明澄五術・南華密教ブログ (めいちょうごじゅつ・なんげみっきょうぶろぐ)

明澄五術・南華密教を根幹に据え、禅や道教など中国思想全般について、日本員林学会《東海金》掛川掌瑛が語ります。

張明澄 南華密教講座 第五回 「空」と「関係」般若心経の正しい理解

2018年08月13日 | 仏教

     南華密教講座 第五回  張 明澄 先生 

      平成七年三月五日 午後一時~五時 於:豊洲区民館

 今回から実学の話がはいります。

 南華密教の実学は、

 天=自然科学 中国とチベットの知恵を結集

 地=生命科学 生命はどうして損なわれるのか、どうして救えばいいのか?

        医学の理解

 人=人文科学 心理学と語学(=記号論、人が表現したいものが何か、表現し たくないものはどう現れているか、他人からどう見えるか?)

        名前-印鑑の図案=曼陀羅の矮小化-形の心理学(色彩なし)

 ※前回は、仏経の布教にあたり、道教など土着の宗教にちょっかいをだしてはいけない。

 チベット密教でも、ダライラマなど欧米社会でキリスト教と対立しないように 気を配っている。

◎西遊記 二十七回 「屍魔 三たび唐三蔵に戯れ 聖僧恨んで美猴王を追う」

 五荘観を離れた三蔵一行に、妖怪が目を着け、三蔵を食おうとする。

 妖怪は、美人や老婆・老人に化け、食べ物を持って三蔵を誘う。

 三蔵・八戒・和尚は見抜けないが、孫悟空はこれを見破り打ち殺すと、食べ物 は蛆虫に変わり、死体は白骨になってしまう。

 背骨に「白骨夫人」と書いてあり、これは行き倒れになった女性が白骨になり 妖怪にかわったもの。

 孫悟空が説明するが、八戒が三蔵に讒言したため、三蔵は殺生をしたとして、悟空を破門してしまう。

 西遊記に登場してくる妖怪は、すべて仏教修行上の障害になるものの比喩

 この「白骨夫人」は、修行者にとっての「死」を意味する。

 ただしここで言う死は一般的な死ではなく、避けられる死=殉教死のこと。

 殉教死とは、女のヒステリーのようなもの(白骨夫人)

 仏教は理性的で、霊魂も否定するから、死後のための殉教もありえない

 中国では仏教が弾圧されたが、逃げられる人は逃げて殉教死を免れ、法灯を 守ったたため、現在にまで仏教が伝えられている。

 信者を幸福にするのが宗教の役割であり、信者を死なせる宗教は間違い。

 中国では、殉教死はほとんど起こっていないが、日本では殉教死を美化する傾向があり、一向宗、キリシタンなどは多数の殉教死を出した。

 キリスト教では、偶像崇拝を禁じているのに、踏絵を踏めないために、大勢が殺されてしまった。ただの絵や板を踏む踏まないはたいした問題ではない。

 現代では宗教弾圧もなく、殉教ということは普通ありえないが、宗教のために自分や家族を生命の危険にさらしたり、社会的生命を絶たれる例は絶えない。

 輸血を拒否して我が子を死なせたり、信者の女優を街頭で絶叫させたり、霊感商法をさせたり、父親を誘拐させたりする宗教は良くない。

 桜田淳子のように、努力の末にやっと掴んだ女優生命を絶たせてしまう例。

 沢口靖子や斉藤由貴などは、特に芸能活動に支障がでていない

 タレントを生かすか殺すかを見ても、良い宗教か悪い宗教かの目安にはなる。

 西遊記によれば、三蔵も八戒も和尚も妖怪の正体を見破れず、孫悟空だけが 見破る。

 経典研究者、戒律守持者、寺院経営者は、殉教の誘惑に陥りやすい。

 中国南北朝時代の僧-国王が美女をいっしょに押し込んで、一夜をともにしなければ殺す-命令に従って生き長らえ、多くの経典を翻訳する。

 この程度の破戒よりは、仏教を後に伝えた功績のほうがはるかに大きい。

 戒律を守る人は、女性を抱く(破戒)より死を選びやすい。

 経典研究者は、美しい世界を守る-理想に燃えて殉教しやすい。

 寺院経営者は、寺と生命を共にしやすい。寺と一緒に焼かれる

 孫悟空に代表される功法修行者は、経典から美しい世界を与えられたのでも無いし、戒律を修行の道標にしている訳でもない。

 得られた成果は自分の努力で手に入れたものだから、宗教のために命を投げ出さない。できるだけ生き延びて貢献しようとする。

 殉教死は、宗教にとってなんのメリットもない。ただ一部の上層部にとっては都合の良い面もある。

 オウム真理教の信者-父親を拉致監禁-教団にとってマイナス。あくまでも宗教は人間のためにあるので、宗教のために人間があるのではない

 西遊記のなかには、独特の発明はない。それぞれにルーツがある。

   『法句経』  

  如蜂集華    蜂の花に集まるが如きは    

  不嬈色香    色と香りとを乱さず    

  但取味去    ただ味を取りゆき    

  仁入聚然    いつくしみの村に入るも然り

 花に集まる蜂が、花の色と香りを損なわずに蜜の味をとるように、人々に入り込む宗教も、そうでないといけません。従って、宗教のために人を死なせるなど、とんでもない。 

 註 「法句経」は原始仏典のなかのひとつで、「阿含経」と同じく三蔵のなかの「経蔵」に含まれ、釈迦や直弟子の教えを記したもの。

◎前回、功法の第一段階として「持戒」-やるべきでない事をやらない

 第二段階「持行」-やるべき事をやる

 清浄 美しく清らかな心を持つ事、やさしさやまごごろを持つ。

 知足 満足を知る。置かれた条件のなかで最善策を考える。

 力行 精一杯努力すること。混世魔王にならないようにする。

 念誦 経文などの大切な部分を暗記していつでも役立てるようにする。

 祷告 仏に祈る。

 以前に張先生が出前のバイクにぶつけられ、左手が腫れて何もできなかったが 困ったと言っても何にもならないので、平気な顔をしていた。

 悪い事ばかりでなく、ホテルなどでウエイトレスがコーヒーに砂糖を入れてくれるなど、良い事もあった。

 どうしようもなくて死ぬ場合でも、どうやって死んだらいいか、考えなければならない。 仏教は非常に理性的な宗教だから、祈る場合でも、「あなた(仏・釈迦)の間違いがあったら直させていただきます」という祈りも成り立つ。

  註「混成魔王」については第一回・二回ノート参照

 

◎西遊記 第二十八回~三十一回  「黒松林に三蔵魔に逢う」

 孫悟空を破門して三人になった一行が、黒松林と言うところにさしかかった。

 八戒と和尚が食べ物を捜している間に、三蔵が道に迷い、妖怪に捕われる。

 二人が三蔵を探すと「碗子山・波月洞」という館があり、三蔵を捕えたのは、 「黄袍怪」という妖怪とわかる。 八戒と和尚は黄袍怪と戦うが、勝負がつかない。  この妖怪は十三年前に「宝象国」という国の「百花羞」という姫をさらってきて妻にしていた。 この姫が三蔵に身の上話をし、父への手紙を託して、妖怪に三蔵を助けるように頼むと、妖怪は姫の言うことは何でも聞くので、三蔵を放してくれる。

 三蔵一行は宝象国へ到着し、国王に姫の手紙を見せると、何とか姫を助けられ ないかと三蔵に頼む。お調子者の八戒は、国王の頼みを引き受けて、和尚とともに波月洞に取って返すが、二人掛かりでも敵わず、和尚が妖怪に捕えられてしまう。怒った妖怪は、宝象国の王宮に出向き、三蔵を虎に変えてしまい、さらに大暴れする。  八戒は花果山の孫悟空に助けを求め、孫悟空は波月洞に駆けつける。和尚を助けだし、妖怪が宝象国から帰るところを打ち負かすと、妖怪は姿を消してしまう。

 悟空は天上界に登り、玉皇大帝に頼んで天上界から姿を消したものを調べてもらうと、二十八宿の「奎木狼」(奎星)がいなくなっているのがわかった。玉皇大帝の命令で、星官らが川に潜んでいた奎木狼を見つけだし捕まえる。孫悟空は姫を宝象国に連れ戻し、虎に変えられた三蔵を元の姿に戻す。

 奎木狼=紫微斗数の貪狼星のモデル  欲望や野心という修行上の障害を表わす

 宝象国=宝石でできた象だから、役にたたない飾り物の意味 欲望や野心に燃えていると、自分の勉強した仏法が飾り物になって 役に立たなくなってしまう

 碗子山=お碗をひっくり返した山-食いぶちまで失ってしまう

 波月洞-『指月録』=悟り 波が立っているから月がきれいに映らない 。悟りが得られない 黄袍郎=黄色い衣装を着る男-明代には皇帝以外は許されない服。思い上がった男の意味

 百花羞=恥ずかしい思いをする

 修行しているうちに、その成果が世の中に認められるのにつれて心の中に大きな欲望と野心とが生じ、結局仏教が役に立たない飾り物になる。食いぶちを失い、悟りから遠ざかり、思い上がりから破滅し、恥ずかしい思いをする、などのひどい挫折をする。この障害を乗り越えられるのは、功法修行者だけで、経典研究者、戒律遵守者寺院経営者などは、すべて失敗する。

 この誘惑に一番弱いのは三蔵で、虎(=権勢欲)にされてしまう。

 功法をしっかりやれば、欲望や野心を押さえることができる。

「悟空」がこの欲望に勝てる=空を悟れば良い  

 空を悟るには-「般若経」を読む↓「般若心経」を読めば良い    

〇般若心経の読み方  日本の解説書は役に立たない-特に「空」が解釈できない

 むしろ西洋のほうが、的を射たものがある。日本や中国のほうがダメ

 「悟り」-ユングの解釈=意識・無意識-フロイド心理学  

 表層意識と深層意識の一致            

 仏教は、東洋的というよりむしろ西洋的  日本で謂う悟り=憑依現象(秋山サトコ)

 スートラ=ヨコ糸    インドの正式な経典=「スートラ」横書き   

 タントラ=タテ糸    「密」=広くつなげたもの

 経=タテ糸   中国の正式な経典=「経」縦書き

 緯=ヨコ糸   「緯書」=横に広くつなげた学問

 インド・チベットでは、横書きが正式。中国は縦書きが正式。

 〇般若心経のうち、最も欲望を抑える目的に有効の部分 

    色不異空 色は空と異ならず  

    空不異色 空は色と異ならず  

    色即是空 色は即ちこれ空  

    空即是色 空は即ちこれ色  

    受想行色 じゅ・そう・こう・しき  

    亦復如是 またこれの如し

 これらの文句が非常に大切な部分だが、あまり日本では適切に訳されていない

 「空」=縁起-現代の言葉では「関係」という  

  関係 同時的相互関係・前後的因果関係  

 ※空間性と時間性という分け方に近いが、例えば「親子」という関係を考えた場合に、一緒に暮らしている親子という関係なら、同時的相互関係と言えますし、同居という空間的な関係とも言い換えることができますが、同居だけでは親子・夫婦などの区別がありませんから、空間性という言い方だけでは不十分となります。 また、かつて父親が母親を妊娠させた結果生じた親子という関係なら、前後的因果関係といえますし、時間的な関係と言い換えられないこともありません。    

  〇色不異空 空不異色  色即是空 空即是色

 物質的現象(形のあるものや感じ取れるもの)は、同時的相互関係や前後的因果関係である。

 同時的相互関係や前後的因果関係は、物質的現象と同じである。

 要するに 空=色 ということ   

  〇受・想・行・識  

 受=感受-「陽神」(丙)=中医学の用語  外から中へ情報を入れること。知覚による情報  

 想=表象-「陰神」(丁)入れた情報によってイメージが形成される  

 行=形成-「陽識」(甲)情報によってイメージが作られたあとどうしよう かという意志決定  

 識=意識-「陰識」(乙)思考・発言・行為の記録  

 「受」が同じであっても「識」によってイメージが違う。同じ芸術作品を見ても、見る人の素養によって印象が 全然違ったものになる。 同じイメージでも、その人が持っている記録によって意志決定が違う。

 受—┐

   ├ 想 ┐

 識—┘—―—┴— 行

 ※般若心経を読むにはあまり言葉を穿鑿しないで、すんなり読む

 色は空と同じで、空は色と同じです。色は空であり、空は色です。

 このことは受・想・行・色についても言えます

 すべて感覚で捉えられる存在や現象は、みな同時的相互関係、前後的因果関係によるものであり、実体のあるものではありません。

 そしてこれらの関係は感覚で捉えられる存在や現象を作り出します。

 だから、存在や現象は関係、関係とは存在や現象であるともいえます。

 従って、外からの情報の受け入れ、イメージの形成、意志決定、思考と行為の記録についても同じと言えます。

 あるものが何であるかは、絶対的なものではない。 同時にある周囲のものとの関係で決まるか、時間の前後で決まる。

 蒋介石の銅像-かつて台湾では、前を通るとき敬礼して通った 現在では撤去するようになった-前後的(時間的)因果関係

 ●糸川英夫の「空」論  『物質(色)と反物質を足し合わせると「空」になる』  物質と反物質を足し合わせた結果は必ず0になるから「空」=0という事に なる。  般若心経は『色=空』といっているから、この論では『物質=空=0』となってしまい、数学的に合わない。また仏教でいう「空」と老子の「無」が同じということになってしまう。 さらに『正即是負 負即是正』とも言っているが、さらに数学的に合わない。

○ボームという物理学者  同時的相互関係と前後的因果関係を「空」と呼ぶ

 ◎有→空→識 (認識論)  

 有-これが何であるかを認識する場合に、その存在位置によって分類する どういう条件で分類したときに、どの類にはいるのかという認識方法 中国思想は最後までここにとどまっている-漢方医学など  

 空-それはどういう関係でできあがったものであるか  

 識-物事が何であるかというのは、誰がどういう立場や考え方で見るかで 決まる   ニュートンまでの物理学は「空」の段階 今の西洋科学の考え方=還元主義  西洋のほうが「空」の理解が早い。ホーキングなど西洋科学が「識」に伸びてきた

 

 それぞれの元素の持つイメージは  

  水素なら、軽い=風船に使う、爆発  

  酸素なら、呼吸  

  窒素なら、肥料  

  塩素なら、毒ガス

 というように、全くイメージが異なるが、全く同じ電子と陽子の、組み合わせが違うだけで、このように全然違った元素ができてしまう

 さらに水素と酸素の組み合わせで、

   H2O = 水    H2O2 = 過酸化水素  

 のように全く違った性質の物質ができる。

 このように現代科学のなかには「空」の考え方が、「還元主義」という形で  すでに浸透している。

 そこで仏教の「空」の理解も、西洋のほうがよく理解している。

 ○般若心経の謂うところは、

  世の中のすべてのものは、実体のないものだから、

  たとえ手にいれても、持つ人によって関係が違ってしまう。

 他人にとって有用なものでも、自分にとっても有用とは限らない

 隣の奥さん-おしとやかに見える-今の夫と一緒にいるからかもしれない

 総理大臣-派閥・党派など、条件が悪ければやめたくなるだけ

 物事には実体がなく、世の中の感じ取れるものは、すべて関係によって決まる

 欲望や野心などは、手に入ったところで素晴らしいものとは限らない

※ただし「唯識」の段階になると、関係がどうなっているかも、見る側の認識によって決まるという事になるから、世の中がどうなっているかを知るというのもなかなかに難しい。

 

 

 

 

  張明澄師 南華密教講座 DVD 有空識密 智慧と覚悟



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  〒384-0801 長野県小諸市甲4655-15 中国占術研究所

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