Do you remember rock'n' roll radio?

Macとか音楽とかサッカーとか気にくわないニュースとか、独りよがりの邪推と妄想

こんな安直で幼稚な馬鹿騒ぎが愛国心のワケない

2014-06-16 23:07:19 | 日記
サッカーのワールドカップですねえ。
サッカーのワールドカップですけれども。

でも、この時期になると生活がワールドカップ中心になってしまう自分が言うのも
アレですが、あまりにワールドカップ過ぎでないですか世の中。

特にメディアなんですが。
ちゃんと普通のニュースを追って、報道してるんですかね。


先日の日本vsコートジボワール戦、放送していたのはNHKなんですが、
試合が終わったところでその画面に試合結果の速報が流れたのですよ。

いや、試合を放送していない局が流すのならわかりますが、
放送中の局がその試合後の場面にかぶせてるってのは妙なカンジでしたけどね。
でもま、速報ってのはそういうものなのでしょう。

でで、試合中継後のすぐ後がニュース番組だったのですが、
そこでも内容はサッカーばっかりで、いやビックリしました。

試合のハイライトや試合後の監督・選手のインタビューに、
街角の声とかそりゃもう盛りだくさんです。

どことどこでパブリックビューイングがありました、
某選手の地元ではこんなカンジでした、とか、そんなに大事ですか。
大事というか、数字が取れるという意味では重要なんでしょうけどねえ。

どうも、他の政治や経済とか国際・外交とか、
普通のニュースをおろそかにしているような気がしてなりません。


一方では、そのワールドカップに浮かれて大衆どもはバカ騒ぎです。
渋谷での大騒ぎの様子など報道されてましてね。

やれ、こんだけ人が集まったとか、小競り合いもあったとか、
DJポリスも大活躍!とか。

そこで、小競り合いはじめよろしくない行為もあったとかなんとか言ってますが、
そういうの助長してるの、大マスコミはじめメディアですからね。

いっやあ、そんなことも含めて盛り上がってますねえワールドカップ!
なんてことを能天気にのたまい、騒ぎを煽るばかりの大マスコミですが、
そんなヒマがあるならああいうバカ共を注意したほうがいいですって。

って、その前に、そんなバカな若者をのさばらせている大人を先に
注意しなきゃいけないのかもしれませんけどねえ。やれやれ。


誰よりも先に馬鹿騒ぎしてるのはメディアなんですしね。

しっかしまったく、何でも外国の文化を真似すりゃカッコいいとでも
思ってやがってるのでしょうかね。

ワールドカップのどさくさに紛れりゃ多少のやんちゃも許してもらえると、
そう考えているのでしょうか。


他の国ではサッカーのワールドカップとなると町が機能しなくなるくらいの
騒ぎになるらしい、それこそ騒乱になるらしい、みたいなことを真似れば、
世界の仲間入りとでも思っているのでしょうか。

ワールドカップの際には仕事も何もかもそっちのけで国中を挙げて
サッカーに没頭する、それが普通で正しいと思ってるのでしょうか。

それで世界のサッカー文化に追いついたつもりなんでしょうか。
そんな必要もないし、他国を真似る必要なんかもっとないのですがね。

でも、なんか日本の価値観と違うことしてはめを外したいってだけなら、
そこは見つめ直して反省してはいかがでしょうか。
若者だけでなく大人もですけど。


青いユニフォームを着てサポーター気取りも、
花火大会に浴衣で出かけるのとたいして変わらないのでしょう。

一瞬のお祭りから取り残されたくないだけなのですわ。


なんかもう呆れるばかりなのですが、
こういう、安易なニッポン応援、安直なナショナリズム、
そういうのが愛国心だと勘違いしてなければいいんですがねえ。

しかし、こんな国民の幼稚さを、政府は愛国感情に利用するのでしょうね。


日本のことを思うのであれば、この馬鹿騒ぎに紛れて
こっそり法案を通そうとしたり、閣議決定したりとか、
そんな政府の動きに目を光らせていなければなりません。

ワールドカップで浮かれているうちに解釈改憲とか許してはならんのですよ。

え、外国を真似てサッカーで過剰に盛り上がるのも解釈次第でいいじゃん、
ですって?
 
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ワールドカップ開幕戦のジャッジは適当だったか?

2014-06-13 23:38:19 | フットボール・スポーツ
サッカーのワールドカップ・ブラジル大会が始まりました。
サッカー好きの自分ももちろん、全試合チェックするつもりですよ。

そして日本時間の13日早朝、開幕戦のブラジルvsクロアチア戦が行われました。
そしてまあ、物議をかもしたのがPKなどの審判のジャッジでした。

この試合の審判団を務めたのが日本人なのですけれども。
特にPKの判定には大きな疑問がつけられていて、話題となっております。


で、まあ、これらのジャッジについて、自分の感想ではですね。
あ、自分はイングランドのプレミアリーグをよく見ているということで、
そういったバイアスのかかった状態での感想となりますので、
もちろんそれで自分が正しいとは言いませんが、個人的な感想としては、、、


まず、そのPKの場面。

確かそのときテレビの実況は、「倒されたー」と言ったのですが、
「は? 確かにフレッジが倒れたけど、倒されてはないだろ?」と思ってたら、
PKが判定されて、「はーー? どこがーー??」ってカンジでした。

クロアチアのDFロブレンの手は確かにブラジルFWフレッジの方にかかっていますが、
倒したというほどの動作は見られませんでしたし、フレッジが自らバランスを崩した
ように思えただけでした。

リプレイを見ると、フレッジのシミュレーションに見えましたし、
この判定はおかしいと。そう思いました。


次に、クロアチアのゴールが取り消されたと言われるシーンですが、
ブラジルのゴール前でGKジュリオ・セザールとクロアチアFWオリッチが競って
こぼれたボールをクロアチアが拾ってゴールしたのですが、
これはGKへのファウルとなりゴールは取り消されました。

このプレイが先ほどのPKのすぐ後だったので、
これまたクロアチアには不利な判定じゃないかと思われたのですが、
自分にはセザールとオリッチの接触はキーパーチャージだと見えました。
オリッチにも悪意はないのですが、残念ながらキーパーチャージだと思います。


そして最後に、ブラジルの3点目につながったブラジルMFラミレスのチャージ。
これは瞬間、あ、ファウルと思ったのですけど、それを流して、
ボールを受け取ったブラジルMFオスカルがファインゴール。

オスカルのシュートは確かに素晴らしいものでしたが、
その前のラミレスのチャージはファウルではないのかと。
PKのシーンのロブレンがファウルなら、ラミレスだってファウルの筈です。


そんなこんなで、全体的にもジャッジがブラジル寄りだった印象は残ります。

もちろんそれが審判の故意かどうかはわかりませんし、
その場の雰囲気が微妙に審判に影響を与えただけかもしれませんし。

そもそも個人的な印象でしかありませんけどね。

その個人的な印象では、ジャッジはブラジルに有利だった。
特に問題となっているPKについては、PKではない、それが第一印象です。


が、自分ってのは、イングランドのプレミアリーグばかり見ているせいで、
そのレフェリングの基準に慣れてしまっているのですよね。

プレミアリーグと比べてしまうと、その基準とは違うなという違和感はありました。
が、これはワールドカップなんですし、普通に考えれば
なんでもヨーロッパの基準で見てしまうことを疑うべきなのですね。


ですので基本、PKは厳しい判定だったかもしれないけど、ルール上間違ってはない、
厳しすぎると、ヨーロッパ側が見慣れている基準で文句をつけられても、
ワールドカップはプレミアリーグとかヨーロッパだけのサッカーではないし、
審判だってみなヨーロッパの基準で裁くワケじゃないし、ということで、
PKは厳しすぎるけど誤審ではない、ってのが落としどころになるでしょうか。

ヨーロッパのクロアチアは、見慣れている基準で見てしまうと
この試合のレフェリングが不当のように感じるのもわかりますけど、
ジャッジのバラツキがあるのも国際大会ですから、ってなことになるでしょうか。


とは言うものの、どうなんでしょう、現代の世界のサッカーからして、
あのプレーでPKという判断は・・・という、不可解さも残るのですけど。

そういう意味ではファウルだとしても流してもいいプレーだったと思うのです。
そうしたことで流動性を高める、ナニがなんでもルールブックに則るのではなく、
試合の流れを止めないレフェリングがゲームを面白くする要因にもなるのですが。

ですが、まあ、ちゃんとルールに従えという大会方針であれば、
それはそれでしょうがないのですけどね。


そんなカンジで、ルール上は間違ってはいなくても、
やっぱあのPKの判定はするべきじゃなかったんじゃないか、
というのが自分のホンネなのですけど。

まぁこの判定については賛否ありますが、おいおい、そんなファウル取るか?
という、自分のようなサッカーファンが多くいることでしょう。


一方そうではなくて、いや、あの判断は正しい、誤審ではない!
と言う人々も多いのでして。

でもこれってですね、自分には、審判団が日本人だったから支持すると、
いう要因が大きいように思えます。

だって、これだけ議論になり、また擁護や肯定論もあるってことは、
そもそもその判定が非常に疑問符の付くものだったからですよ。


日本人がこの試合の判定を巡って審判団を擁護しているのは、
審判団が日本人だからであり、日本人だから庇っている、
これが外国人審判だったりしたら、今、西村主審を支持してる人たちこそ、
その審判達を口汚くののしるのではないのでしょうかね?

つまり、その態度は外国人に対してフェアじゃないのです。
自分達日本人はかわいいと、いうことでしょう。


そりゃ、審判の判断は尊重しなきゃいけません。
中には判断ミスもあるでしょうし、それも含めてサッカーというゲームですす。

ですので、重圧の中で任務を完遂したことには敬意を表しますけど、
抗議を受けても毅然としてた、なんてのは当たり前なんですから、
必要以上に賛美したり美化するようなものでもありません。

なのにメディアは西村主審が毅然としてPKの判定をした!なんて言いますが、
そんなことはいちいち褒められるべきことなのでしょうか。

大会前は前大会で西村氏が試合でレッドカードを出したことを持ち上げ、
今大会は開幕戦を任されるともてはやしていましたが、
そのヨイショ報道ってひょっとして、今回の伏線だったのでしょうか。

と、そんなことも疑いたくなりましたね。


とにかく気になるのは、西村主審に肯定的というか擁護的な声です。

それだけならいいのですが、これが他の国の審判だったらきっと、
誤審だなんだと叩いてんじゃねえの?と、西村氏を擁護する人々を疑うのです。

西村氏のレフェリングを毅然としていて立派だとか、
初戦の重圧の中でよくやったとか讃えることで、
肝心の判定の妥当性から目を逸らしてしまうのですね、

日本人だから庇う、というのだとしたらスポーツを観戦する目線に於いては、
フェアじゃありませんね。

他の世界がどう見ようと日本は正しいと言い続けたいという、
なんか、最近の政治の世界でもそんな嫌な空気を感じますけどね。


しかし、数日前は開幕戦の審判に日本人が選ばれた!
なんて大マスコミはじめ日本は嬉嬉としていましたけど、
ひょっとして、トレードオフが理由にあったってことですかね?

ホスト国ブラジルとの間で開幕戦を任される栄誉を与えられつつ、
ホームアドバンテージなジャッジもあり、という。

そんで、ブラジルの観衆は日本に好意的になると?
だから開幕戦の審判意選ばれたのか・・・

ま、ふざけた妄想になりますが。。。
 
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FacebookがSNSのデフォというオジサン感覚

2014-06-12 00:04:21 | Mac,ガジェット
Facebookをお使いの方は多いと思います。
自分も登録はして嗜んではいますが、あまりアクティブではありません。

そのFacebookについて、こんな記事がありました。


 Facebookは「オジサン」のツール? 女子大1年の半数がアカウントなし、「LINE」が主流に

 女子大1年生の半数がFacebook(フェイスブック)を利用していない――
 そんな衝撃的な中身のコラムが、話題になっている。10代女性にとって、
 Facebookはもはや「オジサン」のツールで、アカウントすら持っていない場合も多いという。
 インターネット上では、教育現場から伝えられた「現実」に驚く声がある一方で、
 「若者向けデザインではない」「社会人に向いてるんでしょうね」などと納得するコメントも見られる。

 話題になっているのは、昭和女子大学准教授の保田隆明氏(39)が2014年6月5日、
 経済情報サイト「ザイ・オンライン」に寄稿したコラムだ。
 保田氏は14年4月に同大へ赴任。担当している学部1年生向けの科目で、
 講義中の「質問」を募るために、LINEを導入した。
 すると、質問をする心理的ハードルが下がり、手を上げる生徒も出てくるようになった。
 赴任前から、講義にSNSを導入していた。数年前からTwitter(ツイッター)で
 講義のハッシュタグを使い、質問やコメントを受け付けていたが、
 講義に関係のないフォロワーにも読まれてしまうため、大学生側に「
 やや心理的抵抗もあったと思われる」と分析する。
 その点、LINEだと「グループ」のメンバー内だけでやり取りが可能だ。
 最初の講義でFacebookアカウントの有無を質問すると、
 学生の約半数が「持っていない」と答えた。
 一方でTwitterやLINEのアカウントがない人は皆無に近く、
 またたく間に受講者55人全員がLINEの「グループ」に登録された。
 LINEが選ばれた理由を「Twitterで書いている内容を見られたくない」
 「LINEの方がより彼女たちの生活に浸透している」などと分析している。
 コラムでは3泊4日の合宿研修に参加した時のエピソードも明かした。
 ある朝、女子学生が「え?だって、Facebookってオジサンがやるものでしょ?」
 などと話しているのを耳にして、「私(アラフォー男)の背中をズギューンと射抜いた」
 ほどのショックを受けたという。
 なお講義ではFacebookも活用している。
 学んだことを放課後に書き込む場として、すぐ発言が流れてしまうLINEではなく、
 日時ごとに管理できるFacebookの「グループ」を利用しているが、
 保田氏は「必要に迫られて使っているだけの可能性が今のところは高い」と見ている。

 このケースだけでなく、10代のFacebook利用率は低くなっているようだ。
 アメリカ本国で13年10月に行われた決算発表では、デビッド・エバーマン最高財務責任者が
 「特に10代の若年層の間で、日常的に利用するユーザー数が減少した」とコメント。
 アメリカほどではないが、日本でも12年第2四半期から13年第3四半期にかけて、
 16歳から19歳の利用率が12%減っている。
 総務省情報通信政策研究所らが13年11月から12月にかけて行った
 「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」では、
 10代のFacebook利用率は、前年度の19.4%から22.3%に微増している。
 しかしLINE(38.8%から70.5%)やTwitter(26.6%から39.6%)の急増ぶりと比較すると、
 伸び悩んでいる感は否めない。
 一方で調査結果からは、Facebookの高年齢化も読み取れる。
 微増となった10代と60代以外は、利用率が8~20ポイントものびていて、
 30代では前年度の20.9%から42.0%へと倍増した。
 10代の「Facebook離れ」は保田氏も知ってはいたが、
 「しかし、本当に半分もの学生がアカウントを持っていない(使っていないのではなく、
 アカウントを持っていないのだ)状況を目の当たりにすると、『じぇじぇ!』である」
 といい、ショックを隠さない。
 コラムに対して、ツイッターでも「衝撃の発言」などと驚きの声は多いが、
 「LINEと比べたらfbは、日本の若者向けデザインから遠いのも原因だろうなぁ」
 「確かに衝撃かもだけど、Facebookって外観が青一色という点も大きいだろうなぁ」
 「FBは普段顔合わさない人とゆるく繋がれる点で、おじさんと言うより多くのコミニティや
 組織に接点持つ社会人(働く人)に向いてるんでしょうね」
 など、そもそもFacebookが日本の若者向けではないと見る向きも多い。


とまあ、こんなカンジで、SNSの王者と見られるFacebookが、
若者からは疎んじられているとのことなのですが、
この傾向って前から言われていたことであって、ナニを今さらってカンジがしますが。

上の記事で取り上げられているコラムってのが以下なのですが。


 女子大の授業でLINEを導入してみた!そして学生たちのFacebook利用率が低い理由とは?


なんつーかですね、いまだに「じぇじぇじぇ」とか言ってるようじゃ、
そりゃオジサン扱いされるでしょうっての。


それと最近ではFacebookを舞台に、こんなつまらない騒動も起きてまして。


 ソーシャルは難しい。わたしはこれでYahoo!個人に投稿するのをやめることにしました


Yahoo!に投稿した記事にYahoo!の社員からFacebook上で
「しょーもない」と批判されたことに逆上し、
批判した側を実名で素性がわかる場でそんなこと言うかと逆に批判してますが。

どうだっていいと思いますね。

実名が晒される空間で言いたいこと言ってるなら、別にいいじゃないですか。
こんなつまらないケンカしてるからFacebookがオジサンメディアと言われるんですよ。

非常識だとするなら、所属する会社に不利益を与えるかもしれないのに、
会社の保有するメディアへの投稿に批判したことはどうかというのはありますが、
永江氏の反論は明らかに個人的に感情を害されたからのように思えますね。
それはそれで了見狭いと思いますけど。

コメントのキャプチャとったから、なんてくだりは低俗な脅しでしょ。
知的なオトナのやることですか。

だいたい誰でもアクセスできる空間に記事を投稿しているのですから、
批判にだってさらされることがあるのは自明だと思うのですがね。
それを許さないというのはね、いかにも主観で感情的な憤怒ですよね。


ところがこうして逆上してしまうのは、ひょっとしたらですけど、
多くのオトナたちはFacebookという空間では自分を許容して好意的で、
耳障りのいい反応だけ得られるのだと考えているからなのではと。
で、それに反するものは排除したがると。

そういうの、自分からすると気持ち悪いのですよね。

だってFacebookにおけるほとんどの投稿って、子供やペットがどうしたとか、
ナニを食った誰と飲んだと、リア充の披露ばかりで、それに対しては
好意的で耳障りのいい反応ばかりを期待してるのでしょう?

だから、批判があると逆上したくなるんでしょうね。


そういったオトナの空間を、若者が共感できないとしたって不思議じゃありませんし、
だからこそオジサンのメディアだ、なんてことになっちゃうワケですよ。

ひょっとしてFacebookを好んで使うユーザーは、これがオープンな空間で、
友達とつながるメディアだと考えているのかもしれませんが、
ちょっと違う世代から見ると異質で閉鎖的な空間に見えるってことです。


あの、自分はFacebookよりTwitterが好きなのですが、自分の勝手な感覚では
FacebookってのはTwitterと比べるとテレビ的だなと思うことがあるのです。

多くの人は実生活の延長・拡張の手段としてFacebookを使っているように思いますが、
だからこそ実生活ならではの余所行き感というか、周囲への配慮などがあるのじゃないかと。

コミュニティである以上、それも当然かもしれませんよ。
だから、周囲への配慮、ときには同調の意志を示しながら活動するのです。

それって、テレビのように一つの発信者から多数に向けられた
コミュニケーションなのかなと思うのですよ。
多数に読んでもらうことを前提とした発信なのです。

多くの「いいね!」が欲しいがために、リア充なアピールをする、
多くの「いいね!」が欲しいがために、他人の投稿に義理「いいね!」する、
そんな自分のFacebookを見てもらいたい、「いいね!」に埋め尽くされたい、
そういうのって、面白くもないことを面白いだろ?と視聴者に迫るかのような
テレビ番組と、それをあまり思考せずに許容する視聴者の関係に似てるような、
そんな気もするのですよね。


Twitterはというと発信主体は一方的につぶやき、
それに対する反応などは1対1の関係性の色合いがあると思います。

多数に見られることを前提としたFacebookでの発信はテレビ的で、
1体1の回路がいくつも形成されるTwitterはラジオに近い、そんな気がします。


もちろん、Twitterでも友達の目を気にしながらつぶやく人もいるでしょうし、
Facebookでも他人のことを気にせず投稿する人もいるでしょう。

が、なんかその、テレビ的・ラジオ的傾向と共通の特徴が
FacebookとTwitterとにあるように思われるのです。

そういうのが、テレビが嫌いでラジオが好きな自分にとって、
Facebookは好きじゃないけどTwitterは好き、という感覚と
結びついている気がします。


自分が子供の頃は家にテレビが1台でした。
両親もいるし、おじいちゃんおばあちゃんに兄弟もいます。

そうした中で、自分には特に見たい番組があったワケでもありませんし、
チャンネル争いもしたくなかったので、自分だけ部屋でラジオを
よく聴くようになったのは、そんな事情もあったかもしれません。

昔はラジオはアナログダイヤルを使ってチューニングを合わせることが必要で、
ボタンで選局するだけの今と違って面倒でしたが、そのぶん大事に聴いたと思います。

夜にもなれば昼間には聞こえない遠くの放送局の電波をキャッチでき、
おそらく朝鮮からの放送も聞こえていましたし、それが驚きで喜びで、
東北の家で大阪の毎日放送が受信できたものですから、
ヤングタウンなんか大好きで中高生の頃は毎日聞いていたものです。


ラジオをいうのはたぶん番組とリスナーが1対1の関係になっていて、
嬉しいことも悲しいことも恥ずかしいことも悩みも、
DJとリスナーどちらも本音で会話を交わすことのできるメディアです。

それが周囲を気にした表現にならざるを得ないテレビとの違いというか、
ラジオの魅力であって、それはTwitterに近い気が個人的にはするのです。


バカ発見機と言われようとも、良くも悪くもより本音を言えそうなTwitter、
むしろそれを隠して空気を読みながらのFacebookは自分にはしっくり来ません。

まあでも、そうした同調の空気のほうが過ごしやすい人も当然いるでしょうけどね。
むしろ、そちらが多数派で自分は少数派なのでしょうかね。


あ、だからと言って自分がFacebook愛好者よりも若いぞと、
いうことを言いたいのではありませんよ。

なんかこう、Facebookの同調圧力を強いるような居心地の悪さ、
それは自分には合わないなというだけでして、
そういう排他的空気が世代によっては感じられるのかもね、ということで。

ま、新聞に今の若者が触れないとか、
今の若者がCDを買わずにダウンロードで音楽を買うとか、
ラジオは電波を拾うよりradikoを使ってでネットで聞く、ようなもので、
Facebookも既に世代の格差が現れてるってだけで、
そんなに不思議な現象でもない筈なんですけどね。

その事実に直面したときに驚愕するって気持ちは自分もわかりますけど。
 
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集団的自衛権の正当化には脅威が必要

2014-06-11 22:40:26 | 国際・政治
もうすぐ始まるサッカーのワールドカップ・ブラジル大会の開幕戦、
ブラジルvsクロアチア戦の審判を西村雄一主審はじめ日本の審判団が
担当することになったとのことで、喝采されておりますね。

確かに開幕戦といえば決勝戦と並ぶくらい注目に値する試合ですので、
その重要な試合の審判に選ばれるというのは名誉なことだと思いますし、
選ばれた審判団もそれに値される評価を受けていると認めてもいいのですが、
ここまで凄い凄い、そして俺ら日本人って凄いと、有頂天になる必要あるんですかね。

冷静に考えれば数ある試合の中の一つを任されたに過ぎないのですが、
それを世界が日本を評価したみたいに言い換えてここまで喜ぶおめでたい国民は、
日本人しかないんじゃないですかね。

本当に日本人は外国から褒められることが大好きですからねえ。
どちらかというと自分なんかはそんな日本人を恥ずかしいと思うのですがねえ。


さて、また中国軍機が自衛隊機に異常接近したとニュースになっていますが。


 中国軍機また自衛隊機に異常接近 東シナ海上空

 防衛省は11日、東シナ海の公海上空で同日午前11時ごろから正午ごろにかけ、
 航空自衛隊のYS11EB電子測定機と海上自衛隊のOP3C画像情報収集機が、
 中国軍のSU27戦闘機2機に異常接近されたと発表した。
 防衛省が中国軍機による自衛隊機への異常接近を公表したのは、5月24日以来2回目。
 防衛省は外交ルートを通じて中国側に厳重に抗議した。小野寺五典防衛相が明らかにした。
 防衛省によると、中国軍戦闘機による領空侵犯はなかった。


これだけじゃなんとも言えませんね。

中国軍機と自衛隊機が本当に異常接近したのかさえわからないですし、
仮に事実だとしても、それが中国軍機が自衛隊機に故意に接近したのか、
それともその逆なのかさえわかりません。

記事でも中国軍機による領空侵犯はなかったとのことですし、
一概にどちらに悪意があったのかとは判断できないでしょう。


このニュースに意味があるとしたら、自民党が強引に閣議決定しようとしている、
集団的自衛権の解釈改憲について国民の同意を得るための工作じゃないかとしか、
自分には思われないのですけどね。

日本は危機にさらされていることを演出するための、中国脅威論ってワケですよ。
韓国による竹島問題も北朝鮮のミサイル問題も隣国の脅威(笑)として同様に、
集団的自衛権を閣議決定するために世論を後押しさせるものでしょう。

それでなんとなく、自衛隊が武力行使する裁量を拡げないといけないと、
いう洗脳に持って行きたいのですな。

日本というか政府がさらされているのは、でっちあげの脅威ではなく、
アメリカさんのプレッシャーなのではないですかね。どうなんでしょうか。


しかしねえ、何度でも言いますけど、集団的自衛権の是非じゃなく、
それより先に解釈改憲なんかしていいのか、そっちが先の筈なんですけど。

ですけど、憲法改正ではハードルが高いから、解釈改憲から目を逸らし、
事例とか持ち出して解釈改憲を飛び越えて、集団的自衛権という土俵に
議論を持込もうとしているのが自民党なワケでして。


まったくズルいのですが、それに気づかず解釈改憲の議論をスルーさせる
国民もいかんのです。本当にそれでいいのですか。

ワールドカップだのなんだので、政治に対する注意を怠ってはいけませんよ。

もちろんそれこそが、アベちゃんの狙いでしょうからね。
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新聞のお悔やみ広告特集

2014-06-10 23:36:26 | ニュース



8日、桂宮親王殿下が逝去されました。

そして今日10日の多くの新聞で、冒頭の画像(日経)のような
お悔やみの広告が見られたのではないでしょうか。


ぶっちゃけ、逝去されて報道されましたが、
それまで桂宮様の存在を知っていた人ってどの程度いるのでしょうか。
自分なんか全然知らなかったのですが、よほど日本人として不届き者なのでしょうか。

そうでもないとすれば、国民にそう認知がされていなくても、
皇室の訃報ともなると、新聞はこうした広告特集を組むのですねえ。

そして、ちゃんとスポンサーもつくというねえ。


ま、正直、社名が掲載されるだけのこの広告に出稿したからと言って、
マーケティング・販促の効果が見込める筈もありませんので、
よっぽど企業として、広告担当者として皇室に敬意を持っているか、
もしくは皇室や宮内庁と商売上の関係があるとかでないと、
広告出稿するモチベーションにならないと思うのですけど、
今回のスポンサーはどんなものなのでしょうね。

あるいは、こうして広告出稿したことをネタに、
宮内庁に商談を持込む、なんて下心があるとかですね。

広告料は全国紙のアサヒる、ナベツネで50万くらい、
その他の全国紙で30万くらいですが、実勢はもっと低いでしょうから、
スポンサーとしても営業ネタと思えば安い出費なのかもしれません。


いや、新聞社やスポンサーが人の死を商売のネタにしてると言いたいのではなく、
それも少しはありますけど、日々、活字の媒体を残す新聞としては、
こういう紙面は宮内庁の手前、やっぱり作らないといけないのだろうなあ、
と、ある意味、同情したりしてですね。

だって今時分、こうした広告企画に喰いついてくるスポンサーなんて、
そんなにないのですから、はっきりいって割にあわない企画だと思います。

もっと認知の高い皇族ならともかくそうではないのですし、
おめでたいことではなく訃報ですからなおさらです。


そうは言っても、やらないといけないのでしょうねえ。

いつ、宮内庁に「そういえばお宅の新聞、お悔やみ特集やんなかったよね?」
なんてイヤミを言われるかわかったもんじゃありませんからねえ。

ま、別にスポンサーに頼ってお悔やみ広告特集なんかやんなくたって、
新聞社自らが紙面を割いてお悔やみの意を示せばいいじゃないかと思うのですが、
なかなかそういうことにもいかないってことですか。

それに、たまたま広告出稿したがる企業だってあるかもしれませんから、
営業的にも止められないのでしょうけど。苦しい企画とわかってはいても。
他紙では企画があるとなったら、よけいに止められませんしね。


そういえばイギリスのサッチャー元首相が亡くなったときも、
お悔やみ広告特集が各新聞社で企画されましたけど、アレ、成立したんでしたっけね。
スポンサー集めが苦戦しているようなことは聞きましたが、どうなったんでしたっけ。

まぁ確かに、外国の要人に関する企画であれば、
その国に関連する企業の出稿とか期待できそうってのはわかりますが。

イラクのフセインやリビアのカダフィが亡くなった(殺された)ときは、
そんなお悔やみ特集の企画などありませんでしたけども。


しかしまあ、新聞ってのは今まで成功してきたモデルから抜け出せない、
レガシーで古いメディアだなあと、こういうことからも思うのですけども。

そして桂宮様の本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」が行われる17日にも、
各新聞ではお悔やみ広告の特集が組まれるようです。
 
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