電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山住正己『日本教育小史~近・現代~』を読む

2016年07月01日 06時04分54秒 | -ノンフィクション
岩波新書の黄版で、山住正己著『日本教育小史~近・現代~』を読みました。1987年に刊行された本書は、今からほぼ30年前の本ですが、当ブログの「歴史技術科学」カテゴリーに関連する戦後の動きをコンパクトに知る目的で、久しぶりに手にしたものです。著者は1931年生まれの東京都立大教授(当時)で、内容的には教育をめぐる政治の動きや事件が多く扱われ、当方の興味関心の方向とはかなりずれているようですが、それでも多方面に拾い上げられた事実に関しては参考になる点が多くあります。



本書の構成は、次のとおり。

I. 開国・維新と教育
II. 近代化の推進と教育勅語体制
III. 軍国主義の加速する歩み
IV. 戦後教育改革
V. 教育の保守化と高度経済成長

当方の興味関心の点から注目したのは、次のような記述でした。

まず、学校建築の画一化が起こった時期についてです。明治初年に建てられた各地の小学校は、開智学校や朝陽学校など、それぞれに個性的なものです。ところが、現在の小学校は、大部分が似たようなつくりになっています。この点について、本書は1891年に制定された小学校設備準則において校地・校舎の基準や備えるべき教具の種類などを指示したころから、20世紀に入るあたりで、北側に廊下、南側に教室という兵舎スタイルの類型化が進行した、としています。20世紀の始まりは1901年、この年は明治34年にあたります。それまでの1県1中学校の縛りが取れて各地に中学校が設置され、少し前の徴兵令の改正の影響もあって、中学校への進学率が上昇していた頃でしょう。たぶんに学校建築の負担に対する、財政的な理由からではなかったかと思われます。

また、敗戦後の一般的認識の実情も興味深いものがあります。東久邇宮内閣における文部大臣、前田多門によるラジオ放送が、当時の代表的な考え方をよく伝えているように思います。

■8月27日「少国民の皆さんへ」
先生に教わった事を暗記するのではなく、常に頭を働かせて「ハテナ、その訳は」と自分で一応考えてみて、解けないところはよく調べて本当に自分の考えを練るのが知恵を磨くことであります。
■9月10日「学徒に告ぐ」
目先の功利的打算からではなく、悠遠の真理探究に根差す純正な科学的思考や科学常識の涵養を基盤とするものでなければならぬ。換言すれば、高い人間的教養の一部分として科学の重要性を認めたい。
■11月、前田文相、係官を各地に派遣し科学教育の実体を究明。×科学の軍国主義への従属、×国民的基盤の欠如。
「科学教育の目的について、科学精神を啓培して合理主義的・実証主義的心構えを国民生活に浸透させ、国民の教養を刷新向上して新日本文化の礎石を創成すること、近代科学がその本質において民主主義と密接不可分の関係にあることを明らかにするところにあるとしていた。」
(以上、p.152~2)

国によっては、統計数字がでたらめで、支配者あるいは独裁者の気にいるように勝手に改ざんされ、報告され、集計されていました。戦前の日本が良い例ですし、アマルティア・セン教授が指摘するインドのベンガル地方の大飢饉や、スターリンのロシア、中国の新五カ年計画で多くの餓死者を出した例、あるいは現代でも中国の李克強首相が自国の統計数字はいくつかの指標を除いては信用できないと述べたと言われるなど、たくさんの事例を挙げることができます。これに対して現代の日本では、例えば統計数字の正確さに対する献身と信頼(*1)が、広く国民的意識として存在すると言ってよかろうと思います。戦前に比較して、戦後のこの大きな変容は、おそらく前田文相のような意識がかなりひろく受け入れられたからなのでは。

(*1):映画「武士の家計簿」で描かれていたのも、まさにこの例。


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