今日は珍しく忙しかったので時間が無いから簡単に・・・・・・・・・・
先日、宮崎市の広報誌を見ていたら・・・・・・・・・・
宮崎市の北西の方で、宮崎神宮・平和台から国富に向かう道路で・・・・・・・瓜生野の、相生橋とか直純寺のあたりを過ぎたあたりに「野首下」というバス停があります。 何十年も前から、そのバス停を見るたびに「わ~~~ 恐ろしい! 大昔は、このあたりに切り取った首をさらしていたんだな! くわばらくわばら」と思っていました。
別の知識で、国富は天領だったので、去川の関で薩摩軍との戦いがあった! とかの断片的な記憶を総合して「野首下」のあたりに切り取った首をさらしていたんだ! と思い込んでいました。
テレビや映画で、戦国時代の戦の後は、川原に作った板に首を載せたシーンを何回も見たからです! 「野首をさらす」というシーンですね。
城を守りやすくするための細い道を首に見立てて「野首」と呼んだ先人に文句を言おう! 「城入り道」とか「城下道」とかの名前を付けてくれていたら、僕は50年近くも間違えていなかったのに・・・・・・