日 06時05分44秒 | 健康
長引く咳に疑問を持ち、呼吸器科の医師の診察を仰いだところ、咳喘息だとのことで吸入ステロイドを処方されたら、夜も眠れないほどの咳がピタリと止まりました。ありがたいことです。
吸入ステロイドを使用する際の説明では、使用後はうがいをしっかりすること、と言われました。うがいをしないと、カビのために口の中が真っ白になることもあるのだそうで、そんなふうに脅されたら、うがいを「しっかり」するとはどういうことかと疑問を持ってしまいます(^o^)/

コップ一杯:200mlの水でうがいをするとします。うがいをした後に、仮に口中に10mlの水分が残ると仮定すると、うがいの仕方で洗浄効果はどう違うのか。ごく粗っぽくシミュレーションしてみると、次のようになります。

(1) 100ml×2回に分けてうがいをする場合
 100mlの水でうがいをした後に10mlの水分が残ると、残存する吸入ステロイドの濃度は1/10になっています。これをさらに100mlの水でうがいをするわけですので、10/110=1/11になります。したがって、二回のうがいでは、

1/10×1/11=1/110

になります。
(2) 50ml×4回に分けてうがいをする場合
 50mlの水でうがいをした後に10mlの水分が残ると、残存する吸入ステロイドの濃度は1/5になっています。これをさらに50mlの水でうがいをすれば、10/60=1/6の濃度になります。3回目のうがいではさらに6/1になり、4回目でさらに1/6になりますので、全体としては

1/5×1/6×1/6×1/6=1/1080

になります。

このように、多めの水で回数が少ないうがいよりも、少なめの水でも回数を多くしたほうが、効率よく余ったステロイドを洗い流すことができる、ということになりそうです。「しっかりうがいをする」と抽象的に言うよりも、1回のうがいの回数を分けてよく洗い流せ、と指示する方が具体的でしょう。

おかげで、口内炎も白カビも縁がなく、なんとか咳喘息と円満に付き合っております(^o^)/

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太字のシグノは毎日使ってやらないと機嫌が悪くなるらしい

2014年10月09日 06時01分18秒 | 手帳文具書斎
太字のシグノがかすれてしまう件(*1)、どうやら顔料ゲルインクを使用しているために、しばらく使わないで放置すると、顔料が一方に沈殿してしまうためらしい。では、続けて書いているうちに、インクの沈殿していない部分に到達し、復活する可能性があるのではないかと考え、試してみました。方法は、ひたすらグリグリとらせんを書き続けること。不要なメモ用紙の裏表に書き続けたところ、かすれが出なくなり、再び太字のブルーブラックが復活しました。

ふーむ。毎日続けて書いていればインクが動き、沈殿しにくいのかもしれない。物理的に沈殿しやすいという性質を持っている顔料ゲルインクは、毎日とにかく使ってやることが必要なのかもしれない。毎日ほどよくお付き合いしてやらないとご機嫌を損ねるところをみると、もしかしたら「お局様」あるいは「女王様」タイプなのでしょうか(^o^)/

通常筆記に使う細字のペンならば、問題は顕在化しにくいのかもしれませんが、たまにしか使わない「宛名書き」用の太字という用途は、顔料ゲルインク・タイプには適さないのかもしれません。

(*1):書けなくなったボールペン~インク・リフィルは期限あり~「電網郊外散歩道」2014年9月

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モーツァルト「ディヴェルティメント第1番」ニ長調K.136を聴く

2014年10月08日 06時05分55秒 | -室内楽
先の東沢バラ公園における山形弦楽四重奏団の演奏会でオープニングを飾った曲目、そして山形弦楽四重奏団の第53回定期演奏会のアンコールで演奏された曲、ディヴェルティメント第1番ニ長調K.136を聴きました。16歳の若いモーツァルトの作品は、必ずしも娯楽作品という位置づけではなくて、初期のシンフォニーとみなされることもあるのだとか。たしかに、弦楽アンサンブルで演奏しても美しく楽しい音楽です。これを弦楽四重奏で演奏すれば、音楽のエッセンスを再現するというだけでなく、最もシンプルな形で音楽の美質を受け止めることができます。

第1楽章:アレグロ、ニ長調、4分の4拍子、ソナタ形式。曲の出だしがなんともわくわくするような始まりで、イタリア風序曲と言われても納得してしまいそうです。
第2楽章:アンダンテ、ト長調、4分の3拍子。実に愛らしく、やわらかな響きです。長く伸ばす第1-Vnの音に、モーツァルトお得意の、長く伸ばすオーボエの響きを連想したりします。とてもチャーミングな音楽です。
第3楽章:プレスト、ニ長調、4分の2拍子、ソナタ形式。リズミカルな動機に始まり、速いテンポで、最初の明るい主題が奏されます。途中、追いかけっこをするような複雑なところもありますが、全体は軽やかに終わります。

車中で、あるいは自宅のPC-オーディオで聴いているのは、ウィーン八重奏団員によるカルテットで、ロンドン・レコードにより、1961年4月に収録されています。型番は K30Y-1535 というもので、1987年頃のキングレコードのベリー・ベスト・クラシック・シリーズ中の一枚。現在は2014年ですから、すでにパブリック・ドメインになっているのかもしれません。私のは、友人に贈られた記念の品で、当時は高価だった正規盤です。

参考までに、演奏データを示します。
■ウィーン八重奏団員
I=3'56" II=3'58" III=2'36" total=10'30"



YouTube にも、たくさんの演奏が登録されております。昔の有名な演奏家の録音もあれば、現代の若手の生き生きとした演奏などもあります。おそらく、曲があまり長くなく、YouTube むきの適度な時間なのでは、と推測しています。

Mozart - Divertimento in D major KV 136


あるいは、第3楽章ですが、こんなに元気な演奏もありました。

Mozart - Divertimento K. 136


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筆記具とノートに関わる話題をいくつか

2014年10月07日 06時04分46秒 | 手帳文具書斎

ハイカラな輸入文具の話題などはかけらもない、田舎の文具店で入手できる範囲内での、筆記具とノートに関わる話題をいくつか。

  • パイロットの G-knock の赤(0.7mm)インクが切れましたので、替え芯を購入してきました。赤ボールペンは三菱のパワータンク(PowerTank)の1.0mmが主体とはいうものの、校正・訂正用としてときおり手にすることがあります。2005年からですので、まる7年使ったことになります
  • 三菱のジェットストリーム(Jetstream)ラバー軸のガンブラック(1.0mm)が手垢で汚れてしまっています(写真上)ので、例によって石けんで洗いました。汚れがきれいに落ちて(写真下)、手に持つときの気持ちよさが復活しました。
  • ツバメノートのA5判100枚のものを見つけ、2冊ほど購入してきました。これで、万年筆のインクの裏抜けや裏写りの心配なく、備忘メモ、書籍や総説等の摘要、演奏会の記録など、安心して書くことができます。いきつけの文具店がツバメノートを常備してくれるようになったのは、たいへん嬉しいことです。

いくつかの文具ブログで、くしくも「たまりすぎた在庫ノートをどう使うか」という話題で記事にしています。いたって無粋な当方の使い方とはだいぶ違って、「カワイイ系」のノートが中心のようですが、参考になる面も少なくありません。例えば猫町フミヲさんの「無罫フォント」で「ギャザリー掲載のお知らせ(衝動買いしたノートの使い道)。」という記事にリンクされている「そのノート、何に使う?衝動買いしたノートの使い道」というページがおもしろいですし、最近たまたま知った「ぽかろぐ」でも「ノートの使い道」という題で紹介しています。

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山響第23回モーツァルト定期でヴァイオリン協奏曲第2番と交響曲第41番「ジュピター」他を聴く

2014年10月06日 19時50分32秒 | -オーケストラ
午後の時間帯に某家の結婚披露宴に出席した後で、会場まで妻に車で迎えに来てもらい、急いで山形テルサ・ホールに向かいました。当方、酔っぱらうと眠くなる人畜無害タイプ(^o^;)ですので、なんとかプレトーク前に会場に到着できたものの、体内をアルコールがめぐり、座席についたとたんに眠気が襲います。飯森範親さんのプレトークも、いわゆるモーツァルト定期、交響曲全曲演奏定期演奏会「アマデウスへの旅」を皆勤だったお客さんがけっこういらしたあたりは覚えていたものの、まことに申し訳ないことながら、ほとんど記憶がありません(^o^;)>poripori



本日のプログラムは、

(1) モーツァルト 交響曲第17番 ト長調 K.129
(2) モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ長調 K.211、小林美樹(Vn)
(3) モーツァルト 交響曲第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」
   飯森範親指揮、山形交響楽団

というものです。お客さんの入りは、左右の前から二列くらいは空いていましたが、ほかは開演前にはほぼ埋まり、まずまずの状況ではなかろうかと思います。

前半二曲は、生で演奏を聴くのは珍しいケースでしょう。特にヴァイオリン協奏曲は、CDでも全集以外にはあまり目にしないレアなものです。にもかかわらず、今日の体調は万全とには程遠い。まあ、浮世の義理ですので、仕方がありませんが。

一曲目、交響曲第17番。
楽器編成は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは対向配置で、8-8-6-5-3 の弦楽群にFg(1)がチェロを補強し、Hrn(2)とOb(2)が加わります。ザルツブルグ時代、イタリア旅行を思い出して作った曲なのでしょうか。アルコールとともに眠気が襲い、演奏する皆様には申し訳ないことながら、ひたすら快適にうつらうつらしながら聴いておりました。

続いてヴァイオリン協奏曲です。6-6-4-3-2 の弦楽群にHrn(2)とOb(2) そして独奏ヴァイオリンという、室内オーケストラの規模での演奏です。きらきら光る濃青色のドレスで登場した小林美樹さんは、スラリと背が高い、若いステキなお嬢さんです。第1楽章では、とにかくソロが活躍する場面が多いわけですが、実にのびのびと演奏しています。ナチュラル・ホルンの準備が終わり、オーケストラの見事な全奏で始まる緩徐楽章では、独奏ヴァイオリンはけっこうヴィヴラートをきかせたつややかな音色です。編成を小さくしたオーケストラも、繊細に反応してモーツァルトの音楽を響かせます。でも、速い終楽章ではヴィヴラートは目立ちません。このあたりの按配は、独奏者として効果を考えたものでしょう。酔っ払いの耳には、ひたすら快適に、至福の音楽として聞こえました(^-^)/

15分の休憩時に、ホワイエでオレンジジュースを注文し、だいぶ目が覚めてきました。今回の目玉、後半の交響曲第41番「ジュピター」です。楽器編成は、8-8-6-5-3 の弦楽器に加え、Fl(1),Ob(2),Hrn(2),Fg(2),Tp(2),Timp というものです。
第1楽章、低弦で入りを強調して力強さを演出します。木管のポコポコポコポコも活発で楽しい。第2楽章、弦の音色が、肌触りの良い布地のようです。転調を導く管楽器の音色も、よくブレンドされたハーモニーを聴かせます。第3楽章、メヌエット。バロック・ティンパニが、バックで軍楽ふうに活躍しているのですね。何度も繰り返し聴いているはずの音楽なのに、今更のように認識しました。Fl、Ob、Fgのアンサンブルがお見事! 弦楽器も全体として優雅さを聴かせながら、低弦パートが力強さを表現します。第4楽章:モルト・アレグロ。速すぎないテンポと言ってよいのでしょうか。柔らかく、かつ堂々としたナチュラル・ホルンの音は、実にいいですね~。トランペットが堂々とした曲想に輝きを加えます。三重フーガのところも、実に見事にクリア、この「ジュピター」交響曲の醍醐味を満喫しました。

総体として実に素晴らしい演奏。とくに「ジュピター」交響曲は良かった~。ほんとに素晴らしかったと思います。8年間、ずっと聴いてきて良かった。





終演後のファン交流会では、少しだけ話を聞くことができましたが、酔っ払いは早く帰って寝せるに限ると、優しい妻は雨の中で車を飛ばし、当方は風呂に入ってバタンキューでした。今朝まで爆睡8時間半、ついに恒例の翌朝の演奏会レポートはできませんでしたが、夜までになんとか思い出して仕上げることが出来ました。

しかし、酔っぱらっても楽器編成をしっかりと確認するあたり、いったいどういう根性をしているんだろう、と自分で自分が不思議です(^o^)/wa-o

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今年の最後の備忘録ノートを用意する~手書きの効用

2014年10月05日 06時09分05秒 | 手帳文具書斎
残りページ数が少なくなった備忘録ノートを新しくする必要がありますが、さて、どのノートを使いましょうか。在庫がなければ考えるまでもありませんが、何種類もあると、その中から何を使おうかと考えるのも楽しみの一つです。選択肢は四つあります。
(1) コクヨ キャンパス・ハイグレード澪 A5判80枚
(2) コクヨ キャンパスノート A5判50枚
(3) ツバメノート A5判50枚
(4) ツバメノート A5判100枚
うーむ。今のノートは、7月1日からほぼ三か月かけて使い切ろうとしていますので、50枚では残り三か月、12月末まで持たないおそれがあります。ここは、多少の余りが出るのは気にしないで、今まで通りキャンパス・ハイグレード澪のA5判80枚で継続するのが、後で本棚に並べた時に、年間の一貫性があってよさそうです。

ここ数年、年間3冊ですんでいたのが年4冊に増えてしまいました。「歴史技術科学」カテゴリーの新設などにより、参考にした雑誌や本の摘要など、まとまった筆記量が増加したのが原因でしょう。雑誌に掲載された記事などは、コピーをしただけで安心してしまい、無駄にファイルの厚みが増えていくだけになりがちですが、読んだ内容を簡潔にノートにまとめていくと頭に入り、記憶にも残り、関連性などに発見もあります。このあたりは、手書きの効用のひとつだと思います。

さて、本日は某家の披露宴におよばれしており、その後、山響のモーツァルト定期に直行する計画でおりますが、はたして間に合うか?

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岳真也『幕末外交官~岩瀬忠震と開国の志士たち』を読む(2)

2014年10月04日 06時04分54秒 | 読書
岳真也著『幕末外交官~岩瀬忠震と開国の志士たち』の続きです。

第6章:「日米修好通商条約」。交渉の過程では、開港する港の数が問題となりますが、岩瀬は大阪を除外し横浜を開港する案を主張し、ハリスもこれを了承します。ところが、国内に問題が浮上します。朝廷に認めてもらう必要がある、というのです。帝の勅許を得るべく、堀田正睦や川路聖謨とともに京に上りますが、案に相違して勅許は得られず、将軍継嗣問題が絡んだ権力争いの様相を呈してきます。この争いは紀州派が勝利し、将軍世子は慶福に、大老は井伊直弼に決まりますが、英仏の連合軍が清に勝利した情勢に後押しされ、渋々ながら条約調印の方針やむなしと認証されます。

第7章:「安政の大獄」。将軍継嗣問題に絡む紀州派と一橋派の対立は、一橋派への粛正という形で現れます。アメリカとの条約調印に続き、日蘭、日露、日英間の条約が調印され、日仏間の交渉も先が見えた時点で、いわゆる安政の大獄が起こり、岩瀬忠震は永井尚志とともに最も重い「永蟄居」という罰を受けます。要するに、井伊直弼は決して開明派というわけではなくて、自分の気に入らんヤツは用が済んだらポイ、という処置です。

終章:「士たちの最期」。プロシアとの条約交渉の犠牲となった堀利煕、衰弱し43歳で病没する岩瀬忠震。旧態依然たる組織の中で、変革をなした幕末の外交官の姿は、たしかに開国の志士と呼ぶにふさわしいものでしょう。



高杉晋作や坂本龍馬など、幕末の志士たちの人気は大きなものがありますが、近年は『龍馬がゆく』などの作品によって高まったものでしょうし、さらに言えば明治の国定修身教科書で取り上げられることによって作られたイメージがもとになっているとのこと。日米修好通商条約が、不平等条約として不備な点があったことは確かでしょうが、幕末期の幕府側の外交交渉はかなりしたたかに、上手に行われたという印象を受けます。後の薩長藩閥政府が、すぐに武力にうったえようとする傾向があったのに比較すると、だいぶ成熟度が違うように感じてしまいます。

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岳真也『幕末外交官~岩瀬忠震と開国の志士たち』を読む(1)

2014年10月03日 06時05分48秒 | 読書
幕末における開国のいきさつについては、ペリーの来航とその対応について描かれることが多く、吉村昭『海の祭礼』では、通詞の森山栄之助の英語力が、単身で日本に渡航したアメリカ人ラナルド・マクドナルドとの友情に負うものであることや、同『黒船』では、英会話の力では森山栄之助に一歩譲ったけれど、英学者として英和辞書の編纂に尽力した堀達之助の生涯など、多くの著作が発表されています。それに対して、幕府内にあって外国奉行としてハリスと日米交渉にあたった当事者の物語を読んでみたいと思っておりました。念願かなって見つけたのが本書で、岳真也著『幕末外交官~岩瀬忠震と開国の志士たち』(作品社、2012年11月刊)です。

この物語の構成は、次のようになっています。

序章  いざポーハタン号へ
第1章 海防掛を命ぜられた日
第2章 それぞれの胎動
第3章 外交の初舞台
第4章 アメリカ国使ハリス
第5章 日本を「東洋のイギリス」に
第6章 日米修好通商条約
第7章 安政の大獄
終章  士たちの最期

簡単におさらいしてみると、次のようになりましょう。

序章では、ペリーとの間に日米和親条約は結んだものの、貿易の取り決めはしていないとして、アメリカの国使タウンゼント・ハリスが来航し、条約への調印を迫ります。なんとか引き延ばしを図ろうとする幕閣に対し、外交の責任者である全権の井上清直と直接の担当者である岩瀬忠震(ただなり)は、自らの責任で条約に調印します。ペリーとの和親条約が鎖国の終わりの象徴とすれば、開国の実質的な始まりです。

第1章:「海防掛を命ぜられた日」。岩瀬忠震が老中・阿部伊勢守正弘に抜擢され、海防掛目付に任ぜられる場面から始まります。岩瀬と従兄弟どうしである堀利煕(としひろ)、そして同僚の永井尚志とともに、それぞれの立場・任地から、欧米列強の外圧からいかに国(幕府)を守るかを語り合います。

第2章:「それぞれの胎動」。ペリーの二度目の来航で、嘉永七年に日米和親条約が締結されます。見習い中の岩瀬忠震は、それらの文書に目を通すことができましたが、通商条約締結を拒む幕府の姿勢に疑問を持ちます。従兄弟の堀利煕は蝦夷地巡検使として出発、水野忠徳や永井尚志は長崎の海軍伝習所設立に奔走します。江戸に残る岩瀬忠震は、持論を鮮明に掲げ、川路聖謨らの先輩たちと議論を交わし、岩瀬の存在がしだいに大きくなってきます。

第3章:「外交の初舞台」。とはいうものの、理念だけでは現実は変わりません。蝦夷地で堀利煕が目にしたのは、アイヌの民が酷使される姿でした。プチャーチンが乗り組むロシア船ディアナ号が、安政の大地震による津波で大破し、条約交渉とともに洋式艦船の建造が始まります。岩瀬は、条約交渉もさることながら、小型の帆船建造に熱心です。

第4章:「アメリカ国使ハリス」。タウンゼント・ハリスは、生粋の外交官ではなく、ニューヨークの教育局長などの経歴もありますが、もともとは貿易商です。アジア貿易によって知識と経験を積み、日本に着目して日本総領事を志願したのでした。したがって、ペリーと違い、恫喝よりは交渉、世界の情勢をサムライたちに教えながら、根気強く語り合います。ハリスと岩瀬や井上信濃守清直たちの信頼関係は、貴重なものでした。租法を楯に決断できない上司、攘夷を唱える大名たちが、困難を倍加させます。

第5章:は、日本を「東洋のイギリス」に、というタイトルです。岩瀬は、幕府外交のキーマンの一人として、縦横に活躍しますが、それも上司である老中・阿部正弘が病没してしまい、後任の堀田正睦のもとでは勘定方と目付方との対立が顕在化します。結果的には、堀田は目付方の意見すなわち岩瀬案の採用を決断して、日米修好通商条約の交渉が始まります。



幕府側の外交交渉は下手で、外国の言いなりになって不平等条約に押し付けられた、と日本史では習ったはずでしたが、どうしてどうして、そんな単純なものではありません。物語としても、なかなかおもしろい。本日は前半まで。

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山形弦楽四重奏団第53回定期演奏会で「ハイドン・セット」の後半3曲を聴く

2014年10月02日 19時27分02秒 | -室内楽
平日の水曜日の夜、山形市の旧県庁・県会議事堂からなる国指定重要文化財の一つ、文翔館議場ホールにて、山形弦楽四重奏団の第53回定期演奏会を聴きました。



今回のプログラムは、前々回の第51回定期演奏会に続き、モーツァルトの弦楽四重奏曲「ハイドン・セット」全曲演奏の第2回となり、第17番~第19番の3曲を取り上げます。

例によって、18時半からプレコンサートがありました。渡邉奈菜さんのヴァイオリン、田中知子さんのヴィオラで、モーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲」第2番、変ロ長調K.424です。最初は曲名がわからずにいましたが、チケットに表記があるのにようやく気付きました(^o^)/osoi~

19時少し前に、今回の担当の茂木明人さんが黒いシャツにピンクのネクタイ姿で登場し、少し話をしました。前に担当した中島光之さんが、モーツァルトとハイドンのかかわりについて書いてしまったので、プログラムノートに何を書いたら良いのか、たいへんプレッシャーがあった話から始まり、今日はハイドンとモーツァルトの幸せな出会いの音楽を、四人のメンバーが幸せな音楽として再現したいとまとめます。

1曲目:弦楽四重奏曲第17番、変ロ長調、K.458 「狩」。有名曲ですので、これまでも何度か演奏したことがあるのかもしれません。軽快で溌剌とした音楽、演奏です。とくに最初の第1楽章の始まりが、アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイの指示のとおりに、晴れやかなオープニングとなりました。これでぐいっと音楽に引きこまれます。1784年に作曲されたものらしい。

2曲目:弦楽四重奏曲第18番 イ長調、K.464。1785年に作曲されたものらしい。やや渋めの音色で始まる曲のせいか、ニックネームは付いていませんが、充実した音楽です。

(10分休憩)


3曲目:第19番ハ長調「不協和音」。当方の本日期待の曲目です。第1楽章:出だしの不協和な音が愛称の由来でしょうか。チェロの音が迫力をもって迫ります。第2楽章:アンダンテ・カンタービレ。チェロ・パートの対旋律などは、小型スピーカで小音量で楽しんでいるだけでは知り得ない、低音の魅力です。第3楽章:メヌエット。実験的な性格を随所にちりばめた曲の中でも、興の趣くままに書き上げたような音楽ですね~。第4楽章:アレグロ・モルト。アンサンブルは緊密で、楽器がよく鳴っていて、ほんとにカルテットを聴いたぞ~という感じでした。良かった~!

アンコールは、同じくモーツァルトの「ディヴェルティメント第1番」K.136から、第3楽章。「ハイドン・セット」と比べると、なんと屈託のない、若々しい音楽でしょうか。



ほんとにモーツァルト尽しの一日でした。帰りの車中は、偶然にも、まさにこのモーツァルトの「ディヴェルティメント」から、第17番と第1番を聴きながらとなりました。

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