風に吹かれて~撮りある記

身近な自然の撮影
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徹の家

2018-03-21 22:39:43 | おもひで


信次郎はお金を貯めて新しいアパートを借りるつもりだった。

夕ご飯は実家か母の家で済ませた。

たまには泊まっていったが、今のところ仕方ないので兄のアパートはそのまま

借りていた。

他の兄弟は田畑や宅地をもらっていたが、

信次郎はもらえなかった。

信次郎が成績優秀なのを知っていた先生が

知恵を授けた。

秋田中学(現秋田高校)を受験してみろ、

合格証書をお父さんに見せて行かせてもらえ。

頭のよかった信次郎は見事合格した。

みんなが集まってたある日、

祖父の前に進み出て合格証書を差し出し、

秋田中学に合格したんだ、

行かせてください。

皆が驚いた。

祖父は喜んだ、一人だけ頭のいいのがいたか。

うれしくなって二つ返事で認めた。

そのおかげで田畑も宅地ももらえなかったのである。

だんだん徹は大きくなってきた。

3月末のある日みんなが集まった。

その年の大まかな予定を立てるためである。

機械などない時代であった。

協力しないと田植えもできないのである。

祖父を中心に話し合いながら田畑の予定をたてていた。

ある程度話が終わったところで

いつも食事になるのであった。

さて飯だというところで祖父はこういった。

もう一つ話があるんだ。

信次郎ところの徹が大きくなってきた。

3人で住めるアパートを捜している。

しかしなあアパートじゃなあ。

徹の先々のことも考えて

川尻村のはずれの土地を

徹にあげようと思う。

徹にあげるのだ。

便宜上信次郎の名義にはなるが

徹の土地だ。

みんなざわめいた。

親父、そんな土地があったか。田畑じゃあないのか。

持ってたっけ。

ああ小作料の代わりにもらったのだ。

そうかなと疑問には思ったが誰も異論は挟まなかった。

土地を担保にして家を建てろ、棟上げの時は皆で行くから。

段取り良くするんだぞ信次郎。

はい、ありがとうございます。

こうして徹の家ができることになった。

徹にやるといわれては反対はできなかった。

しかも宅地なら問題はなかった。

そこは秋田刑務所が遠くに見える

原っぱだった。

高台だったが下には実家の田んぼが広がっていた。

姉と妹の家の中ほどにあった。

南側道路の宅地に家は建った。

8畳の居間に6畳の寝室がついてた。

寝室の先には縁側があった。

北側には台所、西側には便所と浴室があった。

8畳の居間には囲炉裏があって自在カギがぶら下がっていた。

平家だった。

雪が多かったので雪囲いをしていた。

よしずで周りを囲むのであった。

縁側の向こうには大きな白い秋田犬がいた。

シロという名の犬だった。

信次郎が知り合いから譲り受けた犬だった。

気持ちのやさしい犬で吠えることがあまりなかったので

番犬にはならんなと信次郎は苦笑いをしていた。

徹が縁側から落ちそうになると助けてくれるのであった。

間違って落ちたときは吠えて知らせるのである。

シロに餌を与えておいで。

そういわれて餌をもっていった。

シロは徹の頬っぺたをペロッとなめた。

おどろいてなめられたと告げたら、ありがとうといったんだよと言われた。

だんだん怖くなくなって仲良くなっていった。

夕ご飯をあげるのが徹の日課になった。

たまには背中に乗せてもらった。

ふわふわの毛が気持ちよかった。

ある日3人で出かけた。

夕方帰ってきたらシロはいなかった。

鎖も食器もなかった。

なんでどうして。

どこ行ったんだろ。

父が言った。

狙ってたんだろうな、餌やおやつを与えて

手なずけてたんだろ。

抵抗することなくついていったんだろ。

せっかく仲良くなったのに。

泣きべそをかきながらシロと呼んでみた。

消息は知れなかった。

二度と会うことはなかった。

この後白い大きな犬を見るたびに徹はシロのことを思い出すのだった。

母は仕事をやめて徹を育ててくれた。

しかし生活はたいへんだった。

そのうちに妹が生まれた。

父は駅の近くの青果市場に働きに行った。

自転車でも40分くらいかかった。

朝早く働きに行って8時前に帰宅して、それから市役所に行った。

きつくて半年でやめた。

代わりに八百屋を始めた。

仕入れてきて小売りしたのだ。

母が日中は店を支えた。

母の妹たちが時々寄った。

これも長続きはしなかった。

兄の影響で養鶏業のまねごとをした。

100羽ほどの鶏小屋を建てて卵を売っていた。

これもうまくいかなかった。

暫く兄の家の卵も売ったがダメだった。

信次郎には商才がなかったのである。

母は妹が生まれるまではとても優しかった。

男といえどもいろんなことができなくては生きてはいけない。

自分一人でもできなくてはいけない。

母はそういう考えだった。

炊事、洗濯、料理、裁縫全てを教えてくれた。

基礎は教わったのである。




















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