鶯 の 庭 に 飛 び 来 て 春 来 れ ど
紅 く 咲 き た る 梅 は も う 無 く
「18.梅とうぐいす」で話しました妻ですが、実は17日(土曜日)未明、呼吸不全のため病院で亡くなりました。
午前3時20分頃病院から電話があり、「巡回で廻っていったら、呼吸停止の状態でした。」とのことで、すぐに駆けつけましたがもうすでに息を引き取ったあとでした。
病院のベッドに横たわっている彼女の耳元で、「おーい、もう家に帰るよ。」と言ってあげたら、彼女の顔がふっとゆるんで、笑ったような顔になりました。
そして僕の乗用車の後部座席に彼女を乗せて、病院から家に帰りました。
彼女との最後のドライブでした。
翌18日夕方、棺に入った彼女はお通夜のため家から葬儀場へ向かいました。
そして、昨日19日告別式を済ませ、今日はお骨壺に入った彼女が家の祭壇に置いてあります。
前にも書いたように、妻はおよそ9年間、脳疾患でそのほとんどをほぼ寝たきりで過ごしました。
また、それは自宅での療養でしたので、僕がいろいろと世話をしてきました。
よく人から「大変ですね。」とか「つらいですよね。」とか言っていただきました。
でも僕は、告別式の挨拶でも話したのですが、確かに最初は大変でつらかったですが、ある時あたりから、それがまったく苦にならなくなってきました。
それどころが、介護そのものがむしろ喜びにさえ感じてきたのです。
そのころから、よく人に、「趣味介護、特技おむつ交換。」(笑)と言ったりしてたくらいです。
うちの奥さんは元気な頃はそりゃほんとに元気な奥さんでしたから(笑)、よくケンカもしました。
仲直りも早かったですけど。
それが、病気になってからは、ケンカひとつしなくなり、まあそれはあたりまえなのかもしれませんが、でも家に帰ると、いつでもベッドの上で僕の帰りを機嫌良く待ってくれているというのは、僕にとってもほんとにうれしく、幸せなことでした。
彼女もそのころからよく、「私は世界一の幸せ者。」と言うようになり、もちろんそれは僕にとっても同じ気持ちでした。
まわりから見たら、僕たちの状況は結構たいへんな状況だったと思います。
でも、僕たち二人にしてみたら、少なくとも僕の人生の中では、一番、最も幸せで輝いていた9年間だったのです。
そしてそれは彼女にとってもきっと同じだったんだろうと確信してます。
この9年間の輝ける日々が、僕と彼女の人生に大きな意味と、真の豊かさをもたらしてくれたのだと思います。
18日午後から降り出した雨は、お通夜の間中も降り続け、まるで、最後の別れを惜しむかのようななみだ雨でしたが、翌19日は、妻のあの世への新しい出発を祝福するかのような、いい天気に恵まれました。
亡くなったあとの肉体や、お骨は、魂の抜け殻にすぎません。
彼女の魂は今も僕のまわりや、親しかった友人のところを駆けめぐっているのを感じています。
そしてやがて、本来の世界、元いた場所に帰っていくのでしょう。
そのとき持って帰れる最大のものは、あの「輝ける日々」なのだと思います。
紅 く 咲 き た る 梅 は も う 無 く
「18.梅とうぐいす」で話しました妻ですが、実は17日(土曜日)未明、呼吸不全のため病院で亡くなりました。
午前3時20分頃病院から電話があり、「巡回で廻っていったら、呼吸停止の状態でした。」とのことで、すぐに駆けつけましたがもうすでに息を引き取ったあとでした。
病院のベッドに横たわっている彼女の耳元で、「おーい、もう家に帰るよ。」と言ってあげたら、彼女の顔がふっとゆるんで、笑ったような顔になりました。
そして僕の乗用車の後部座席に彼女を乗せて、病院から家に帰りました。
彼女との最後のドライブでした。
翌18日夕方、棺に入った彼女はお通夜のため家から葬儀場へ向かいました。
そして、昨日19日告別式を済ませ、今日はお骨壺に入った彼女が家の祭壇に置いてあります。
前にも書いたように、妻はおよそ9年間、脳疾患でそのほとんどをほぼ寝たきりで過ごしました。
また、それは自宅での療養でしたので、僕がいろいろと世話をしてきました。
よく人から「大変ですね。」とか「つらいですよね。」とか言っていただきました。
でも僕は、告別式の挨拶でも話したのですが、確かに最初は大変でつらかったですが、ある時あたりから、それがまったく苦にならなくなってきました。
それどころが、介護そのものがむしろ喜びにさえ感じてきたのです。
そのころから、よく人に、「趣味介護、特技おむつ交換。」(笑)と言ったりしてたくらいです。
うちの奥さんは元気な頃はそりゃほんとに元気な奥さんでしたから(笑)、よくケンカもしました。
仲直りも早かったですけど。
それが、病気になってからは、ケンカひとつしなくなり、まあそれはあたりまえなのかもしれませんが、でも家に帰ると、いつでもベッドの上で僕の帰りを機嫌良く待ってくれているというのは、僕にとってもほんとにうれしく、幸せなことでした。
彼女もそのころからよく、「私は世界一の幸せ者。」と言うようになり、もちろんそれは僕にとっても同じ気持ちでした。
まわりから見たら、僕たちの状況は結構たいへんな状況だったと思います。
でも、僕たち二人にしてみたら、少なくとも僕の人生の中では、一番、最も幸せで輝いていた9年間だったのです。
そしてそれは彼女にとってもきっと同じだったんだろうと確信してます。
この9年間の輝ける日々が、僕と彼女の人生に大きな意味と、真の豊かさをもたらしてくれたのだと思います。
18日午後から降り出した雨は、お通夜の間中も降り続け、まるで、最後の別れを惜しむかのようななみだ雨でしたが、翌19日は、妻のあの世への新しい出発を祝福するかのような、いい天気に恵まれました。
亡くなったあとの肉体や、お骨は、魂の抜け殻にすぎません。
彼女の魂は今も僕のまわりや、親しかった友人のところを駆けめぐっているのを感じています。
そしてやがて、本来の世界、元いた場所に帰っていくのでしょう。
そのとき持って帰れる最大のものは、あの「輝ける日々」なのだと思います。
奥様はお幸せだったにちがいありません。
いろんな方のお心遣いが身に滲みます。
ところでRoseさんは、もし僕のお知り合いの方でしたらバラの好きなNさんでしょうか?
ちがってたらごめんなさい。
ご冥福をお祈り申し上げます。
幸せは心で造るものだと、しみじみ感じました。
コメントありがとうございました。
私は江原さんの本をよく読ませて頂いていますが、本にはにこう言う書かれていました。
「死とは、魂のふるさとへの里帰り」ふるさとでは、「お帰り、よく頑張ったね、お疲れ様だったねぇ。」とか言って魂を迎えてくれるそうです。魂は自由で永遠の存在だそうです。
きっと、今も家族や知人のそばで「何やってんの、頑張りなさい!!」なんて話しかけてるんだと思います。
人の死や、何かを失うことは本当に辛いです。失うことへの恐れも大変つらい...
永遠の別れだと思うと辛いから、私はある意味「卒業=旅立ち」だと思うことにしています。
一緒に、いろんな経験を共にした人が自分より先に卒業するんだと、
その経験や思い出の続きを自分がつくっていく...卒業生たちは、この世で居る時よりも自由に自分の行きたい場所や人に会ったり出来るそうです。
「亡くなった人は墓に帰る」って昔よく何かで聞きましたが、やっぱり一番帰りたい場所”我が家に帰りたいと思うそうです。
「おーい、もう家に帰るよ。」
奥様はきっと、その言葉に喜んだと思います。
上手く気持ちを文章にできなくてゴメンなさい。
いつも調律でお世話になっているボストンのN.kより
僕も江原さんの本は読んだことがあります。
わかりやすくて、とても良い本でした。
それが、妻が亡くなってから、江原さんが書いていたようなことがだんだん実感として感じられるようになってきました。
別になにが見えるとかいうわけではありませんが、妻の魂がまだ僕のそばに時々来たり、なんかどこかへ忙しく出かけてるのか(生前も忙しく飛び回ってましたから(笑))いなかったり。
そんなことが感じられます。
まだ亡くなった実感がそんなにありません。
どこかにまだいるような・・・。
ありがとうございます。
1年ぶりに町田さんにお会いして、ブログのお話を聞き、読ませていただいたら奥様が旅立たれたとのこと・・・涙しました。
私の義父も5年ほど前から脳梗塞で入院していて、右半身が動きません。
言葉も話せないので、本人も義母もコミュニケーションがとれず大変な思いをしています。
なんと言っていいか分かりませんが、さみしそうな素振りを見せず、仕事を頑張っていらっしゃる町田さん、すごいと思います。
これからもウチのピアノの調律、よろしくお願いします。
・・・そうですか。
コミュニケーションがとれないのはつらいですね。
僕も今回のことで、ずいぶんいろんなことを考え、感じ、そして自分なりに理解できたこともあるように思います。
これも人生の試練なんですかねぇ・・・。
「人生は一冊の問題集。」なんて言いますから、僕も1ページ1ページていねいに解いていくしかないか、と思います。
まあ、ページのところどころに出てくるコラムも楽しみながら・・・。(笑)