電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

柏原宏紀『明治の技術官僚〜近代日本をつくった長州五傑』を読む

2018年08月16日 06時04分39秒 | -ノンフィクション
中公新書で、柏原宏紀著『明治の技術官僚〜近代日本をつくった長州五傑』を読みました。2018年4月刊です。



本書の構成は次のとおり。

序章 現代の技術官僚と長州五傑
第1章 幕末の密航
第2章 新政府への出仕
第3章 大蔵省での挫折
第4章 工部省での活躍
第5章 政治家への道
第6章 技術官僚の分岐点
結章 長州五傑から見た技術官僚論

内容は、たいへん興味深いものです。一口に長州五傑と言いますが、それぞれの役割は同じではない。幕末に英国に密航留学した五人のうち、伊藤博文と井上馨は一年未満で帰国し、政治の道に歩き出します。英国を中心とした西欧文明の見聞は貴重ではありますが、どちらかといえば表面的なものでしょう。山尾庸三ら残った三人は、実質的な留学生と言うことができ、帰国した後に技術官僚としての道を歩み始めます。

政策の実現のためには、有力政治家の思惑や争いを利用し、時には自らの価値と辞表を武器にして、粘り強くかちとっていかなければならなかったことがよくわかりました。また、明治初年には輝ける洋行経験でしたが、実務の中でしだいにメッキが剥げてくる面もあり、再三にわたる洋行を通じて憲法調査などを行った経験が、伊藤博文が政治家として長く第一線に立てた要因になっているようで、剥げかかったメッキをやり直してもう一度ピカピカにするようなものでしょう。

近代日本のインフラを整備した山尾庸三、井上勝、遠藤謹助の三名の事業は、後に統廃合や民間売却などにより、政府直轄の事業ではなくなります。彼ら自身も、結局は後進に道を譲り、第一線を退きます。それは、幕末期に英国密航留学により身につけた専門性が、後任者に追い越される過程でもありました。このあたり、三名の技術官僚が果たした先駆的役割の終わりを惜しむよりも、そういう後任者を次々に育成していくことができるダイナミックなシステム=リービッヒに端を発する理論学習と実験実習を中心とする教育システムの歴史的有効性(*2)を再確認すべきでしょう。

(*1):『明治の技術官僚』/柏原宏紀インタビュー〜WEB中公新書
(*2):「電網郊外散歩道」歴史技術科学カテゴリー

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