生きたまま極楽! 

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私 結婚できないんじゃなくて、しないんです(現代恋愛諦め男子)

2016年06月05日 | Weblog

 TBS系列・金曜ドラマワク、2016年4~6月期ドラマに、「私結婚できないんじゃなくてしないんです」という、中谷美紀と藤木直人が主演するドラマがありますが、これはテーマがアラフォー女性の婚活で、原作はベストセラー本「スパルタ婚活塾」という、まあ、ハウツー本ですね。このドラマの主題が婚活で、最近は、結婚をしないというか、まだまだ若いのにもう最初から結婚を諦めてる若者、それどころか、若いのに、もう異性との交際さえ最初から諦めてる若者(特に男子)が多いという話を、情報としてよく聞きまして、そういう話に関連した内容の、2014年にネットニュースからピックアップして当Blogに挙げといて、まだ記事アップはしてないトコを思い出し、ここのニュース記事に急いで、ワタシの感想コメントを入れて、記事アップするコトにしました。だから、元記事は2年前のニュース記事です。

 

○「彼女諦め男子」50%超のホンネ

 

  恋愛に消極的な男性が多いと言われて久しいが、最近では「彼女を作ることを諦めている」と公言する男性も増えてきたような…。彼女がいない20~30代の男性200人にアンケート調査を行ったところ、51.5%が「彼女を作るのは無理、となかば諦めている」と回答。さらに、「この先も彼女ができないんじゃないかと思う」男性は59.0%に及び、悲観的な様子が見て取れる。

 その理由として最も多いのは「収入が低く、金銭的余裕がないから」(45.0%)という切ないものだったが、「自分の性格に問題があると思うから」(38.3%)、「容姿が人並み以下だと思うから」(29.2%)などネガティブな回答も多かった。この自信のなさはどこからくるの? 武蔵大学で「男性学」を教える田中俊之先生にうかがった。

「70年代まで、恋愛は結婚の準備段階と捉えられ、社会的に重きをおかれていませんでした。しかし90年代以降は、マニュアル本の登場やデートスポットの増加などにより“結婚とは別に楽しむモノ”として定着。恋愛の価値が上がったことにより『性格や容姿がよくないと満足させられないのでは』と不安になる人が増えたのではないでしょうか」

なるほど。でも、90年代は今よりガツガツしている人が多かったイメージがある。近年はなぜ諦めモードに?

「“草食系男子”などの概念が普及し、恋愛に積極的ではないと主張しやすくなったことが背景にあるのでは。私の授業でも『僕は草食系だ』と言う男子学生が増えましたね。20年前であれば、思っていても公言できなかったでしょう」

彼女はいらない、無理に恋愛しようと思わない―などと言いやすくなったことで、“諦めやすくなった”という側面も。生きやすい時代になったともいえるけど、女子としては、ちょっともったいない気がします…。

 

○恋愛ドラマ、なぜウケなくなった?ケータイ普及、若者の恋愛離れという言い訳は本当か?

 

  4月25日、フジテレビの亀山千広社長が「若いつくり手たちが恋愛ドラマに興味をなくしている」「恋愛ドラマをつくりづらくなっている」などと発言し、話題を呼んだが、恋愛ドラマがとにかくウケない。

 今は「企業モノ」「組織内不和」「逆転劇」がブームで、恋愛は不要コンテンツともいわれる。1対1の人間関係で問われる「個」よりも、やたらと「集団」が描かれるほうが断然多い。個人的に「トレンディドラマ」や「恋愛モノ」にはあまり(というかほとんど)興味がないので、この傾向に憤慨するでもなく寂しいとも思わない。ただし、主にフジテレビやTBSが着実に築いてきた恋愛ドラマブームで育った人々(30代後半~50代前半)は嘆いているらしい。なぜ恋愛モノがウケなくなったのか。

 

 恋愛なんてホントに「こっ恥ずかしくて情けないこと」の連続だ。他人から見れば、実に間抜けな行為である。理性を失ったり、のぼせあがったり、不毛な疑念を抱いたり、不埒な妄想をしたり、傷ついたり、裏切られたり。間抜け上等、それが恋愛である。また、不倫も略奪愛も同性愛も駆け落ちも腹上死も心中も、立派な恋愛である。

 

 往年の恋愛ドラマでは、こうした愛の形(負の部分も含め)を猪突猛進で追い求めればよかった。『東京ラブストーリー』(1991年)、『101回目のプロポーズ』(同)、『あすなろ白書』(93年/いずれもフジテレビ系)や『想い出にかわるまで』(90年)、『クリスマス・イヴ』(同)、『高校教師』(93年/いずれもTBS系)あたりまではよかったのだろう。

 

 ところが、このバラエティに富んだ間抜けさの集合体である恋愛が、ドラマで描かれる際にいつの間にか「素敵系」へと美化されてしまった。セックスのセの字もない、不倫どころか奪い合いもない、執着しない・あきらめのいい・素直な人物ばかりが登場してきて、表面的なやりとりで恋愛を表現するようになった。要は「きれいごと」である。

 

●面白くないからウケない

 

 恋愛の根底にある愚かさと間抜けさを絵ヅラにせず、主役をカッコよく見せることばかりに専念しすぎたせいで、つまらない恋愛ドラマが増えてしまった。スポンサーへのごますりなのか、巨大事務所への接待なのか、小うるさいクレーマー視聴者対策なのか、いろいろと事情はあるのだろうけれど、制作側の及び腰が最大の問題だと思う。「携帯電話やらSNSが普及して、すれ違いの恋愛を描きにくくなったから」とか、「若者の絶対的な恋愛離れ」とか、ただの言い訳にすぎない。面白くないからウケない。その一言に尽きる。

リアリティのない恋愛ドラマを見るくらいなら、東海テレビが鼻息荒くつくり出す、ドロドロ&修羅場が定番の昼ドラのほうが面白いもの。「きれいごと」に物足りなさを感じる世代は、イマドキのうすっぺらい恋愛ドラマから離れていくワケだ。

 窪美澄原作・タナダユキ監督の映画『ふがいない僕は空を見た』(東京テアトル/2012年)で、印象的なセリフがあった。主人公の高校生が人妻とコスプレセックスを愉しんでいたことがインターネット上で拡散されてしまい、彼の母親が営む助産院のホームページが悪意と嫌がらせで炎上した。それに対して、ベテラン助産師がひと言、吐き捨てる。

「ばかな恋愛したことない人なんて、この世にいるんすかねー」

 まさしくそのとおり。恋愛なんて本当にばかばかしくて、恥ずかしいもの以外の何物でもない。葬り去りたい黒歴史は、恋愛につきもの。そこを描かずに惚れた腫れたなんて、嘘くさいに決まっている。そろそろ空気を読むのをやめて、真剣に「ばかな恋愛ドラマ」をつくってほしいと思う。

 

○これを読んでも、本当に「独りでポックリ逝きたい」ですか? 若者にも身近な「孤独死」の実態

 

  若者にとって、「孤独死」は決して遠い問題ではない。現に、恋愛や結婚で盛り上がる女子会の中で、恋人のいない者が「孤独死」をリアルなものとして語るのをチラホラと見かける。ひとりで何も予定もなく家でダラダラと過ごすと、きっと自分の老後はこんな風に孤独なものになるのだろうと思えてくるのだという。「恋愛も友達付き合いも面倒だなぁ」などと思っていると、誰にも気づかれぬままひっそりと亡くなり、気づけば死後数日発見されない…なんてことになってしまうかもしれない。そう思うと悲しい心持ちがしてこないだろうか。

結城康博氏著『孤独死のリアル』(講談社)によれば、「孤独死」で亡くなる人の数は年間で3万人と推計されている。1日に100人近くが孤独死している現状があるのだ。結城氏に言わせれば、「最期は家で独りで」の時代が当たり前になろうとしているらしい。2015年には、65歳以上の独り暮らし高齢者は全国で600万人、30年間で5倍に増えている。老夫婦もいずれかはどちらかが亡くなり、「独り暮らし」世帯となる。三世代世帯は約50%(1980年)から約15%(2011年)と激減しているのに加え、結婚しない人の割合の増加も最近の傾向。これから益々、「孤独死」の割合は増えていきそうだ。

 結城氏によれば、寿命が長い分、独り暮らし高齢者の割合は女性の方が多いが、「孤独死」するのは男性の場合の方が多い。「孤独死」で亡くなる人のうち、男性の割合は全体の7割以上を占めていると結城氏はいう。孤独死対策で全国でも名高い千葉県松戸市常磐平団地自治会の中原卓実会長によれば、これは生活習慣とも関係しているそうだ。独り暮らしの男性は、近所の人とのコミュニケーションを断つ人が多く、あいさつすらしない。そして、「家族もいない。電話もしない。あいさつもしない」といったような「ないないづくし」が孤独死を招くひとつの原因だと中原会長は指摘している。会社が定年となって在宅生活が始まった後、打ち解けて地域のコミュニティに参画できない者が多いというのが現状らしい。

 地域とのコミュニケーション能力に欠ける人は「孤独死」で亡くなる可能性が高く、身寄りが見つからず自治会でごく簡単な葬儀を行うことも珍しくはない。そして、無縁仏として葬られることになる。役所が死者の戸籍を辿り、遠い親族と連絡がとれるケースもあるが、多くの場合、遺産のことを告げると、親族は現れ、一方、全く遺産がないと、「役所で葬って下さい」との返答が返ってくるらしい。

 「孤独死」と一口にいっても、発見される日数によってその悲惨さは異なる。結城氏は、首都圏で検視医を務める田中努氏(仮)にも取材しているが、死後2、3日中に発見される遺体は周りから気にかけられていた存在であり、必ずしも悲惨な状態とは言えないという。だが、2週間から1ヵ月以上も経った場合は、遺体からの異臭や窓にたかる蠅などの異変に近所の住民が気づいて行政担当者や警察が部屋に入って発見されることになる。遺体は腐ると、身体の脂が滲み出て液化するため、家の床もすべて張り替えなければならない状態だ。

 特掃隊長著『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、遺体痕処理から不用品撤去・遺品処理・ゴミ部屋清掃・消臭・消毒・害虫駆除まで行う「特殊清掃」作業の中で特掃係長が見た「生」「死」について描かれている。妻に先立たれた独り暮らしの老人が「最期は部屋でポックリ死にたい」と発言したことに対して、多くの遺体痕処理をしてきた特掃係長は「気持ちは分かるけど、おススメできない」と感じたという。一般の人は、自らが死んだ後の身体については深く考えない。人が死んだ後の自らの身体について考える時、せいぜい、「最期はなにを着せてもらおうかな?」「遺骨はどうしようか」ということくらいだと特掃係長はいう。自分の身体が腐っていく状況を想定している人はいないだろう。だから、自宅でぽっくり逝くことを安易に望むかもしれないが、その現実はそう簡単でなかったりする。夏だと遺体の損傷は早いし、冬場でもコタツに入ったままで下半身がミイラ化した遺体や電気毛布の中で発酵した遺体等、暖房が遺体を腐られてしまうこともあるのだ。目をそむけたくなっても、「孤独死」にはそんな死がつきものであるのだ。

 どうあがいても、死はやってくる。だから、何処で死ぬかなど決められるものでもない。だが、最期をどう迎えたいのか、もう少し具体的に考えみてもいいのではないだろうか。「孤独死」の問題は個人がいかに死と向き合うのか、そして、地域社会とのコミュニケーションをいかにとっていくかで変わるように思える。老いも若きも、「終活」を今一度考えてみてはいかがだろうか。若いアナタだって、「孤独死」する可能性は決してゼロではない。

 


 このネットニュース記事を、元記事として揚げたのが、2014年6月で、公式のニュースサイトでももうとっくにこの記事は削除されて跡形もないでしょう。「生きたまま極楽!」Blogを開いてから2、3年までは、もっとかな、3、4年までは、いや、思い切って4、5年まではと言っておこう、まあ、ブログ開いてからしばらくは、ネットの玄関サイトでトピックニュース捜して、これはって目に付いたニュースはコピーペーストしてリンク張って、ニュース記事揚げて、僕自身の感想コメントをつたない文章で長々書き込んで行ってたんですが、その内面倒くさくなって、というか、2011年春の僕の左目の網膜剥離症が大きかったですね。イロイロ理由あって、病院懸かるのが送れて、入院即手術したけど、左目の視力回復があんまり思わしくなかった。まあ、僕の病院懸かるのが遅かったのが一番悪いんですけどね。で、失明危機から手術後回復した僕の左目の裸眼視力は、0.01もなくなった。元は両目裸眼0.1だったんですけどね。これで、モノ見るのに、歳喰ってから元々疲れやすかった目が、さらに直ぐ眼精疲労するようになってしまった。左右の大き過ぎる視力差で、活字やパソコン見るのが視力的に辛くなってしまった。眼鏡で離れて見てるTVは結局右目の視力だけで見てるから、まあ、何とか良いんだけど、それでも昔に比べるとTV見てるだけでかなり眼精疲労する。2000年代後半に比べて、2011年以降の僕のBlog記事Upの頻度が激減したのはこの身体的理由が一番大きいですね。

 それでも2011年の左目手術後の左目の視力が極端に落ちて、物を見るのに不自由するようになってからは何かそれが悔しくて、この2011年からこっち、2014年くらいまでは片目だけで文庫本をめっちゃ読んで行きました。何だか視力障害に負けたくなくて。片方の目をタオルかガーゼで隠して片目だけで読んで行く。疲れるけど自分としてはかなり頑張って本をいっぱい読んで行きました。でももともと悪い目で片方の目だけで読むのはやはり疲れるのが早い。それでも自分としてはかなり読んだ方です。でも2015年くらいになると目の疲れが進み、読書ペースが落ちて来た。加齢もあるんでしょうね。2015年くらいになると読書量は半減しましたね。2016年に入るともっと減った。かなり読まなくなった。両目で活字追うと視力差が大き過ぎて、行が重なって読めず、仕方なく本は片方の目を隠して片目で読む。直ぐに疲れますね。

 本題と関係ないですね。ここに挙げてるネットニュースは、いわば“若者の恋愛離れ”という問題ですよね。テレビで恋愛ドラマが流行らなくなった、とか。でも、コミックでは「恋愛マンガ」は売れてるでしょう。「恋愛小説」もそれなりに売れてるんじゃないかなあ。ライトノベルも舞台設定がSF や魔法やファンタジーでも、かなり恋愛要素に重点置いてて、けっこう売れてるでしょう。映画も相変わらず恋愛もの多いし、ヒットしてる恋愛映画は(観客)入ってるんじゃないですか。ただ、TV の恋愛ドラマが昔ほどウケないだけで。

 時代背景が、トレンディードラマ全盛時代と、全くと言っていいくらい変わったんでしょうね。トレンディードラマ全盛時代って、どれくらい?広くは80年代·90年代ですね。経済成長安定期で豊かな日本、Japan  as No. 1 、バブル時代へ。バブルが弾けた後も、ロストゼネレーションとか言われたけど、90年代は何となく世の中は漠として“バブル”の余韻は残ってて、雰囲気漂ってたんじゃないかな。2000年代に入って、あの栄光の時代は終わったんだよ、ってなって来たけど。

 でも、現在、恋愛に関する関心度は男女差がかなりありますね。恋愛マンガの読者も恋愛映画の観客も恋愛小説の読者も、みんなほとんど女性でしょう。で、現実的な女性は、金持ってなくてサエなくて貧乏くさい、現実のホンマモンの男に行かなくて、物語世界の綺麗で魅力的な男に恋する。勿論、実体の無い擬似恋愛だけど、現実のサエない男と仲良くなって苦労するより良い。現代女性は恋愛には憧れるけど、現実のサエない男との苦労の多い楽しくない恋愛は嫌、というコトでしょう。夢みたいなファンタジー的なとびきり楽しい恋愛に憧れる、と。

 今の人は「自由を愛する」というのも強いですね。「自由」というか、「自由な生活」「自由な暮らし」ですね。“家庭”に縛られず自由に生きて行きたい、という。また、現実に、先のこと·将来のこと、考えなければ何か仕事して収入得て納税してれば、その生き方も許されるし。親や周囲や国家が厳しく「結婚して自分の家庭持て」と言って来る訳でもない。昔は、昭和の時代は、絶対結婚しなきゃいけない、結婚しないと人間じゃない、みたいな暗黙の掟が厳然とあったけれど、21世紀になって、何かそんな雰囲気は薄らいじゃったでしょう。みんな自由に暮らして良いんだよ、って空気。

 よく、このジャンルの評論家みたいな人、ワイドショー·コメンテーターみたいな人が、今の若者も本当は異性と交際して結婚したいのだ、って言いますね。本心は彼女欲しい、結婚したい。でも現代の男の子は自信がなくて消極的。消極的過ぎて、もう最初から諦めてる、と。

 でも、若者に結婚して貰って家庭作ってできれば二、三人子供作って貰わないと、明日の日本を担う次世代が生まれない。国の将来を担う次世代が生まれないというのは最凶の国家的危機ですよ。若者にはもっと恋愛に積極的になって貰わないと、冗談でなく国が困る。若い皆さんは恋愛に関心持ちましょう。特に男の子。

 ドラマは、婚活に必死なアラフォー女性の奮闘というか、迷走を描いた物語で、上記に挙げた二年前のニュースサイトの記事の内容とは、直接は関係ありませんが、広くは“結婚”や“恋愛”という枠組みの中で、ムリムリ感も強いけど、まあ、一緒みたいなモンかな、と。そーいう訳でTV 新作ドラマとちょっと前のニュース記事を強引にくっつけて挙げました。

 

 

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