数年ぶりで、コンサドーレアドベントカレンダーに参加することになったので、
青春18きっぷ日本縦断の旅のエントリーはちょっとお休みです。
(ちょっとどころじゃなくてだいぶお休みしていることは秘密ですw)
たまたま早い時期にアドベントカレンダーにエントリーしたので
敢えて12月5日を選びました。
オールドファンなら12月5日と聞いてピンときますよね。
1998年12月5日、コンサドーレがJ1参入戦で敗れ、
翌年からJ2でチームをスタートさせることが決まった日です。
翌年からスタートするJリーグの2部制に伴って
18チームあるJリーグ(TOPリーグ)から、
2チーム減らしてJ1リーグを構成し、
その2チームはJ2からスタートするということになっていました。
【注】後に横浜フリューゲルスが消滅(横浜マリノスと合併)したため
J1参入戦からJ2に回るのは1チームのみとなりました。
コンサドーレは1998年にJリーグに昇格し、年間順位は14位となったものの、
前年のポイントがないことなどから、福岡・神戸・市原(現千葉)に、
JFL2位で参入戦の参加資格を得た川崎FとともにJ1参入戦に臨みました。
神戸とH&Aで負けて福岡と最後の席を争うこととなり
アウェイの第1戦は0-1で敗戦。
でも、12月5日の第2戦は年間順位上位の札幌は勝てばJ1参入できる状況でした。
さて、この状況下のころの私は当時29歳。
仕事が忙しくて、休みもままならない中、
神戸との参入戦の第1戦で、初めてアウェイ遠征を体験し
ひとかたならぬ思いを持って、12月5日の室蘭入江に向かいました。
しかし結果はまさかの0-3。
コンサドーレは199年、J2からの出直しという結果になりました。
でも、私は
とてつもなく悲しかった筈なのに
なんだか晴れやかな気分だったことを覚えています。
なんでだろう。
たぶん、J2行きになったって、コンサドーレはコンサドーレ。
そのチームをこれからずっと応援していこうと決めたからかもしれません。
当時コールリーダーをやっていた斎藤宏則くんが
「こんなに弱くてどうしようもないチームだけど、俺達にはこのチームしかないからさ!」
っていう言葉に背中を押されたんだと思います。
(正確な言葉は覚えていませんが、確かそんなニュアンスのことを言っていたと思います)
あれから21年の月日が流れようとしています。
私も50代の大台に乗ってしまいました。
体型もいろんな意味で大きく変わりましたw
でも、あれからホームゲームをSS席(現・劇場シート)のシーズンシートを買ってずっと見続け
時にはホームゴール裏で応援していました(今は座席カテゴリーの関係で行っていませんが)。
でも、アウェイに行けばUSのそばでバモっています。
そんな直接的なサポートをしながら、
スポンサーの商品を買うという形でのサポートもしています。
飛行機と言えばJALだし、ビールと言えばサッポロです。
(まあ、みんなそうですよね?)
そして、今年。
とあるスポンサーの新規契約にちょっと関わるという形で
ちょっとだけチームのサポートをすることが出来ました。
1998年12月5日の誓いを胸に
これからチームに対してどんなサポートができるのか
いろいろ考えて行きたいと思います。
青春18きっぷ日本縦断の旅のエントリーはちょっとお休みです。
(ちょっとどころじゃなくてだいぶお休みしていることは秘密ですw)
たまたま早い時期にアドベントカレンダーにエントリーしたので
敢えて12月5日を選びました。
オールドファンなら12月5日と聞いてピンときますよね。
1998年12月5日、コンサドーレがJ1参入戦で敗れ、
翌年からJ2でチームをスタートさせることが決まった日です。
翌年からスタートするJリーグの2部制に伴って
18チームあるJリーグ(TOPリーグ)から、
2チーム減らしてJ1リーグを構成し、
その2チームはJ2からスタートするということになっていました。
【注】後に横浜フリューゲルスが消滅(横浜マリノスと合併)したため
J1参入戦からJ2に回るのは1チームのみとなりました。
コンサドーレは1998年にJリーグに昇格し、年間順位は14位となったものの、
前年のポイントがないことなどから、福岡・神戸・市原(現千葉)に、
JFL2位で参入戦の参加資格を得た川崎FとともにJ1参入戦に臨みました。
神戸とH&Aで負けて福岡と最後の席を争うこととなり
アウェイの第1戦は0-1で敗戦。
でも、12月5日の第2戦は年間順位上位の札幌は勝てばJ1参入できる状況でした。
さて、この状況下のころの私は当時29歳。
仕事が忙しくて、休みもままならない中、
神戸との参入戦の第1戦で、初めてアウェイ遠征を体験し
ひとかたならぬ思いを持って、12月5日の室蘭入江に向かいました。
しかし結果はまさかの0-3。
コンサドーレは199年、J2からの出直しという結果になりました。
でも、私は
とてつもなく悲しかった筈なのに
なんだか晴れやかな気分だったことを覚えています。
なんでだろう。
たぶん、J2行きになったって、コンサドーレはコンサドーレ。
そのチームをこれからずっと応援していこうと決めたからかもしれません。
当時コールリーダーをやっていた斎藤宏則くんが
「こんなに弱くてどうしようもないチームだけど、俺達にはこのチームしかないからさ!」
っていう言葉に背中を押されたんだと思います。
(正確な言葉は覚えていませんが、確かそんなニュアンスのことを言っていたと思います)
あれから21年の月日が流れようとしています。
私も50代の大台に乗ってしまいました。
体型もいろんな意味で大きく変わりましたw
でも、あれからホームゲームをSS席(現・劇場シート)のシーズンシートを買ってずっと見続け
時にはホームゴール裏で応援していました(今は座席カテゴリーの関係で行っていませんが)。
でも、アウェイに行けばUSのそばでバモっています。
そんな直接的なサポートをしながら、
スポンサーの商品を買うという形でのサポートもしています。
飛行機と言えばJALだし、ビールと言えばサッポロです。
(まあ、みんなそうですよね?)
そして、今年。
とあるスポンサーの新規契約にちょっと関わるという形で
ちょっとだけチームのサポートをすることが出来ました。
1998年12月5日の誓いを胸に
これからチームに対してどんなサポートができるのか
いろいろ考えて行きたいと思います。
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