少々時期が過ぎましたが、アスパラガスの話です。
二つあるサクランボ果樹園のうち、自宅から少し離れた場所にある園地に、いつごろ植えられたものか、古いアスパラガスがひと株だけ取り残されたように育ちます。たぶん、亡父がサクランボを植栽する前に、アスパラの畑として使っていた名残と思われ、おそらく二〜三十年くらいは経過しているのでしょう。わずかひと株ですが、シーズンになると実に立派な、親指よりもっと太い緑のアスパラがにょきにょきと出てきます。サクランボや桃などの管理作業の合間に、このアスパラを数本ポキっと折って帰ると、お昼のパスタ等にちょうどよいものですから、たいへん重宝しています。
そういう目で眺めてみると、自宅裏の園地にも、あちこちにアスパラガスのふわふわした葉や茎が見られます。老母と妻が丹精しているアスパラもだいぶ本数が増えつつありますが、古株の立派な育ち具合にはまだ負けます。
取り残されたアスパラガスの古株は、草取りや追肥など、眼のつけよう、手のかけようでまだまだ恩恵を受けられそうです。
二つあるサクランボ果樹園のうち、自宅から少し離れた場所にある園地に、いつごろ植えられたものか、古いアスパラガスがひと株だけ取り残されたように育ちます。たぶん、亡父がサクランボを植栽する前に、アスパラの畑として使っていた名残と思われ、おそらく二〜三十年くらいは経過しているのでしょう。わずかひと株ですが、シーズンになると実に立派な、親指よりもっと太い緑のアスパラがにょきにょきと出てきます。サクランボや桃などの管理作業の合間に、このアスパラを数本ポキっと折って帰ると、お昼のパスタ等にちょうどよいものですから、たいへん重宝しています。
そういう目で眺めてみると、自宅裏の園地にも、あちこちにアスパラガスのふわふわした葉や茎が見られます。老母と妻が丹精しているアスパラもだいぶ本数が増えつつありますが、古株の立派な育ち具合にはまだ負けます。
取り残されたアスパラガスの古株は、草取りや追肥など、眼のつけよう、手のかけようでまだまだ恩恵を受けられそうです。