おくればせながら、あけましておめでとうございます。
今年はプライベートの年賀状に、僕の記憶にある限り生まれて初めて自分で詠んだ和歌を書き添えました。
も の 言 わ ぬ 梅 に も 春 は 来 る も の を
せ め て 飛 び 来 て 歌 え 鶯
僕の妻はエレクトーンとピアノの講師をしておりましたが、平成12年3月、46歳で脳梗塞を起こして左半身マヒになり、その後さらに2度の脳出血で、現在はしゃべることも動くこともまた飲んだり食べたりすることもまったくできなくなりました。彼女のことを思い、詠んだものです。
現在彼女は半年ほど前より病院で療養中で、今はテレビを見ることもラジオを聴くこともなく、ずっとベッドで天井を見てるだけの毎日です。
見ていて、当然不憫には思いますが、別の観点から見たら、もしかしたら彼女には、健康なときとは違った彼女の時間が流れてるのかな、とも考えたりします。
それは、彼女がまだしゃべれた頃、半身マヒで一日中ベッドに寝ている時に、
「最近テレビもおもしろい番組もないし・・・。」と嘆く彼女に、
「そりゃ君もテレビ見なかったら一日寝てるばかりでたいくつで大変だよね。」と声をかけたら、返ってきた言葉が、
「そうでもないのよ。こう見えても私けっこう忙しいの。だって、午前中は今日何をするのか、予定を考えて、午後は私が元気になったらこんなことをして、と計画を練り、夕食後は今までの反省をするの。そうしたらあっという間に一日が過ぎてしまうの。だから毎日忙しいの。」と言うのです。
僕はそれを聞いてずいぶん自分の気持ちが救われた気がしました。
みんな、生きてる限り、退屈なんて実はあまり無くって、それぞれ自分の持ち場でするべきことをし、またそこにはちゃんといろんな難問がふりかかってき、そしてそれを解いている限り、誰にも、それこそつながれている飼い犬にも、岩にへばりついているイソギンチャクにだって(笑)、退屈なんて無いんだと思います。
それが生きている意味なのかもしれません。
でもできることなら、妻のところには難問ばかりでなく、時にはほっと心安らぐ一瞬を感じたりすることもできるような、そんな何かも時にはあれば、と願います。
もっとも、ものはとらえようですから、もしかしたらもう妻はちゃんと自分のところに来ている「鶯」を見つけているかもしれませんし、だといいなと思います。
今年のお正月は、自分の作った和歌に、なんか自分の気持ちを込めることができ、それが自分の慰めにもなりました。
源氏物語じゃないですけど、和歌は今で言う男と女が交じあわすメールみたいなもの。
また時にはこうやって自分の気持ちをたった31文字でいろんな人に告げたりすることができる実はとてもいい道具。
今回自分にとって新たな発見でもありました。
今年はプライベートの年賀状に、僕の記憶にある限り生まれて初めて自分で詠んだ和歌を書き添えました。
も の 言 わ ぬ 梅 に も 春 は 来 る も の を
せ め て 飛 び 来 て 歌 え 鶯
僕の妻はエレクトーンとピアノの講師をしておりましたが、平成12年3月、46歳で脳梗塞を起こして左半身マヒになり、その後さらに2度の脳出血で、現在はしゃべることも動くこともまた飲んだり食べたりすることもまったくできなくなりました。彼女のことを思い、詠んだものです。
現在彼女は半年ほど前より病院で療養中で、今はテレビを見ることもラジオを聴くこともなく、ずっとベッドで天井を見てるだけの毎日です。
見ていて、当然不憫には思いますが、別の観点から見たら、もしかしたら彼女には、健康なときとは違った彼女の時間が流れてるのかな、とも考えたりします。
それは、彼女がまだしゃべれた頃、半身マヒで一日中ベッドに寝ている時に、
「最近テレビもおもしろい番組もないし・・・。」と嘆く彼女に、
「そりゃ君もテレビ見なかったら一日寝てるばかりでたいくつで大変だよね。」と声をかけたら、返ってきた言葉が、
「そうでもないのよ。こう見えても私けっこう忙しいの。だって、午前中は今日何をするのか、予定を考えて、午後は私が元気になったらこんなことをして、と計画を練り、夕食後は今までの反省をするの。そうしたらあっという間に一日が過ぎてしまうの。だから毎日忙しいの。」と言うのです。
僕はそれを聞いてずいぶん自分の気持ちが救われた気がしました。
みんな、生きてる限り、退屈なんて実はあまり無くって、それぞれ自分の持ち場でするべきことをし、またそこにはちゃんといろんな難問がふりかかってき、そしてそれを解いている限り、誰にも、それこそつながれている飼い犬にも、岩にへばりついているイソギンチャクにだって(笑)、退屈なんて無いんだと思います。
それが生きている意味なのかもしれません。
でもできることなら、妻のところには難問ばかりでなく、時にはほっと心安らぐ一瞬を感じたりすることもできるような、そんな何かも時にはあれば、と願います。
もっとも、ものはとらえようですから、もしかしたらもう妻はちゃんと自分のところに来ている「鶯」を見つけているかもしれませんし、だといいなと思います。
今年のお正月は、自分の作った和歌に、なんか自分の気持ちを込めることができ、それが自分の慰めにもなりました。
源氏物語じゃないですけど、和歌は今で言う男と女が交じあわすメールみたいなもの。
また時にはこうやって自分の気持ちをたった31文字でいろんな人に告げたりすることができる実はとてもいい道具。
今回自分にとって新たな発見でもありました。