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相次ぐタクシー強盗

2009年01月08日 | 時事社会ログ

○大阪・松原のタクシー強盗、真後ろから襲撃か

 

       大阪府松原市でタクシーが襲われ運転手が負傷した強盗事件で、犯人の男がタクシーに乗った際、「連れがもう1人乗る」と言って停車させ、運転手、野沢俊樹さん(61)を襲っていたことが7日、大阪府警の調べで分かった。友人が乗り込むと見せかけ、犯人は後部座席の左側から右側へ移動し、運転席の死角になる真後ろに回り込んで、野沢さんを殺害しようとしたとみられる。

 東大阪市の事件でも、殺害された運転手、後藤利晴さん(67)の首のけがの状況から、犯人は運転手の真後ろから襲った可能性が高い。府警は、2つの事件の犯人が同一人物とみており、犯人が東大阪市の事件と同様に運転席の真後ろに回り込むのを自然に見せようと、友人の同乗を装ったとみている。

 

相次ぐ強盗、困惑のタクシー業界に決定的な防犯対策なく…

 

       相次ぐタクシー強盗殺人事件に運転手からは恐怖の声が上がる一方、防犯対策を進めている業界では接客サービス低下の懸念もあり、決定的な対策は見いだせないのが現状だ。

 大阪市内のタクシー運転手(49)は「会社からは『お金を渡しても命まで渡すな』といわれているが、いきなり刺されたら防ぎようがない。良い客に当たるか、強盗犯に当たるかは運任せだ」と嘆いた。

 

 

 タクシーの運転手さんて、昔は割と良い給料、貰っている、と思っていたけど、規制緩和策から飽和状態になり、今のタクシー運転手さんて、拘束時間が長いばかりで稼ぎは安い方ですよね。いや、長い拘束時間、つまりタクシーの車に乗っている時間は昼夜長くとも、給料は驚くほど安い。こういう風に書くと失礼だが、昔に比べると稼ぎ高は格段に低くなっていると思う。だいたい今の時代は、トラックでもバスでも運転手さんの給料は全般的に、昔に比べるとかなり低くなっている、と思う。

 この時代、タクシー運転手さんの家庭もラクじゃなく、やりくりに大変な筈だ。つまり、貧しい者が、こう言っては失礼で悪いとは思うけど、貧しい者を襲って金をぶん盗っているのだ。弱者が弱者を狙い襲い生き延びようとする構図。

 相次ぐタクシー強盗だが、初め僕は、犯人は、中国人やブラジル人、フィリピン人などの外国人ではないかな、と思った。昨年暮れに、あれは北関東だったか、リストラにあったばかりのブラジル人姉妹が百万近くの現金を持った年配の婦人を襲撃して、結局失敗し捕らえられた事件があった。タクシーの運転手さんの首を後ろから刃物で切って殺してしまう、などという残忍な事件を起こすのは、数万円かの金を盗むために平気で日本人を殺せるのは、同じ日本人じゃなくて外国人だ、と思いたい気持ちも、自分には実は(強く)あったのだと思う。

 外国人であれ日本人であれ、凶悪犯罪は行うし罪は罪なのだが、何か同じ貧しい日本人どおしで、数万円とかいう僅かな金額のために、平気で、残酷に殺したりすることは出来ない、と思いたいのだ。だが犯人が挙がれば、ことごとく犯人は同じ日本人だ。

 確かに数万円あれば10日間くらいは切り詰めれば食べては行ける。しかし、そのために平気で無残に人を殺すなんて‥。後ろから刃物で人の首を切る、なんてことがよく出来るものだ。

 苦難の不況の時代に入ったと思うが、数万円を得るために簡単に人殺しが出来るなんて。結局、弱者が生き延びようとまた弱者を襲い、凄惨な事件が起きる。

 年寄りの「昔は良かった‥」の定番語句だと言われようが、昔はこんなにもイージーに人が人を殺せなかった。そう思う。最近の事件を聞くたびに、今の人たちは簡単に人殺しが出来るようになったものだなあ、と感心する。恐ろしい事態なのだが。

 今の時代は、昭和に比べるとモラル・道徳観が格段に低くなっているような気がして仕様がないのだが。

 タクシー運転手さんは、真後ろから襲われたら防ぎようがない。客席との間のアクリル板で万全に防げるものなのだろうか。あれは助手席側にはパネルは無いのではなかったっけか?

 不況が長引き失業者が溢れれば、強盗事件も増加するんだろうなあ。嫌な時代だなあ。何にしても、ただ不安なだけだ。

  

 

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入れ墨

2009年01月08日 | 時事社会ログ

○知人男性の顔に「バカ」入れ墨 3容疑者を逮捕監禁・傷害起訴

 

       知人男性を監禁し、ほおに「バカ」の文字の入れ墨をしたなどとして、青森地検は6日、六ケ所村倉内笹崎、無職、樋口竜馬容疑者(20)を逮捕監禁や傷害などの罪で青森地裁に起訴した。また、共謀したとされる八戸市市川町下大谷地、建設作業員、山田大輔容疑者(25)と無職の少年(19)も逮捕監禁などの罪で起訴した。いずれも起訴内容を認めているという。

 起訴状などによると、3人は昨年12月10日午後2時半~同5時40分ごろ、交流関係のトラブルなどから知人男性を自宅から連れ出し、樋口被告方などで監禁し、顔を殴るなどしたとされる。樋口被告はさらに、男性の左ほおを縫い針で傷付けて墨を入れ、直径数センチ大の「バカ」の文字の入れ墨をしたとされる。

 

 

 悪ふざけにも程がある、というニュースですが、これもれっきとした人権侵害ですね。まあ、監禁、暴行、傷害の犯罪ですけど。入れ墨が美容整形等の施術で消えれば良いですけどね。馬鹿な悪いヤツは何処にも居ますね。こういうヤツラはイスラエル攻撃のパレスチナ・ガザ地区なんかに連れて行ったら、泣いて小便漏らすんでしょうね。平和な社会の中で精一杯不良をやる‥、という感じですね。小さな不良たちは同類で群れて行き、群れて人数がある程度出来ると、嫌なムードが発生する。いきがったワルのムードの中で、雰囲気的に悪ふざけぽく、イージーに、不良行為をやろうという気運になる。不良行為とは取りも直さず、犯罪行為そのものなんだけど。

 若いときってヒロイズムですからね。ヒロイズムに飲み込まれて、結局、客観的に見てないんですよね。客観的に見れなくて、自分たちを俯瞰して見れなくて、ヒロイズムに没頭する。その先に取り返しの着かない将来が待っていたりする。若さの渦中に居ると、「カッコイイ!」が実は「馬鹿」や、さらに「大馬鹿」だったりするのが、全然見えないんですよね。解らない。だから、ある程度の年齢に達すると、「昔は馬鹿な真似ばっかりしていた」と猛省したり、後悔する。気づいたときにはたいてい遅過ぎる。手遅れ。

 1960年代後半の小学生だった僕は、クラスメートのワルガキ仲間の家で、どっちかっつーと不良の方だったと思う、そのクラスメートの中学生の姉ちゃんの男友達が遊びに来ていて、子供ばかりで1円5円の低低レートで賭け花札をしていて、それが飽きると、男子中学生の一人が自分の二の腕辺りに入れ墨を彫り始めた。大人が留守をしていて小中学生の子供ばかりで数人だった。クラスメートの姉ちゃんが「やめて、やめて」と止めていたが、男子中学生はいきがって、何だったんだろう、太い針か錐か、彫刻刀のようなものか、傷を作っては青色インクを沁み込ませていた。おとなしい子供だった僕は、その作業をじっと見ていた。数十年前のこのシーンを急に今、思い出した。

 また小学生の頃、田舎の町の大きな銭湯に行って、でっかい浴槽で泳いでいたら、入れ墨を入れた爺さんにいきなりアタマを殴られて怒鳴られ、泣きそうになった。入れ墨ということで、そのシーンも思い出した。

 江戸時代の頃はヤクザばかりが入れ墨(刺青)を入れていた訳ではなく、普通の町民でも、何というか、男のエンブレムというのか、「男の象徴」みたいな意味で入れ墨を割りと簡単に入れていたみたいですね。そーいう話を、昔読んだ本に書いていたような気がする。「俺は男だ」という象徴で、粋(イキ)とか、ある種、おしゃれの世界でしょうね。当時の若い町娘たちもカッコイイ!と思ったのかも知れない。

 よく、TVのニュース・ワイドショーのドキュメンタリー特集なんかで、若いときに入れた入れ墨を後悔し、美容整形に通う女性たちを映し出してますが、10代末とかヤングの頃、いきがって入れ墨を入れてみたものの、20代半ばに入って、結婚して子供が出来たり、ちゃんと就職してみたりして、入れ墨が大きなリスクであったことに気づく。普通一般の社会・世の中は入れ墨を受け入れない。子供を連れて行った団地の公園で、子供の進学で、就職先の会社や職場で、いろいろな場所で大きなリスクとなる。慌てて消し去りに病院へ行くが、美容整形は高額で長く掛かり、どうしても痕は残る。最悪だと苦悩する。後の祭り、大後悔。男性でも似たようなものでしょう。

 TVで見る人気歌手なんかで、タトゥーとして入れ墨がある人が居ますが、あれはシールか何かなんですかね?外国のミュージシャンやプロ格闘家には本当に刺青を入れている人は多いようですが。まあ、彼らはプロのショーマンですからね。

 人は必ず心境が移り変わり行く生き物ですから、後で修正が効くものでないと駄目ですね。そのとき、どんなに固く強く決心した何事か思いがあったとしても、人の心、考えは必ず変わって行きます。それが成長だろうが何だろうが、それからの経験・体験と出会いと年齢・加齢で。人の心(考え)は変わる。変わり行く。

 入れ墨(刺青)って、一つの「強さ」を象徴させているんでしょ。「強さ」を自分の生身に彫り込んで決して消えない「強さ」を表わしているんでしょ。ある意味。でも、そんな「強さ」は本当の強さではない、と断言できるような気がする。

 僕はね、実はもうホント小さい頃から、自分は強くない、ってよく解っていた。だから、幾つになっても、強くなりたい、強くなりたいって思っていた。大人になっても、もうずうーっと強くなりたい、強くなりたいって思って来た。どうしたら強くなれるのか。そればかり模索して来た。でも結局、強くなれなかった。

 で、年取った今思うに、強さって、真面目さですよ。真面目さに適う強さはないね。

 目標を定めたら、それに向かって、一歩づつでも良いから、とにかく、諦めず、投げ出さず、折れず、飽きないで(これけっこう重大)、最後まで止めずに続けて行く、ということが出来る人、目標に向かって、こつこつとでも前に進んで行ける人ですね。これが一番強い人間です。入れ墨入れたって、この精神は養えません。真面目に勝てる強さはないです。

 小学生の頃、ワルガキ仲間の中に居た僕は、ときどき、真面目な子をイジメルこともありましたが、今はあのときの真面目な子に土下座して謝りたいです。実は君らの方が強かったんだと。

  

  

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