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プリンスのこと。

2016-06-12 18:33:34 | 音楽



4月21日、プリンスが亡くなりました。
享年57歳でした。若い。若過ぎました。
生きていれば6月5日で58歳を迎えている筈でした。

その訃報以来、プリンスのことをエントリーに書こう、書かなければいけないと思っていました。
ある程度落ち着いて考えて、まとめられるようになったら書こうと思っていたのですが、
プリンスのことが好き過ぎるからなのか、訃報に接しての喪失感があまりにも大きくて、
いつまでもそんな状況になりゃしません。

なので、適当に書けるところを思いのまま書いてみることにしました。
訃報から1ヶ月半も経ってしまいましたけどもね。


まずもう、彼の死が信じられないというのは、死んで欲しくないという思い以上に、
ファンの勝手ですが、プリンスって死ぬような存在には思えなかったからです。

だって、尽きることの無い才能やら創作欲やら、あまりに常人とはかけ離れていて、
ひょっとしたらこの人は人間ではないのではないか、
人間とは違って死なない存在なのではないかと感じさせる、
そんなバイタリティに満ちていたからです。

だって、2枚組とか3枚組とかのアルバムをこんなにポンポン出すミュージシャンが他にいますか。
リリースされてない楽曲のストックが1000曲?2000曲?でしたっけ?
わかりませんが、桁外れの創作活動をずっと続けるというエネルギーを持った人ですよ。

あまりにストックされた曲が多いので、時にはお蔵入り楽曲集までリリースする始末。
どんだけ力が有り余っているんですか。

年を重ねても見た目も若々しいままでしたし、
特に体調が悪いとのハナシも聞きませんでした。

それがつい先日、インフルエンザで公演をキャンセルしたと聞き、
殿下にしては珍しいと思っていたばかりでした。

それが亡くなったというのですから、あまりに突然で。
まさか、先日のインフルエンザをこじらせてしまったのかと。


でも、昨年末から今年に入って音楽界の大物の訃報が相次いでいましたから。
インフルエンザで病院に搬送されたと聞いたとき、まさかこの流れで、
万一のことがありはするんでないか?と、ちょっと胸騒ぎがしたのは確かなんですけど。

それでも一方では、あのプリンスが死ぬワケないじゃん。
との思いも、不安ながら持ってはいたのですが、まさか。。

死因は鎮痛剤の過剰摂取とのことなんですが。
プリンスは背が低いこともあり常にハイヒールを履いていたり、
ステージでは激しい180度開脚のアクションをやったりで近年は股関節を痛め、
鎮痛剤を常用していたらしく、それが引き金になるとは。。


最近のプリンスはというと、2015年にはアルバム Hitnrun Phase One を発表し、
同じ年の暮れにはその続編、Hitnrun Phase Two を出したばかりで、なるほど、
果たしてこのフェーズはいくつまであるんだろう?少なくともThreeかFourはありそうだよね?
という、新作への期待もされていたところだったのですからね。
だから、余計に喪失感が半端なく大きくなってしまったのです。

しかもこの、Hitnrun Phase Two がまたいい作品なんですよ。
全盛期だった80年代のような過激さこそありませんが、
その当時を思わせるグルーブとクオリティを持ちつつ、オトナに洗練された秀作。

ある時期はさすがにプリンスの怪物的才能も枯れてきたかと思わせることもありましたが、
まだまだそうではないと示してくれていたタイミングだったのですから。


まぁ自分はですね。
プリンスのファン・大ファンであるんですが、好き・大好きという範疇を超えていると思います。
よく言われる言葉ではいわゆる「信者」というヤツです。

プリンスの才能が最高潮に発揮されていた80年代後半から90年代初頭、
つまり高校~大学時代の自分がもし、プリンス本人に会い言葉を交わすことができたなら、
彼が命じることなら何でも、ひょっとしたらそれが人を傷つけるとか、ナニか破壊するような
コトであったとしても、おそらく従っていたのではないか?というくらいの信者と言えます。


プリンスというと人によっては気持ち悪いから嫌い、生理的に嫌いというのが相当数いましてね。
確かにあの、妙でねっとりしたファルセットの歌声や叫び声、性的にどぎつく過激な歌詞や表現、
見るからにスケベで変態チックなビジュアルと、一目で人を遠ざけてしまう佇まいがありまして、
ファンの自分だって気色悪い、と思うくらいなのは事実ですね。

でも、それでも、人を遠ざけてしまうくらいの気持ち悪さがあっても、
信じられる何かが宿っていて、自分にはソレがわかるのだというところに、
特別感というか選民感のようなものがあったのかもしれません。

そしてそれだけに、他人からは嫌われながら自分なら理解できるところがあると思えると一層、
彼への忠誠というのが強くなってもいたという部分もあると思います。
倒錯してるんでしょうか。


プリンスのナニが好きなのか?というとですね。
もちろん音楽、数十枚の素敵なアルバムも好きなのですけども、それだけではない気がします。
いや確実に、彼に陶酔させる音楽以外の何かがあるに違いありません。

矢継ぎ早に高クオリティのアルバムを次々と発表しながら、
そのどれもが全く違う世界観と音楽性を持っていることに対する驚きと尊敬、
聞いたことも無い魔法のような音から受ける刺激と興奮、そういうことでしょうか。

独創的なアイディアを提示できるクリエイティビティ、ソレをカタチにするエネルギー、バイタリティ、
そうした才能と強烈な意志への畏怖なのでしょうか。

いや、もっと、音楽を通して表現している何かに心酔している気がするのです。
じゃあナンなのか、これまで考えたこともなく、いざ考えてみるとよくわかりません。


彼はその卑猥で過激な描写や表現で嫌われること、批判されることは多かった筈です。
自分だって勘弁して欲しいと思うこともしばしばあります。

ローリング・ストーンズの前座をしていたときに聴衆に罵られ、
キャベツを投げつけられたというハナシは有名です。
その聴衆に向かってミック・ジャガーは「お前らにはプリンスの凄さが分からない」と言い、
落ち込んだ若いプリンスを慰めていたのはデヴィッド・ボウイだったといいます。

そのくらいの評価や仕打ちにも遭いながら、それでも彼は止めない。


なんなのでしょう。
意志の強さなのか、信念なのか、たとえ周りからどう言われようとも、
自分が信じたことをやり通す、そういう姿勢に打たれたことはあるかもしれません。

別にプリンスは卑猥で変態なだけってことではないですからね。
もちろんそういう部分が際立ってしまい、そういう印象は与えてしまいますが、
いろんな楽曲を見ていると愛や平和をはじめ、社会的なメッセージもたくさん込められていて、
どちらかというとソチラこそが本流であり、卑猥な描写はその一部に過ぎないのかもしれません。
もちろん、単純にスケベで変態な欲望そのまま、の可能性もあるんですけど。。

白人の多い町で育った、黒人のチビ。
マイノリティであり、コンプレックスもあったに違いないプリンスが、
才能とエネルギーと意志の力で、そういったものを撥ね除けた。

その力強さと勇気に魅せられたこともあるでしょう。


一般的に我々は世の中の多数が向く方向に流されがちです。
周囲と似ていることが正しく、変わっていることはおかしいと考えがちです。
異質なものを排除しがちです。

学校でも会社でも社会全体で、平均的な存在であることを求められ、
できれば平均的な中でも上であるよう求められ教育され、個は均質化していきます。


プリンスは音楽的に革新的で常識外れなアイディア、卑猥で変態と思われる描写も含めて、
皆が「え?」と驚き戸惑い、時には毛嫌いするようなことをやり続けた。
普通はやらないことをやり、従来とは全く違う解釈の仕方をした。

おそらくですけど、自分はそこで、こういうのもアリなんだよと、
他人と違う考えをしたっていいんだよと、教えられたような気がします。

否定されたり、変人扱いされたりすることもあるだろうけど、ソレがなんなんだい?
そんなに周りの評価が怖いのかい?と、教えられたような気がします。


そして、それは今の自分に肉付いているように思うのです。
モノの見方や考え方に影響を与えているのだと思うのです。

それが根付いてしまったためか、常に普通と違う視点を持とうとするようになり、
おかげで友達はできにくいし、嫌なヤツになっちまいましたがね。

変わっているとよく言われるのですが、でも、変わっていたっていいんだなと、
人と違うことを考え、言ってもいいんだなと。

そういった思考と視点、姿勢を与えてくれたのがプリンスだったのかもしれません。


自分にとっては大袈裟でなく、ただの1アーティストの死ではないと思われるのは、
改めて考えると、そういうところだったのかもしれません。
 
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