電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

多和田葉子『言葉と歩く日記』を読む

2019年11月09日 06時03分40秒 | -ノンフィクション
2013年刊の岩波新書で、多和田葉子著『言葉と歩く日記』を読みました。著者は1960年生まれで、大学卒業後に渡欧し、現在ドイツ在住、日本語とドイツ語で作品を発表するかたわら、依頼を受けて作品を朗読するなど、各地を旅する機会が多いようです。移動の徒然に日英独の言葉について考えたことが、日記のような形式で綴られています。日付によって話題はポンポンと飛び、論旨一貫した主張とはかけ離れたスタイルで、ついていくのに少々骨が折れました。そんなわけで、感想というよりは触発されての雑感、雑記というものになりますが、いくつかをメモ。

  • 「因幡の白ウサギ」について、私もなぜワニが登場するのか不思議でした。可能性としては、(1)当時は温暖でワニがいた、(2)古代の人々のルーツはワニが生息する南方から来た、(3)ワニという言葉が指し示す動物が今とは違う、などが考えられますが、彼女は晩年のレヴィ・ストロースの環太平洋文化圏説を紹介しています。(p.40〜41)
  • 「言い切る」ことへのためらいについて、「決めつける」ことで相手に不快感を与えないように予防線を張る心理、と分析しているようです。べつに「春はあけぼの」と言い切ったっていいじゃないか。これは同じように感じます。(p.102)
  • ハンナ・アーレントの映画の中で、かつて彼女の恋人だったことのあるハイデッガーが「母語であるドイツ語をいじりまわして」「意味ありげに語る滑稽でケチな野郎として描かれていた」とのこと。一般に偉いと言われている哲学者の評価が、ちょっと意外でおもしろかったです。(p.118)
  • 「物心ついてからこのかた」を英(独)語でどう言うのか。片岡義男の言葉「日本語の言い方を細かく砕き、日本語的な言い回しをすべてふるい落として純粋に意味だけを残し、それを正しい語順の英語に託して相手へと届け」る、そういう努力を毎日続けることを重要と考えているとのこと。ちなみに片岡訳は remembering as far back as I can とのこと。なるほど。(p.121)
  • クリエイティヴな仕事をしている人というのは、「売れる商品をつくっている会社の内部で、視覚的に買い手を魅惑する係の人」であって、真剣に芸術に取り組んでいる人ならそうは言わないだとう、というのも同感。(p.208)

など、なかなか興味深いものがありました。



温又柔『台湾生まれ日本語育ち』(*1)に描かれる、家族が世代によって日本語や中国語がごちゃまぜの言語でやり取りせざるを得ない話は、統治者の交代という否応ない歴史の産物でしたが、多和田さんの場合は自ら選択した結果としての多言語生活です。その点で、歴史の悲劇の影響はうすく、本人の知的な強靭さを感じさせる本と言えそうです。

(*1):温又柔『台湾生まれ日本語育ち』を読む〜「電網郊外散歩道」2016年4月
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