
すでに帰国して子ども達と暮らす、日常の日々に戻っています。
ずっと旅に向いていたテンションが一気に日常に戻り、しばらく「帰国ブルー」とでも言える状態になっていました。
でもここで旅をしめくくらないと、(気持ちの面で)次に進めないと思い、PCに向かいます。

チェンマイのバスターミナルはナイトバザールのすぐ横です。
(そういえば、そうだった、、、)

ナイトバザールを横切って

マッサージ屋が何軒も建ち並ぶ中心街の一角に安宿発見
(最後の一泊くらいゴージャスに、、、とも思ったのですが、ついつい貧乏性の僕は250バーツのファン付きの部屋を選んでしまいます。)

うん、ここで充分

夜飯はやはり屋台を探してタイ風細麺(センレック)
思えば昼も麺だった、、、、

翌朝はさらに懲りずに麺を食べました。
チェンマイ近辺の名物カレー麺「カオソーイ」です。
ネット環境が回復したので、チェンラーイ周辺のおいしいカオソーイ屋を調べたところ、宿泊場所から徒歩1分の場所に名店がありました。

美味しかった

ちなみに朝7時半頃行ったのですが、常連さんらしき人もちらほら

その後、バスでチェンマイへ向かい、バスターミナルから市街地へ向かう途中、ワローロット市場にほど近いところに綺麗めのホテルがあったので、夜の飛行機までデイユースで使うことにしました。
値切ったけど宿泊費とほぼ変わらず700バーツ(2000円ちょっと)。
とはいえ適当に探しても、このレベルのホテルに行き着き、2000円くらいで泊まれるというチェンマイという町のコストパフォーマンスは高いですね。

とりあえずトゥクトゥクを拾って

半年前に来たばかりの見慣れた風景を見ながら

今日の目的地はここ
ディンディーという土の家のカフェで、経営者は日本人の方です。
前回、7月に来たときも行きたいと思っていたのですが、エレファントキャンプなど子ども達中心の日程調整をしたため行けませんでした。
それがチェンマイで唯一心残りだったので、今回来てみました。

客層はチェンマイ在住日本人の方が多いのかなと思いましたが、周りはほとんどタイの女性達でした。
チェンマイ大学の敷地の中というカルチェラタンな雰囲気の場所に、土の家(アドビハウス)というインターカルチュラルなインテリアがマッチしています。

カレン族のレシピで作ったサラダと特性チャーハンを注文して、脂っこいミャンマー料理(とあとは麺ばかり)だったお腹の中を浄化しました。

ちょうどこの日はあまり忙しくなかったので(前日までは大学の卒業式がらみで忙しかったとのこと)、オーナーのAyumiさんといろいろとお話しすることが出来ました。
こちらディンディーのHPにもお店が出来るまでの改装の様子が載っていますが、お店が完成してオープンしたのが2007年3月とのことで、2007年9月にオープン(完成は8月)したNARAYA CAFEとちょうど同級生(というべきなのか?)です。

その後はホテルに戻り、近くのワローロット市場へ
スパイスなど買い込んできました

最後は日暮れ直前になって、半年前に子ども達と写真を撮った3人の王の広場へ

ここは毎週金曜日にファーマーズマーケットが開かれています

ミャンマーにはなかった、おしゃれめなお土産をちょこっと仕入れ
再び町に戻ったらスポーツバーの店員から「日本人か?」と声をかけられ、「日本の試合やってるよ」とのこと

おお、ちょうど後半終了間際、ビールを一杯飲みながら観戦しました。

ああ、帰りたくないなぁ、もう1泊したいなぁと思いながらタイマッサージに行ってからホテルへ戻ってシャワーを浴びて

タクシーで空港に向かいました
フライトは23:50発、ホテルを出たのは22:00
チェンマイは空港が近くて良いです。

帰りはソウル(仁川)まで大韓航空のチケットを片道で買ってあり、ソウルからANAで帰って来ます。
行きの到着地と帰りの出発地が違うオープンジョーという形式でANAのマイレージを利用したのですが、この荒技(前回ロシア・フィンランドに行くときにも使った)4月から使えなくなってしまうのです。オープンジョーは同じゾーン(例えば東南アジア・中国といった区分)内でないとできなくなるそうです。
まあ、とりあえずここまでは順調で韓国人団体客を満載した大韓航空ソウル行きに混載されて、一路ソウルへと向かいました。

フライトは予定通りに飛んで、ソウル仁川空港に翌朝着いたのですが、ここからが大変でした。
入国審査は韓国人と外国人で分けられているのですが、なんと韓国人ゲートは10以上あるにもかかかわらず、外国人ゲートは2箇所しかないのです。
(奥で長蛇の列が出来ているのが外国人ゲート)

マジかよ」と思いつつ、列に並ぶしかない外国人の僕は仕方なく並びます。
それにしても遅い。
われわれ外国人は指紋をとったりもするため、1人にかかる時間も多いため、列は遅々として進みません。
電光掲示場に日本語で「ようこそ」なんて書かれると、「何がようこそだ!!」と余計に腹が立ちました。
途中から3レーン、4レーンと増やしたけれど時既に遅しという感じでした。

約1時間並んで入国審査終了
こんなのはじめてです。
ターンテーブルに行くともうすでに荷物は全て出きって床に置かれており、タイ人のファミリーなどは疲れ切った表情を見せています。
韓国にやってきた外国人観光客は、もうこの一撃で相当悪い印象を持つことでしょう。
僕としても、以前、オーストラリアに行くときなどに韓国経由を選んだことがありましたが、「もうやめよう」という気持ちになりました。
ただ「同じことを日本もやってないかな?」ということが少し気になりました。
海外旅行から成田や羽田に着くと、「帰ってきた」という開放感が先行して「日本人」と書いた入国審査ゲートをそそくさとくぐって帰ってきてしまいますが、今度は外国人ゲートがどれくらいあるか見てみよう、、、という気になりました。
こんなことしてしまっては「Yokoso Japan キャンペーン」どころじゃないですからね。

まあ気を取り直して空港鉄道へ
最近はKTXも乗り入れているんですね。
今回は金浦空港へ行かないと行けないので、KTXではない普通列車にのりました

ソウル金浦空港そばにはスーパー銭湯(チムジルバン)があって、空港連絡バスに乗って行くことが出来るという情報を得ていたので、そこに行きました。
しかし、最初は風呂に入った後、ゆっくり昼寝でもしようと思っていたのですが、韓国入管のせいで大幅に滞在時間を削られてしまいました。
ほとんど風呂に入っただけで、ふたたび金浦空港へと戻ってきました。

最後は2時間のフライトで羽田へ
旅は終わりました。
ーーーーーーーーーーーーー
ミャンマー(とくにシャン州)ではテレビもネットもほとんど見られない状態で旅をしていたので、イスラム国による日本人人質事件が大騒ぎになっていることは帰国してから知りました。
帰国後、毎日のようにニュースで事件を聞き、つい数日前まで辺境を旅していた自分と重ね合わせてみたり、国境を隔てた日本という社会の中で、ただただ人づての話を聞いて、見守ることしかできない家族のもどかしさが少し分かった気がしました。
そんな最中、箱根の母方の祖母が亡くなりました。
3月が誕生日なので、米寿のお祝いをと親戚たちで計画し始めたところだったのですが、それを待たずして亡くなってしまいました。
小さい頃、両親は旅館の仕事で忙しくしていたので、よく面倒を見てもらっていたおばあちゃんでした。
おばあちゃんは僕の帰国を待ってくれていたのでしょうか、、、亡くなったという知らせを聞いて市立病院へ駆けつけることが出来たし、映画「おくりびと」の世界のような「納棺の儀」も見ることが出来ました。
そんなことで帰国してからの10日ほどは、ミャンマー・タイとめまぐるしく旅をした10日間と対照的な静かな日々でした。
なんだか非効率きわまりないのですが、この「旅の10日間」と帰ってからの「静かな10日間」を経て、ようやく社会復帰できそう、、、というか前へ進めそうな気持ちになりました。
NARAYA Pod化計画の方も少しずつ進展しています。
昨日は材木屋さんと、今日は斎藤工房さんと打ち合わせをして、試作品の設計がまとまってきました。
次回のブログで紹介したいと思います。
ずっと旅に向いていたテンションが一気に日常に戻り、しばらく「帰国ブルー」とでも言える状態になっていました。
でもここで旅をしめくくらないと、(気持ちの面で)次に進めないと思い、PCに向かいます。

チェンマイのバスターミナルはナイトバザールのすぐ横です。
(そういえば、そうだった、、、)

ナイトバザールを横切って

マッサージ屋が何軒も建ち並ぶ中心街の一角に安宿発見
(最後の一泊くらいゴージャスに、、、とも思ったのですが、ついつい貧乏性の僕は250バーツのファン付きの部屋を選んでしまいます。)

うん、ここで充分

夜飯はやはり屋台を探してタイ風細麺(センレック)
思えば昼も麺だった、、、、

翌朝はさらに懲りずに麺を食べました。
チェンマイ近辺の名物カレー麺「カオソーイ」です。
ネット環境が回復したので、チェンラーイ周辺のおいしいカオソーイ屋を調べたところ、宿泊場所から徒歩1分の場所に名店がありました。

美味しかった

ちなみに朝7時半頃行ったのですが、常連さんらしき人もちらほら

その後、バスでチェンマイへ向かい、バスターミナルから市街地へ向かう途中、ワローロット市場にほど近いところに綺麗めのホテルがあったので、夜の飛行機までデイユースで使うことにしました。
値切ったけど宿泊費とほぼ変わらず700バーツ(2000円ちょっと)。
とはいえ適当に探しても、このレベルのホテルに行き着き、2000円くらいで泊まれるというチェンマイという町のコストパフォーマンスは高いですね。

とりあえずトゥクトゥクを拾って

半年前に来たばかりの見慣れた風景を見ながら

今日の目的地はここ
ディンディーという土の家のカフェで、経営者は日本人の方です。
前回、7月に来たときも行きたいと思っていたのですが、エレファントキャンプなど子ども達中心の日程調整をしたため行けませんでした。
それがチェンマイで唯一心残りだったので、今回来てみました。

客層はチェンマイ在住日本人の方が多いのかなと思いましたが、周りはほとんどタイの女性達でした。
チェンマイ大学の敷地の中というカルチェラタンな雰囲気の場所に、土の家(アドビハウス)というインターカルチュラルなインテリアがマッチしています。

カレン族のレシピで作ったサラダと特性チャーハンを注文して、脂っこいミャンマー料理(とあとは麺ばかり)だったお腹の中を浄化しました。

ちょうどこの日はあまり忙しくなかったので(前日までは大学の卒業式がらみで忙しかったとのこと)、オーナーのAyumiさんといろいろとお話しすることが出来ました。
こちらディンディーのHPにもお店が出来るまでの改装の様子が載っていますが、お店が完成してオープンしたのが2007年3月とのことで、2007年9月にオープン(完成は8月)したNARAYA CAFEとちょうど同級生(というべきなのか?)です。

その後はホテルに戻り、近くのワローロット市場へ
スパイスなど買い込んできました

最後は日暮れ直前になって、半年前に子ども達と写真を撮った3人の王の広場へ

ここは毎週金曜日にファーマーズマーケットが開かれています

ミャンマーにはなかった、おしゃれめなお土産をちょこっと仕入れ
再び町に戻ったらスポーツバーの店員から「日本人か?」と声をかけられ、「日本の試合やってるよ」とのこと

おお、ちょうど後半終了間際、ビールを一杯飲みながら観戦しました。

ああ、帰りたくないなぁ、もう1泊したいなぁと思いながらタイマッサージに行ってからホテルへ戻ってシャワーを浴びて

タクシーで空港に向かいました
フライトは23:50発、ホテルを出たのは22:00
チェンマイは空港が近くて良いです。

帰りはソウル(仁川)まで大韓航空のチケットを片道で買ってあり、ソウルからANAで帰って来ます。
行きの到着地と帰りの出発地が違うオープンジョーという形式でANAのマイレージを利用したのですが、この荒技(前回ロシア・フィンランドに行くときにも使った)4月から使えなくなってしまうのです。オープンジョーは同じゾーン(例えば東南アジア・中国といった区分)内でないとできなくなるそうです。
まあ、とりあえずここまでは順調で韓国人団体客を満載した大韓航空ソウル行きに混載されて、一路ソウルへと向かいました。

フライトは予定通りに飛んで、ソウル仁川空港に翌朝着いたのですが、ここからが大変でした。
入国審査は韓国人と外国人で分けられているのですが、なんと韓国人ゲートは10以上あるにもかかかわらず、外国人ゲートは2箇所しかないのです。
(奥で長蛇の列が出来ているのが外国人ゲート)

マジかよ」と思いつつ、列に並ぶしかない外国人の僕は仕方なく並びます。
それにしても遅い。
われわれ外国人は指紋をとったりもするため、1人にかかる時間も多いため、列は遅々として進みません。
電光掲示場に日本語で「ようこそ」なんて書かれると、「何がようこそだ!!」と余計に腹が立ちました。
途中から3レーン、4レーンと増やしたけれど時既に遅しという感じでした。

約1時間並んで入国審査終了
こんなのはじめてです。
ターンテーブルに行くともうすでに荷物は全て出きって床に置かれており、タイ人のファミリーなどは疲れ切った表情を見せています。
韓国にやってきた外国人観光客は、もうこの一撃で相当悪い印象を持つことでしょう。
僕としても、以前、オーストラリアに行くときなどに韓国経由を選んだことがありましたが、「もうやめよう」という気持ちになりました。
ただ「同じことを日本もやってないかな?」ということが少し気になりました。
海外旅行から成田や羽田に着くと、「帰ってきた」という開放感が先行して「日本人」と書いた入国審査ゲートをそそくさとくぐって帰ってきてしまいますが、今度は外国人ゲートがどれくらいあるか見てみよう、、、という気になりました。
こんなことしてしまっては「Yokoso Japan キャンペーン」どころじゃないですからね。

まあ気を取り直して空港鉄道へ
最近はKTXも乗り入れているんですね。
今回は金浦空港へ行かないと行けないので、KTXではない普通列車にのりました

ソウル金浦空港そばにはスーパー銭湯(チムジルバン)があって、空港連絡バスに乗って行くことが出来るという情報を得ていたので、そこに行きました。
しかし、最初は風呂に入った後、ゆっくり昼寝でもしようと思っていたのですが、韓国入管のせいで大幅に滞在時間を削られてしまいました。
ほとんど風呂に入っただけで、ふたたび金浦空港へと戻ってきました。

最後は2時間のフライトで羽田へ
旅は終わりました。
ーーーーーーーーーーーーー
ミャンマー(とくにシャン州)ではテレビもネットもほとんど見られない状態で旅をしていたので、イスラム国による日本人人質事件が大騒ぎになっていることは帰国してから知りました。
帰国後、毎日のようにニュースで事件を聞き、つい数日前まで辺境を旅していた自分と重ね合わせてみたり、国境を隔てた日本という社会の中で、ただただ人づての話を聞いて、見守ることしかできない家族のもどかしさが少し分かった気がしました。
そんな最中、箱根の母方の祖母が亡くなりました。
3月が誕生日なので、米寿のお祝いをと親戚たちで計画し始めたところだったのですが、それを待たずして亡くなってしまいました。
小さい頃、両親は旅館の仕事で忙しくしていたので、よく面倒を見てもらっていたおばあちゃんでした。
おばあちゃんは僕の帰国を待ってくれていたのでしょうか、、、亡くなったという知らせを聞いて市立病院へ駆けつけることが出来たし、映画「おくりびと」の世界のような「納棺の儀」も見ることが出来ました。
そんなことで帰国してからの10日ほどは、ミャンマー・タイとめまぐるしく旅をした10日間と対照的な静かな日々でした。
なんだか非効率きわまりないのですが、この「旅の10日間」と帰ってからの「静かな10日間」を経て、ようやく社会復帰できそう、、、というか前へ進めそうな気持ちになりました。
NARAYA Pod化計画の方も少しずつ進展しています。
昨日は材木屋さんと、今日は斎藤工房さんと打ち合わせをして、試作品の設計がまとまってきました。
次回のブログで紹介したいと思います。
きらびやかな仏塔イメージの強いミャンマーですが、地方の旅も面白そうですね。スリルある鉄道の存在も初めて知りました。思わぬところでM先輩のお顔が登場したのにも驚きw
次回、アチェ周辺の離島とスマトラコーヒーをめぐる旅はいかがですか?津波被害から10年が過ぎ、ダイビングやサーフィン目的の観光客も戻りつつあるようです。オランウータンにも会えますよ。お待ちしております!
暖かいコメントありがとうございます。
M先輩がんばってらっしゃいましたよ。
アチェ行って見たいですね。
新入社員だった頃、幻に終わった調査業務があって、アチェの人をアテンドしたことがありました。
その後、スマトラ地震があって、あの方達は今頃どうしているかなと気になっていました。
インドネシアだと言葉もけっこう通じるし(ミャンマーはまず字が読めないので、、)楽しいですよね。
今年の拡張計画が完成した暁には、是非伺いたいです。