四方山雑氣帳

日常の出来事や思考、氣付きなどを雑多(よもやま)に書き込むブログ。

知識よりも「生きる知恵」

2006年05月29日 | Weblog
昨日の読売新聞に「親の所得で学力差?」という記事がありました。
親の経済力の差によって子供の学力格差も広がっていると感じる人が
75%にも上るそうです。

日本人として、誰しもが平等に受けられる義務教育において、上記のことは
本来あってはならないことです。

しかし、ゆとり教育による学力(質)の低下を、塾や家庭教師で補っている
のは事実でしょう。
子供は天然だから、ほっといたら楽しい方へ行きたいものなのです。
自発的に勉強する子供などいる訳がない。(私も学校の勉強大嫌い)

親もまだ、学歴社会に子供を生きさせようとしているのでしょうか?
有名大学や大企業に就職しなくてもいいじゃないですか・・・


今、日本の食料自給率は40%です。主要国のなかで最低です。
そして農林漁業者と製造業者の数が激減しています。
現在、職人、職工、農林漁業者のなり手がないそうです。

しかし、小学生のなりたい職業で一番多いのはなんと「大工さん」!
すばらしいです。(なるんだ!やれ!おじさんは応援するぞ!)

日本は物を作ってきた生産技術力のあるすばらしい国です。

職人だった父がよく「職人は馬鹿じゃできない。」と言ってました。
昔は、優秀な人でも家庭の事情で、働かなければならず、職人になる人
が大勢いたそうです。
そういう方々が日本を支えてきてくれたのです。


昨今の建築業界を見ても、ハウスメーカーの大工(?)は、鑿(のみ)、
鉋(かんな)を使わないし、使う技術がないし、ひどいと持ってさえいない。
だって、工場で出来上がったものを組み立てるだけですから必要ない・・・・
(市場主義の「生産効率」が職人技術の低下を招いている。そして、
 そこからはモノを造る楽しさは生まれない。)


必要以上の贅沢を求め、勝ち組みを目指し、○○○族を夢見る人間が増えると
国が亡んでしまいます。(勝ち組ってなんだ?)

学校の勉強(学力)も必要ですが・・・・・・
私たち夫婦は、子供自身が得意なことに真剣に取り組んで、
生きていける「知恵」と「経験」を身に付けて欲しいと考えています。

天(神)から与えていただいている能力(運命)を、人のために役立たせる
生き方ができれば、こんなうれしいことはありません。


メダカハマダカ 再準備編

2006年05月26日 | Weblog
Sさんよりいただいた水草を育てて
メダカを飼えるようにするため、
古民具店に行き、水鉢にする火鉢を買ってきた。

店主いわく「火鉢だったかはわからないよ」とのことだったが、
水が張れればよいこと・・・・・・
それなら「園芸店のものでもよいか?」というと、答えのNO。 

店には、まあこれならと思ったものが一つだけあった。
しかし、質感は良いが、内径30㎝、深さ16㎝。
(う~む!もう少し深いものが欲しいが・・・どうする。)
店主の「来月、また入荷するよ~」には待っていられず、
取り合えずこれでやってみることに決断。
そして帰ってすぐに作業開始。

あらかじめ、水鉢でのビオトープの作り方を調べておいたので、
その通りにやってみました。
荒木田土(あらきだつち)という田んぼの土と水草も新たに買ってきました。
これがまたすごく楽しいのです。(はまった・・・)

結構いい加減ですが、なかなかいい感じ!



そして昨日、
鎌倉のSさん家に、山古志の写真家Aさんから、たくさん送っていただいた
山菜のおすそ分けに行ったついでに、ヤマトヌマエビとタニシのような
貝の卵が付いている金魚草をいただいてきました。
メダカは産卵中なので次回です。

帰ってきて早速、エビちゃん放流。
これがまたかわいいのです。自分が作ったところにいるのが・・・・
日に何回も外に見に行っています。(仕事せえ)

熱帯魚を水族館のように飼っている人たちの気持ちが、
少し判った気がします。

さあ次は、メダカだ。今度は大丈夫です!待ち遠しいです。
でも、彼らのことを考えると、やっぱりもう少し大きい鉢がよかった・・・・・



浮世絵を持ち歩くぞ

2006年05月24日 | Weblog
私の誕生日にと、妻midさんが財布を
プレゼントしてくれました。どうもありがとう。

使っていた財布(結構傷んでいる)も今までありがとう。

プレゼントしてくれたものは、馬革製の二つ折り。
外側のデザインは、葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」図です。
どうも私のイメージだそうです。さすがよく解っていらっしゃる!
日本の伝統文化を愛する私にピッタリ。
浮世絵「富嶽三十六景」、「東海道五十三次」 大好きです。

ちなみに内側は赤色です・・・・・(派手)

汗、雨水などはシミになるから注意とありましたので、
実験で、汚れ止めに建築で使うドイツ製の植物油を塗りました。
普段は、無塗装の木材に使うもの・・・・

・・・・・ちょっとベタベタしてしまったぞ。ど~する!
(なんでもかんでも実験するなっちゅ~の!)


プレゼントしてもらって言うのもなんですけど・・・・

「中身もいれてくれる?」


今年もやるぞ夏祭り!

2006年05月22日 | Weblog
昨日、夏祭りの会合がありました。
今年で8回目となります。
毎年、イベント部員の募集がかかるので、夫婦で参加しています。
1回目のときは、当日のお手伝いに参加させていただき、
2回目以降は楽しかったのでイベント部員となりました。

私たちが住んでいる町内は、400世帯にも満たない小さなものです。
この小さな町内会で、特色をもった独自の手作りの夏祭りを展開しています。
(すごいぞ!)
他の町内のお祭り(売り物が並ぶ)と全然違います。

祭りのなかったこの町内に、きちんとした理念をもって、みんなのことを
考え行動してくださった方々に大変感謝しています。

しかし、
「どうして、若いお父さんやお母さんたちは参加しないのだろう?」と
昨日の部会から帰ってきて、妻midさんと話合いました。(毎年のことだが)

イベント部員にいつも参加くださる方々は、私の親と同世代の人たちがもっとも
多く、私たちと同世代の人は4人くらいです。
私より若い人はいません。
また、人数も減ってきています。
当日のお手伝いには参加しても、部員になるのは嫌なようです・・・・・・
大変だし、面倒だと思っているようです。

押し付けるつもりはありませんが、自分の子供たちが安全にイキイキと
暮らせるようにするためには、地域活動が大切だと考えます。
自宅のセキュリティーを万全にするのも結構ですが、みんなで声かけ
できる関係を築くことが大切だと思います。

私なんて、昨年ステージで「マツケンサンバ」を唄って踊ったら
(部員から渡されたDVDで、すごく練習した!今でも踊れる)
その後、知らない町内の方々に声かけてもらいました。・・・・

自分から求めないかぎり、人とのご縁、物とのご縁は得られません。
仲間の増えるのを期待しています。


マダ・ビンチ・コード

2006年05月18日 | 読書
世界のベストセラー「ダ・ビンチ・コード」が映画となり、ますます
もり上がっているようです。

欧米では大変多くの人たちが、読んでいるとのこと。
キリスト教の国々ですもんね。

書店では、文庫サイズ(上・中・下)が出版されたのに、単行本サイズ(上・下)
も、まだ平積みされています。すごい人気です。

この前、私の母親くらいの年恰好のご婦人が、書店の店員さんに
「ダ・ビンチ・コードの大きい方ありますか?」と聞いていました。
聞こえてきたことによると、
どうもお友だちから借りる予定らしいのですが、何人にも廻っていて、
まだ当分自分の番になりそうもないので、とうとう買うことにした!とのこと。
お友だちから、相当たまらない予告編を聞かされたようですね・・・・・
大きい方とは、単行本のことです。(字が大きい方ということ)
あまりの面白さに寝不足になっているのでは・・・・


私も、謎解き、陰謀あばき(真実追求)大好きです!!


しかし、「ダ・ビンチ・コード」・・・・・読んでいません。

読んでみたいなぁとは思うのですが、
先約(いつの間にか増える)が本棚で待っていますもんで・・・・

でも読んでみたい!

メダカハマダカ その後

2006年05月16日 | Weblog
4/27に記しました水草の件、その後です。

持ち直すことに期待していましたが、やはり水草は傷むいっぽうなのと、
見た目が汚くなってきましたので、一旦あきらめました。
鉢に入っているものを移し、水を捨てて、水路をきれいに洗いました。
残念!

Sさん、申し訳ございません。 メダカはまだ無理です。


今度は、新たに水槽となる甕(かめ)をどこかから(骨董屋)仕入れてきて、
残った鉢に入っているほうをきちんと育てて、仕切り直ししたいと考えています。
(でも入れ物にこだわる私・・・・


5月の連休 ④

2006年05月13日 | 建築・デザイン
またまた↓のつづきです。

三つ目は、木下晋さんの作品展がありました胎内市から、
車で30分ほど北上したところにあります古民家をみること。

場所は新潟県岩船郡関川村です。
ここには江戸時代からの民家の渡辺邸(公開)、津野邸(非公開)、
佐藤邸(非公開)があります。

この渡辺邸と佐藤邸は、GAの二川幸夫氏(建築写真界のドン)の写真集
「日本の民家」に載っています。
建築を学び始めたときに買ったこの写真集に載っている民家を、機会があれば
できるだけ多く観てみたいと考えています。

新潟県でこの本に載っているのは
・佐渡の民家(渡ったことない)
・出雲崎の漁師町(行ったが写真のような古い家並みではなくなっていた)
・味方の笹川邸(行ったが閉門時間だった・・・がくっ!)

今回の関川の民家は、本では別々の場所にあるのかと思っていましたが、
実際は、三軒が通りに面してひとつながりとなっていました。
渡辺邸のみ建物内部(母屋と蔵)と庭を観ることができます。
廻船問屋を営み酒造業をしていただけあり、大変立派な建築です。

母屋の屋根は、置石木羽(おきいしこば)葺屋根という葺き方で、
これは木羽と呼ばれる板(20万枚)を敷き並べた上に、重石(1万5千個)
を置くというものです。
私も初めて観ましたが、整然と並ぶ石の屋根は美しいです。
新潟県では、ここと佐渡でしか観れないそうです。

母屋内部では、明り取りのための吹き抜けをもつ広い土間空間と、
それと一体となった板の間と座敷などの大きさに驚嘆しました。(すごい!)
磨き込まれた柱や床板、煤で黒くなった梁などに「時間」を見ることができます。
そして、現代の住生活では味わうことの出来ない「安堵」を感じます。

それは身の回りにある多くのものが人口的で、暗がり(闇)のない、
静けさのない、便利さを求め、せわしない都市生活を営んでいるから
そう感じるのだと思います。

「冬はさぞ寒かっただろうなぁ」とそんなことを考えましたが、現代生活者から
みれば大変不便なことも、当時の人たちにはあたり前(それしかない)のこと。
私が過去に送り込まれたら、絶対に耐えられない。(軟弱者です)


私は、表参道に並ぶ有名建築家たちが造る建築物より、日本の古い建築物
の方が好きです。また、大切にしていかなければと考えています。


今回、観たいと思っていた建築が観れたので、大変うれしかったです。
もう少し時間があれば、スケッチしたかったけど・・・残念!







5月の連休 ③

2006年05月11日 | Weblog
↓のつづきです。

二つ目は、新潟県の山形よりにある胎内市で催されていた(4/29~5/5)
画家の木下晋(きのしたすすむ)さんの作品展を観に行くこと。

作品展は、最後の瞽女(ごぜ)小林ハルさん(平成17年105歳逝去)の一周忌
を偲ぶために、小林ハルさんの最晩年の地の胎内で開催されたものです。
会場は、木下さんが描かれた小林ハルさんの絵と当時の貴重な映像、そして
ハルさんの遺品で構成されていました。

木下さんの絵は鉛筆(9H~9B)のみで描く鉛筆画です。
その絵の描写力は「圧巻!」(驚き)のひとことに尽きます。
どうなっているのだ!と顔を近づけマジマジと観ました。
真っ黒のところは、ただ塗っているのではなく、「描いて」いるのです。
それは鋼のような美しさでした。
細かく描かれた「皺(しわ)」のリアリティには、観る者を圧倒する
「情念」を感じます・・・・・・

妻midさんが、是非観たいと言うのでお供したのですが、
これが大変感動してしまい・ま・し・た。(すごかった!・・・・)


瞽女(ごぜ)とは
テレビやラジオが普及する以前、生活の手段として三味線を片手に各地を巡り、
その土地の出来事や風俗などを弾き語りしたり、独特の節回しの「瞽女唄」に
して唄い語る、視覚障害をもった女性たちのこと。
新潟や東北地方など、豪雪地帯での娯楽を担っていた伝統芸能者。


まだつづく

5月の連休 ②

2006年05月09日 | Weblog
本日も連休のお話。

今回のお休みには大きな目的が三つありました。

一つは、昨年の秋、中越地震震災復興支援のため、我が事務所で企画しました
展覧会
で、作品を出品してくださいました水彩画家の作品(大小40点程度)
をお返しすること。

昨年暮れからの雪のため、車で運ぶことができなくなり、(雪に強い人は行く)
この時期になってしまったのです。
先生の「こちらも置く場所に困るのでそのほうが助かります。」
との優しいお言葉(?)に甘えてしまいました。(先生が言うとほんとに聞こえる・・・)

久しぶりにお会いした先生も奥様もお元気そうで何よりでした。

先生!大変お世話になりました。どうもありがとうございました。礼

つづく

5月の連休 ①

2006年05月08日 | Weblog
3日(水)~7日(日)の連休に妻midさんの故郷・新潟県小千谷に
妻midさんと小学生の娘の3人で帰省しました。
中学生の息子はネコと留守番です。
決して置き去りにしたのではありません。 一人を満喫したかったようです。
戻ってくると「自由が終ってしまったぁ~!」となげいていました・・・・・

小千谷の両親はいつも暖かく迎えてくださいます。(いつもありがとうございます)
93歳のおばあちゃんもお元気でした。(すごい!)
花びらが散り始めていましたが、桜が満開でした。(今年2回目の桜!)

妻の両親の家は、幸いにも、あの大地震で倒壊することはありませんでした。
外から見たかぎりでは、そんなひどい地震を受けたようには見えないくらい
しっかりしています。
家の造り自体も丈夫だったのでしょうが、その家が載っている地盤が
とてもよかったのだと考えられます。

まだ仮設住宅にいる人たちが大勢いらっしゃいます。
その方たちには大変申し訳なく思いますが、「家」が残ってよかったと
つくづく思いました。


コンクリート造(お金をかけても)の堅牢な家を造っても、
土地そのものが崩れてしまえばどうすることもできません。

現代の多くの日本人は、人口増加のために、山を切り、海や谷や田んぼを
埋め立てて造成されたところに住んでいます。

私の住んでいるところも、40年前に開発された、山を切り、谷を埋めて
造成した住宅街です。(当時、全国のモデルケースとなった)
開発以前は、江戸時代から日野村とよばれた農村だったそうです。

縄文時代からの太古の人たちは、水の近くには住むけれど、
河の中洲地など土砂が堆積した土地や自然災害に弱いところには、
住居を造らなかったそうです。(ちゃんと選んでいた)


その土地はご先祖様からの土地、自分で選んだ土地、さまざまです。
ご縁があって住んでいると思います。

だから、丈夫な土地に住まいを造られた妻の両親は、よいご縁(地縁)を
受けていただいていたのですね。(これは大変なこと)
そのお陰で、私たち家族も帰省させていただけるのです。(ありがたい!)