電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「共有」という概念とその範囲

2017年02月17日 06時03分28秒 | コンピュータ
昔から「共有」という概念はあったようです。例えば、田舎の村には村落共有財産という考え方があって、共同で利用できる代わりに、労役も一斉に共同で提供し、掟破りには村八分に至る様々な制裁が用意されていました。共有の範囲は村落民であり、村人でないものは排除されていました。これは、善意だけでは成り立たない、「共有」という概念・慣習の持つ不安定さ・脆さを守るために、どうしても必要なものだったと思われます。

では、現代ではどうか? コンピュータには共有フォルダ等の概念があり、ネット上に保存した情報やスケジュール等を共有するか否かの設定ができるようになっています。共有の範囲も、本人かグループか不特定多数か、といった程度の区分であり、グループの構成員かどうかは、パスワード等によって担保される形が多いようです。でも、不注意な人がパスワードを漏らしてしまったり、ウィルス等によって盗まれてしまったりした場合、悪意を持ってなりすます部外者を排除することはできません。ましてや、制裁などは論外です。

日常生活における「共有」という概念を、コンピュータの世界に当てはめると、時として裏切られる結果になる場合があります。「共有」はしばしば「意図しない公開」に通じてしまう覚悟をもって臨むべきでしょう。でなければ、共有という選択をすべきではない。自分のことは自分で、他人を当てにしない、そんな姿勢とともに、個人に属する情報などはうかつに共有しないという頑固さも、時には考慮に値するのかもしれないと感じます。

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