電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

高校時代の恩師の葬儀に参列する

2019年06月24日 06時03分41秒 | Weblog
新聞で訃報に接し、急遽、予定を変更して高校時代の恩師の葬儀に出席してきました。穏やかな人柄で生徒にも信頼される先生で、入学した年に恋愛結婚されたのではなかったか。記憶によれば、新採用教員のときに新潟地震に出くわし、皆さんが逃げる中、後に奥様となった女性教師をかばって職員室にとどまったのだそうな。そんな噂が生徒の間で囁かれておりました。私たちが卒業した後に、様々な要職を歴任された方だけに、実に多くの会葬者が会場にあふれました。弔辞も型どおりでない、心のこもったもので、私たちの同期生の代表は今は有名作家となっている某君(*1)。「教室の後ろの方に吹き溜まっていた私たち」をあたたかく指導してくれたこと、折りに触れて手紙をいただき、またときどきお会いした際には変わらぬ笑顔で話を聞いてくれたことなどを、時折言葉につまりながら、訥々と述べていました。彼の弔辞の中で心に残ったのは、老子のものだという、

死而不亡者寿 死してなお亡(ほろ)びざるものは命長し

という言葉でした。

また、二回上の先輩学年の代表である某議員さんの弔辞では、担任だった先生の結婚が決まった時に、教室の黒板に大きく相合傘を描き、先生のお名前と奥様の名前を並べた「事件」があったけれど、あの首謀者は私でした、と白状した後、首相も自民党文教族も教育委員会制度を廃止し、首長の下に置く制度改正を考えていたけれど、当時の取りまとめ役として、教育長経験者である先生の意見をお聞きしたところ、教育の独立性は保ったほうがよいこと、むしろ教育委員長と教育長の権限の整理をしたほうがよいことなどをうかがい、今に続く制度の改正案としたことなどの裏話も聞きました。

お孫さんの別れの言葉も、涙を誘いました。敬愛する「おじい」が、これほど多くの人に敬慕されたことに驚きながら、早すぎる別れを受け止めきれていないようでした。



高二の時に、理系志望なのに物理がサッパリで、むしろ文系科目のほうが安定していたものだから、先生に「君は文系だね」と言われてしまいました。三年時に物理の先生が代わり、まともな成績に回復(*2)してきたために、結局は理系志望を貫いたのでしたが、卒業後に先生にその話をすると、「文系的理系だったということだな」と笑われました。そろそろ退職間近な頃、同期のH君が「海」の章を執筆していたIPCCの第四次報告書でノーベル賞を受賞して数年後でしたが、H君と奥さんと一緒に、先生を囲む席に加わったことがありました。私も本業のほうで某賞の候補として推薦を受けたらしいけれど東北地区は他県の方に決まったらしい、などと報告したものでした。先生はすでに要職を退き、奥様とともにお母様の介護などで地味な生活を送っておられましたが、そろそろ定年退職期を迎えた卒業生の話に耳を傾けて、ニコニコ嬉しそうでした。あのときも穏やかな笑顔の印象が強いです。

思いがけない訃報が続きます。なんだか気力が弱りそうですが、あの世とやらがあるのならば、そこで先生に笑われないように、しっかりしなければいけません。

(*1):飯島和一『雷電本紀』を読む〜「電網郊外散歩道」2007年9月
(*1):高校生の頃のノート〜「電網郊外散歩道」2016年4月

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