2月10日(火)久しぶりに元気塾を開催しました
開会を河合咲子幹事が、次いで高橋美枝子副塾長のあいさつを戴き早速講演に入りました
この度の講師は高岡亮一さん(宮内文化懇話会事務局長)、「宮内よもやま歴史絵巻 金山編」と題してお話しいただきました
高岡さんには、折角スライドを準備戴いたのですが、パソコンの調子が悪いせいか音が出なくて断念!
・・・・資料を見ながらの講話となってしまいました
金山にまつわる様々な話を興味深く聞くことが出来ました。主な内容は以下の通りです。
上杉家120万石時代の領地図面に「金山」の地名が入っていた
かつては神山郷と呼ばれていたが伊達の時代の金鉱開発から金山と呼ばれるようになった
金山城主となった色部光長の妻は直江兼続の妹
平館地区の高台には「色部様のお堂」があったと言われ、今も石の祠が残っているそうです
色部氏にまつわるエピソードの様々(川中島合戦の武功を讃えた謙信公直筆の血染めの起請文、色部家と保呂羽神社の関りを記した越国武鑑記、忠臣蔵と光長の孫・又四郎等々)
橋七兵衛家伝(およそ500年前、橋石見守が景勝の地を求めて辿り着いたのが金山であり、松島、象潟、山寺をも凌駕する地とした)⇔それほど金山は景勝の地に写ったのでしょう
竜の口明神と西吾妻山頂を結ぶと、その直線状に戸塚山(古墳群のある)頂が重なり、稲荷森古墳と飯豊山頂とはこの位置から60度の角をなし、小松の天神森古墳と大朝日岳山頂とはぴったり90度となる不思議な関連。これは何を意味するのか????
マダマダ聞きたいことが沢山あったようですがちょうど予定の時間となってしまいました
質問したい事項があれば公民科まで問い合わせください。高岡さんにおつなぎさせていただきます。
開会を河合咲子幹事が、次いで高橋美枝子副塾長のあいさつを戴き早速講演に入りました
この度の講師は高岡亮一さん(宮内文化懇話会事務局長)、「宮内よもやま歴史絵巻 金山編」と題してお話しいただきました
高岡さんには、折角スライドを準備戴いたのですが、パソコンの調子が悪いせいか音が出なくて断念!
・・・・資料を見ながらの講話となってしまいました
金山にまつわる様々な話を興味深く聞くことが出来ました。主な内容は以下の通りです。
上杉家120万石時代の領地図面に「金山」の地名が入っていた
かつては神山郷と呼ばれていたが伊達の時代の金鉱開発から金山と呼ばれるようになった
金山城主となった色部光長の妻は直江兼続の妹
平館地区の高台には「色部様のお堂」があったと言われ、今も石の祠が残っているそうです
色部氏にまつわるエピソードの様々(川中島合戦の武功を讃えた謙信公直筆の血染めの起請文、色部家と保呂羽神社の関りを記した越国武鑑記、忠臣蔵と光長の孫・又四郎等々)
橋七兵衛家伝(およそ500年前、橋石見守が景勝の地を求めて辿り着いたのが金山であり、松島、象潟、山寺をも凌駕する地とした)⇔それほど金山は景勝の地に写ったのでしょう
竜の口明神と西吾妻山頂を結ぶと、その直線状に戸塚山(古墳群のある)頂が重なり、稲荷森古墳と飯豊山頂とはこの位置から60度の角をなし、小松の天神森古墳と大朝日岳山頂とはぴったり90度となる不思議な関連。これは何を意味するのか????
マダマダ聞きたいことが沢山あったようですがちょうど予定の時間となってしまいました
質問したい事項があれば公民科まで問い合わせください。高岡さんにおつなぎさせていただきます。