だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

パネルディスカッション 🌹 プロローグ

2018年06月15日 | 日記
数日前にパネルディスカッションがありました。

障がい者団体の総会で、毎年チョット著名な方に講師をお願いして「公開講座」っぽいことをおこなうのですが、
「長年親しくしていてもじっくり語り合うことないね・・・」ということで、
仲間同士でパネラーになり「改まった話」をしました。

最近このブログの読者が増えてますが、「岡田なおこって、どんなヤツ?」と思われる方もいるでしょうし、
この際(笑)知っていただきたいので、パネルディスカッションの台本から抜粋して、書くことにします。

まずは「プロローグ」 👧 

●「自立心」が芽生えたきっかけ

父の姉がポリオの後遺症で片麻痺でした。時代的に仕方ありませんが、家にいるおばちゃんに私は違和感を覚えました。
伯母は体のハンデは軽く、何でも普通にできるのに、親のベッタリくっついている。
他のおばさんたちは学校に行き、仕事を持っている。結婚してママになる人もいるのに、なぜ・・・?

私は自分の障害を認識する前に、伯母の存在が不思議でたまりませんでした。

そういう背景があって、両親や母方の親せきは「なおこは普通に育てよう」としてくれたのだと思います。
とりあえず何でもチャレンジ、失敗したら、別の道を探せばいい・・・といった環境で育ちました。

そののちに社会で活躍している障害者の先輩に出会い、「自分の意志で生きることは素晴らしい」と痛感しました。

そして「我が家なりの自立生活をしよう」ということになり、最初は取り壊す予定の祖父の家(ボロ家)で一人暮らしをスタートさせました。
そのボロ家が予定より早く壊すことになりましたが、「せっかくスタートさせたのに親元に戻るのはもったいない」ということで、
ご近所のワンルームを借りて、世帯分離もして「自立生活」の修行を続けました。
15年くらい前に自宅を少し直して、二世帯住宅のようにして、現在に至っています。


●「職業を持ちたい」という気持ち

家に閉じこもっている伯母への反発から「外に出て職業を持ちたい気持ち」が強くなりました。
しかし当時の私の状態では選択肢が少なく、消去法で選んだのが「作家」でした。
それは夢のような話で馬鹿にされることもありましたが、10年間勉強してデビューすることができました。

障がい者の仲間やボランティアさんたちも祝ってくれましたので、それを花道にして障害者団体の活動を卒業するつもりでした。
ところが母に「これからは、今までお世話になった地元に恩返しする番ね」と言われ、深みにはまった気がします。
 
母は「親の会」などで活動していましたが、私の活動も手伝ってくれて、家族で成長できたと思います。
特に「何でも自分でやるんだ」と意地になっていた伯母が仲間と助け合うことを知り、
「ボランティアの皆さんには頭がさがる」
「自分も仲間のお手伝いができる。社会の役に立っている気がして、うれしい」と言っていました。

亡くなるまでの数年間でしたが、伯母は素晴らしく変貌しました。
その姿を見て、私は、
「『自立』とは職業を持つことではなく、社会とつながること・仲間がいること。生き甲斐を持てること」だと確信しました。
 
「自立」というとむずかしそうで、その言葉で敬遠されがちですが、とてもシンプルなことではないでしょうか⁉

私はどんな状況でも「社会とつながっていたい」と思っているし
常に「生き甲斐・わくわく感」を持っている人間でありたいです。
                                                  つづく


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