電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山崎光夫『北里柴三郎(下)』を読む

2019年09月27日 06時05分17秒 | -ノンフィクション
中公文庫の新装版で、山崎光夫著『北里柴三郎』の下巻を読みました。上巻に続き、第三章「疾風の機」、第四章「怒涛の秋」からなります。

ドイツ留学から帰った北里柴三郎でしたが、日本では活躍の場がありませんでした。脚気病菌の一件で東京医科大学からは冷遇されており、米国から研究所の所長にと破格の待遇を示され、迷います。転機をもたらしたのは、福沢諭吉でした。福沢は自分の土地を提供し、実業家の森村市左衛門が資金を出し、大日本私立衛生会が中心となって、芝公園に「伝染病研究所」を開くことになります。

これは、文部省が計画していた東京医科大学内に官立の伝染病研究所を作るという計画に先んじるもので、ここでも文部省・東大と対立する結果になります。そこで起こるのが、伝染病研究所設置反対運動。柴三郎は所長を辞任すると発表、経緯が新聞で報道されて逆に同情論が強まり、広尾に移転して病院も併設することになります。

そんな折、明治27年に、香港にペスト発生の一報が入り、政府は医科大学教授・青山胤通に病理解剖と臨床を、北里柴三郎に細菌学の調査研究を命じます。青山はペスト患者の遺体を解剖し、柴三郎は顕微鏡下にペスト菌を確認しますが、青山は自分がペストに感染してしまいます。幸いに、徐々に快方に向かいますが、柴三郎は病原を確定するため実験を進めます。この報告を論文にまとめ、『ランセット』誌に寄稿、掲載されます。ペスト菌がグラム陰性なのか陽性なのか、一部に曖昧な点は残ったものの、たしかにペスト菌発見の第一報でした。

伝染病研究所の運営は、ジフテリア血清など血清療法のベースとなる血清製造をすすめるなど、順調に運びますが、愛妾のすっぱぬき事件やら何やら、脱線も発生(^o^)/
また、経費面で窮屈な私立の伝染病研究所を国立に移管することになり、福沢は危惧しますが、後年、その懸念は現実のものとなります。このあたりの政治的かけひきは物語としては面白いけれど、研究のスムーズな進行を阻害するブレーキでしかないでしょう。背後には文部省・東大との確執があり、脚気病論争の影響があったようです。



物語の読者としては、伝染病研究所の所管をめぐる政治的な動きや、所長が辞めるならオレも私も、と続く所員の動きなど人情噺のようなドラマも面白いところでしょうが、当方はむしろ研究の経緯のあたりに興味関心が向かいがちです。志賀潔の赤痢菌の発見や野口英世の若かりし時代など、そうそうたる顔ぶれが登場するドラマは、やっぱり面白いです!


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