電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

モンゴメリ『アンの青春』を読む(2)

2009年07月10日 06時30分01秒 | -外国文学
モンゴメリ原作の『赤毛のアン』シリーズ第2作、『アンの青春』を、松本侑子訳の集英社文庫で読んでいます。

第11章「現実と空想」第12章「ヨナの日」。小さい子供を教えるということの驚きと喜びを、子供の作文を通して手紙形式で描いています。おそらくここは、作者の実際の経験に基づいくところでしょう。おそらく作者は「お気に入りの子供」を作ってしまうタイプだったのではないかと思ってしまいますが、子供を描く観察力はさすがです。アンソニー・パイを手なずけたやり方は、理想だけではどうにもならない現実を、少しずつ受け入れていくアンの成長の過程なのでしょうか。
第13章「夢のようなピクニック」第14章「危険は去った」。春の一日、アン、ダイアナ、プリシラ、ジェーンとそれぞれ性格の異なる四人の乙女がピクニックを敢行。三人寄れば何とやら、四人ならば現実にはこの程度ではすまなかったようにも思いますが、ヘスター・グレイの庭を発見し、アヴォンリーにもまだまだ道の場所が少なくないようです。現実の前に現実的に対応する分別を身につけつつあるアン。塀を売薬会社の広告に貸すというジャドソン・パーカー氏の弱みを握ったところなど、なかなかたいしたものです(^o^)/
第15章「夏休み、始まる」第16章「待ちこがれた訪問、決まる」。夏休み。それは日本のように途中の長い中断なのではなくて、年度の終わりの、契約更改の時期を意味します。新米教師としてのアンは、賞賛の言葉の中で契約を更新することができたようです。亡き母の墓参りに行くというポール・アーヴィングや、アラン牧師夫人との会話も、後で意味を持って来そうです。

「友情はたしかに美しいものよ」アラン夫人はほほえんだ。「でも、いつかは---」

この後に続く言葉は何なのか。たぶん、友情に対する懐疑的なものではなく、ギルバートとの将来に対する予言だったのかなと思います。デイヴィとドーラの双子の相手をしながら、作家モーガン夫人を迎える準備です。
第17章「思いがけない災難続く」第18章「トーリー街道の変てこ事件」。大事な来訪者を待っている時ほど、不運な出来事が頻発するのは、やはり注意力が散漫になっているからでしょうか。いたずらっ子がレモンパイの上に大の字になって転倒し、グリーンピースにお砂糖は入れすぎ、借りた皿は粉々に割れるという不運が続き、きわめつけはゲストが怪我で凝られないというものでした。幸いに、借り物の皿は代わりを入手でき、変てこな事件は一段落の模様です。
第19章「幸せな一日」第20章「事は往々にして予期せぬときにおきるもの」。不在の父親が息子ポールに贈った誕生日のプレゼントは、亡き母の写真でした。デイヴィは少しずつ良い子になろうとし、ギルバートは改善協会の良い知らせを持ってきます。たしかに、

「結局、幸せで楽しい暮らしとは、華やかなこと、驚くようなこと、胸ときめくようなことがおきる毎日ではなく、さりげない小さな喜びに満ちた一日が、今日、明日としずかに続いていくこと」(p.236)

なのですね。アンがマリラに語った述懐は、本質をついているようです。もちろん、鼻を赤く染めてしまって、憧れの作家モーガン夫人の来訪を出迎えたことなど、不幸のうちには入りません(^o^)/

アンの笑える失敗が披露される回数はぐっと減り、マリラのぴりっとした警句の出番も減っています。代わって受け持ちの子供たちや双子を生き生きと描く場面、あるいは様々な隣人たちを描く場面などが増えています。子供の視野から若者のそれへ、視野がだいぶ広がっているということでしょうか。
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