うろ覚えライフ。

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ついに森繁さんが逝ってしまった

2009年11月11日 | 芸能ログ

 

○俳優の森繁久弥さんが死去

 

      映画「社長」「駅前」シリーズや舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで親しまれ、戦後の映画、演劇を牽引、大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが、10日午前8時16分、老衰のため亡くなった。

  大阪府枚方市生まれ。早大商学部に在学中から演劇活動を始め、中退後、下積み俳優として東宝劇団、古川緑波一座などを渡り歩く。1939年、NHKにアナウンサーとして入局し、旧満州(現中国東北部)の新京中央放送局に勤務した。

 戦後、新宿の「ムーラン・ルージュ」などの舞台に立った後、映画界に進出。「三等重役」「夫婦善哉」や「社長」「駅前」「次郎長三国志」シリーズなどに出演し、人間味あふれる独特の森繁節で幅広い人気を得た。

 後年は舞台活動に力を入れ、20年に及ぶロングランとなったミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエや、「佐渡島他吉の生涯」の他吉などを当たり役とした。

 テレビやラジオでも活躍する一方、自ら作詞・作曲して歌った「知床旅情」をヒットさせ、「アッパさん船長」など数多くの著書で多才ぶりも示した。

 日本映画俳優協会や日本喜劇人協会の会長、日本俳優連合名誉会長などを務めた。91年に文化勲章受章。

○「人間の本音、素直に表現」=森繁久弥さん死去で小林桂樹さん

 

      映画「社長」シリーズで部下役を演じるなど、森繁久弥さんと親交が深かった俳優の小林桂樹さん(85)は「それまでの日本にはなかった、しゃれた演技をする人で、人間の弱い部分や本音を素直に表現するやり方が斬新でした。社長シリーズではそれぞれが自分の役を和気あいあいとやっていて、とても雰囲気の良い活気のある現場でした。みんなあっちに行ってしまって寂しい限りです」とコメントした。
 映画「駅前」シリーズや「新・夫婦善哉」などで共演した女優の淡路恵子さん(76)は「俳優として、ちょっとした捨てぜりふでも、普通の役者とは違う力量のある人で、わたしも安心して芝居ができました。一方で、1時間近く遅刻をするなど甘ったれのかわいらしいところもありました。おいしい物が大好きで、舞台があるときは毎日ごちそうになったりと思い出がいっぱい。大好きな人でした」と残念そうに語った。

○森繁久弥氏死去:家族に見守られ 安らかな表情で

 

      軽演劇に始まり、ラジオ時代にはラジオ、映画時代には映画でと、多彩な活躍をしてきた森繁久弥さんが10日、亡くなった。96歳だった。時代の風俗を軽妙な演技で映してきた俳優の死を、多くの関係者が悼んだ。

 森繁さんの所属事務所「アクターズセブン」の守田洋三社長(68)によると、森繁さんは10日午前8時16分に次男・建(たつる)さん(66)ら家族に見守られながら、亡くなった。家族からの知らせを受けた守田社長は9時過ぎ、病院に駆けつけたが、森繁さんは安らかな表情でベッドに横たわっていたという。

 森繁さんは風邪による発熱で大事を取り、7月22日から東京都内の病院に入院していた。目が悪いため、病室では読書はしていなかったが、テレビを見たり、家族らと話をしたりして過ごしていた。守田社長らが見舞いに訪れた際には「何かおもしろい話はないか」というのが口癖で、好奇心旺盛な様子を見せていた。芸能界関係者の見舞いは「周囲に気を使わせたくない」との本人の意向で、遠慮していたという。

 守田社長によると、森繁さんはこれまで250本以上の映画に出演し、04年の映画「死に花」への出演が最後の仕事になった。事務所は、99歳の白寿のお祝いを計画していたといい、これまでに出演した映画やドラマなどの功績をまとめることを検討していた。守田社長は「もう高齢なのでいつかこの日が来ると覚悟はしていたが、ショックだ。森繁さんとは40年来のつきあいで、一緒に多くの仕事をさせてもらった。今年の春、森繁さんが『もうすぐ、100歳だからなあ』と元気な様子で話し、みんなで大笑いしていたのが思い出される」と話した。

 

 僕が子供の頃、僕が小さな頃、僕が生まれて初めて覚えた芸能人の名前が、“森繁久弥”だったんではなかったろうか。そんな気がはっきりとする、間違いなくと言ってもいいくらいにそう思える、というくらいに昔から“森繁”は日本の銀幕、TVの中での超有名人、ビッグネームだった。小さな頃、周りの大人たちがみんな満面の笑顔で、“森繁”という名前を呼んでいた。全ての大衆に愛されるビッグネームだった。“森繁”、僕は本当に小さな小さな頃からこの名前を知っていたように思う。

 小学生の頃は、僕は、当時、森繁久弥さんが俳優として、東宝喜劇映画の「社長」シリーズや「駅前」シリーズが有名で、TVでもコミカルな役柄を見ていたので、面白いコメディアンとして、有名人としては少し軽く見ていたと思う。勿論、愛すべきオジサンというイメージを持って。森繁久弥さんが実はウィットに溢れた教養人だと知ったのは、僕がもう青年に近いくらいの歳になってからじゃなかろうか。

 僕は子供の頃、住んでる家の斜め前が邦画封切館だったので、小学生の頃はよく一人で映画を見に行っていて、「社長」シリーズや「駅前」シリーズを何本も見て、もう昔々のことで細かいことはよく憶えてないが、暗いホールのスクリーンの前で子供ながら大爆笑している筈だ。(多分、僕は当時、こういったシリーズ喜劇は、怪獣ものとか特撮や、クレイジーや若大将のシリーズ等の併映で見てるんじゃないかな)。

 「おやじのヒゲ」という大人気の、シリーズTVドラマもあったなあ。

 何か、知的で大きな人だった、という気がする。

 森繁久弥さんは戦後日本映画界の、昭和の時代を代表する映画俳優であり、また日本映画やTV界の歴史の重要な存在として、名を残す大役者だろう。森繁久弥さんは日本の芸能界の指折りの超ビッグネームの芸能人だった。やはり偉大だっただろう。

 本人は96歳大往生で、満点の夜空に輝く芸能の星となって残り続けるんだろうが、ついに“森繁”も逝ってしまったか、と時代の流れに大きな寂寥感を持つ。ああ、時代は21世紀に入り10年も過ぎた。昭和はもう昔の話だ。



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