電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

ベルンハルト・シュリンク『朗読者』を読む

2019年07月22日 06時02分12秒 | 読書
この冬に久保寺健彦著『青少年のための小説入門』をおもしろく読み(*1)、この作品のベースとなっているものの一つに、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』があるのではないかと想像しました。そんな連想がきっかけではありましたが、新潮社クレストブックス・シリーズ、『朗読者』を再読しました。2000年4月発行、訳は松永美穂。



本書を初めて読んだのはいつごろだったのかな?
どれどれ?

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〜中略〜
2003/09/22 ベルンハルト・シュリンク『朗読者』読了 ○○○○○△△店で新潮社刊のベルンハルト・シュリンク著『朗読者』を購入、読了した。第1部は少年と30代女性の恋、第2部は女性の強制収容所における役割を問う裁判、第3部は女性の晩年の死である。1人の貧しい女性の文盲を背景とし、終身刑を宣告された刑務所内で、読み書きできる力を得て、アウシュヴィッツ等の強制収容所関連の書籍を読んでいた事実などを示す。年の離れた恋人どうしは、若い世代と上の世代とを象徴するのだろう。表紙の人形も示唆的である。



このブログを始める少し前、最初の単身赴任の頃でしょうか。読み終えた後の印象は、今回も変わりませんが、細部で理解が深まったと感じるところがいくつかありました。例えば第二部、ナチスの戦争犯罪の責任を問う裁判の中で、収容所の看守仲間だった口の悪い女がハンナに罪を着せて自分は責任を逃れようとします。

「あの女に訊いて下さい!」
彼女はハンナを指さした。
「あの女が報告書を書いたんです。あの女のせいなんです。あいつ一人の。報告書を書いて事実をもみ消そうとしたのも、あたしたちを巻き込もうとしたのもあの女です」(p.120〜1)

そんなはずはありません。ハンナはなぜミヒャエル少年に朗読してもらっていたのか。なぜ二人だけの旅行でメモを残していたのにあんなに怒ったのか。ハンナは文字を読むことも、自分の名前以外に字を書くこともできないのですから、筆跡鑑定をされれば字を書けないことが知られてしまうのです。だからこそ、裁判長に

「専門家をよぶ必要はありません。報告書を書いたのはわたしです」(p.124)

と嘘をついたのでした。

文盲であることを知られたくない、知られれば自分の出自(ロマ)が推測され、自分自身も収容所に入れられてしまいかねない。それがハンナの生き方を決めている。収容所の看守仲間に裏切られたのも、その事実を知られたくないために強引なことをやって恨まれたりしていたからでしょうし、36歳のハンナが15歳の少年を恋人にしたのも、性に夢中になる少年ならば自分の秘密を隠すことができるからという要素もあったのでしょう。ところが、必ずしもそうはいかなかった。

第三部の終わりに、終身刑で服役中に、ミヒャエルが朗読して送ってくれるテープと本を照合して文字を覚え、手紙を書けるようになり、様々な本を読めるようになったハンナが、仮出所を前になぜ自殺したのか。結果的にナチスの戦争犯罪に加担したことを理解した罪の意識もあったでしょうが、おそらくそれだけではないでしょう。ハンナから自筆の手紙を受け取りながらその返事を書くことはせず、相変わらず朗読のテープを送り続けた「坊や」が、若かった頃の自分を大切に思ってくれるのは嬉しいけれど、過ぎ去った時の重さというか、服役して年老いた今の自分を受け入れ以前のように愛してくれるとは限らない、一度は捨てた彼の人生にさらに負担をかけるだけだと思ったのも大きな要因なのではなかろうか。

晩年のハンナと同年代になった今、この心境はよく理解できます。そして、収容所から生き延びた少女に会い、ハンナの遺志を伝えるエピソードは、余韻の残るものです。16年後の再読は、人生のほろ苦い味わいとともに、良い作品を読んだ後の充実した読後感でした。

(*1):久保寺健彦『青少年のための小説入門』〜「電網郊外散歩道」2019年2月

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