電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

菅谷昭『新版 チェルノブイリ診療記~福島原発事故への黙示』を読む

2011年11月16日 06時01分27秒 | -ノンフィクション
旅の空で読む本を探していた時に、書店の棚の中で、『新版 チェルノブイリ診療記』という文庫本をみつけました。著者は菅谷昭さんといい、信州大学医学部の助教授であった40代にベラルーシ共和国に渡り、チェルノブイリ原発事故被災地で、子どもを中心として甲状腺ガンの治療にあたった人だそうです。現職は、2004年から松本市長とのことで、異色の経歴を持つ政治家と言えましょう。本来であれば、時の流れの中で埋もれるはずだった著作が、副題のように「福島原発事故への黙示」として内部被曝の警鐘を鳴らす役割を担うべく復活したことになり、なんという歴史の不幸かと嘆かずにはいられません。



本書の構成は次のとおりです。

新版に寄せて 福島とチェルノブイリ
はじめに ベラルーシの夕陽
一、決意 私が医者になった理由/チェルノブイリとの出会い/汚染地域での甲状腺検診/ミンスク行きの決断
二、ベラルーシの汚染現場 厳寒の街/切れないメス、壊れた手術台/ベルトコンベアー式の手術/ガン・センターの医師たち/健気に生きる子どもたち
三、事故10年目の春 激増した小児甲状腺ガン/日本の報道者/「チェルノブイリは四番目の問題さ」/ナターシャとの再会
四、不思議の国ベラルーシ 一時帰国で考えたこと/突然の手術中止/あせりは禁物/観光旅行ではわからないこと/国立バレエ・オペラ劇場にて
五、外科医の日常 日本の医療支援/恐怖の金曜日/患者からのキス/日本からの訪問者
六、人々の闘い 青年医師ヴィクターの悩み/ナースたちの願い/アリョーナの涙、リョーバの我慢/悲しみを抱えた家族
七、希望 ゴメリ再訪/ベラルーシで感じた生/濡れ落ち葉にならないためのリハーサル/たくましい女たち
おわりに ベラルーシよ、一日も早く立ち直れ
新版あとがき
解説 池上彰

目次の次に、チェルノブイリ原発事故によるセシウム137の放射能汚染地図が掲載されています。これによれば、ウクライナ共和国のチェルノブイリの周辺はもちろんですが、ベラルーシ共和国にも、ロールシャッハテストのように、蝶が羽を広げたような模様の形で、高濃度の汚染が広がっています。その濃度は、37kBq/m^2というもので、1平方メートルあたり、1秒間に37,000個の放射性セシウムが崩壊し、γ線やβ線を出している、というものです。この広がりを見ると、国土の面積のかなりの部分が汚染地域となっており、人々の日々の営みに、見えない影を落としていることがわかります。

こういう鳥の目のような全体的な視野からはわかりにくい、医師や看護師、患者や家族など、人々の生活の現実が描かれます。経済不振が医療の現場にどのようなしわよせを及ぼしているのか、検診や治療を受ける子どもたちの健気さや、甲状腺を摘出し、生涯にわたって薬を飲みつづけなければならない運命を甘受することを思うと、心が痛みます。首に大きな傷痕が残る手術によって影響を受ける恋愛や結婚期を迎えるであろう少年少女たちのその後は、レベル7の事故の現実の姿です。

ヒロシマで救援に当たった私の父がそうであったように、被曝したらその時点で終わりなのではありません。被曝者としての長い人生が待っています。治療や病気との闘いは辛いものですが、一人一人の生活には生きる喜びがあります。自分の責任ではなく、不幸にして放射線障害や病気を発症した時に、適時に適切な医療を受けられ、生活の喜びを享受して生を全うしたいものです。その意味で、福島の原発事故の影響調査が確実に行われ、原発周辺地域で被曝を余儀なくされた子どもたちが、不幸にして甲状腺障害などを発症した時に、わが国の優れた医療が安心して受けられるよう、医療と保険システムが健全に維持されることを願ってやみません。


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ヴィッキー・マイロン『図書館ねこデューイ』を読む

2011年11月15日 06時05分35秒 | -外国文学
1988年1月の寒い朝、米国アイオワ州のスペンサーという小さな町にある公立図書館のブックポストに、小さな子猫が入っていて、今にも凍死しそうな状態で発見されます。新任一年目を過ぎた図書館長であった著者は、子猫をなんとか助けることができましたが、問題は図書館で子猫を飼うことを理事会が認めるかどうかでした。町の条例には、公共施設で猫を飼ってはならないという規則がないことを確認し、猫が図書館利用に資するという論旨で理事会に諮り、許可を取り付けます。このあたりの大胆で緻密な動きは、いかにもアメリカの行動的な女性のタイプだなと感じます。

そういうわけで、町の小さな公立図書館で飼われることになった子猫は、図書の十進分類法の生みの親の名前にちなんで、デューイ・リードモア・ブックスと名づけられ、図書館のアイドルとなっていきます。それは、たとえばこんなふうでした。

ある年配の男性は毎朝同じ時刻にやってきて、同じ大きな居心地のいい椅子にすわって新聞を読んだ。奥さんは最近亡くなり、一人暮らしだときいていた。わたしは彼が猫好きだとは思っていなかったが、デューイが初めてひざに登った瞬間から、満面に笑みを浮かべた。彼は新聞を読むときにもはや一人ではなくなったのだ。「ここで暮らして幸せかい、デューイ?」老人は毎朝たずねては、新しい友人をなでてやった。デューイは目を閉じて、たいてい眠りこんだ。

同時に、図書館ねこデューイと強く結ばれたこの女性館長の人生も、少しずつ明らかにされていきます。それは、次々と不幸に見舞われながらも、それを乗り越えてきた年月でした。そして、後半の18年を支えてきたのが図書館の仕事であり、デューイの存在だったようです。本書中のあちこちに見られる記述、たとえば:

デューイは驚くようなことをするせいで特別だったのではなく、彼自身が驚くべき存在だったから特別だったのだ。彼は一見ごくありふれた人間を連想させた。知り合うまでは、人ごみで目立たない存在。仕事をさぼったり、文句をいったり、分不相応なものを求めたりしない人間。彼らはすばらしいサービスを提供することを信条としている、有能な司書や車のセールスマンやウェイトレスだ。仕事に対して情熱があるので、仕事以上の働きをする人々。彼らは人生でどういうことをなすべきかを知っていて、それをきわめて上手にこなす。(中略)あるいは店員。銀行の窓口係。自動車修理工。母親。世の中は個性的で目立ち、金持ちで利己主義の人間に目を向けがちで、ありふれたことをきわめてちゃんとこなしている人々には気づかないものだ。

このような記述は、著者の人間観察の深さを感じさせます。でも、国際的に有名になった図書館ねこが老いてしまったとき、辛い決断が待っているのでした。



ハヤカワ文庫、ヴィッキー・マイロン著『図書館ねこデューイ~町を幸せにしたトラねこの物語』(羽田詩津子訳)です。思わず引き込まれる、読み応えのある一冊でした。
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旅の空の下、ウォークマンで聴く音楽

2011年11月14日 06時02分27秒 | クラシック音楽
旅の途中で、電車の中や移動中、あるいは宿泊先でほっと一息ついた時に、愛用のウォークマンE で音楽を聴きます。収録している曲目は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の録音が中心で、次のようなものです。

シューベルト 交響曲第9(8)番「グレート」
ドヴォルザーク 交響曲第8番、第9番「新世界より」
R.シューマン 交響曲第1番「春」
ハイドン 交響曲第97番、第99番
モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 カーゾン(Pf)
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 フライシャー(Pf)
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ミルシュテイン(Vn)
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第1番、第2番 スーク・トリオ

Windows でしか曲を追加できないので、Linux 中心のコンピュータ利用になっている現在、ほとんど曲目を追加しておりませんが、いずれも名曲ぞろい、繰り返し聴いて、音楽と演奏には大満足です。考えてみれば、LPやCDであれば、10枚近い枚数を持参しているのと同じことです。ただでさえ荷物が多くなりがちな時には、軽量化に役立ちます。逆に言えば、ぎりぎりまで荷物を軽量化しても、これを持っていけば、少なくとも音楽に飢餓状態になることはありません。

しいて欠点を挙げるとすれば、あまりに本体がコンパクト過ぎて、収録している曲目の一覧性に欠ける点でしょうか。でも、旅の空の下、たまたまスイッチを入れたとき、レオン・フライシャーのピアノで、ベートーヴェンの四番のコンチェルトが流れ出したりすると、思わず聞き惚れてしまい、そんな些細なことはどうでもよくなってしまいます。

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おっ!野性のエルザ…じゃなかった、野良猫・紋次郎!

2011年11月13日 06時00分09秒 | アホ猫やんちゃ猫
旅の空から、アホ猫記事です(^o^)/


先日、裏の畑で、野性のエルザを発見しました!と思いきや、野良猫・紋次郎ではあ~りませんか!のっそりゆっくり、歩いていきます。我が家のアホ猫母子は畑には不在で、大激闘シーンは見られませんでしたが、なんとなく片足を引きずっているようにも思えます。交通事故か喧嘩か、負傷しているのかもしれません。過日は腹黒そうに我が家の様子をうかがっていた(*)のに、この日は孤独なオス猫の哀愁が、後ろ姿に漂いました。

(*):紋次郎登場!~「電網郊外散歩道」2011年8月

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百円ショップで小型ノートを買ってみたが

2011年11月12日 06時01分15秒 | 手帳文具書斎
先日、旅行用に、衣類を分けて収納する袋を買おうと思って、百円ショップに立ち寄りました。ワイシャツ等を入れるソフトメッシュのケースを見つけたほか、ふと目についたのが、B6判とA5判のビニールカバーのついたノートです。ちょっと見るとニーモシネ風の雰囲気ですので、どんなものか試しに一冊購入してみました。

うーむ、紙質は思った以上にしょぼいです。万年筆がはげしく裏抜けするのは想定内としても、紙の腰のなさは、日常的に使っているコクヨのキャンパスノートとは格段の差です。B6判ノートあたりですと、値段的にもそれほど差はないはずですが、書き味はずいぶん違います。私の場合、黒いビニールカバーの見かけよりも、腰のある紙質のほうがはるかに重要と感じました。たかが百円、されど百円。コクヨなど文具メーカーのブライドを感じます。

さて、今日から出張です。お天気だといいなぁ。

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A5サイズのセカンドバッグを購入する

2011年11月11日 06時01分14秒 | 手帳文具書斎
日常的に愛用していたポーチ型のセカンドバッグが、いよいよみすぼらしくなってきましたので、更新しようとカバン店に行きました。若い男性の店員さんに相談して、品定め。条件は、次のとおりです。

(1) A5判カバーノートが入る大きさで、バイブルサイズのシステム手帳、文庫本、コンパクト・デジタルカメラ、携帯電話に筆記具が入る大きさであること。
(2) とくにストレートタイプの携帯電話が圧迫されて、いつのまにかディスプレイの電源が入りっぱなしにならないこと。
(3) カジュアルなシーンでもスーツ姿でも、それほど違和感を感じない色、デザインであること。
(4) お値段はほどほどに。

実際に中身を入れながら、いくつかの候補を検討した結果、ソフトタイプの茶色のセカンドバッグに決定。なんだか、先のB5判のものと似た系統になってしまいましたが、荷物が少ないときは肩掛けベルトを外して、やや大きめの手持ちポーチとしても使えそうです。これなら出張先でも使えるとふんで、お値段は 8,925円。



携行物一覧(*)を参照しながら、これで準備はほぼ OK かな。まだ何かあったかな?

(*):出張や旅行のための携行品リストは便利だ。~「電網郊外散歩道」2009年5月

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多忙モード継続中~出張で山響第216回定期は聴けず

2011年11月10日 06時03分10秒 | Weblog
相変わらず多忙モードが継続中、というよりもむしろ、一段と拍車がかかっております。今週末から出張が入り、数日、留守にします。出先ではたしてネット接続環境があるものやら不安ですが、そのときは、もしかしたら連続更新記録が中断するかも(^o^)/

いやいや、それよりも山響第216回定期が聴けないのが残念無念。しかたがないので、チケットは職場の同僚にプレゼントすることにしました。なにせ曲目がペルトとかニールセンとかですので、誰でもいいというわけにはいきません。白羽の矢を立てた人は、楽器経験のある音楽好きな人ですので、きっと楽しんでくれることでしょう。

忙しいと、本が読めないし、CDなども思うように聴くことができません。もう少し時間ができたら、読みたい本、聴きたいCDをリストアップして、じっと辛抱することにしましょう。

(1)田之倉稔著『モーツァルトの台本作者~ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯』(平凡社新書)
(2)ヴィッキー・マイロン『図書館ねこデューイ~町を幸せにしたトラねこの物語』(ハヤカワ文庫)
(3)菅谷昭著『新版 チェルノブイリ診療記~福島原発事故への黙示』(新潮文庫)
(4)チャイコフスキー「交響曲第5番」ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
(5)ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」ルドルフ・ゼルキン(Pf)、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団

【追記】
こんどの山響定期を第213回と書いていましたが、第216回の誤りでしたので、訂正。「記憶違い」の実例(^o^;)でした。

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記憶違い

2011年11月09日 05時59分59秒 | Weblog
若い頃には、様々な出来事をよく記憶しておりました。自分自身のことなら、何年に何があったのか、すぐにそらんじることができました。ところが今、自分のことなのに何年に何があったか、まったくぼんやりしてして思い出せない期間があります。出来事の前後はわりに覚えているのですが、何年のことだったのか、よくわからないのです。その時の職場や同僚の顔ぶれなどから、なんとか年代を割り出して、手帳などの記録に当たってみて、ようやく判明することも。

当然、記憶違いも少なからずあります。様々な『回想記』などの中で、出来事が1~2年ずれていて、編者が当事者の記憶違いを指摘しているのを読み、なんだかなあと思っていましたが、自分自身もそうなってみると、1~2年のずれならまだかわいい方だとさえ思ってしまいます(^o^)/

記憶違いはコワイ。記憶だけに頼らず、記録に当たること。ずっと後に残る文章は、よけいにそう感じます。

写真は、ええと、たしか新幹線から撮った福島県あたりの風景・・・だったと思う・・・(^o^;)>poripori

記録が残っていないものは、なんとも致し方ありません。やっぱり、記録が大事です(^o^)/

(*):メモは記憶力の減退をカバーする~「電網郊外散歩道」2006年7月
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ブログ「無罫フォント」がおもしろい

2011年11月08日 06時04分39秒 | 手帳文具書斎
今はそれほど困っているわけではないのですが、Jetstream ボールペンの裏写りというか、「滲み抜け」問題について、あちこち検索して調べているうちに、猫町フミヲさんの「無罫フォント」(*)というブログを知りました。

猫町さんは、どうやら文具店にお勤めの方のようで、ひたすら文具を、とくに 0.5mm の Jetstream を愛する記事はたいへん率直です。とくに、ボールペンの替芯の互換性や、「タフな文房具」の紹介など、参考になる点も多いため、休日に思わず読みふけってしまいました。徹底した研究熱心さは、当方の理系魂にピピッと共感するところです。

太めの罫線ノートに太字でゆったりと書くのが好きな当方と、無罫ノートに細字でポップな字を書く猫町さんと、趣味嗜好の方向性は異なりますが、猫町さんの徹底した研究成果は参考になるところが大です。とくに、滑りがいまいちで敬遠している Jetstream 0.5mm 芯について、半分ほど使ったあたりで本来の滑らかな書き味になるという調査結果でしたので、引っこ抜いた 0.5mm 芯をもう一度戻して実験してみようかという気にさせてくれます。文具好き、文具店逍遥派(^o^)には、とても興味深い、おもしろいブログです。

(*):「無罫フォント」~猫町フミヲさんのブログ
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都会の携帯端末の急速な変化

2011年11月07日 06時01分59秒 | コンピュータ
最近、出張続きで、電車の中で感じたことがありました。それは、都会の人たちの持っている携帯端末が、急速に変化してきていることです。在来型のケータイも多く見られますが、タッチ式のユーザー・インターフェースを持った携帯端末、例えば iPhone や Android携帯などを使っている人の割合が、急速に増えてきているなぁと感じます。

印象としては、年号が平成に変わり、ワープロ専用機からパソコンに急速に移行していった時期のような感じです。パソコンを日常的に利用している世代が、外出先でも Google 等のサービスを使いたいと考え、移行しているのでしょうか。その気持ちはよく理解できます。日本独自のものから国際標準へという流れもあるのでしょう。

大都市圏では、流行が顕在化しやすいため、変化が急速な印象を受けるのだろうと思いますが、それにしても、電車内でこの種の携帯端末を操作している人の多さに驚きました。

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もしかして糊が問題なのでは~Jetstreamボールペンの裏写り問題について考える

2011年11月06日 06時05分03秒 | 手帳文具書斎
先日、田舎でも入手しやすい定番文房具の良さについて記事(*1)にしました。このとき、愛用している Jetstream ボールペンの裏写り問題について、話題にしました。

そういえば……と思い出したのが、備忘録ノートを記録する主たる筆記具を、青色から黒色に変えた記憶です。たしか、Jetstream ボールペンの太字の青を使っていて、裏写りが甚だしいために黒に変えたのではなかったか。

で、過去の備忘録ノートを点検してみました。なるほど、たしかに2007~8年頃に裏写りのひどい時期があり、この頃に黒に変わっています。一方で、Jetstream の同じ青色太字を用いた同年同時期のメモでも、それほど裏写りがひどくないページもあります。これは、単純に紙とインクの相性だけではなさそうです。

さっそく「Jetstream 裏写り」で検索してみました。その結果、わかったこと:

(1) 紙の裏に抜けているのは、油ではなく染料である。
(2) (空気中の)水分で、染料が紙の繊維に浸透しすぎてしまうのが原因。
(3) インクの浸透性は、紙の質(吸湿性)によって違う。

そこで、ピンと来ました。

「糊が原因なのではなかろうか。」

激しく裏写りしているページの周辺には、チケットやらレシートやら新聞記事等が糊付けされていることが多く、しかも2007~8年当時は、「アラビック」や「消えいろピット」など湿り系の糊を使っていたはず。もしかすると、糊の湿気が Jetstream のインクを紙の繊維に浸透させ、裏写りを生じさせているのかも。青色インクの染料は、たまたまこの性質が顕著だったのでしょう。黒色インクの場合、この浸透性がさほど高くなく、今使っている糊も乾き系の固形糊を使っているために、裏写りの問題が発生しにくくなっているのでしょう。

浸透性の高い紙を使っている「ほぼ日」手帳の愛用者は、何でもペタペタと貼り付ける習慣があり、糊も多用しそうです。どうも、この相乗効果で、Jetstream ボールペンの裏写り問題が発生しているように思えます。

ホームズ君、こんな推理では、どうだい?



ワトソン君、けっこういい線行ってるかもしれないよ。

(*1):高級品は出てこないけれど~「電網郊外散歩道」2011年11月

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ジュディス・コーガン『ジュリアードの青春』を読む

2011年11月05日 06時02分06秒 | 読書
先の出張の際に、新幹線の車内で読んでいたのが、ジュディス・コーガン著、木村博江訳『ジュリアードの青春~音楽に賭ける若者たち~』(原題:"The Juillard School - Nothing But The Best", 新宿書房、四六判、346頁)でした。本書は、ジュリアード音楽院に学ぶ若者たちの、音楽以外の要素を遮断した生活、異常なまでのひたむきさ、成功を目指す不安と葛藤などを描き出します。


第一章 たたずまい
第二章 オーディション
第三章 プレッシャー
第四章 予備校
第五章 教師
第六章 コンクール
第七章 カフェテリア
第八章 オーケストラ
第九章 恋の季節
第十章 卒業
訳者あとがき

音楽大学に学ぶ学生たちの日常については、映画「のだめカンタービレ」などで、やや誇張された形で承知しておりますが、本書の内容はさらに過激に異常です(^o^)/
オーディションの章やプレッシャーの章などは、思わず学生たちに同情してしまいますし、作曲科の教師のトンデモ・エピソードには、怒りを覚えます。「恋の季節」の不幸ななりゆきは、再出発を祈るよりほかはありません。

本書で最も印象的だったのが、「オーケストラ」の章でした。「あの人はすごい。オーケストラを好きにならせてくれる」。ほとんど皆がソリストを目指すジュリアードのヴァイオリン科の学生が、別の学生にもらします。ジュリアード・オーケストラを、一週間の圧縮したリハーサルで本気にさせ、「ツァラ」と「エロイカ」のプログラムを振って驚異的な大成功をおさめさせた、スクロヴァチェフスキのエピソードです。彼が50代の頃でしょうか。優れた指揮者とはどういう人を言うのか、よくわかるような気がします。

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柿を収穫し干し柿を下げる

2011年11月04日 06時02分00秒 | 週末農業・定年農業
例年、11月の声を聞くと、当地では柿の収穫の時期です。今年も、見事な柿がたくさん実りました。いわゆる庄内柿の系統の渋柿で、アルコールで渋抜きをしたり、皮を剥いて干し柿にして食べます。文化の日、午前中に脚立をかけ、妻と二人で収穫をしました。収穫は、ごらんのとおり。



干し柿用には、枝の部分をアルファベットのT字の形に残して切ります。これを、写真のように皮剥きをして、一本あたり八個程度を縄にはさみ、日当たりや風通しの良い場所にぶら下げます。









とりあえず、アルコールで渋抜きをする分を100個、干し柿を100個ほど作りました。自家用とおすそ分け用として、まずは充分な量でしょう。

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高級品は出てこないけれど

2011年11月03日 06時01分24秒 | 手帳文具書斎
当ブログには、「手帳文具書斎」というカテゴリーがあります。取り上げているものは、田舎の文具店でも入手できるような、定番のものが中心です。都会のおしゃれな専門店にあるような、デザイン重視のハイセンスな製品などは、そもそも持っていませんし、野暮な中年族には使いこなせません。むしろ、ごく普通のユーザーの一人として、手近なものを工夫して、日々の暮らしや出来事を綴るなど様々に活用するのが楽しい、そんなことを書いております。

それでも、「手帳文具書斎」というカテゴリーに合致する題材はないものかと、意識して探していると、これはこれで、けっこう楽しい世界です。定番と言われるものの世界にも、新しい波は時折訪れるようです。たとえば、

(1) 1980年代の中頃でしょうか、能率手帳一辺倒だった頃に、システム手帳が登場した。
(2) 寝転んで書ける筆記具といえば鉛筆だった時代に、PowerTank ボールペンが登場した。
(3) 書き味の重い油性ボールペン界に、Jetstream が登場した。

などが印象深く思い出されます。まあ、書斎で最も画期的な変化といえば、パソコンの登場と常時接続のコンピュータ・ネットワークの普及だとは思いますが(^o^)/

【追記】
某有名ノートでは、Jetstream ボールペンの裏抜けが問題になっているのだとか。当方は Jetstream ボールペン(もっぱら黒)の愛好者ですが、日常的に使っているコクヨやマルマン等の国産ノートでは、用紙の厚さもあるのでしょうか、そのような現象は見られません。これも、定番のよさの一つでしょう。

【さらに追記】
念のために、過去の備忘録ノートを点検してみました。ふむふむ、三年ほど経過した2008年頃のコクヨのらせん綴じキャンパスノートでは、青字がたしかに裏抜けしています。黒字はあまり裏抜けしていません。色素によって浸透性が違うのかな?また、コクヨのルーズリーフ用紙では、あまり目立ちません。用紙により、また厚みにより、違いがあるようです。

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ボロディン「交響曲第2番」を聴く

2011年11月02日 06時02分56秒 | -オーケストラ
通勤の音楽は、引き続き NAXOS の新譜で、ボロディンの交響曲集から、第2番を聴いています。ジェラード・シュワルツ指揮シアトル交響楽団の演奏です。この曲は、われらが山形交響楽団でも、先年取り上げたことがあったと思いましたが、残念ながら都合が悪く、聴くことができませんでした。こうしてCDで繰り返し聴いていると、実際にナマで聴いてみたかったなあと、ますます残念に思います(^o^;)>poripori

作曲年代は1869~76年と、実に七年もかかっています。完成時の作曲者ボロディンの年齢は43歳ですから、30代の終わりから40代の初め頃の作品ということになります。年齢的には、化学者としても教授としての実務の面でも、まさに充実した仕事ができる年代でしょう。交響曲の完成に七年もかかる仕事ぶりというのは、たんに忙しかったからということも大きいのでしょうが、同時に、もっと違う面も想像してしまいます。日々の努力により化学反応の詳細が少しずつ明らかになっていき、一つの研究テーマがほぼ仕上がるまでのペースと似ているように感じます。直感のおもむくままに、エイヤッと完成させるというよりは、様々な可能性を丹念に調べ、これしかないという帰結を導き構造化していく、というような仕事ぶり。

Wikipedia によれば、楽器編成は、Fl(3,うちピッコロ持ち替え1),Ob(2,うちイングリッシュホルン持ち替え1), Cl(2), Fg(2), Hrn(4), Tp(2), Tb(3), Tuba(1), Timp, Perc(トライアングル、タンバリン、シンバル、バスドラム), Hrp, 弦5部、とのことです。

第1楽章:アレグロ。始まりの主題が、いかにも力強く情熱的で、かっこいい。勇壮な、という形容がぴったりです。曲調は明るいものに変わりますが、力強さは変わりません。同時に作曲が進行していた「イーゴリ公」のような、英雄的なイメージなのでしょうか。
第2楽章:スケルツォ、プレスティッシモ。飛び跳ねるような軽やかさと、大きな力強さとが共存するようなスケルツォです。
第3楽章:アンダンテ。冒頭の木管により導かれるホルンの旋律には、ほんとうにほれぼれと聴き入ってしまいます。たぶん、1888年に完成されたチャイコフスキーの五番のホルンソロにも、影響していることでしょう。その後の音楽も豊かな旋律と響きに満ち、主題が姿を変えて現れます。この楽章は、静かに始まった音楽が盛り上がった後に静まっていき、遠くに消え去るように終わります。このあたりの印象は、どこか「中央アジアの草原にて」の音楽を思わせます。
第4楽章:アレグロ。前楽章の終結部から引き続き演奏されますが、音楽は速いテンポに変わり、イメージは一転します。木管は小鳥のさえずりのように、打楽器もじゃんじゃん活躍。曲の終わり方も思い切りのよいもので、ボロディンのセンスは冴えています。

■ジェラード・シュワルツ指揮シアトル交響楽団(Naxos, 8.572786)
I=6'59" II=5'31" III=7'50" IV=6'19" total=26'39"

ボロディンという作曲家は、ロシア五人組の中でも、いっぷう変わった存在のようです。一番才能があったのはムソルグスキーみたいですが、一番多作だったのがリムスキー・コルサコフで、バラキレフやキュイは口先だけみたいな印象を持っています。年長のボロディンは、ニコニコ笑って仲間を見ていて、妻や仕事を愛し、休日となると好きな音楽に没頭するような、そんな印象。勤め人で週末農業に勤しむワタクシといたしましては、ボロディンの、アマチュア性が抜けない仕事ぶりと、しかし作品は立派にプロフェッショナルであるという両面性に、思わず親近感と尊敬の念ををいだいてしまいます(^o^)/

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