直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

化粧とウチとヨソ

2011年03月04日 | ちょこのひとかけ


変な新聞の記事のせいか、それとも本当にそうなのか、
最近電車でお化粧をするという話をよく目にします。
それがもし本当だとしたら、そこにはどんな意識があるのでしょうか。

わたしはどちらかといえば古い考えの人間なので、
行為はウチとヨソという感覚がしっくりきます。
ウチとは自分の家で、ヨソとはそれ以外の場所です。

たとえば、もし部屋の中でパジャマを着てすごしていたとしても、
コンビニにその格好のまま行くことは感覚的にできません。
家の中はウチですが、コンビニはヨソだからです。
またたとえば、家の中で歌ったとしても
外のなんでもない場所で歌ったりはしません。
なぜなら、なんでもない場所はヨソだからです。

でも電車内で漫画を読むことに抵抗はありませんし、
携帯ゲーム機で遊ぶことにも抵抗はありません。
わたしにとっては漫画はウチだけに属するものでもなく、
携帯ゲーム機もウチだけに属するものではないからです。

一方お化粧は、というと。
お化粧というのはヨソにとってのものなので、
それをするのはウチでしかありません。
「なぜ外で化粧をしないものなのか」
と問われれば、
「それはウチでする行為だから」
としか言いようがない気分です。
加えて言うならば、
「普通、トイレの中でしかしない排便という行為を、
電車の中、衆人環視の中で行って平気なの? 
どういう気持ちがするの? それと似たような感覚」
と言い返してみたい気分でもあります。


でもまあ、お化粧というのはなかなか興味深い行為です。
見た目が変わるほどの厚化粧や、
側に寄って吐くぐらいの香水をふりかける、くらいでないと
基本的に男性はお化粧に気づきません。
髪型を変えようが、髪を切ろうが、
そんなものは本質に変わりがないのでどうでもいいのです。

男女の脳の性差は面白おかしく書き立てられていますが、
わたしも適当に今書くと、こんな感じはあります。
たとえばどこかの場所に行くとき、
目印となるものの覚え方が多少違う感じがします。

たとえば女性的な感じだと、
『駅から出て大通りをしばらく進んで、赤い建物を右折』
といったふう。
一方男性的な感じだと、
『駅から出て500mくらい歩いたところにある、銀行を右折』
といったふうです。
『赤い建物』なんて覚えていると、たとえば建物が塗りなおされ、
色が変わるともうその先がわかりません。
「ここらへんにかつて赤い建物が……」
なんて周りの人に聞いても、わからなくなることもあるでしょう。
でも建物を『銀行』として覚えていると、
外装が何色に変わろうと、そこが銀行である限り、
誰に聞いてもわかりますし、派出所で聞いてもわかります。
別の角度から言えば、男性的な覚え方にとって、
見た目の色や形などはどうでもいいのです。
その建物は『銀行』以外のなにものでもないからです。

男性にとってのお化粧も同じ。
『その人』は、たとえば男性にとって『おなじ部署の○○さん』
であったなら、それ以上でもそれ以下でもありません。
髪型がどうとか、服がどうとか、お化粧がどうとかで
『おなじ部署の○○さん』の本質は揺らぎません。
そして、本質でない部分は無視されます。
……つまり、男性にとってお化粧なんてどうでもいいのです。

実際、わかるかと思いますが、
お化粧というのは男性のためにするものではありません。
すっぴんのまま出社しても、気づく人は
「いつもとなんか違う?」
くらいのものです。
それよりも問題は同僚の女性のほうで、
「お化粧もしないで」
とか
「だらしない」
とかと、ぐちぐち言われがちです。
部活で今までいじめられてきたからいじめは伝統、
というくらいの勢いで、
『こちらがめんどくさいお化粧をしてきてるんだから
あんたもお化粧はしなさい』
というような意識のようなものがにおってきます。

ということで、お化粧というものは、
『男性に見せるためのものではない』
『しばらく一緒にすごさなくてはいけない女性のためのもの』と
考えることができます。
ならば、『しばらく一緒に過ごさなくてはいけない女性』以外の
人というのはどのような扱いになるかと言えば――
どうでもいい、存在です。
化粧後を見せなければいけない人間ではないので、
お化粧前も、お化粧中も見せて平気。

これはウチとヨソの概念が伸展されているのではなく、
まったく違う概念のように思います。
何に似ているかと考えると、移動時は丸腰、
配備時に武器携帯、という
戦闘区域と非戦闘区域のような感じに近い気がします。

きっと彼女らはウチとソトという感覚でなく、
戦闘区域に入るときにきちっとしていればよくて
非戦闘区域ではどうでもいい、という感覚なのでしょう。
……知りませんけど。

またこういうのも社会現象みたいにメディアがとりあげはじめると、
誰でも言うようなことをどこかの権威が
いかにもそれっぽく言うことになるんでしょうねえ。
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2 コメント

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Unknown ()
2011-03-04 20:12:29
きっと電車でお化粧する女性は、心も化粧しているのでしょう。
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Unknown (あまね)
2011-03-08 02:58:48
逆に心だけはすっぴんの気がします。
ハレの日にハレ着を着るのは見た目もありますが
こころを変えるという意味も大きい気がします。

お化粧も見た目を変えると同時に、
ソトに行く、という気分を作るものだと思います。
ウチとヨソという区分でない彼女たちは
その場の見た目だけを取り繕っているように
わたしには思えます。
返信する

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