電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

1960年頃のベームのモーツァルト

2009年05月16日 13時02分28秒 | -オーケストラ
先日、行きつけのショップで、1960年頃のベームとベルリンフィルによるモーツァルトの交響曲の録音を見つけ、懐かしく購入して来ました。第39番の冒頭の和音が、なんともずっしりと、重量級の響きです。アーノンクールのような鋭い切り込み方ではなく、あくまでも重々しいアプローチ。
そういえば、昔はロココ的な軽やかなモーツァルトというイメージに対抗して、デモーニッシュな、劇的なモーツァルトを打ち出すのが一種の流行でした。ところが、今やテンポは速くリズムは鋭く、軽やかだがアグレッシヴなモーツァルト演奏が流行のように感じます。当方、ノン・ヴィヴラートの鋭角的なモーツァルトも好んで聴いておりますが、その一方で、こうした重厚なモーツァルトも悪くない。一種の懐かしさがあります。
グラモフォンのパノラマ・シリーズの「モーツァルト」。2枚組で、後期の交響曲3曲をCD一枚に収録できているのは、おそらく譜面上の繰り返しを省略しているためでしょう。もう1枚は、「レクイエム」です。当方は、1950年代の廉価盤LP(900円!)に収録された、モノラルですが劇的な緊張感に満ちたベームの演奏を好んで聴いておりました。壮年期のベームのモーツァルトは、いいですねぇ!一方、こちらはカラヤン指揮ベルリンフィル。かつての代表的な演奏、録音ですが、じっくり手元で聴くのは初めて。楽しみです。
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「いや~ん」な感じ~健診で腹部エコーを見る

2009年05月15日 19時33分18秒 | 健康
近年の画像診断の技術の進歩は驚くばかりで、出生前の胎児の性別までわかることに時代の変化を感じておりました。しかし、時代が変わっても、病気の発見や宣告に愕然とするのは、変わらぬことでしょう。
先日、健診で腹部エコーを診てもらいました。おなかにゼリーを塗り(*)、プローブをぐりぐり動かすと、おなかの内部が画像としてあらわれてきます。それはいいのですが、画像の中で、大豆程度の大きさの数個の黒い丸を赤い枠線で囲む操作を、位置を変えて2~3度行っている様子が、受診側にもよく見えます。疑いのある陰影をマークしているのでしょうか。
当方、BMI=22、腹囲74cm、体重の増減なし、血圧正常、自覚症状も特にありません。しいて言えば、亡き老父と同様に、食後に逆流する場合があることぐらいでしょうか。おそらく、食後の逆流という項目を見て消化器疾患の可能性を考慮し、念入りに腹部エコーを診たのでしょう。もしかすると、近年になって初めて、要精検で胃カメラを飲みなさいと言われるかも。なんとも「いや~ん」な感じです(^o^;)>poripori
もし疑わしい結果が出たら、先手必勝、もたもたせずに速攻で検査に行きたいと思います。

【追記】
(*):プローブ(探子)と検査対象の間に空気を入れないようにするのが目的だそうです。
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ヴィヴァルディの協奏曲集「ラ・チェトラ」を聴く~トラップ大佐が英雄だった理由

2009年05月14日 05時34分51秒 | -協奏曲
たいへん印象的なミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、主人公マリアが家庭教師として住み込むトラップ家の主人、ゲオルグ・フォン・トラップ大佐は、海軍の英雄という設定です。しかも、多くの子どもたちを笛で招集し、点呼するなど、まるで海軍の船のような家庭の運営をしていることになっています。こういうあんまりな父親像の描き方もさることながら、この映画を観たときから疑問に思っていたのが、「オーストリアに海軍なんてあったのか?」「そもそもオーストリアに海はあるのか?」という疑問でした。

「おしん」放映以前、関東在住の頃は、「山形に海なんてあるのか?」という質問を受けることがままあり、この国の地理教育はどーなっておるのか?と怒ったものでしたが、あまり人のことは言えません。私も「オーストリア海軍の英雄」という設定に、脳内で疑問符を盛大に量産していたのですから(^o^)/

ところが、ヴェネツィアの作曲家ヴィヴァルディが、自作の協奏曲集「ラ・チェトラ」Op.9 をカール六世に献呈したことがきっかけで、ヴェネツィアからトリエステに招かれて滞在し、カール六世と二週間にわたり親しく会談したこと、カール六世は港町トリエステを海上貿易と海軍の拠点として重点投資し、ヴェネツィアの独占的地位を打破したこと、などを知るに及び(*)、ようやく積年の謎を解明することができました。

そうか、第二次大戦の前は、トリエステはオーストリアの港だったのか!そうしてトラップ大佐は、第一次大戦時、オーストリア海軍の潜水艦の艦長として数々の軍功をあげたことで、英雄となっていたのか!

CD2枚組の協奏曲集「ラ・チェトラ」は、パソコンに取り込み、連続演奏することで、1番から12番まで、途中でCDを交換することなしで通して聴くことができます。これは便利です。ヴィヴァルディの音楽は、BGM として聴き流すこともできますが、よく聴くと、全12曲の1曲1曲が、変化のある、なかなか魅力的な音楽です。イタリア合奏団の演奏も、PCM(デジタル)録音も、たいへん明瞭なもので、これが1500円とはもったいないほどです。クレスト1000シリーズ、DENON COCO-70834。

(*):西原稔『クラシックでわかる世界史』がおもしろい~電網郊外散歩道
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最近購入した本とCDのことなど

2009年05月13日 05時54分06秒 | クラシック音楽
年度末・年度始めの多忙にまぎれて、このところずっと本も音楽CDも購入しておりませんでしたが、少し一息つけるようになりましたので、過日、某ショップにて、何点か新規に購入しました。以下はそのリストです。

(1)J.S.バッハ、平均律クラヴィーア曲集第2巻、アファナシェフ(Pf)
(2)モーツァルト、交響曲第39番、第40番、第41番、レクイエム、ベーム指揮ベルリン・フィル、カラヤン指揮ベルリン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団
(3)諸田玲子著『あくじゃれ』、新潮文庫
(4)モンゴメリ『アンの愛情』、村岡訳、新潮文庫

本のほうは、中年おじんにはいささか不向きなタイトルかもしれませんが、先日、娘が当方所有のレーザーディスク「赤毛のアン」「続・赤毛のアン」を借りて行きましたので、そういえばどういう話だったかなと思い、一時話題になった松本侑子訳の集英社文庫を引っ張りだしたところです。その続編は、残念ながら松本訳ではなくて、村岡訳で。
CDのほうは、いずれも好きな曲集ですので、季節も良し、楽しみに聴きたいと思います。

写真は、リンゴのつぼみ。開花前はこんな色なのですが、今は薄紫がかった白い花が開き、満開を過ぎた頃でしょうか。
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挨拶の原稿をシステム手帳のリフィルに

2009年05月12日 05時32分07秒 | 手帳文具書斎
システム手帳のリフィルを自作するのが流行した時期がありました。ワープロやパソコンが普及していった1980年代後半は、またシステム手帳が流行していた時期でもありましたので、ユーザーが様々な自作リフィルのノウハウを蓄積していたものです。当方も、自作ソフトで月間スケジュールを打ち出していたのが表計算に移行しましたが、結局はスケジュールは手書きが最も速く記憶にも残りやすいということから、市販のダイアリー・リフィルに落ち着いてしまいました。
しかし、パソコンで作成し、プリンタで打ち出す方が便利なものもありました。それは、仕事やプライベートで常時携帯し参照することの多い、様々な数値データやコマンドのオプションスイッチの類に関する覚えのリフィル、あるいは衣類のサイズ等に関するパーソナル・データなどです。
そのほかに、近年は年齢のせいか、様々な場面で挨拶を頼まれることが多くなりましたので、短い挨拶の原稿を用意するのに便利だと感じます。原稿なしの挨拶は、とかくだらだらと長くなりがちです。あらかじめワープロで練って行けば、簡明な挨拶の理想に近づけそうですし、それにだいいち、システム手帳をさっと取り出して簡潔に挨拶をするのは、なんとなくかっこいい(^o^;)>poripori

ところで、プリンタで打ち出した挨拶をシステム手帳に挟み込んで、いざ挨拶しようとするとき、ぜんぶ同じリフィル紙質ですと、原稿がどのページだったか、焦ってしまいそうです。そんなトラブルを防止するには、見出しや付箋を使うほかに、そもそも用紙の色や厚さ、紙質を変えてしまい、目立たせるのが効果的なようです。大量に印刷するために特殊な紙をたくさん用意しておくほどのものでもありませんし、当方は様々なチラシやカタログ類が入ってきたビジネス封筒を再利用して使うことにしています。各社が目立たせようと工夫している様々な色・厚さ・紙質の封筒にリフィルサイズで印刷すると、一目で区別でき、ぱっと開くことができます。おかげで、焦るということがなくなりました。
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五月の風の中、畑でくつろぐ楽しさ

2009年05月11日 05時39分17秒 | 週末農業・定年農業
先日の、裏の果樹園での農作業の備忘録です。リターンカルチという浅耕用の機械で園地内を耕し、草を根こそぎひっくり返してしまいます。こうしておけば、次の草の芽が出てくるまで、しばらく草刈りの必要はありません。もちろん、除草剤などは必要がありません。この機械は結構な「じゃじゃ馬」ですので、運転は注意が必要ですが、人力ではとても無理な面積を、数時間で終わることができました。
汗をかいたので、サクランボの木の下の日陰に腰をおろし、五月の風の中、畑でくつろぎました。訪花昆虫の羽音を聞きながら、なんとも気持ちの良い涼しさです。これでコーヒーと音楽があれば、言うことはありません。今度は、携帯魔法瓶にコーヒーを用意しましょう。ただいま聴いている音楽は、イタリア合奏団によるヴィヴァルディの協奏曲集「ラ・チェトラ」です。



写真は、咲き始めた頃のプルーンの花です。今はだいぶ咲き進み、花もそろそろ終わりかけです。
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シューベルトの弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」を聴く

2009年05月10日 06時05分00秒 | -室内楽
昔、1970年頃に、金曜夜の NHK-FM で、室内楽を特集しておりました。解説は海老沢敏氏だったと思います。このテーマ曲が、シューベルトの弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」の音楽とのこと。いかにも室内楽らしい、チャーミングな旋律で、いちど全曲を聴いてみたいものだと思っておりました。80年代も終盤に入った頃に、DENON がヌオーヴォ・カルテットによる新録音をCD化して発売したのを、行きつけのお店で偶然に見つけ、入手しました。こういう地味なCDが商売になるのかどうか、不明ではありますが、バブル最盛期の当時、DENON レーベルは次々に好企画をリリースし続けておりました。室内楽の、しかも弦楽四重奏曲を象徴するのは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典派の作品が中心ではありましょうが、近現代の斬新な作品とも異なる、シューベルトの弦楽四重奏曲の魅力もまた、独特の親密な雰囲気を持った新鮮さがあるように思います。

さて、この曲は、1824年2月に着手され、3月に完成したものだそうで、後期の3曲のうち、もっとも早く成立し、シュパンツィヒ弦楽四重奏団により、完成間もない3月14日に、ウィーン楽友協会ホールで初演されたそうです。シューベルトの弦楽四重奏曲の中では、唯一作曲者存命中に公開演奏された曲とのことです。

第1楽章、アレグロ・マ・ノン・トロッポ、イ短調、4/4拍子。非常に緊密な響きの中に、悲しみと慰めが同居するような、全曲中もっとも長い楽章です。曲の冒頭で、「城ヶ島の雨」の「あ~めは」を連想するというのは、実は内緒です(^o^)/
第2楽章、アンダンテ、ハ長調、2/2拍子。ここが例の「ロザムンデ」の音楽です。最初にこの楽章の冒頭だけを聴いたときには、なんてチャーミングな音楽だろうと思いましたが、全曲を聴いて、特に第1楽章の悲しみの色に驚いたものでした。四つの楽章の中で、2番目に置かれた絶妙の位置に、感心してしまいます。
第3楽章、メヌエット:アレグレット、イ短調、3/4拍子。チェロに導かれ、優雅なメヌエットの性格はきちんと保ちながら、再び悲しみの影と慰めが現れている音楽が流れ出します。ヴァイオリンは表情を変えますが、ヴィオラはずっと嘆きを呟いているかのよう。途中で曲調が変わり、チェロがぐっと表情豊かに出てきますが、冒頭部が再現され、終わります。
第4楽章、アレグロ・モデラート、イ長調、2/4拍子。ヴァイオリンから。悲しみの影はぐっと後退し、リズミカルで軽やかさのある、活発な音楽となります。緊密な構成感をも持っており、音楽による昇華というか、ある種のカタルシス感のある楽章です。これが終楽章として配置され、ベートーヴェンが没する3年前という時期の、研究と書法の進展を見るか、シューベルトの成熟の境地を見るか、天性のメロディーメーカー、旋律の大家というだけではないものが感じられるようです。

1987年4月13日~15日、イタリアのウニヴェルシタ・エウロペア・サン・ドメニコにおけるPCM(デジタル)録音、明るい音色の演奏はヌオーヴォ・カルテットで、制作は川口義晴氏。型番は、DENON 33CO-1849 で、変ホ長調の弦楽四重奏曲(D.87)が併録されています。

参考までに、演奏データを示します。
■ヌオーヴォ・カルテット
I=14'31" II=8'53" III=7'30" IV=7'29" total=38'23"
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佐伯泰英『鯖雲ノ城~居眠り磐音江戸双紙(21)』を読む

2009年05月09日 05時31分32秒 | -佐伯泰英
佐伯泰英著「居眠り磐音江戸双紙」シリーズ第21巻『鯖雲ノ城』は、先祖の墓参のため、おこんを伴い海路里帰りをした坂崎磐音らの、故郷・豊後関前藩での滞在生活の巻です。巻頭の豊後関前絵図が、いかにもそれっぽい雰囲気です(^o^)/

第1章「白萩の寺」。磐音、おこん、辰平を乗せた正徳丸は、無事に豊後関前藩に到着します。国家老の坂崎正睦ら家族が出迎えておりました。母の照埜とおこんは初めての対面です。後に、関係者一同が集まった席で、父・正睦は、磐音が佐々木玲圓の養子となり、佐々木道場を継ぐこと、おこんは速水左近の養女となり、佐々木磐音に嫁ぐことを伝え、坂崎家には妹・伊代の嫁ぎ先から、義弟の遼次郎を養子として迎えたいと話します。なるほど、です。
第2章「中戸道場の黄昏」。関前藩で磐音が剣の修行をした中戸道場は、沈滞ムードが漂っていました。これは、中戸先生の病気もさることながら、関前藩に食い込んできた商人・中津屋と、近年評判の諸星道場のつながりもあるらしい。
第3章「三匹の秋茜」。おこんと磐音は、今津屋のお佐紀の懐妊を祝い、西洋のゆりかごを土産に求めます。さらに、磐音・おこん・辰平の三人は猿田岬まで出向き、明和九年の事件で死んだ河出慎之輔・舞・小林琴平の三名が埋葬された墓に詣でます。ここはいい場面ではあるのですが、浜に下りてきても三匹の秋茜がまとわりつくように飛ぶというのは出来すぎでしょう。死者は記憶の中に生きるものであって、トンボになって人界をうろうろするものではないように思いまする(^o^)/
第4章「長羽織の紐」。お佐紀がひそかに用意してくれた婚礼衣装がきっかけで、磐音とおこんの仮祝言の準備が進む中、郡奉行の東源之丞が刺客に襲われます。その手には、犯人の証拠となる長羽織の紐が握られていました。どうも諸星道場の客分のものらしく、藩の物産プロジェクトの乗っ取りを企む中津屋が背後にいる模様です。国家老・坂崎正睦が、中津屋と会見すべく、浜屋敷に乗り込みます。
第5章「坂崎家の嫁」。事件が落着し、磐音とおこんの仮祝言が行われます。松平辰平は、西国武者修行の旅に出発し、磐音とおこんは箱崎屋から福岡へ誘われます。浜屋敷の大捕物でただ一人逃亡していた山瀬金太夫との勝負が、本巻のエンディングです。

第21巻にしてようやく仮祝言をあげた磐音とおこんのカップル、このペースでは本祝言まであと何巻を費やすのかと心配してしまいますが、磐音の家族親族の中で緊張して過ごす町娘おこんさんの気苦労は、けっこう大変だと思いますね~。ダンナの実家での嫁さんの過ごし方は、若さと美貌だけでは乗り切れない、落ち着きや聡明さが必要、というところでしょうか。嫁さんの実家での、婿殿の過ごし方も同じだと思いますけど(^o^)/
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もしタイムマシンで過去に戻れたら~聴いてみたい演奏会

2009年05月08日 20時46分18秒 | クラシック音楽
以前、「もしタイムマシンで過去に戻れたら~音楽編」という記事(*1)を書いておりますが、その続編です。もし、タイムマシンで過去に戻れたら、聴いてみたい演奏会は?

(1)1824年5月7日、ベートーヴェンの交響曲第9番の初演(*2)。ミサ・ソレムニスと一緒という、強烈なプログラムの演奏会。
(2)アーネスト・サトウが一時帰国していたときにむさぼるように聴いた音楽会の中から、1876年3月23日のフィルハーモニック・コンサート(*3)。メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」序曲、ウェーバー「オイリュアンテ」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、シューマンの交響曲第2番、ショパンのノクターン嬰へ短調など。ピアノ演奏は、クララ・シューマン。
(3)ボロディンが妻となる女性と知り合った、サナトリウムにおけるピアノ・リサイタル(*4)。
(4)米国に亡命する途中に立ち寄ったプロコフィエフが帝国劇場で開いたピアノ・リサイタル(*5)。
(5)ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の来日演奏会(*6)。モーツァルトの交響曲第40番とシベリウスの交響曲第2番を中心とするプログラムは、NHK-FMで実際にリアルタイムで聴きましたので、このほかの、「英雄」交響曲やグラフマンとのプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」、あるいはシューマンの2番の交響曲などが中心の演奏会。
(6)われらが山響の記念すべき第1回定期演奏会(*7)

そのほか、実際は話題作りのための「やらせ」による混乱もあったらしい「春の祭典」の初演とか、ベルリンの壁崩壊後の記念すべきバーンスタイン指揮「第九」演奏会だとか、もっと話題性のある演奏会も少なくないわけですが、当「電網郊外散歩道」の過去記事を中心に、いくつかを拾ってみました。

(*1):もしタイムマシンで過去に戻れたら~音楽編
(*2):実際は魅力的な女性写譜師はいなかったようですが~電網郊外散歩道「敬愛なるベートーヴェン」の記事
(*3):アーネスト・サトウが聴いたクララ・シューマン~「電網郊外散歩道」より
(*4):愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番を聴く」
(*5):大田黒元雄の回想による来日時のプロコフィエフ~電網郊外散歩道の記事より
(*6):セル/クリーヴランド管の来日公演ライブ録音のこと~電網郊外散歩道の記事より
(*7):タイムマシンで実際の演奏会に行くことは無理でも、録音か録画がありそうな気もします。山形放送あたりのライブラリに、保存されてはいないのでしょうか。一度、山響のあゆみを、定期演奏会の録音や録画で、見て(聴いて)みたい気がします。
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君、気持ちは涙が出るほど嬉しいが。

2009年05月07日 06時51分06秒 | アホ猫やんちゃ猫
しばらく我が家のアホ猫の記事が出ないなあと思われた皆さん、今日は、画像はずぅ~っと下の方に掲載いたします。もしも、ご覧になる場合は、自己責任でお願いいたします(^o^)/

さて、我が家のアホ猫、先日も明け方に獲物をくわえてご帰還あそばし、飼い主に見せようとするものですから、当方はいささか寝不足に陥ってしまったのでしたが、懲りないアホ猫の本性はまったく変わっておりません。クルミの脳味噌とか可愛い子ぶりっこ猫かぶりとかゲテものハンターとか、これまでもさんざん揶揄してまいりましたが、この日の夕方、何やら戸外でアホ猫が狂喜乱舞する声がします。どうやら、また獲物を持ってご帰還あそばした模様です。ところが、今回はさすがに妻も怒り心頭。「君、お気持ちは涙が出るほど嬉しいのだけれどもねっ!」

いや、アホ猫君も、さすがに室内に持ち込むことはしなかったのですよ。こんなのが室内に持ち込まれた日には、さすがの妻も「里に帰らせていただきます」。それでは、たぶんエサをもらえないと察したのでしょうか、クルミの脳味噌で。

何の話かって?これですよ、コレ。






















いったいどこでつかまえて来たものか、首のところが、しっかりと傷付いております。もう動けなくなっているようです。
キジもカラスも撃退し、我が家の周辺の生態系の頂点に立つ、真犯人はこいつです。



「フン、あたしは最強よ!」
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パソコン及び周辺機器の継続使用期間

2009年05月06日 05時19分20秒 | コンピュータ
先に、各種アプリケーション・ソフトウェアの継続使用期間を記事にしました(*)が、その続きとして、パソコン及び周辺機器の継続使用期間を調べてみました。次の表がその結果の一部で、上位のものから29位までを並べたものです。ただし、本体に拡張したメモリ等については、パソコン本体とほぼ同じ年数のため、省略しています。



ソフトウェアと比べて、継続使用期間が長いものが多いようですが、ソフトウェアとはまた別の要因もありそうです。

パソコン本体の場合、単一のOSで使っていた機械は短命で、異なるOSを併用していたものの継続使用期間が長い、という傾向があります。たとえば、私が使った Windows は 3.1→95→98→2000→XP とめまぐるしく変化交代しました。FM-Towns II Fresh という機械は、当初から TownsOS と MS-DOS と Windows3.1 を再起動で切り替えて使えるものでしたが、その後 CPU やメモリを拡張し、Windows95 を経てついには Linux まで投入しました。映像入力と画像編集なども楽しみましたし、ずいぶん長く使いました。十分に元をとったハードでした。また、FMV-6450CL2 も、320MB という、Windows98 全盛の当時としては破格の搭載メモリを生かし、Windows を引退後 Linux 専用機として、単身赴任のアパートの主力機として現在に至っています。
EPSON の VT516SR は、HDD を追加し、Windows95 と VineLinux1.1 のダブルブートで愛用しました。また、DEC の2台のマシンのうち、Venturis のほうは、やはり HDD を追加し、Windows95 と Linux のダブルブート機として使いました。一方、digitalPC5100 のほうは Windows98 専用機として使いましたが、いずれも筐体が大きすぎて場所ふさぎなため、早々と引退願いました。

このあたり、デスクトップ機を主として使い、ノート型はサブノートを愛用するという当方の流儀が明瞭です。CRT も 14" から 15" さらに 17" と大型化したために置き場所に困り、液晶ディスプレイの進歩は大歓迎でした。三菱のRD17は、早々と故障もしましたが、置き場所の問題が短命の最大の原因でした。

プリンタの場合、ドットインパクト方式のものからインクジェット、レーザープリンタへ、という変遷をたどってきています。Windows の普及で、プリンタ選択の自由を味わった記憶があり、これはたしかに Windows の功績だと思います。現在の Linux は、プリンタの選択という点ではまだまだ制約が大きいと感じます。

また、これまで変化の大きいものとして、通信回線があります。当初のアナログ回線から ISDN にしてターミナルアダプタをしばらく使い、常時接続の普及でダイヤルアップ・ルータに変え、ADSL を経て光接続になりました。ターミナル・アダプタとダイヤルアップ・ルータは自前で購入しましたが、結局はレンタルの方が安上がりだと気づき、ADSL に変更したときからレンタルにしてしまいました。

記録によれば、これまでに購入し使ってきたすべてのハードウェア及びソフトウェアの継続使用期間を平均すると、およそ 4.7年 となります。これは、実感とほぼ一致します。OS が大きくバージョンアップするごとに、ハード・ソフトともに何がしかの変更を余儀なくされてきましたが、こうして見ると、いいものを長く使う、ということを実践したければ、コンパクトで良質のハードウェアにフリーまたはオープンソースのソフトウェアを併用するなどして、企業主導で進められるハードの陳腐化を防ぐことが必要条件のようです。

(*):アプリケーション・ソフトの継続使用期間~「電網郊外散歩道」
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大江健三郎氏の失敗と井上ひさし氏のフォロー~シベール・アリーナで思い出す

2009年05月05日 05時30分24秒 | 散歩外出ドライブ
昨年の印象的なできごとに、大江健三郎氏の失敗と井上ひさし氏のフォローの一件(*)があります。

ラスクで有名な山形市のお菓子やさん「シベール」が、本社わきに図書館兼ホールを新築し、この御披露目を兼ねて、大江健三郎氏の講演会を計画したのだそうです。ところが、大江氏がついうっかり日取りを勘違いし、約束をすっぽかしてしまったらしい。だれでもやらかしそうな失敗ですが、そこは天下のノーベル賞作家、影響がまるで違います。そこで、集まった聴衆に、井上ひさしさんが即席で講演を行ったのだそうな。
後日、再度依頼を受けた大江氏は、「もう一度の機会をありがとうございます」と返信(*2)、勘違いの後日談を交えて講演会を行った(*3)とのことです。

この一連の経緯は、なにかとぎすぎすした世情の中で、公人の失敗と友人のフォロー、後日の誠実な対応という点で、ほっとするものを感じさせるものでした。先日、山形交響楽団の特別演奏会の後に、遅筆堂文庫とシベール・アリーナを見学し、同社のショップで、甘~いモンブランとコーヒーで農作業の疲れを癒したのでしたが、そういえばこんなことがあったねと、妻とこの一件を思い出したところです。

写真は、駐車場から見たシベール・アリーナの外観です。

(*):大江さん、ついうっかり日取り勘違いし講演に姿見せず~山形新聞
(*2):もう一度の機会をありがとう~山形新聞
(*3):勘違いの後日談を交えて~山形新聞
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訪花昆虫の減少を推理する

2009年05月04日 05時58分23秒 | 週末農業・定年農業
四月下旬の連日の低温で、果樹園の開花も遅れ気味でしたが、それ以上に、訪花昆虫が飛びませんでした。お天気が良ければ、ぶんぶんとうるさいほど飛んでいるはずなのに、全く姿も見かけませんし、羽音も聞こえない日が続きました。この理由の第一は、気温でしょう。20℃くらいから飛び回る訪花昆虫は、変温動物ですので、10℃とか12℃とかの気温では寒くて飛び回れないのだろうと思います。幸いに、このところの晴天続きで気温も上がり、訪花昆虫の活動も活発化しているようです。



ただし、訪花昆虫の絶対数が減少していることも確かです。殺虫剤の散布が影響していることも否定できないでしょうが、どうもそれだけではなさそうです。
報道では、ミツバチの不足が話題になっていましたが、オーストラリアなどからの輸入に頼るミツバチの女王に寄生する細菌の被害が多く、女王蜂の死で群れが崩壊する例が多いのだとか。女王蜂を中心に社会を作っているミツバチは、女王蜂が死んでしまうと帰巣本能が狂い、働きバチがばらばらになって死んでしまうのだそうです。なるほど、です。

もう一つ、在来のマメコバチ類の減少には、別の理由もありそうです。それは、かやぶき屋根の減少とかやの不足です。かやぶき屋根のかやに産卵し生育していたマメコバチは、かつての農村にはいたるところに住処がありました。しかし、住宅の屋根がトタンぶきにかわり、産卵場所が激減していきます。川原の天然の葦原もどんどん姿を消し、ほぼ唯一残っていたのが、果樹園の訪花昆虫用に軒先に下げたかや束だったのでしょう。でも、専業農家が減少の一途をたどり、農業の担い手も高齢化するなど、農家がこうした周辺の事情に気を配る余裕がなくなったと感じます。

我が家では、老父がかや束を用意し、日当たりの良い作業小屋の軒先にぶら下げて、マメコバチの産卵場所とするとともに、季節になるとミツバチの巣箱を果樹園に設置しておりました(*)。おかげで、ずっと受粉不良で困ることはありませんでしたが、昨年も今年も、ミツバチの巣箱を設置しておりませんし、用意したかや束も古くなり、更新の時期に来ています。残念ながら今年は間に合いませんでしたが、来年の課題に掲げておきましょう。

写真は、剪定が間に合わず、花を咲かせすぎた梨の木。



そして、こちらが梨の花です。



(*):ミツバチの巣箱の写真~2006年5月の電網郊外散歩道「ドヴォルザークの交響曲第8番を聴く」
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山形交響楽団特別演奏会「五月の風」さわやかコンサートを聴く

2009年05月03日 17時28分35秒 | -オーケストラ
「らびおがゆく」の記事(*)で、山形交響楽団特別演奏会「五月の風」さわやかコンサートの開催を知り、午前中に畑仕事を済ませ、妻とともに文翔館に出かけました。余裕を持って13時に到着と思ったら、文翔館駐車場はすでに満車寸前で、あと1~2台というタッチの差でセーフ。やはり、開場前に余裕を持って到着する必要がありそうです。



文翔館議場ホール前の広場は、チューリップの花が咲き、若葉に文字通り五月の風がさわやかに通り抜けて行きます。少し会場周辺を写真撮影し、ホールに入ります。客席は、4-5-4 の13人×10列+αといったところ。室内楽にはちょうどよいホールでも、オーケストラにはやや手狭な感じです。よく響くホールに合わせ、編成もぐっと小さくして、第1・第2ヴァイオリンは第3プルトまで、ヴィオラとチェロも第2プルトまで、といった具合。でも、木管・金管はほぼ基本的な二管編成を維持しているようです。山形弦楽四重奏団のチェロ奏者である茂木さんやヴィオラの倉田さんは、「おしどり参加」の様子です。今回の演奏会では、団員の皆さん黒っぽい略式服に各自明るめのネクタイ等、少しくつろいだ雰囲気を演出しています。表情もにこやかで、定期演奏会の前の緊張した雰囲気とは少々異なるようです。

開演5分前には、130席余りの座席はすでに満席で、かなり立ち見が出ているようです。この演奏会は、山形交響楽協会と山形県生涯学習財団が共同で主催するもので、入場無料であるだけでなく、曲と曲の演奏の合間ならば出入りも自由と、いつもの「クラシックの演奏会」とはかなり様子の違うコンサートです。司会は板垣幸江(Itagaki Yukie)さん。指揮は工藤俊幸(Kudou Toshiyuki)さん。

1曲め、グリーグの「ペールギュント」第1組曲より「朝の気分」。工藤さんらしい、丁寧な指揮ぶりです。
2曲め、ヘンデルの「水の上の音楽」より「ア・ラ・ホーン・パイプ」。会場によく似合う響き、ぴったりです。オーケストラ全体が演奏する中でも、クラリネットやオーボエやファゴットが、リズムを刻むようにポッポッポッポッポッと吹いているのがよく聞こえ、響きの良いホールであることを再確認。
第3曲、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」より。おやおや、司会者の説明が、誰でも「聞いたことはない」くらいの名曲?「聞いたことのない人はいないくらいの名曲」の間違いでしょう。ちょっと緊張したのかな(^o^)/
この曲では、コントラバスの動きに注目しました。弓をはね返すような奏き方をして、重いコントラバスからあのようなリズミカルな音を出すのですね。
第4曲、服部公一「最上川ファンタジー」。チェロが旋律を奏しますが、力強い曲調です。リズムは民謡のものではなく、やや現代風、ジャズ風。Fl-Ob-Cl-Fgと続く下降音型の音色の繋がりが素敵です。

ここで、司会者が映画「おくりびと」の話題を出します。映画に出演していたオーケストラは山形交響楽団で、と紹介したところで、聴衆から自然に拍手。映画で主人公の隣に座り、一番たくさん話をしたというチェロの渡邊研多郎さん、モッくんの印象を聞かれて、すごくかっこいい人だ、と答えていました。これはまあ、普通ですね。もちろん、司会者はそれでは許しません。本木さんのチェロの練習について質問します。渡邊さんの答え:本木さんは(第九の)譜面は読めないので、数えながら指の位置を覚えていました。ちょうどダンスのように。実際に音を出すと、相当に練習したのでしょうが、それらしい音が出てくるので驚きました。弓の位置や角度などにも気を遣い、ほんとにさまになっていました。
なるほどなるほど。司会者は、今度は酒田市出身の指揮者・工藤さんに矛先を変えます。「おくりびと」の映画をご覧になりましたか?
工藤さんの答え:大好きな映画で、もう8回も見ました。映画館で観るのが好きなので、DVDはまだ買っていません。
司会者の質問は、工藤さんと音楽との出会いに。
工藤さん:テレビっ子で、アニメソングが大好き。小学校低学年で、シングル50枚持っていた。中学校の時、YMO のテクノブームがあり、坂本龍一さんに憧れた。坂本さんは芸大の作曲科卒。自分も音大の作曲科に進み、クラシック音楽が面白くなった。
芸能界の顔でもないし、と謙遜しながら、生の音を聴く楽しみ、生の演奏を観る楽しみを語ります。まじめで人柄の良い、でも演奏前に指揮棒を忘れて取りに戻ったりする、おちゃめなところもあるコンダクターです。

続いて第5曲、岡野貞一「ふるさと」。第6曲、アイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」。思わず歌い出したくなります(^_^)/
第7曲、エルガーの「愛の挨拶」。これは妻のお気に入りの曲です。音楽もですが、エルガーとキャロラインさんのエピソードもお気に入りの理由かもしれません(^_^)/
さて、チューニングの後、最後の曲目、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲です。讃美歌の「主よ み手もて 引かせ給え ただわが主の 道を歩まん」の旋律の後に、チェロからほの暗い劇的な音楽が始まります。正面の茂木さんの表情も真剣そのもの。コンサート・ミストレスの犬伏さんも、はずむように大きく、力感のこもった演奏ぶりで全体をリードします。チェロの静かな旋律のあとに、全休止。そのあとは全奏で盛り上がって終止へ。う~ん、満足!
聴衆の大きな拍手に応えて、最後は「ラデツキー行進曲」で。こちらも大いに盛り上がり、楽しい演奏会でした。

文翔館を後に、駐車場に向かうときに、赤い大きなチェロ・ケースと、黒い小型のヴァイオリン・ケースを肩にしたおしどり二人連れが歩いて駐車場を横切るのを目撃。たぶん、茂木夫妻と思われます。

この後の当方の足取りは、山形市のお菓子屋さん「シベール」が、本社脇に建設した「遅筆堂文庫」とシベール・アリーナを見学、シベールで甘~いモンブランでコーヒーを飲みました。早朝の農作業の疲れからか、甘いものがおいしかった!

(*):「らびおがゆくVol.3」より~「チューリップ&山形響」
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アプリケーション・ソフトの継続使用期間

2009年05月02日 05時45分27秒 | コンピュータ
あるソフトウェアのバージョンアップの案内があり、そういえば最近は、市販ソフトのバージョンアップを申し込まなくなってしまったなぁと感じました。いささか思うところがあり、当方の備忘録等をもとに、OSとプログラミング言語を除くソフトウェアの継続使用期間を調べてみました。あくまでも「継続的に使用していた(る)」期間、というもので、断続的に使用することもある、程度のものは省きました。プライベートで使うソフトウェアの変遷に、時代を写すものがあるなぁと感じたしだいです。

昭和の頃は、自作のソフトで表集計しておりましたし、プログラムは自作するものでした。それが、MS-DOS上で動作する各種アプリケーションやフリーのテキストエディタを愛用するようになり、FM-TOWNS で TeX や Linux を知り、Windows と Linux を併用する現在のスタイルに落ち着きました。
平成の初期には、まだ FM-OASYS などを主体としており、忠実にバージョンアップをしておりました。Windows に移行してからは、MS-Works や LotusSuperOffice から MS-Office へと変わっていきました。このあたりは、自分で選んだというよりは、むしろ時代の流れによるものです。



これに対して、いわゆるフリー・ソフトウェア、オープンソース・ソフトウェアの使用期間は、全体に長めのものが多いことに気づきます。うっかり忘れて名前を挙げていないものもある(*)かと思いますが、大勢はこんなものでしょう。OS の変化に伴い、使わなくなってしまったものも多いのですが、TeX や awk のように、環境が変わっても共通に使えるために、ずっと使いつづけることができたと思います。

大企業がバックにあるから安心して長く使いつづけられるわけではなく、むしろ企業の栄枯盛衰のほうが早い。プライベートで長く共通に使いつづけたいのなら、むしろフリーあるいはオープンソース・ソフトウェアを選択するほうが良い。あらためて、そんな感想を持ちました。

(*):そういえば、FM-Towns で愛用していたテキストエディタで、HEwin というのもありました。4年くらい使ったかな? DOS の64KBの制限もなく、メモリが許す限り大きなファイルをたくさん取り扱うことができ、途中で「落ちた」経験もなく安定していて、あれは便利だったという記憶があります。
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