南さんのALS日記

難病にかかった毎日の生活報告

山崎豊子さんを悼んで

2013-10-05 09:55:04 | 日記

 作家山崎豊子さんが亡くなったニュースを聞いて、私は小倉寛太郎さんを思い出しました。小倉さんは山崎さんの小説「沈まぬ太陽」の主人公恩地一のモデルだった人です。この小倉さんのガイドで私たち夫婦はケニアサファリ旅行に行ったのです。

 それは2001年8月1日~13日のことでした。小倉さんは風邪気味だということで、アンボセリに先着されていて私たちを出迎えてくださいました。ゲームドライブの始まりです。車の中から動物が大自然の中で生きている姿をそっとお邪魔して見せてもらうのです。凸凹の道路を走行中荷物を積んだ車が遅れてしまい、引き返してみるとタイヤがひとつ外れて林の中に飛んでいき、それを探しているところでした。ようやく見つかり運転手たちは素早く修理してしまいます。サファリカーの運転手は修理もできないと務まりません。NGO施設サイディアフラハ(孤児院・保育所・母親の授産施設)を訪問しました。この施設には当時小倉さんが事務局長をされていたサバンナクラブがいろいろ援助していて、中庭には日航労組OBの寄付した遊具がありました。サンブルナショナルリザーヴ、ナクル湖のフラミンゴ、マサイマラナショナルパークと旅行中、連泊のロッジでは夕食後小倉さんを囲んで二次会が開かれました。小倉さんの得意な動物写真講習会になったり、小倉さんのアフリカでの生活や、山崎豊子さんとの出会い、モデルと実生活の違いや、「沈まぬ太陽」が出版されたことで、志を曲げずにがんばっている多くの人たちをはげましたことなど、誠実な人柄が滲み出たお話で楽しい夜を過ごしました。帰りの待合室で、小倉さんがわざわざ「南さんも頑張ってこられたんですね」と声をかけてくださったのが忘れられません。その小倉さんも2002年10月9日に亡くなられました。天国で山崎さんとお会いになっているかもしれません。