電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ブログ記事の寿命

2012年07月16日 06時05分07秒 | ブログ運営
ブログのアクセス解析ができるようになって、あらためて感じることがあります。それは、過去の記事へのアクセスがかなりあるということです。

例えば、ある時期になると銀鏡反応に伴う爆発事故に関する記事(*1)がよく読まれますが、これはおそらく中学や高校の科学部あたりで、文化祭での実験テーマを考えているうちに、検索によってたどり着いたのだろうと思います。あるいはまた、動噴の使い方(*2)や、フルニエとジョージ・セルとベルリンフィルの組み合わせによるドヴォルザークのチェロ協奏曲(*3)、ボロディンの「愛妻に捧げる夜想曲」の記事(*4)等も、かなり長く継続して読まれているようです。

流行の Twitter や Facebook などのソーシャル系では、投稿後の数時間で、フォローが途絶えてしまう傾向があるとのこと。それと比較すると、ブログというのは、予想以上に、じっくりと読まれる性格の記事に適しているのかもしれないと思います。何年も前に書いた過去の記事に、新たにコメントをいただくというのは、実は記事を書いた者にとっては勲章のようなものなのかもしれません。

(*1):高校文化祭における銀鏡反応の爆発事故について~「電網郊外散歩道」2005年10月
(*2):スプレーヤー修理と動力噴霧器の使い方~「電網郊外散歩道」2009年3月
(*3):カール・ライスターの「一番印象深かった録音」~「電網郊外散歩道」2005年5月
(*4):愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く~2008年7月

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たくきよしみつ『3・11後を生きるきみたちへ』を読む

2012年07月15日 06時04分14秒 | -ノンフィクション
岩波ジュニア新書で、たくきよしみつ著『3・11後を生きるきみたちへ~福島からのメッセージ』を読みました。著者は、朝日新聞の be での連載などで名前は承知していましたが、著書は初めて読みます。福島県川内村に在住ということで、福島原発事故の体験記として興味を持ち、手にしたものです。

本書の構成は、次のとおりです。

はじめに
第1章 あの日、何が起きたのか
第2章 日本は放射能汚染国家になった
第3章 壊されたコミュニティ
第4章 原子力の正体
第5章 放射能より怖いもの
第6章 エネルギー問題の嘘と真実
第7章 3・11後の日本を生きる
あとがき

第1章は、3月11日の大地震の後、福島第一原発の非常用電源喪失のニュースから15日の爆発を契機に、福島県川内村から著者が車で避難する場面に始まります。当時の状況が、体験したことも併せて描かれます。
第2章は、放射能、放射性物質、放射線、外部被曝と内部被曝など、原子力に関する基礎知識です。説明は端的でわかりやすく、ジュニア向け新書という性格が現れています。
第3章は、川内村を中心として、テレビ映像では語られない、村人の本音を織り込みながら、コミュニティが壊されていく様子が描かれます。
第4章は、原子力発電の本質についてとともに、核燃料サイクルやプルサーマル計画と、原子力政策についての章です。福島県の前知事が、自民党・保守本流にいた人なのに、原発政策に抵抗を試みたら汚職疑惑で職を追われたことも書かれています。そうしたら、現知事は原発推進派として当選したことになりますが、なんと皮肉なめぐりあわせでしょうか。
第5章では、除染と除染ビジネスの問題点を指摘しつつ、国策としての原子力政策のこわさが述べられます。命の質とは、すなわち普通の生活の価値ということでしょう。安全な数値と引き換えに日常生活の質を失ってしまったら、価値ある生と言えるのか、ということだろうと思います。
第6章では、エネルギー問題について、通説となっているものの嘘を指摘します。例えば水素エネルギー。あるいは「再生可能エネルギー」という考え方、石油が枯渇すれば「自然エネルギー」も使えなくなること、などです。
第7章では、結論として、バランスのとれた生き方でマイナス成長時代を楽しみ、「田舎で起業」をすすめています。このあたりは、いかにも「たぬパック」著者らしいところでしょう。



著者は、二酸化炭素と地球温暖化についても、嘘だという考え方に立っているようですが、電力業界が後押ししていたからといって、地球温暖化まで否定してしまうのはいかがなものかと思わぬでもありません。しかしながら、全体としてはわかりやすく、考えさせられる本です。福島県の知事さんの、皮肉な運命のめぐりあわせなど、思わず考え込んでしまいます。

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ハイドン「弦楽四重奏曲第65番(Op.64-3)」を聴く

2012年07月14日 06時01分06秒 | -室内楽
通勤の音楽として、ハイドンの弦楽四重奏曲第65番変ロ長調(Op.64-3)をしばらく聴いた後も、自宅でパソコンに取り込み、ブログ等の閲覧時などに流しておりました。エステルハージ侯爵家の楽団にいたヴァイオリン奏者、ヨハン・トストが楽長ハイドンに依頼して作られたという第3トスト四重奏曲6曲の中でも、まことに明るい曲調の作品で、いかにもハイドンらしい音楽です。演奏はコダーイ・クヮルテットで、1992年4月にブダペストのユニタリアン教会で収録された、NAXOS のデジタル録音(8.550673)です。

この曲について、CDに添付のリーフレットには、次のような解説がありました。

The lively first movement of the third quartet, in B flat major, has a principal subject followed by an insistent repeated rhythm introduced by the cello and at once taken up by the other instruments. The E flat major slow movement has a central section in E flat minor, followed by the return of the opening section in varied form. The repeated Minuet frames a Trio with unusual syncopation and the succeeding Finale again demonstrates the infinite variety of which Haydn is capable, within the restrictions of the established form.

だいぶ怪しいのですが、例によって超訳してみました(^o^;)>poripori

第3番目の弦楽四重奏曲の、変ロ長調の生き生きとした第1楽章では、主要主題がチェロとすぐに他の楽器により開始される執拗に繰り返されるリズムに続きます。変ホ長調の緩徐楽章には、様々な形で初めの節にもどり後に続く、変ロ長調の中心的な節があります。メヌエットは、風変わりなシンコペーションを伴ってトリオ部に進み、続くフィナーレでは、ハイドンが確立した様式の制限の中で可能な、無限の多様性を再現してくれます。

うーむ。なんだかわかったようなわからないような(^o^;)>poripori
section って、楽譜上でも「節」で良かったのだろうか?このあたり、素人音楽愛好家には手も足も出ません。やっぱり自分で聴くに限ります。

第1楽章:ヴィヴァーチェ・アッサイ。f と p が交代する主題の後に、なんとも楽しい反復するリズムが続きます。いかにもカルテットらしい見せ場(聴かせどころ?)がたっぷりあって、思わず体を動かしながら聴いてしまう音楽です。
第2楽章:アダージョ。mezza voce で始まる緩徐楽章です。この指定は、「声量を落とし、やわらげた声で」という意味だそうです。なるほど、途中に効果的な転調をはさみながら、そっと優しく歌われる音楽になっています。
第3楽章:メヌエット、アレグレット。あくまでも優雅な音楽。擦弦楽器なのに、ギターかマンドリンのように短めに奏されるのが特徴的です。
第4楽章:アレグロ・コン・スピリト。第1ヴァイオリンの動きが目立って活発となりますが、たとえば G.P.(たぶん全休止) のあとの dolce の指定のあたりからのように、第2ヴァイオリン~ヴィオラ~チェロも緊密なアンサンブルを展開し、フィナーレとなります。このあたりは、弦楽四重奏の楽しさです。



ハイドンの弦楽四重奏曲は、調べながら記事にするのはなかなかたいへんですが、それだけに楽しみも深まるようです。大人の音楽のように感じます。

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今年は梅をたくさん収穫できたので

2012年07月13日 06時01分00秒 | 週末農業・定年農業
一昨年、かなり強く剪定した梅の実が、今年はたくさんつきました。だいぶ成長してきましたので、人間ドックの前後に、少しずつ時間の合間にみて収穫しました。意外にも、だいぶ大量に収穫がありました。一本の木から、このコンテナで六個分ですから、数十kgといったところでしょう。



とてもじゃないけど、梅干しや梅酒で自家消費するには多すぎます。



せっかくの梅をそのまま捨てるのももったいないので、農協に問い合わせると、出荷を受け付けているとのこと。それならば、どなたかの役に立つだろうと、大急ぎで箱を買ってきて、箱詰めして出荷しました。週末農業を始めてから、梅に関しては初めての出荷かもしれません。少しずつ生産農家らしくなってきています。

【追記】
自宅裏にあるこの梅の品種は、「節田」というのだそうです。皮が薄く柔らかく、梅干しにしてから種を取り、梅肉をペースト状にしてカツオブシを混ぜていただくと、たいへん美味しいものです。お茶漬けの上にちょこんと載せると、たまらない美味になります。

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岩波新書で『飯舘村は負けない』を読む

2012年07月12日 06時05分33秒 | -ノンフィクション
福島原発事故で全村が避難することとなった、福島県飯舘村の現状を、福島大学のベテラン教授、千葉悦子、松野光伸のお二人がレポートした岩波新書『飯舘村は負けない』を読みました。「土と人の未来のために」という副題を持つ本書は、もともと村をフィールドとして研究を続けてきた社会学と行政学の二人の研究者が、激変する村の姿を、震災以前の村の多彩な取り組みを含めて描いたものであるだけに、原発事故によって村民と自治体がどのように苦しんでいるかがよくわかります。

構成は、次のようになっています。

第1章 村に放射能が降った
第2章 村はどう対処したか
第3章 村づくりのこれまで
第4章 なりわいを守りたい
第6章 一人ひとりの復興へ

章ごとにコメントすることはとてもできませんが、研究者らしい視点は随所に見られます。例えば、噴火で全村避難となった三宅村の村長さんに聞いた話として、島に戻ったとき職員が50人いなくなっていたことを紹介し、飯舘村の村長さんは、役場職員に意を用いていかないと大変なことになると思い、人間ドックを全員に受けさせたとのことです。

難局を乗り切るためには、役場の職員に頑張ってもらわなければなりませんが、やはり人間ですから頑張るにも限度があります。ところが、住民にはそこがわかってもらえません。私は、挨拶のたびに、「うちの職員はこれほどやっています」という話を必ずしますけれども、住民には、今でも理解されませんね。だけど、そうやって住民に理解を求めていかないと、職員も、やる気がなくなってしまうので、今は職員の労働条件の維持に重きを置いています。(p.64)

このあたりは、津波で職員を多数失った三陸沿岸の役場の例を見ても、よく理解できます。

また、村の様々な取り組みには、「までいライフ」のように、「までい」という方言が頻出します。「までい」とは、「手間ひまを惜しまず」「丁寧に」「時間をかけて」「心を込めて」といった意味があるそうで、漢字を当てれば「真手」と書くのだそうです。(p.101)
説明されればわかりますが、それまではチンプンカンプンで、どこか東北を舞台にした時代劇で捕方が犯人に「までい!」と声をかける場面を連想しておりました(^o^;)>poripori
それにしても、「スローライフ」を「までいライフ」と訳したのは、実にぴったりの翻訳であると感心します。

3月15日の水素爆発から4月11日の計画的避難区域の指定、そして4月~5月の全村避難と、実際には数ヶ月かかりました。実測された 44.7μSv/h という数値は異常ですし、3月の時点でIAEAの避難基準の二倍に達していたのですから、避難が遅れたことは否めないでしょう。むしろ、健康手帳の作成が重要な点だと思います。亡父が救援に入ったヒロシマで被曝したことを裏付けるには、三人の戦友の証言が必要でしたが、遠く離れた山形の地で、三人の証言を得ることは困難でした。偶然の機会がなければ、被爆者の認定は行われなかったことでしょう。同様に、高濃度被曝による健康障害のおそれがあるときには、飯舘村で居住し生活していたことを証明するものが必要になってくるからです。この健康手帳は、そんな時に役立つ可能性があります。大切な取り組みだと思います。

さて、村で生活するということは、先祖代々受け継がれてきた土地や暮らしを次代に受け継いでいくことでもあります。よく耕され、有益な微生物や昆虫などが生息する土壌は、単なる砂や粘土とは違います。同じ面積の荒地を与えられても、同等の肥沃な土壌となるまでには、長い長い年月がかかってしまうことでしょう。週末農業ながら、土と接する生活をしてみて、先祖から受け継ぐ田畑の土が実に多くの努力の産物であることを痛感しています。そのため、表土をはがし除染を進めるという施策の方向に複雑な思いを持ってしまう人の気持ちがよくわかります。

報道で、二年で村に帰るという方針を聞いたとき、正直言ってやや唐突な印象を受けました。村民の考えも様々だったようで、このへんの施策も、一方的なリーダーシップでは片付かない。現実に即した、様々な意見の集積の上に立って方向性を打ち出さなければいけないのでは、と思います。その意味で、地方政治、自治のあり方が問われるところでもあります。事実に徹し、評価や意見を抑えた著者の姿勢は、ドキュメンタリー映画のようです。

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机のありがた味

2012年07月11日 06時05分49秒 | 手帳文具書斎
日頃はまったく意識しないのですが、人間ドックに入ると、病室にはベッドはあっても机はありません。ビジネスホテルにも机はあるのに、病室には机がない。入院するのは病気だからなのですから、当然のことなのですが、かなり愕然とします。本を読むにも書き物をするにも、机がないと不便です。これは、実際に病気になって入院するはめになったら、不便でしかたがなかろうと考えるあたりは、いかにも能天気な話です。自分は健康で病気とは縁遠いと安心しきって数十年生きてきましたが、これからはそうとばかりは言っていられないのでしょう。病院とか刑務所とか、机のない所には入らなくてもすむように、せいぜい心がけるようにいたしましょう(^o^;)>poripori

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赤色のモノが増加中

2012年07月10日 06時05分35秒 | 手帳文具書斎
子どものころは、男の子は青か黒、女の子は赤かピンクといった類の不文律があって、色にも男の子の色と女の子の色がありました。洋服、ランドセル、筆入れなどもそうです。大人になって、この傾向はやや広がり、スーツや靴の色など、黒、紺、グレー、茶などが基調になっているようです。

ところが、還暦になったとたんに赤いちゃんちゃんこを着るという、まさに青天の霹靂!この一大転換はどうして起こるのかと、思わず考えてしまいます(^o^)/

それはそれとして、実はこのところ、身の回りで赤色の物品が増殖中。写真のように、DELLの赤いネットブックを皮切りに、赤いカメラケース、赤い表紙の小型ノート、赤いメッシュ・ケースなど、妻から「一体どうしたの?」と言われるほどに、赤色のグッズが増えてしまいました。もしかすると、「男は黒・紺・グレー・茶」という色の呪縛から解き放たれた面があるのかもしれません(^o^)/

昨日から、実は1泊2日の人間ドックです。還暦ちゃんちゃんこ色のグッズをいくつか持参して、ドック入りしております(^o^)/

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山響モーツァルト定期Vol.16で協奏交響曲と交響曲第35番「ハフナー」等を聴く

2012年07月09日 06時04分43秒 | -オーケストラ
日曜の午後、山響モーツァルト定期「アマデウスへの旅」第6年、第16回交響曲全曲演奏定期演奏会を聴きました。音楽監督の飯森範親さんによるプレトークの中で、印象的だったのは、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の説明です。飯森さんは、ヴァイオリンはモーツァルトで、ヴィオラはザルツブルグの大司教と考えたい、とのことです。その理由は、ヴィオラの調弦の仕方が、半音上げて行う、いわゆるスコラダトゥーラという変則的なものであること。こうすることにより、「意地悪な感じ」が出る、というのです。ふーむ。おもしろい!

さて、楽員の皆さんが登場。例によって、女性奏者の皆さんの多くはカラフルなドレスで、たいへん華やかです。最後に登場したソロ・コンサートマスターの高木和弘さん、髪の毛を耳の前の方でくるりとカールさせて、モーツァルトの時代のロココ風を意識したのでしょうか(^o^)/



ステージ上には、向かって左から、第1ヴァイオリン(8)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、第2ヴァイオリン(8)が配置され、中央奥に、フルート(2)とオーボエ(2)、さらにその奥にホルン(2)とファゴット(2)が位置し、いちばん後方にはコントラバス(3)が陣取ります。

交響曲第12番ト長調K.110は、1771年7月にザルツブルグで書かれたものだそうです。だとすると、モーツァルトがおよそ15歳のときの作品ということになります。日本で言えば中学三年生にあたる年頃で、なんて生意気で、なんて立派な中学生なんでしょう!
第1楽章:アレグロ、4分の3拍子。活発で生気に富む音楽です。第2楽章:アンダンテ、2分の2拍子、ハ長調。ホルンがお休みするかわりに、フルートとファゴットが活躍します。優美な緩徐楽章です。第3楽章:あまり踊りを感じさせないメヌエットで、ホ短調のトリオ部では第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの各トップが、五重奏を繰り広げます。これが、室内楽みたいで実に良いのです。再びメヌエットに戻ります。第4楽章:アレグロ、4分の2拍子。弦楽セクションの推進力が感じられます。

続いて、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、変ホ長調K.364です。シンフォニア・コンチェルタンテとも呼ばれる協奏交響曲は、18世紀の後半から19世紀初頭にかけて流行したジャンルだそうですが、この曲は、モーツァルトの現存する唯一の作品だそうで、当方たいそうお気に入りの曲目でもあります(*)。本日の演奏会に期待する最大の作品は、実はこれだったりして(^o^)/



楽器編成は少しだけ変わりまして、左から第1ヴァイオリン(6)、チェロ(3)、ヴィオラ(4)、第2ヴァイオリン(6)、正面奥にナチュラル・ホルン(2)、オーボエ(2)、さらにその奥にコントラバス(2)と、ぐっと小さな編成になります。独奏者は、ヴァイオリンが犬伏亜里さん、鮮やかな濃青色のドレスで登場。メガネを取ったら、ちょいとドキッとするほど印象が変わりました。そしてヴィオラは、成田寛さん。いつもの細縁のメガネをかけて、シュロモ・ミンツさんのような黒のソフトな上衣を着ています。想像するに、自由に動きやすいんでしょうね、きっと。
第1楽章:アレグロ・マエストーソ、変ホ長調、4分の4拍子。独奏楽器が入ってくる前の、オーケストラだけの序奏部が終わり、満を持して独奏ヴァイオリンが入ってきます。続いてヴィオラも。今回、成田さんは半音上げた変則調弦で挑戦しているそうで、なるほど、ヴィオラの音がくぐもった音になって聞こえます。ザルツブルグの大司教の声は、キーが高かったのでしょうか(^o^)/
第2楽章:アンダンテ、4分の3拍子、ハ短調。ここは、ほんとに悲哀を感じさせるところです。それとも、モーツァルトが、思い通りにならないことを愚痴っているのでしょうか。編成が小さいだけに、独奏楽器とのバランスも絶妙です。
第3楽章:ロンド。プレスト、4分の2拍子。古楽奏法を取り入れ、はつらつとした、山響の実力を遺憾なく発揮した音楽です。ふだん聴いている、大オーケストラによる20世紀後半の演奏よりも、ぐっと軽やかで生き生きとしていて、澄んだ音色の演奏になっています。
ところで、客席の最前列中央のかぶりつきでじっと聴いていた女性、後ろに束ねたヘアスタイルや後ろ姿から、某今井さんかな?と思いましたが、いかに?

さて、ここで15分の休憩です。

後半の曲目は、交響曲第35番、ニ長調K.385「ハフナー」です。同い年の故郷の友人ジークムント・ハフナーが貴族に列せられることを祝って書かれたセレナードをもとに、これを抜粋して交響曲にしたものらしいです。
楽器編成は、フルート(2)、オーボエ(2)、クラリネット(2)、ファゴット(2)、ホルン(2)、トランペット(2)、ティンパニに加えて、弦楽合奏です。ところが、この構成がいささか変わっておりまして、第1ヴァイオリン(9)、第2ヴァイオリン(8)、ヴィオラ(7)、チェロ(5)、コントラバス(3)という具合に、ヴィオラの増強が目につきます。これは、白っぽい色のドレスに着替えてメガネをかけて、ヴァイオリンに犬伏さんが加わり、成田さんも着替えないままにヴィオラの席に座っていることもあるのでしょうが、曲目によって編成の大きさを変えている音楽監督の意図が感じられます。

第1楽章:アレグロ・コン・スピリト、4分の4拍子。速いテンポで劇的に。全体的に、響きが中低音に厚みが感じられます。
第2楽章:アンダンテ、4分の2拍子、ト長調。フルートとクラリネットはお休み。ヴィオラの増強が生きていると感じます。

第3楽章:メヌエット。同様にフルートとクラリネットはお休み。あまり舞曲という感じは受けませんで、いかにもセレナード風に音楽が進みます。おや?第1ヴァイオリンだけがクレッシェンドして音を持続し、他のパートは全部お休みする中、いきなり再開されますが、飯森さん、少しジャンプしたみたい。繰り返しでメヌエットのはじめに戻ってから終わりになったのでしょうか。
第4楽章:プレスト、2分の2拍子。フィナーレはプレストで。素人音楽愛好家には、音符がいっぱいあって、自宅に戻ってからスコアを追いかけるのもたいへんです。でも、演奏会ではそんなことは考えず、ひたすら聴いて楽しむだけで、いかにも祝祭的なフィナーレです。

終演後、拍手の中で音楽監督が少しだけ宣伝をしました。それは、17日までの限定ですが、インターネットの日経チャンネルで、先の「さくらんぼコンサート」東京公演のうち、西村朗さんの新作とブラームスの2番を、全部無料で聴くことができます、というものでした。それは、 これ ですね。

そうそう、もう一つ、この「アマデウスへの旅」演奏会のスタンプラリーで、いつのまにか12回を超えていましたので、山響のCDをいただけることになっていました。そこで、終演後にいただいたのが新譜「ブルックナーの6番」です。



実際に演奏会も聴いている(*2)だけに、これはうれしい。次は、来春に予定されているブルックナーの7番だな、と、ヒソカに狙っております(^o^)/

(*):モーツァルト「協奏交響曲」K.364を聴く~「電網郊外散歩道」2006年1月
(*2):山形交響楽団第212回定期演奏会でブルックナーの「交響曲第6番」を聴く~「電網郊外散歩道」2011年4月
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BSプレミアム再放送「蝉しぐれ」第3回を観る

2012年07月08日 06時05分29秒 | -藤沢周平
土曜の夜、NHK-BSプレミアムで、藤沢周平原作の連続時代劇「蝉しぐれ」第3回「歳月」を観ました。里村家老の陰謀で、おふく様と赤子もろとも皆殺しにあうところを辛くも切り抜けた一行は、父が懇意にしていた金井村の村役人・藤次郎の家に逃げ込みます。里村家老と対立する横山家老の屋敷に逃げ込みたいところですが、城下に通じる道は里村派によって封鎖されているはず。籘次郎が一計を案じ、夜の暗闇を利用し、舟で城下へ入り込むことに成功します。横山家老に陰謀を暴露した後、里村の屋敷に単身乗り込み、死にゆく者の気持ちを思い知らせる場面は迫力がありますし、縁あって嫁いだ新妻のせつさんとの暮らしは初々しい。母・登世が風邪で寝込んだときに看病してくれたせつに感謝して、「せつは、まことに良い嫁ですよ」という台詞を使っていますが、わが妻はかつて「こんなふうに言われたいものだわ~」ともらしておりました(^o^)/
領外追放となる際に、里村家老が刺客を放ったという警告を受けて、文四郎は緊張した日々を送りますが、なんとかこれも退けて、20年の時が流れます。そして、殿が亡くなり、一周忌を前に髪を下ろすというお福様と三国屋で再会しますが、ここは原作で追加された、「あのひとの白い胸など」のところを、かなりリアルに再現したところでしょう。脚本を担当した黒土三男さんは、『蝉しぐれ』を、文四郎とふくの初恋を軸にとらえていることは、後の映画化でより鮮明にしていますが、このドラマでの描き方は、まだバランスの取れたほうでしょう。

あらためて、良質のドラマであることを感じました。と同時に、藤沢周平の原作『蝉しぐれ』はさらに優れたものであることも、再確認したところです。


【追記】
「蝉しぐれ 再放送」で検索して来られる方が増えましたので、2013年春の再放送予定について触れた記事(*)をメモしておきます。

(*):NHKテレビで「蝉しぐれ」7回版の再放送を観る~「電網郊外散歩道」2013年2月

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BSプレミアム再放送「蝉しぐれ」第2回を観る

2012年07月07日 06時05分57秒 | -藤沢周平
木曜の第一回に続き、金曜の夜、NHK-BSプレミアムで、藤沢周平の「蝉しぐれ」再放送第二回「罠」を観ました。90分があっという間に過ぎてしまうおもしろさです。ふくは江戸へ去り、文四郎は道場で剣の道に励みますが、ふくに殿のお手がついたことを知り、悲しみ嘆きます。次第に腕をあげた文四郎に、宿命のライバル、狂気を秘めた天才・犬飼兵馬が登場します。父の仇である里村家老から、旧禄に復することを告げられていましたが、郷方まわりの仕事の中で、亡き父が腹切らされた真の理由を知ります。親友の逸平と与之助とのエピソードから、江戸でのおふく様の過酷な運命を知ることとなり、里村家老からの命令を罠と見抜き、矢田の妻の縁で友となった布施鶴之助と小和田逸平とともに、欅御殿に乗り込むところで終わります。たぶん、本日夜も、NHK-BSプレミアムで「蝉しぐれ」三昧でしょう。

しかし、あらためて里村家老の貫禄はすごいと思います。こういう重厚な悪役が、ドラマを格調高くしているのは間違いありません。


【追記】
「蝉しぐれ 再放送」で検索して来られる方が増えましたので、2013年春の再放送予定について触れた記事(*)をメモしておきます。

(*):NHKテレビで「蝉しぐれ」7回版の再放送を観る~「電網郊外散歩道」2013年2月

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NHK-BSプレミアムにて「蝉しぐれ」の再放送

2012年07月06日 06時04分31秒 | -藤沢周平
ふだんテレビと縁遠い生活をしていますが、偶然にNHK-BSプレミアムにて、藤沢周平原作の「蝉しぐれ」再放送があるのを知り、7月5日夜19時30分~21時まで90分の初回「嵐」を観ました。

この番組は、本来は七回放送でしたが、あちこちカットして六回放送バージョンとしたものを、さらに二回分ずつをあわせて三回放送としたもののようです。番組の公式ホームページに掲示板があり、そこでは2003年の放送時から2012年までずっと書き込みが絶えません。これも驚くべきことです。藤沢周平の原作の良さに、黒土三男による脚本の力と、内野聖陽ら実力派の演技とがあいまって、きわめて水準の高い、良質のテレビドラマになっていると感じます。これまで、放送と録画と、何度も何度も観ていますが、今回しばらくぶりに再放送に接し、あらためて「蝉しぐれ」を堪能しました。

当「電網郊外散歩道」には「藤沢周平」カテゴリーがあり、ここには本、テレビドラマ、映画、雑誌や新聞記事、催し物、記念館等々、藤沢周平に感する雑多な文章を集めています。これがちょうど101本目の記事にあたるようです。

【追記】
「蝉しぐれ 再放送」で検索して来られる方が増えましたので、2013年春の再放送予定について触れた記事(*)をメモしておきます。

(*):NHKテレビで「蝉しぐれ」7回版の再放送を観る~「電網郊外散歩道」2013年2月

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百均のハードカバー小型ノートに書いてみる

2012年07月05日 06時01分45秒 | 手帳文具書斎
某百均で購入したハードカバー小型ノートは、一部で某有名高級ノートに似ていることから、「ダイスキン」などと呼ばれているそうです。先日、石けん台(皿?)を求めて出かけた百円ショップで発見したことから、赤白黒の三冊を購入してきました。人間と同じで、外見は良くても中身が問題です。ノートの中身と言えば、まずは紙質ということになりますが、実際に、様々な筆記具で実際に書いてみました。

パワータンク 黒 1.0mm
ジェットストリーム 黒 1.0mm
ジェットストリーム 黒 0.7mm
ジェットストリーム 黒 0.5mm
ジェットストリーム 青 0.5mm
ジェットストリーム 青 0.7mm
ジェットストリーム 青 1.0mm
パイロットG-knock ブルーブラック 0.7mm
ウォーターマン ブルーブラック M
パイロット・カスタム 黒 M (写真中で EF となっているのは間違い)
ペリカンM400 パーカー・ブルーブラック M
パイロット パーカー・ブルーブラック SF



ページをめくってみると、結果は次の写真のようになりました。



万年筆は軒並み裏に抜けています。とくに、ペリカンとパーカーのブルーブラックの組み合わせは、太字のせいもあるのでしょうが、激しく裏抜けしています。また、今のところそれほど目立ってはいませんが、ジェットストリームの青も、裏側からかなり目立って裏写りして見えます。水分の多い糊でスクラップしたりすれば、裏抜けはもっと顕著になることでしょう。青に比べれば、黒は比較的ましです。また、紙質がややザラザラしていることから、ひっかかり感があって、書き心地もあまり良好とはいえません。ジェットストリームでなんとか及第か、といったところです。

いずれにせよ、紙質はいまひとつです。コクヨのキャンパス・ハイグレードのような上質感は求めませんが、ふつうのキャンパスノートの上質さをあらためて実感する結果となりました。
利用の仕方がスクラップ中心なら、安価ですし、良いかもしれません。

結論:百均ノートでは、手書きの楽しさは感じとりにくい。スクラップ・ノートとしての利用ならば、良いかもしれない。

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初代パワータンク・ボールペンの芯を交換する

2012年07月04日 06時03分24秒 | 手帳文具書斎
加圧型ボールペンのパイオニアであった初代パワータンクのインクが切れたので、芯交換をしました。ボールペン本体の軸はプラスチック製で、決して高級感はないのですが、金属製のリフィルは圧倒的に高品質感があります。お値段も、定価で1本300円と高価ですし、日常用途には普及タイプのプラスチック製のパワータンク・ボールペンを使っています。



ところが、この初代パワータンクは、ショートサイズのため、ワイシャツの胸ポケットにちょいとさしても大丈夫なため、夏場での出番が多くなります。書き出しがスムーズでかすれにくいのも魅力です。これでまた、しばらくは大丈夫でしょう。検索してみたら、6年前の2006年7月にリフィルを交換しています。夏場限定で、意外に出番は少ないのかも。

(*):メモは記憶力の減退をカバーする~「電網郊外散歩道」2006年7月
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ハードカバーのノートと小ぶりのメッシュ・ケース等を百均で

2012年07月03日 06時03分53秒 | 散歩外出ドライブ
自宅のお手洗いの石けん台が見当たらず、どこへ行ったか老母に尋ねたら、作業小屋に出張中とのこと(^o^)/
仕方がありません。某百均へでかけて、石けん台を購入することにしました。出かけてみたら、あちこちの文具系ブログで話題になっていた、ハードカバーのノートがありましたので、赤・白・黒の三色を試してみることにしました。また、先に旅行用に購入して便利だった(*)ので、小物をカバンに入れるときに便利な、小ぶりのメッシュ・ケースもあわせて購入しました。五点を購入して計525円也。石けん台とメッシュ・ケースは実用的です。ノートのほうは、実際に様々な筆記具で書き味を試してみないとなんとも言えませんが、紙質など、なんだか小学生時代を過ごした昭和30年代のテイストを感じます。



(*):旅の荷物をできるだけコンパクト化するには~「電網郊外散歩道」2011年11月
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近頃の個人出版は

2012年07月02日 06時10分24秒 | 手帳文具書斎
従来、個人出版はハードルが高く、特別な人が特別な動機で刊行することが多かったように思います。ところが、電子出版(*1)が現実のものになってくると、様相は変わってくるのでしょうか。入力から編集、組版にいたるまで、自分である程度やってから、電子出版にまわすことが普通になれば、ずいぶんいろいろな可能性が考えられるようになるでしょう。その分、素人編集が明らかな野暮ったいものも多くなるのでしょうが。

ただし、身近な年配の人たちにも読んでもらいたいようなものには、電子出版は不向きで、実際に紙の本の形にして贈るのがよいようです。これも、ネット経由でオンライン入稿し、製本までしてもらえるサービスが始まっているようです。少部数の学術出版や各種報告書などでは一般的になっているようですが、一般の人向けにもサービスが始まっている(*2)ようです。学術印刷などに強い京都の中西印刷の「冊子工房」(*3)によれば、50部とか100部とか、一般人には現実的な部数の印刷物をオンデマンド印刷で対応することによって、通販を成り立たせているようです。技術をビジネスにする形として、なるほどと思います。

(*1):電子出版~Wikipediaの解説
(*2):印刷ネット通販にお客様が増えてきた~中西秀彦「フロム京都」より
(*3):冊子工房~中西印刷

「個人出版」などというキーワードを持つこの記事は、もしかしたら商売目当ての機械的トラックバックや書き込みがあるかもしれませんが、話題が話題だけに、仕方がありません(^o^;)>poripori

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